紅茶の時間

1983年から、水曜の午後は石川県津幡町のわが家をひらいて「紅茶の時間」。

ちっともはやっていませんが、きもちを語りあい、聴きあい、
私たちをとりまく社会についても学びあう場を続けています。
ゲストのお話を聴く「とくべつ紅茶」や、おはなしに行く「出前紅茶」も時々。
出前では、コミュニケーションワークショップやけんぽうかふぇなども。

水野スウの著書に『きもちは、言葉をさがしている』『ほめ言葉のシャワー』『紅茶なきもち』CDブック『13条のうた ほかの誰とも』『わたしとあなたのけんぽうBOOK』『たいわけんぽうBOOK+』他。
2冊のけんぽうBOOKで、2018年度平和・協同ジャーナリスト基金荒井なみ子賞を受賞。

「紅茶の時間」の本に関するお問い合わせは、mai worksのwebshop  https://maiworks.cart.fc2.com
または水野スウまでご連絡ください。
sue-miz★nifty.com(★を@にかえて)
tel:076-288-6092  fax:076-288-6093

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2024年4月23日 (火)

西東京紅茶

今回の東京では、3日目に西東京紅茶を。めずらしく娘から出前のリクエストをもらい、娘が東京に来てから出逢った方たちに個人的にお声かけして来ていただいた、ごくごくこじんまりな紅茶の時間。  
娘い今回わく、紅茶を介してでなく個人的に出会った方たちに紅茶の話を聞いてほしいな、っていつからか思うようになったけど、コロナでそういう機会が減ってしまったので、それなら自分で企画しよう、と思い立ったそう。紅茶で大事にしている基本のきからはじまって憲法につながるまでの話を、初めて聴く人たちにしてね、と娘が出前注文をだしてくれた。


私が紅茶で大事にしている3つのことーお茶を入れる、 聴く、いいとこ見つけたら言葉にして伝えるーは、どうしたら目の前にいるひとを大切にできるだろうと考えながら、紅茶の時間でずっとしてきたこと。DoだけでなくBeの価値、人は誰でも身の丈に認めてもらいたいと願って生きてるってこと、平らに話す、ということも。
その延長線上にあるのが、親子でつくった「ほめ言葉のシャワー」の冊子。その当時、娘はひきこもりながら何冊か冊子をつくっていて、私が「こんな冊子をつくりたいんだけど手伝ってくれない?」と声をかけたのが始まり。いいよ、と応じてくれた娘だったけど、本当は、社会の役に立ってない自分のこと責めてもいた。「自分のことほめるなんてとてもできない私だけど、そんな自分にも届くような冊子にしたい」。そう必死に願いながらつくるなかで、娘が辿り着いたのはー「私が私であるというこの存在だけは、ほかの誰ともとりかえがきかない」そのことは認めてもいいんじゃないか、ってことだった。そしてそのことを「十分にすごいこと」と題した短いコラムに書いた。

冊子づくり中のその発見は、翌年、娘がクッキングハウスで「ほめ言葉のシャワーから平和へ」のお題をもらって話すことになった時、娘の中でもっと大きな発見にぴたりと重なった。
いきなり平和って言われても困っちゃう、とわらにもすがる思いで開いた憲法の中に、「すべて国民は個人として尊重される」からはじまる憲法13条を彼女は見つけた。そして、「ほかの誰ともとりかえがきかない」そのことは認めてもいいんじゃないか、という実感が、決してひとりよがりじゃなく、ずっと前から憲法に書き込まれてたことだったと、娘は知ることができたんだ。
その13条に、娘はこんなやさしい日本語訳をつけた。「わたしは、ほかの誰ともとりかえがきかない/わたしは幸福を追い求めていい/わたしはわたしを大切、と思っていい/あなたもあなたを大切、と思っていい/その大切さは行ったり来たり/でないと、平和は成り立たない」。

最後に「平和は成り立たない」で終わるワケはね、戦前戦中は「個人」なんてなかった。一人一人のいのちは、国にとって都合よくとりかえのきくパーツみたいに扱われて。だから国が間違った方向に暴走したとき、誰もそれを止めることができなかった。もう二度とそんなことが起こらないよう、戦後新しい憲法をつくるとき、とりかえのきかない個としての人を何よりも大切にする、そう書き込まれたんだった。
娘が13条を発見してくれたことで、そうか、誰もが身の丈に認めてほしいと思うのは当たり前の願いで、それが個の人として大切にされる権利、人権ってことなんだ、紅茶が大事にしてきたこともまさにそれだったんだ。そのことに私は後から気づけたよ。

これまで何度もしてきた紅茶の話だけど、この日はいつもはしない話もした。この場所が、兄夫婦の新婚時代をすごした土地だったこと、そのお兄ちゃんが若くして自死したこと、遺された義姉が水野の家に入って私の母代わりをし、父を看取ってくれたこと、その後この土地に姉が一人暮らしの家を建てたこと、姉亡き後は私が10年、ここで西東京紅茶をし、そして今は娘夫婦がこの家に住んでることーー。
そんな場の特別感で私の原家族の物語をいっぱいしちゃった。自分でも不思議な感情。 
その分、持ち時間が少なくなって話の後半が駆け足になってしまったけど、娘の発見と紅茶で大事にしていることと憲法13条が実はつながってたんだってこと、この日のみなさんにもっと丁寧に伝えたかったなあ。そんなわけで、あの日語ったよりもちょっとだけ丁寧に、ここに記しました。
   
約束の時間がおわっても、どなたも帰ろうとしなくって、話す/聴く/放す、の放課後タイムはそれから一時間近く。出前注文主のリクエスト(紅茶から始まって憲法にたどり着き、それが紅茶が大切にしてきたこととつながってたんだ、と循環する物語)からは少しずれてしまったけど、この日集まった方たちはそれぞれに何か大事なことを感じ、受け取ってくれたって気がしてる。「ここは、存在が存在としてあれる場所」って言ってくださった方がいたこともすごくうれしかったな。
最後に写真をとった時、FBにあげてもいいといってくれたみなさんの、なんていい笑顔! この日蒔いた種からどんな芽がでるだろ、それを未来にゆだねよう。
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西東京紅茶の日、はじめての人たちを迎えるのに少しでも居心地よく、と思って母娘でいろいろ空間を準備したこと、それもまた超楽しかったよ。きいろい花のフラワーアレンジメントは、前日の川越紅茶でプレゼントしてくれたものを活かして。

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2024年4月20日 (土)

「いくさふむ」@シネモンド

三上智恵監督6年ぶりの新作「戦雲」(いくさふむ)。
♪戦雲がまたわきでてくるよ
 怖くて恐ろしくて眠ろうにも眠れない
 ああ、憎い権力者どもよ
石垣島の節子おばあが歌うとぅばらーまで映画がはじまる。琉球国の沖縄島とその先のちいさな島々の歴史が、山内若菜さんの味のあるイラストとおばあの語りですうっと心にはいってくる。
映画全編に登場する、与那国島のカジキマグロ釣りのおじいの、言葉、表情、いいなあ。地域ごとに船を出して競争するハーリーの祭りに熱く燃えるおじい。自衛隊がなんでもかんでもやってくれる、といってたけど、自衛隊いてもいなくても戦争やるんじゃないの、とおじいの心も変化していく。
有事になったら与那国島は全島民避難、といきなり知らされる。1日で船と飛行機で九州のどこかに1700人が運ばれる?そんなこと誰も聞いてなかった。
牛を育てている小嶺さん。父親は「与那国を守るための計画で国はやってらっしゃるから」というが、全島避難でも牛はおいていけない、と息子さんは思ってる。彼は「その計画は与那国の人を守るためではまず、ない。自分たちは一番命を粗末に扱われてる国民なんだ、それを町民に感じてもらいたい」と。
牛、ヤギ、与那国馬、生活のなかに当たり前に動物たちがいる暮らし、長い歴史と文化を大切にする暮らし。それを誇りにしてきた島の人たち。自衛隊がきて豊かになるどころか、ミサイル基地が次々できて、不安がつのる。疲弊してる。これでは約束がちがうでないか。いや、そもそも軍隊は嘘をつくものなのだ。
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三上監督の「戦雲」舞台挨拶はこれで25回目。10年前にテレビ局をやめた時、「映画をつくりなさい」と言って三上さんの背中を押したのが、この日もみえてた金沢の赤井朱美さんと五十嵐夫妻だそう。
占領下の沖縄は、27年間も憲法がなかった。どの県よりも民主主義の担い手になりたくて、立ち上がり闘い、不断の努力をしてきた人々の歴史。「この映画で今の沖縄を目撃したみなさんは、観たからには当事者。確信犯で、共犯者です。暴走してる政府を止めたい。国土強靭化という言葉のもと、戦雲は日本全体を覆ってるのだから」と。
*****
「戦雲」を一緒にみた夫のまあさん。
「ものすごくいいのに仕上がってるね、深いね、人間がいっぱい描かれてて。おばあの歌も語りも最高!これ、いわゆる反戦や抗議運動の映画じゃない、暮らしと文化の映画だね」と。
うんうん、去年自主上映で見たスピンオフ作品とはガラリと違うつくり。ハーリーの場面を長く見れて、沖縄により心が近づける気がした。
三上さんの言葉で私もまた、どの県の人よりも不断の努力の12条してきた沖縄の人たちを思った。
先日のクッキングハウスでも、「国防」というマジックワードに絡め取られないで、国を守るのに必要だから軍備増やすのも仕方ないと黙らないで、と話したけど、この国防って言葉、私は再定義しないといけないと思う。
国防とは、国を守ること。そこに私の命は含まれてない。国を守るためには国民が命を捧げなければいけない。とするなら、それって「報國」ーお国のために私のいのちを差し出すことだ。「国防」とは、ひとりひとりが「報國の民」になること。私は国防をそう再定義したい、とこの映画見て思ったよ。
映画には、戦争に協力しないため、わざと栄養失調になって徴兵拒否したという父親の話がでてきた。平和ガイドをしてきた息子さんは、その父親の気持ちをとらえなおしたい、という。戦争に一切協力しない、戦争に絶対行かないよ、という家族の歴史が、戦争はだめだよと教えてくれている、と。
「戦雲」は19日から26日まで金沢シネモンドで。10:15~の一回上映。目撃者をふやしたいです。ぜひぜひお見逃しなく。

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2024年4月17日 (水)

ユンファさんコンサート@紅茶

5年ぶり、ユンファさんコンサート@紅茶の時間
今回はパートナーのヨシさんも一緒。とってもチャーミングですてきなひと。雰囲気がユンファさんに似てる、お似合いの2人。
この場に集まった人たちのこと、大きな家族みたい、って感じてくれるユンファさん。紅茶にまた来たいって思ってくれたわけも、きっとそこかな。
イエスタデイ、上を向いて歩こう、いのちの歌、花は咲く、などなど。
🎵あなたは愛されるため 生まれた人
  その愛 いまも受けている
の歌は何度聴いても心に沁みます。
リクエストした通り、平和のひとかけらを歌ってくれたユンファさん。
しかもアンコール曲もこの歌で。ユンファさんの歌声で聞く平和のひとかけらは、本当に何っていい歌なんだろ!って思う。
ふるさとのメロディだけど、歌詞は紅茶やクッキングハウスをイメージして書いたもの。
今回は歌詞の意味を、通訳のさねかた牧師さんに訳していただいて、ユンファさんにもヨシさんにも聴いてもらえたのが嬉しかったな。
お茶の時間にみんなから感想も。
初めて聴いた人が、ユンファさんの声、色気があるね、と。この、イロケ、という言葉、韓国語で、こんなふうに、という意味があるんだそう。ユンファさんが何気に歌った冬のソナタの中に偶然、イロケ、という発音の韓国語が出てきて、大受け!
コンサートには間に合わなかったけど後から来れたカジさんのために、ギター弾き語りでまた数曲。ハナミズキ、とーってもよかった。
ユンファさん、2人できてくれてありがとう。つないでくれた山口さんもありがとう。
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紅茶を後にして七尾に向かうユンファさんたち。
20日土曜日は10:30から県立図書館のだんだん広場でコンサート。どなたでも。

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2024年4月16日 (火)

24歳の妹たちへ

2000年にはじまった川越紅茶の時間。24周年の集いに「24歳の妹たちへ」と題してお話。
姉さん紅茶は41年目になって、今はちっとも流行ってない、毎週あいてるけど、特別なことは何もしてないってことをしてる静かな場。
川越の妹たちの場は、老いや介護や看護、看取りのことなどなど、それぞれの大切な体験を、集まっては語りあい、学びあい、わかちあいながら、もうとっくに姉さんを超えたすばらしい場に育ってるなあと思う。
そんな妹たちに、だからこそ伝えたい「思いがけず利他」(中島岳志さんの書かれた本のタイトルでもあり)という言葉、そういう感じ方、受けとり方。
利他は、誰かのために、って意味。でも、誰かのために、と意図した行為が本当の意味でその人のためになっているかどうか、それはなかなかあやしい。逆に、誰かのためにしたのでない、何気ない行為やふともらした言葉が、いつかどこかで誰かを救ったり、心をあったかくさせたり、喜ばせたり、してるかもしれない。それが、おもいがけず利他。
自分のする行為の結果は、自分にはみえない、わからない、を前提に、ありがた迷惑や押し付けの意図的利他(おもいがける利他、とも言えそうだね)とは真逆に位置してそうな、思いがけず利他、の例を探してみると、、、。ある、ある、ある。
時をこえ、巡り巡っての、思いがけずの利他を探す試み、うけとるよろこび、なかなか味があっておもしろいです。探すこっちのきもちもほかほかしてきます。
利他学会議で中島さんとはお仲間の伊藤亜紗さんが、宅老所よりあいをしてる村瀨 孝生さんとかわした往復書簡。それが「ぼけと利他」という本になり、その中にも、思いがけずの利他がいっぱい。
老いて、いろんなこと忘れて、からがの自由がだんだん効かなくなって、そんな思い通りにならないからだときもちの持ち主のお年寄りたちとの関わりのなかで、思いがけず利他がいっぱい生まれてる。
「利他は、うけとられた時に発動する」って言葉もでてくる。長いタイムラグもきっとありそう、それだけに、あ!と見つけて、やっと受け取れた時、なお、うれしい。
近くから遠くから、の仲間がいっぱい参加。川口紅茶の落合さん、京都紅茶してたかつこさん、いんのしまいさんは二日連続で。あ、きやさんもクマさんもそう。
仲間たちの得意分野をいかして、能登半島の地図入りすてきな看板や、パンやお菓子や縫い物や編み物やフラワーアレンジや、、会場があったかい空気に満ちてた。紅茶バザーもひらいて、この日のみなさんからたくさんの能登応援カンパ(一度目はのっぽくんに送ってくれてる)もほんとにほんとにありがとう。
1時間の私の話の最後は、たかはしべんさんにギターで伴奏してもらって「平和のひとかけら」。大合唱でした。
1番の歌詞は
♪きもち いつも言葉に あなたと語りあう
 なみだも笑顔もわけあってきた 平和のたね蒔きつつ
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続いて、べんさんミニコンサートも、ひとこときもちのシェアリングも。なんて豊かな時間。ジュンコさん、なかまたち、準備大変だったでしょう、その分、楽しかったでしょう。こんな妹たちのこと、心から誇らしく思っています。出逢ってくれて、ありがとうね。

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サプライズ!

クッキングハウスでのお話会の始まる15分くらい前だったか、2階のクッキングスターにはいってきたお二人。え、え、え??なんでなんで?
目が点になって、豆でっぽう食らった鳩になっちゃいました。
娘のパートナーの、青森に住んでるお父さんお母さん、いきなり登場!
東京に用事があって新幹線で帰る前のつかのま、ご挨拶に、って。息子にも内緒で、って!
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この日にここでお話会、と「紅茶なきもち」ブログで知ったとのこと。元旦の地震のこと、すごくすごく心配。娘からきいて大丈夫、ってわかってる。でも顔見たらもっとわかる。きっとそれで寄ってくれたんですよね。もうもうめっちゃうれしかったです。次回、もし時間がある日だったらぜひぜひ、私の話も聴いてくださいね〜!お顔見せてくださってありがとうございました。

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クッキングハウスでお話会「自由を求め続ける」

クッキングハウスでの、20年目となる「スウさんのピースウォークおはなし会」。松浦さんから毎年違うお題をいただいて語るけど毎回、松浦さんとのコラボみたいと感じてる。
今年の題は「自由を求め続ける」。私だけ自由であってもうれしくはない、と松浦さんがクッキングハウスをはじめたこと。それは笠木透さんの歌の「一粒の涙」とも、賢治さんの「世界ぜんたいがしあわせでなければー」とも通じてる。
自由にもいろんなレベルいろんな深さがあって、自由の意味は幅広い。
災害にあうととたんに自由がなくなる。水がないともうどれほど自由がないか。能登でいまだに水の出ないとこもある現実。
主体性を奪われた時、手放した時、社会の偏見にとりこまれた時、その偏見で自分を縛ってる時、自由じゃなくなる。
心の病気になったことでいったんは奪われたかもしれない自分の主体性。クッキングハウスのメンバーさんたちは、仲間とともに学んでリカバリーしていく中で、主体性を、自由を、とりもどしていってるんじゃないのかな。自分の内なる偏見にもきづきながら。
これって、病気かそうでないかにかかわらず、だ。知らないことは怖いこと、たやすく偏見に染まる。私もね、きっとそうだった。クッキングハウスと出会って、学びにきて、メンバーさんたちと知りあってくうちに、偏見からほどかれて自由になってった気がしてる。
戦火の下で自由がないことは誰にでもわかる。ウクライナでもガザでも。戦争してなくても戦争に向かう道で、自由にものいう幅はどんどん狭くなっていく。「国防」というマジックワードにかからめとられそうになる。
国家権力の自由は、個人の自由と対立する。権力に好き勝手自由にさせないため、だからこそ、憲法があるんだ。
今年で23年目のピースウォーク金沢。暴風雨警報の日だったけど、実行委員で話しあってなんとか開催する道を探ったよ。バナーを持って、音楽鳴らして街を歩くことは危なくてできなくても、いつもの公園に集まって、顔あわせて、公園内のウォークならできる。スピーチでは、能登のこと、ガザのこと、沖縄のことを語ってもらった。
それは、自由に平和を表現する一人一人の権利を守る、保持すること。今年はやめとこか、って簡単に手放したら取り戻すのはなかなか。そう思うからこそ、限られた状況の中でできることを。
主体性を持つって、自由って、自分で考えて決めて選ぶこと。ある意味めんどくさい。誰かに決めてもらった方が楽、ってこともあるよね。だけど、政治なんてむずかしいことわかんないから偉い人に決めてもらえばいい、って、みんながしたら?
選挙のことだけじゃなく、日常生活の中の小さな自由だって、自分で選びとってくって大切と思う。
災害の復興に、ほんとに必要なものは現場でしかわからない。憲法に緊急事態条項など書き込まれて政府の力だけ大きくなったら、今だって現地の声が届いてないのにさらに悲惨な状況になると確信してる。現場にもっと力と自由を。
自由と平和はセット、だから自由も平和も求め続ける不断の現在進行形。自由って、誰かからプレゼントしてもらうものじゃないから、ふだんの努力を日々普段から、12条する、ことがかかせないんだ。
能登地震のことは長々話せないので、ウエブマガジンに書いた長めの文章、コピーして販売、能登の応援に。部数がなくなったらクッキングハウスが即、コピーしてくれて完売。ありがとう!
(能登地震と原発と友人たちのこと書いた文章は対人援助学マガジン56号の「きもちは、言葉をさがしている」に)
最後は「平和のひとかけら」の歌をみんなで。
2番の歌詞はまさにこの日のこと。
♪知らないこと学んで 平和のひとかけらに
 心の自由求めて 一歩前へ あなたと
遠くから近くからご参加ありがとう!
たくさんのお客さまで、メンバーさんたちには、おはなし会の始まる前に30分のミニバージョンを。
写真は、初めて参加したというあわちゃんと松浦さんと娘と。
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のっぽくんオリジナルのNOTO not aloneのトートバッグと、松浦さんが手にしてるのが笠木さんのDCブック「へいなよ」(泣くなよ)。英訳したらWe are not alone.

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2024年4月12日 (金)

虎に翼

新しく始まった NHK 朝ドラ。しょっぱなに日本国憲法がでてきて、14条の男女平等が読み上げられて、ぶったまげた。今回はどんなドラマか予備知識なかったから。わくわくして以後毎日見てる。
日本初の女性裁判長となった三淵嘉子さんがモデルの「虎に翼」。わけのわからない差別や不平等に、ハテ、ハテを連発する若き寅ちゃん。まだ始まったばかりだけど、一人一人の人物のセリフが深い。「恋せぬふたり」をかいた吉田恵里香さんの脚本、これからが楽しみ。寅ちゃんを演じる役者さんも大好きなひと。(虎に翼、なので、つい、虎ちゃんと書いちゃったけど、寅ちゃん、でした。教えてもらって、訂正しました)
三淵さんの進学した学校は明治大学専門部女子部。明治大学はもともとは、明治法律学校、という法律が専門の学校だったんだ。大学になってから、法律を学ぶ意思を持つ女性たちにも門戸をひらこうってことで女子部ができた。
三淵さんはそこを卒業して法学部に進み、1938年司法試験に合格。当時、女性は判事、検事になることが禁じられてた。それに反発して、裁判官の道を求めた三淵さん。大日本帝国憲法時代の民法では、結婚した女性は無能力者とされていた。離婚も自分からできない、相続権もない。ハテを通り越して、なぬ!だ。
弁護士だった父は三淵さんの20年先輩。「明治大学小史・人物編」に、三淵さんが紹介されていた。この3ページ手前に父が。

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2024年4月 7日 (日)

能登はひとりじゃない、のトートバッグ、できました!

のっぽくんからのおしらせ
初回限定50枚!⭐ フェアトレード&能登復興支援のトートバッグが誕生しました・・!
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NOPPOKUNの能登応援グッズ第4弾として、
「NOTO, NOT ALONE(能登はひとりじゃない)」というメッセージの入ったフェアトレードのトートバッグがようやく完成したんです!待ちました、一か月。
石川県のフェアトレードショップとして出来ることとして
京都に本店を置くシサム工房に インド・ムンバイのスラム街の女性たちが経済的自立を目指して縫製したトートバッグを発注していました。
想像以上の出来上がりで、スタッフも絶賛👏
老若男女問わず持ってみたくなるような、おしゃれでしっかりとしたバッグが出来上がりました。
内ポケット、マチつきで、書類や本もたっぷり入りそうです。
シサム工房の公式サイトでもご紹介いただきました。
※フェアトレードのノベルティがオリジナルで、作れるんですよ?めっちゃ素敵じゃないですか? 結婚式や記念品として、大学のオープンキャンパス、お店の周年祭などに、ぜひぜひ※
🍀初回限定50枚🍀 税込2,600円で 
そのうち1,000円は能登の復興支援として大切につかわせていただきます。
🌷
本日4月6日よりNOPPOKUN、コミュニトレードアル レジにて販売開始いたします!
どうぞ手に取ってご覧ください🌈
🌷
私たちNOPPOKUNの大切なお取引先の方々も今回の能登半島地震で大きな被害を受け、その苦しみの最中にいらっしゃいます。
1枚のトートバッグが、
インド🇮🇳の立ち場の弱い女性たちの仕事づくりに。
そして、能登での未来の仕事づくりのほんの小さな一助に。
能登への想いとともに、どうぞながーく愛用してくださいますことを✨

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アトリエつばさ

一本杉通りでお店を再開しているところはまだまだ数少なく。まなみさんがしているセレクトショップdipsさん、女性もののお洋服のお店は2月なかばから開いたそう(夫さんがしているお隣の、男性もののショップはまだですが)
お店を開いた時、いったい誰がきてくれるだろう、と思ったものの、次々とお客様。避難所にいる人もきてくれて、一月からこれずっと着たきり、といって、半額にしていた春いろのお洋服を購入してくださったと。
水の出ない避難所、最初はお風呂もはいれない、洗濯も難しい、となれば、同じ服をずっと着たままが当たり前になる。お客様はそう話しながらいっぱい泣いて、まなみさんもいっぱい泣いて。同じ恐怖を味わったもの同士、泣ける場があるということ、お店をひらくってそういうことでもあって。
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お店のとなりのこどもたちの絵の教室アトリエつばさは、丈夫なつくりで(3びきのこぶたの、ブーフーウーの、ウーの家かな?)、1月の早い時期からひらいてる。今日ははじめて中をみせてもらった。ここで、こどもたちが嬉しそうに、たのしそうに、絵を描いてるって、なにかつくってるって、いいなあ。まだまだこわかった体験が抜けてない子もいる。そんな子たちもこれるって、ね。大事な場です。

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倉敷真備から能登へ

一本杉マルシェで、倉敷まびから能登へ、の文字を見つけてびっくり。
岡山県倉敷市の真備は百ちゃんという友達の住む町。
数年前、大水がついて彼女も大きな被害を受けた一人。
災害が、遠い町の人と人を結びつけてる。
真備は福祉の町なんだそう。
百ちゃんをよく知ってる真備の人が、七尾とのつながりを説明しててくれたよ。
今日のマルシェには、愛知県大府にすむ大西さん夫妻も来てて、去年11月に紅茶を訪ねてくれて以来の再会を。
地震後すぐから能登に気持ち寄せてくれてた大西さん、来月のこどもの日の一本杉マルシェには、大道芸人の夫さんが楽しいパフォーマンスを見せてくれるそうだ。
いろんな人が出会い、新たなつながりを作ってくマルシェ、5月5日、あなたも来てみませんか。

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高澤ろうそくさん

高澤ろうそくさん、仮店舗で営業再開。
お店の前にはそのお知らせが木蓮の花の横に。
一本杉マルシェ企画で一本杉ウォークがあって、それに参加しました。
一本杉の歴史、七尾の歴史。前田利家は金沢に来る前は七尾の小丸山城にいたこと。
青柏祭のデカ山は3つの町、うおまち、かじまち、府中町、の象徴。
漁を、加工を、商いを、それぞれ生業とする町のシンボル。
背の高いデカ山が当たらぬよう、一本杉の電線は通りをさえぎらない、だからみはらしがよい。一本杉通りでは、止まれ、の道路標識も祭りの日になると9 0度横に曲がるようにできてるんだって。
和蝋燭の伝統文化を一手に担う高澤ろうそくさん。
原料のハゼは七尾にないのに、なぜ?
それは北前船による海の流通があったから、とのこと。
仮店舗で、ゆきえさんの元気な笑顔にも会えたよ!Img_1680-2

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一本杉復興マルシェ 正子さんと

月いち、一本杉復興マルシェでやっと鳥居正子さんにあえたよー。
天気も良く、すごい賑わいだったので、しまいぎわによってゆっくりおしゃべりできた。
マルシェの場所は、再開した花嫁のれん館前の通り。

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鳥居醤油さん、お店の再建も始まっていて、大工さんが入ってるよし。
おいしいだしつゆと再開できる日、気長に待ちます。
まさこさんの笑顔に会えたのが超嬉しかった。
大ファンのだしつゆを買えるのはまだ先だけども、今日は醤油麹とホタルイカの干したのを。
夜ご飯の肉じゃがが薄味になったので、しあげに小さじでひとたらしの醤油麹いれてみたら、味がしまっておいしくなった。ホタルイカはすこし戻してから、菜の花と一緒にパスタにいためると超美味、春の味のパスタになります。

写真は、正子さんとおかみさん勉強会仲間のまきちゃんと。

21美のわーくしょっぷでつくったという木の椅子も並んでた。椅子の後ろには作り手からのメッセージが一個一個に書き込まれてる。「つなぐ手はいつでもすぐそばにあるからね、声も出して笑顔で一緒に」と言った言葉が。

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2024年4月 3日 (水)

ユンファさんコンサート@紅茶

2週間後の4/17、とくべつ紅茶でイ・ユンファさんのコンサート。5年ぶりのユンファさん@紅茶の時間/水野宅。(18日木曜日になるかと一時思ってましたが、水曜日紅茶の日で決定です)
12:30open 13:00~16:00前(コンサート後のお茶を飲みながらのきもちキャッチボールタイム含めて)
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今回は能登チャリティコンサートとして、能登のいくつかの教会でも歌うことになっているユンファさんだけど、紅茶にまた行って歌いたい、とユンファさんが希望してくれたとのこと。
5年前のコンサートの時、実は個人宅で歌うのははじめてだったユンファさん、最初はとても緊張してたそう。だけど紅茶の空気に触れて、紅茶を好きになってくれたみたいです。うれしいね!

前回の時のように、山口さん夫妻が、教会とユンファさんの間にはいっていろいろ調整してくださいました。本当にありがとうございます。

5年前に歌ってくれた「いのちの歌」も、そして「平和のひとかけら」も、きっと歌ってくれます。ユンファさんは韓国語でお話しして、教会の牧師さんが通訳してくださいますが、歌は日本語で。ゴスペルシンガーさんなので、ゴスペルの歌ももちろん。しみるあの歌声をまた生で聴けること、ほんとに楽しみ。初めての方もどうぞどうぞいらしてください。紅茶でのコンサート後、すぐにユンファさんは七尾に向かいます。

コンサートは無料ですが、能登半島へのカンパ箱、置いておきます。石川県内いくつもの教会でつくっている能登ヘルプさんにお渡しして、能登で被災された方たちのために使っていただきます。

コンサートに見える方、できるだけご予約くださいな。人数がわかれば、お車止めるところを相談できますので。私あて個メッセ、または📞076-288-6092


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2024年4月 2日 (火)

ちいさんとたかひー

もう先週のことになるけど、おもいがけなくちいさんが来てくれた。
ちいおばさん、ちいば、と呼ぶ人もいる。私は、ちいさん。信州松本にすむ木島知草さんのこと。

七尾や羽咋の友だちに会いにきて、金沢の友達のところに行く前に、時間をひねりだすようにして津幡のわがやによってくれたんだ。人形劇の相棒のたかひーと一緒に。

とっても濃い時間、いっぱい話していっぱい聴いて。
ちいさんとたかひーの出会いの場が、病院の洗面所だったこともはじめて知った。
ちいさんはおつれあいのケンちゃんの、たかひーはお母さんの、看病で病院に。
そこでの出会いが、今につながってる。

お父さんを自分でみとったたかひーは、お父さんが趣味で始めたニホンミツバチのはちみつづくりをなんとか引き継ごうとしてる。
みつばちがはちみつのプールにおっこちて、はちみつだらけになったら、仲間のハチたちがやってきて、その蜜を吸って取り除いてくれようとするんだって。蜜をいっぱい吸ったハチは、からだのシマシマの色がうすーくなるんだって。

ちいさんは私の、たかひーはまあさんの、肩や背中をマッサージしてくれた。とおってもきもちよかった〜〜。
石川であったみんなにマッサージして、お灸してきたんだという2人。私からは手持ちの棒灸をおみやげに。

信州にいると、志賀原発が地震でどうなったか、ほとんどニュースで報じられないという。志賀原発のこと、珠洲原発計画のこと、3分で話して、っていわれたので、ごくごく手短に話す。それをスマホで撮影するちいさん。信州のお仲間たちにだけ見せるからって。

これまで何回もけんぽうぶっく買ってくれてるけど今回も。
ちいさんが旅の中で、いろんな人に種まきしてくれてる。
性のこと、AIDSのこと、原発のこと、憲法のこと。
一人一人をとことん大事にするちいさん、ほんとに13条と12条の人だと思う。

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2024年4月 1日 (月)

こんな顔ぶれで

エイプリルフールの午後、嘘みたいな顔ぶれがミュゼさんに集結。
東京から来た武井ゆきこさんがみゆきちゃんと兼六園に行ってる間、能登に一週間入ってた京田辺の宇野さえこさんを金沢駅でひらって、21世紀美術館を散歩する。
うさぎの耳の椅子、マイケルリンの壁紙、タレルの部屋。
私の好きな21美スポット。ステキなモデルのさえこさん!
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それからミュゼさんに行って、武井さん、みゆきちゃんと合流。
忘れられない2024年度の始まりの日。

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2024年3月31日 (日)

メロポチでホリケンさんのライブ

昨日はホリケンさんのライブを聴きにメロメロポッチへ。
嵐のような風が吹き荒れた今年のピースウオークで、ホリケンさんが歌ってくれたstand by me。
動画を撮ってた娘が、この曲の入ってるCDがほしい、とお代を預かってた。
ひとりギター弾き語りのライブ、ホリケンさんワールドに浸った1時間でした。
ホリケンさんと撮った一枚、あら、うしろにちむぐりさのポスター。
2021年ピースウォークの一環で、メロポチでちむぐりさの上映会もしたって証拠だね。Img_1591

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もうすぐ、だね。

4/12、東京調布クッキングハウスのお話会まで2週間足らず。松浦さんからのオファーの「自由を求め続ける」というテーマについて、ずっとずっと考えてるよ。2016年の時のテーマは「自由を求めて」でした。今回は、そこに「続ける」がはいってるのも、なんか、象徴的だなあ、、。
ふりかえりのシェアリングタイムの時、みなさんにとっての自由についても語ってくださったらうれしいな。
翌13日は川越紅茶へ。こちらはテーマは私次第。さて。24年になる川越紅茶の妹たちに、今、私が語りたいことを。
聞くところでは、12日と13日、連チャンで聞いてくださるきとくなかたもいるよし。
調布と川越、どこかでお会いできたらうれしいです。

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お疲れさまでした、関口さん

関口宏さんが司会のサンデーモーニング。毎日曜日朝の、私の、見る定番、でした。
36年6ヶ月もの長きにわたって!司会を務められてたんだね。
時の政権に睨まれることもあったけど、それはこの番組が不都合な真実を知らせようと努力してくれてたってこと。
この国が、戦闘機を作って輸出する国になろうとしてる今。
今日はコメンテーターの青木理さんが、三木内閣時代の宮沢さんの言葉を紹介してた。いわく、武器を輸出して稼ぐ程、日本は落ちぶれていないんです、と。
関口さん、本当に長い間お疲れ様でした。おしえられることいっぱいでした。
来週からバトンタッチする膳場さん、応援します。

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2024年3月26日 (火)

一本杉路通りのアトリエつばささん

25日朝のNHKニュース「被災地の声 七尾一本杉通り 心をつなぐ」で、
絵画教室アトリエつばさをひらいている道下真奈美さんのことを。
まなみさんは、私が17年通った一本杉通りおかみさん勉強会の時の、お仲間の一人。セレクトショップのあるお店の建物の一角で、子どもたちの絵画教室もひらいてきた。元旦の地震でお店はだいぶ傷んですぐには開けられなかったけど、アトリエ部分の建物は無事だったので、かなり早い時期に教室を再開してました。
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まなみさん
ーー子どもたちどうしてるかなと親御さんに連絡をとってみたら、「お母さん仕事の帰りに絵の具買ってきて」って言われたったいうのを聞いて、すごく胸を打たれて。子どもはお絵かきで自分の心のバランスとったり整えてるんだなと思って。
学校は地震で休校になったけど、「絵の教室はすぐに再開して描けたからよかった」と生徒さん。
まなみさん
ーーみんなメンタルがやられていて、一人でトイレに行けなくなったり 夜眠れなくなったり お留守番ができなくなったとか聞きました。トイレって戸を閉めると個室になるので怖いみたいで、戸を開けてトイレをしていたという子もいました。
絵の教室を再開すると、うれしそうにやってきた子どもたち。
ーー怖い思いをしているので、それで喜んで来てくれました。私も元気な子どもたちの顔をみたら気持ちが上がってきた、いい感じで整ってきました。
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お教室の先生であるまなみさんのほうも、子どもたちがやってきて、楽しそうに絵を描いてる時間を共有することで、きもちがあがってきたんだねえ。
ケアし、ケアされ。アートって、ほんとに大事なきもちの栄養なんだと思う。傷口をおおうやさしいガーゼみたいだ。
まなみさん、今はみなし仮設で仮住まい。うちからすぐんとこに、そうとは知らずに引っ越してきたっていうのもとてもふしぎ。おかげで私がまだ一本杉に行けなかった1月のうちに、ご近所さんとして会いに行けた。
まなみさんの一本杉のお店はもう再開してます。きれいな春いろのお洋服をお店にならべて。
一本杉通り商店街は、まだお店を再開できないとこも多いけど、通りのなかの駐車場で、毎月、一本杉復興マルシェを開くことになっています。
4月は7日の日曜日、11:00~2:00
3月のマルシェにはいけなかったけど、4月はまた、おかみさんたちの顔見に私も行こうと思っています。

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2024年3月25日 (月)

能登のことを話そう!

3/24 ふくしまっこチャレンジスクール主催の「能登のことを話そう!」
能登町の脊戸郁弥さんと、田谷船長こと田谷武博さんがお話されると知って、野々市にでかけました。でも、田谷船長、この日は海がすっごくいい凪なので漁に出た(大事な本業!)とのこと、かわりに田谷さんと一緒に活動してるRQ能登(RQ=社団法人災害教育センター)の北川賢司さんがお話してくださった。
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能登町生まれの脊戸さん。33歳。現在は避難所暮らし。
高校の時、能登沖地震を体験して、消防士になろう、と。金沢の消防士だった時に起きた2011年の東北大震災。ボランティアで福島に入ったけど、地震の時、現地にいないと助けられないことを実感。2年前、能登が心配で消防士を退職して能登町にUターン、木の伐採を仕事にしている。能登に帰ってきててよかった。
元旦は、宇出津の母の家に自分の家族と弟家族といた。震度5にはもう地震慣れしてたけど、次の本震が震度7。今までで一番、死ぬと思った。消防署に逃げて、その日のうちに弟といろんな道を走ってみて、どこが通れてどこが通れないか調べて消防に知らせた。
大きい指定避難所には物資がすぐ届くけど、自主避難所には届かない。自分で取りにいかないといけない。
それをインスタにあげると投稿見た人が「水を渡したい」「何がほしい?」と返してくれて、1/3にはもう大量の水を持ってきてくれる人がいた。
ーーだから、僕、全然ヒーローじゃないです。すごいのは、能登まであの道を運んでくれた人たち。僕は預かったものを届けてるだけ。最初のひと月で40トン運んだ、今までで100トン近くかな。
脊戸さんは能登町の、今は住めない自分の家を片付けて、毎日届けられてくる物資の拠点にした。
あそこに届けて、ここに届けて、と1日に200件くらいSNSで依頼がきた。
ーーそれに毎晩、返事した。避難所の仕切りになってるダンボールに、明日はどことどことどこ、、と書きつけて。それしてからでないと寝れなくて。だから1月の2週間、ほぼ寝てない、それが苦しかったなあ〜。
ーー10 日経っても何も食べるものないってとこに届けた時、全然知らない僕のこと抱きしめて、泣いてよろこんでくれる人がいた。一人じゃない、助けにくるよ、と伝えた。
ーー被災者に物資届けてるけど、僕が届けてるのはモノじゃない、きもちを届けてる。きもちのないものは渡したくないんで、インスタントは渡したくなかった。
(二ヶ月半たって)今、意識してるのは、地元の人に自立してほしくて、料理できる野菜をくばってる。無農薬の野菜とかお米とか。話するのは区長じゃなくて、できるだけ女の人たちと話すようにしてる。
RQ能登の北川さん。
ーー1/7に田谷さんと出会って、一緒にやろう!と。門前の田谷さんの実家を物資拠点にして支援活動。最初は地元の人にすごく怪しまれた。「いらんいらん、間に合うとる」と。元旦に避難所に逃げて、戻ってきたら泥棒に入られていた人たちだった。
物資を集めて配っているけど、井戸も掘れば、家の片付けも掃除も棚直しもする、一軒の家の仕事終わってお茶出してくれたらそこで話を聴け、と若いスタッフに言ってる。ニーズ拾いを常にしてる。
ーー門前は岩のりの名所、だけど海が3mも隆起してもう岩のりをとることはできない。暮れの30日に採ったという岩のりをお礼に、ともらったが、それが最後の岩のり、もったいなくて食べれない。
ーー今、奥能登で何かおきているか。水も炊き出しもこない、支援物資の受けいれ中止。だからぼくらやらなきゃならない。
これまでの震災で行政は学んだ、早く自立を促そうと。足りてますから帰って、と医療も二月いっぱいで帰したけど、全然足りてない。現実とあまりにかけ離れてる。避難所にいる人が全て入れる仮設住宅ないのに、5月上旬で避難所全て閉めるって、ありえない。熊本では半年あった、東北では3年続けたとこもあったのに。
ーー知事が能登半島にこないで、といったのがいまだに効いてるんでは。こんなにボランティアの数が少ない被災地は見たことない、と県外からのボランティアに言われる。
避難所を出て、仮設にもみなし仮設にも入れない人はどこへ行くの?の問いに、脊戸さんは、
ーー赤札(危険判定)の貼られた家に戻っていく。在宅避難がふえると僕も配りきれない。
ーー能登は、半島で他の文化が入ってこなかった。祭りが大好き!自然とともに生きてきた民族。プライドが高くて、助けて、と言わない。言わないけど、思ってる、待ってる。
電気も水道もとまって生きていくのが難しくなった。だからこそ生きていく力を養っていくことが大事と思う、地震はどこで起きるかわからないから。
若い脊戸さん、一言一言、言葉を選んで誠実に話してくれててすごく心にしみた。本当にありがとうございます。
北川さんが、最後は笑顔でおわりたい、明るい話を一つ、と。
ーー震災後、ずっと野生動物見てなかった。きのう、うさぎ見たよ!とスタッフから報告あってみなで歓声あげた。動物が戻ってきて、能登に春がきた。
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ボランティアしたい人は全国にいっぱいいるのに、県のに登録しても実際に行けるのはとても狭き門。
北川さんたちが田谷船長としてる活動では、ボランティアのうけいれもしてる。「QR能登」で検索してみてください、活動内容も知ることができます。田谷船長は能登震災支援PROJECT「Sun くる」の代表です。
チーム渥美半島が、船長んとこにキャベツ500個届けた、ときいて、のっぽくんにも野菜届けてくれた、ダキシメルオモイの小林憲明さんたちだ、と思ってたら、会場で会えた!
ダキシメルオモイで石川とつながって10年。毎月一回、渥美から能登に届けること続けようと思う。渥美半島と能登半島で手つなげるんじゃないかと、と小林さん。
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この日は息子さんも一緒に来てた。ピースウォークの平野さんと4人でパチリ。

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