2/2 関西いのちの電話さん主催の出前紅茶で「きもちは、言葉をさがしている」。42年目になる紅茶の時間の中で、何気にだけどずっと大事にしてきたことをたっぷり語らせてもらったよ。
どんな人も、自分のきもちにぴったりfitする言葉を懸命にさがしてるとおもうから、目の前の人ができるだけ安心してそれを探せるよう、受けとめる安心お座布団をさしだすようにしてる私。だって、話すは放す、だから、誰にも受けとられない、吐き出せないきもちは便秘しちゃうからね。
誰もが自分のこと、身の丈に認めてほしいと願って生きてる、と紅茶してきた中で確信してる。その人のいいとこはその人に見えてないと思うので、見つけたいいとこは言葉にして伝える。目に見えやすい、何ができるかにができるってDo的なことより、その人が居る・在る、存在してるっていうBeのいいとこを。
私の原家族のことーー若くして亡くなった兄のこと、紅茶でずっと他者の人生を聴いてきたおかげで、あの時の兄のきもちを聴いてくれる誰かはいたのだろうか、ってはじめて思えるようになったこと。
私の現家族のことーー大学卒業後、関西で引きこもってた娘が、私と「ほめ言葉のシャワー」をつくることになった時、いま何もできず社会の役に立ってない自分だけども、「私が私である、というこの存在だけはほかの誰ともとりかえがきかない」って気づいて、それが本づくりの出発点になったこと。
誰かをいじめたくなるキモチ、いじめたいカラダ、これ、今すごく気になってること。私はこの社会の中のちっぽけなひとかけらだけど、でもね、それをたった一人ぼっちでここに立ってるって思ったら、もう心細くて、怖すぎて、とても立ってられない。だから、誰かとつながる。弱い気持ちも誰かに聴いてもらう。みなさんにも、きもちを聴いてくれる誰かがきっといてほしいと願う。
話し始める前と後の会場で、娘が訳した13条のやさしい日本語をもとに私がつくった「13条のうた ほかの誰とも」のCDを流してくれた。
「♪誰とも ほかの誰とも とりかえっこできない」から始まるちいさな歌だけど、思えば、この日の話の中味にちょうどあった歌。その歌を編曲、ピアノ伴奏、ハモってくれた松田順子さんもこの日の会場にいて、いきなりこの歌が流れてそれはびっくりしたそう。
舞台が明るくて、広い会場にいるみなさんの表情はまるで見えず、とても静かに聴いてくださってたので、話してる間は反応が見えなかった。終わって、本を置いてるとこに行ったら、みなさん列になって待っててくださって、お一人ひとりにサインする時、すごく熱いきもちを直にいっぱい受け取ったよ。
京都の染めの斎藤さん、岡山で紅茶してる順子さん、20年以上も前に滋賀によんでくれたあっちゃん、アテネフランセで出会った森さんとは60年ぶりの再会?お連れ合いと一緒に来てくれた、京都でおうちカフェふうをしてたイチイさん、茨木の哲学カフェで出会ったなつみさん、すごい再会がいちどきに。
もともとは一昨年夏、あるところでお話した時、参加してた方がその場で、ずっと先の出前の仮仮ご注文をしてくださったんだった。いのちの電話さん、大阪までよんでくださって本当にありがとうございました。
そのおかげで、この奇跡のショット!
亡き姉の着物をほどいてちくちくした赤い服を着てる私の右横は、「教育と愛国」監督の斉加尚代さん。その横はガッツせんべいこと久保敬さん、去年6月、とくべつ紅茶に来てくれて、翌日から一緒に輪島門前の田谷船長んとこにいったね。どちらも大好きなお二人。
私の左は、私と血のつながらない弟みたいなカミヤ、その横が恵美母さん、その横が長女のともちゃん、そして夫さん。
カミヤは晩年の父が息子のように愛した人で、ともちゃんは父が86歳でなくなる年の誕生日に、生後3ヶ月で抱っこされて新幹線で大阪から会いに来てくれた。
脳血栓の後遺症で失語症だった父の、おおうおうおうという歓喜の声と、知らないおじいちゃん(父のこと)に抱かれてふんぎゃふんぎゃとなく赤ちゃんの泣き声と。それは言葉によらない、86年という年の差をこえた奇跡のような魂の交流。
会場のドーンセンターは大阪府庁、大阪府警、そして大阪城のすぐそばでした。早めに着いたので、大阪城公園を一人で少し散歩したよ。
朝から夜まで、とっても濃い1日でした。