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2007年7月11日 (水)

開いている

ときどき、今日は紅茶やっていますかぁ、とか、紅茶あいていますか、というお電話をいただく。あ、あいていますよ、と答えると、電話口から安心の気配がして、お名前を聞くこともなく、お電話を切る。

毎水曜日の午後の紅茶、以前は、ひらいている、という感じがつよかったけど、ここのところは、あいている、という感じかなあ。

春に連続5週ほど、お休みしてしまった(24年の紅茶の歴史の中ではじめて)けれど、その後はいつもどおりに、あいている。

午後を通して3,4人の週もあれば、翌週は、ひとのでいりの多いにぎやかな紅茶、次の週はまた静か、その次の週は一年ぶりのひとがみえたり、遠い県外からのひとが訪ねてきたり、、、とふしぎなくらい、紅茶では静と動の時間が交互になる。

能登からの二人がみえて、その週はほかのひとは最後まで誰も来ず、わたしたちだけで板の間に大の字にしばしねころんで、能登の二人にも私にも、あ~なんてのんびりした休息の時間だったろう、と感じられたとき、私自身もまた、この週の紅茶にたまたまやってきた一人だったのだ、と思う。

開いている、を、あいている、と読むか、ひらいている、と読むか。

不特定多数のためでは決してないが、かといって、まったくの「小」でもなく、せいぜい「中数」くらいの紅茶は、ときに、私のためにあいている場所、なのかもしれない。そう感じることが、このごろはとみに多いです。

気の張らないお菓子といっしょにもちよるさまざまなきもち。

楽しいきもち、はずむきもち、重たいきもち、悲しみのいっぱいつまったきもち、切ないきもち、とまどってるきもち、言葉がまだ見つからないきもち、もやもやのきもち。

来るひとそれぞれのきもちを聴きあい、まだまだ知らなかったきもちにふれ、他者の話す言葉のすきますきまから自分の想いにきづいてゆく。そういう相互作用の共同作業をするために、紅茶はあいている、のだと思う。

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