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2007年9月24日 (月)

ぶきようでも

宮川くんをかこんで、その日集まった20人が耳を傾けた。
これまでの自分をふりかえり、見つめなおす作業は、
彼自身が思ってた以上に、苦しい作業だったのだろう。
だけど苦しんだ分、聴くひとにはたしかなものが伝わった。
       *****
きれいごとで語ってないな、
そりゃしんどかったろうな、何度も逃げだしかったろうな、
よく弱さをさらしてくれたな、正直な君。
         *
ひとりの若者が心をひらいて話す、
だから聴いてる人たちも、心をしぜんとほどいてゆく、
自分のどこかと重ね合わせながら聴く。
         *
ぶきような生き方、要領よく生きられないこと、
それって、悪いことではなかったんだ、
って言ったひと。
そう思わせた、彼の生き方。彼の成長。
           *****
ひさしぶりにひらいた、とくべつ紅茶。
そこに身をおいていて、
わたしはものすごくしあわせな気持ちでいっぱいになった。
         *
「皆さんが真剣に、また責めず温かく、
聴いてくださった、合いの手を入れてくれたーー
傷が、ふさがって行くような気がしました。」
「いつもそちらで話をさせてもらう時は、原点に戻るような」
と、次の日に届いたメールを読んで、なおそう思った。
         *
彼が感じた空気は、語り手と聴き手の双方がつくりだすもの。
聴きながら、語り手のきもちと交流する時間。
         
それは紅茶のたからものだ。
あらためて、
わたしはなんとたくさんのものを紅茶からもらっていることか実感して、
しみじみ、感謝がこみあげてきた。

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