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2007年11月30日 (金)

今咲くすみれ

11月最後の日とは思えないあったかい一日。能登の友だちから翔のために贈られた、この時期に咲くというすみれの株を、翔のお墓をかこむように植える。お葬式の時に植えたシュウメイ菊も根づいたようだし、このすみれもとても強いそうだから、来年の11月が楽しみ。どちらも、翔の日のころに咲く花たち。

花の苗といえば、毎年この時期、みどりの指のAさんが紅茶のみなさんに、とたくさんの花の苗をもってきてくれる。去年はチューリップの球根。今年はヴィオラ、プリムラ、などなど。こちらも鉢に植え替えた。去年のチューリップの子どもも、先日植えた。

庭の木も花も、もらいもんばっかり。でもそれがいいな、花の名前のうえに、くださったひとの名前が苗字のようにつく。

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明日の紅茶放課後・夕ご飯の煮物をしながら、10年以上も前に買った服の、大胆リフォームをする。

3年間まったく着てない服は、そのままほっといたらほぼ100%今後も着ない。ならば惜しげなく大胆不敵に変身させよう、どうしてもだめならざぶとんカバーにする手もあり、とジョキジョキはさみをいれて、冬の重たい長袖を、袖なしジャンパースカートに。

お古の封筒りさいくると同じくらい、これも私の趣味を越えてる好きなこと。

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2007年11月28日 (水)

サタデーナイト

12月が近づいてくる。はやいなあ、ことし最後の月。その月の初めに

とくべつ紅茶 12月1日(土) します。

  風の吹くままカメラマンこと、マスノマサヒロさんの

       写真とことばとおはなしと音楽と。

1:30 open 2:00~5:00 @水野宅 参加費500円 放課後 もちより一品夕ご飯。マスノさんのHPは、kazesan。光と風を感じる写真たち。だいすきです。  →   http://plaza.rakuten.co.jp/kazesans/3000

どうぞどうぞいらしてくださいませ。

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ひさびさのサタデーナイト紅茶は、薪の火も入って、とっても懐かしい匂いがした。ナイト紅茶は、ひるまのふつう紅茶と、匂いが違う。夜だからこれるひともいる。土曜だからこれるひともいる。ちいさな子が3人、しまいぎわに走り回っていた。それを眺めてるおとなたちのしあわせそうな顔を見てるわたしのしあわせ。

この日の顔ぶれも一期一会。いわゆる自己紹介はしないけれど、ともともや結ともでしてるようなウォーミングアップをかわりに。この夜のお題は、紅茶つながりと、住んでる町と、「子どものころのおやつの想い出」。

こんめ、と呼んでたゆすらうめ。もも、ぐみ、いちじく、桑の実。お芋のふかしたの、井戸でひやしたスイカ、カバヤのさいころキャラメル、、、。けっこう若いひとの思い出のおやつのなかにも、こんなものがあるんだね。

ナイト紅茶で、私は玄米をたく。おかずをいつもよりは多めにつくる。一方、夫の冬場のおもてなしは、なんといっても、薪ストーブの火。これ、おいしいね~、と言われてつくったひとがうれしいように、あったか~い!って言われることが、いちばんうれしいそうだ。火は、彼の用意するごちそう。

来月のナイトは、12月15日です。

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今日は紅茶で、「り・さいくる マイ封筒作り」のワークショップを。手作り封筒やお古封筒のりさいくるは、もう40年来の、趣味をこえた、私の大好きな時間。こんなこと楽しいと思うのはわたしだけかと昔は思ってたけど、いや、そうでもないみたいで。

何も知らずに紅茶にきたひとが、いつのまにか手を動かして、一緒に作業できたら楽しいな。リサイクルした封筒のほとんどは、次のいのみらをいれて誰かのもとへ。

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出かけてゆく哲学

前々から一度はお話ききたかった鷲田清和さんの「哲学」の話。

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ドイツ語の「始まり」が、日本の哲学書では、「始原」。「ある」は、「存在」に。「何もない」は、「無」に。「~になる」は、「生成」と訳される。

こうして、日本の哲学語は漢字だらけとなり、入口がむずかしいので解説書のやたら多い学問になってしまった。鷲田さんは、そういう「哲学」にずっと抵抗してきたひと。日本では、哲学の研究はすすんでいるが、哲学はまだはじまっていないのではないか、と。

10年ほど前、鷲田さんは日本で初の、臨床哲学という分野の学問をはじめた。臨床は、ギリシャ語のクリニコス=ベッドサイド、が語源。つまり、医師がベッドサイドに出かけてゆくこと。臨床哲学とは、出かけてゆく哲学だ。

ベッドサイドにかぎらず、同時代でむずかしい問題のおきている現場に出かけていって、そこのひとたちがふだんつかっている言葉(哲学用語でない言葉)で、いっしょにディスカッションに加わり、その中で道すじを見つけてゆくこと、簡単でしかも的確な言葉を見つけてゆくこと、それが、鷲田さんの言うところの、哲学&哲学の作法。

哲学者としての自分の仕事は、ディスカッションのリーダー役やまして誘導することでは決してなく、交通整理役のようなファシリテーターに徹すること。

これまでに「聴く」「待つ」という本を出してきたので、キク・マツの次はウメ、だろうか。産め・生め・産む・生む。いのちは、生まれる、という他動詞。であるなら、死というものを考える時に、自分の死を体験して語ることはできないが、「死なれる」ということでは多くの人が語れるものをもっているのではないか。

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ーーーーといった鷲田流・考え方回路、哲学の作法、と称するものが刺激的で、聴きながらどきどきしてた。

でもそういうことーー現場で、そこのひとたちのいつもの言葉で、ともに考え、語りあうことの必然や大切さって、日ごろから紅茶の内外で思ってること、試みてることだよ。

あ、そうか!日ごろ漠然と思っていることに、的確でシンプルな言葉を見いだす、それが哲学という学問だと鷲田さんは言ってるのだ。哲学と暮らしが別世界のことではないこと、哲学と自分の人生が無関係じゃないんだ、ってつまりは、こういうことだったのか。

西田幾多郎哲学館の入口で待ち伏せして、鷲田さんに、「きもち」の本をお渡しした。ほんの少しお話も。この方の10年前のご本、「聴くことの力」を読んでなかったら、おそらく「きもちは、言葉をさがしている」の本は書けなかったろう、お話聴いてますますそう思ったから。

鷲田さんは今、大阪大学の総長さんだそう。でもちっともえらぶらず、なんて威圧感のないかただったろう。まなざしが、深かった、です。

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哲学館では、12月2日まで、館として初のギャラリー展示、鉛筆画家の木下晋さんの「老いの尊厳」展もしている。

日本で最後のごぜさんと言われた小林ハルさんや、絵本「ハルばあちゃんの手」原画や、ハンセン病の元患者で盲目の詩人・桜井哲雄さんを描いた「83年目の闘魂」など。

特別企画「老いを作る」の連続講演会の最終回は12月2日(日)

宗教学者の山折哲雄さん「老いて蘇る~神と翁と日本の美」

14:00~ 入場無料 申込みはいりません、どなたでも。

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2007年11月21日 (水)

贈りもの

よもや行けるとは思っていなかったクッキングハウス20周年のお祝いの日、私は調布にいた。

前の晩の夜行で東京へ。まっすぐ姉の家にいって8ヶ月ぶりの大掃除をし、それから多摩墓地。クッッキングハウスの記念日が、姉のいのちの日と重なっていることは最初から気づいていたけれど、一人でお墓参りしながら、ああ、ほんとうに来れたんだ、、としばらくそこに立ちつくしてしまった。姉のお墓は、私の育った家の家族全員のお墓でもあるから、報告することがいっぱいあった。もちろん翔のこともふくめて。

そこから調布へ。私が来れるとは夢にも思ってなかった川越紅茶のひとたちのびっくり顔!

ジュン子さんは逢うなり、「スウさん、泣けた?いっぱーい泣いた?」とあったかく訊いてくれた。彼女は、私が一時期、泣くことも笑うこともできなかったころをよく知っている。それからだいぶたって私の涙の堰がどっと切れた時、心からよろこんでくれた一人。翔を亡くしていっぱいいっぱい泣けたことは、悲しみと同時にお恵みでもあるんだってことが、彼女にはとってもよくわかってたんだろうと思う。

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クッキングハウスが満20歳!不思議なレストランの存在が、これまでどれだけ多くのひとの胸に、希望の灯を灯し続けてきてくれたろう。

全国から駆けつけた800人のお客さんを前に、ケイ先生のSST公開講座は、ふだんクッキングハウスでしている雰囲気そのままの拡大版。

歌でつづるクッキングハウス物語も、松浦さん役のIさんの演技が絶妙で、見てるこっちも泣き笑いでぐちゃぐちゃになる。

舞台で、自分たちのつくった歌を歌うメンバーたちの、なんて誇らしそうなこと。松浦さん、メンバー、スタッフ、応援するひとたちの、笑顔がきらきらして、ほんとうに美しい。

会場のあちこちで再開をよろこぶ、クッキングハウスのみんな、西東京紅茶つながりのひとたち、去年出前に行った伊那のひとたち、八千穂村の織座農園のひとたち、あ、京都のひと、関川村のひと、高崎のひと、、、。まるでまるで同窓会みたいだ。

そうだね、学校では学べないことーー心の病気のこと、おいしいご飯を一緒に作ってたべることの深い意味、SSTのちから、松浦さんからいつももらう安心感、ひとを迎えるレストランの空気、人間ってすごい!と思わせてくれる、一人ひとりの可能性、などなどーーーをクッキングハウスに行ってみんなと逢うたび、松浦さんをおよびするたび、たくさん教えてもらってきたから、その意味ではわたしにとってとくべつな、にんげん大学校かもしれない。

会場中で歌う♪不思議なレストラン、

振り付けつきの♪ピースナイン、

今回のオリジナル♪生きてみようよ、

アンコールは、大々好きな♪君は君の主人公だから                    

ーーーーを、この日、ここにこれたことのしあわせをこめて、私も一緒に口ずさんでた。

               ****

夜、織座農園のひとたちと、クッキングハウスの本をたくさん出している教育資料出版会のひとと、一緒にゆっくり語れたことも、この日のしあわせのひとつ。今月から、織座の有機野菜を私も頼むことにした。お願いできますか、と言った時の、織座のみんなのよろこびよう。頼めてうれしいのはこっちなのにね。

                         ****

夜行で行って、夜行で帰った今回の東京。

もう心配しなくていいんだから、行ってくれば。そう言って、躊躇する私の背中を押し出してくれた夫。私の土産話をききながら、行ってよかったな、翔からの贈りものだよ、と夫が言うから、私、うん、うん、とうなづきながら、またいっぱい泣きました。

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2007年11月20日 (火)

火がはいりました。おしらせあれこれ。

          

   今日、まきストーブに今年はじめての火がはいりました。

           紅茶からお知らせまとめていくつか。

                *******

今週土曜日の24日は、ひさびさのサタデーナイト紅茶。@水野宅。

夕ご飯をご一緒に。夕方5:30~9:00。 持ち寄り一品でも、手ぶらでも。手ぶら参加費は500円。要予約。

ほんと言うと、ナイト紅茶は、5:00ころからopenして、来たひとと一緒に夕ご飯をつくりたいのだけど、24日は、西田幾多郎哲学館に鷲田清和さんのお話(2:00~4:00、誰がいってもOK)をききにいくので、やっぱり5:30からに。

鷲田さんを知ったのは、「聴くことの力」という本で。もう10年ぐらい前だろうか。それまでは私自身も、聴く、ということをそんなに深くはとらえてなかった気がする。以来、鷲田さんの本はいつも気になって読んでいる。臨床哲学、という分野の扉をひらいてくださったひと。

12月のサタデーナイト紅茶は、12月15日 5:30~  お料理作りから一緒のひとは、もう少し早めにどうぞ。我が家の玄米の炊き方を知りたいかたは、5:00までに。 ナイト紅茶は、原則、ご予約ください。

                   *******

11月28日(水)のふつう紅茶の日に、

り・さいくるマイ封筒作りワークショップをします。みなさんにお送りするいのみらを入れる封筒の半分くらいは、お古封筒のり・さいくるです。おしゃべりしながら、マイ封筒を作りたい方、どうぞ。2:00くらいから。

ふつう紅茶も、1:00~6:00 ふつうにあいてます。封筒をつくらずにただ紅茶にいるだけも、見てるだけも、もちろんOK.

                ******

       とくべつ紅茶 12月1日(土) 

  風の吹くままカメラマンこと、マスノマサヒロさんの

       写真とことばとおはなしと音楽と。

1:30 open 2:00~5:00 @水野宅 参加費500円

放課後 もちより一品夕ご飯。

マスノさんのHPは、kazesan。光と風を感じる写真たち。だいすきです。

  →   http://plaza.rakuten.co.jp/kazesans/3000

どうぞどうぞいらしてくださいませ。

                    *******

紅茶玄関本屋のただいまのラインアップ

・「生きてみようよ!~心の居場所で見つけた回復へのカギ」

  松浦幸子さん、編著(教育資料出版会 1700円)

 不思議なレストランの20年。メンバーたち47人が、自分の病気のこと、ク   ッキングハウスにきて仲間たちと出逢えたこと、自分の不安や孤独が安心に変わっていった軌跡を、ありのままに。ひとりひとりの文章のなかに、回復へのすばらしいカギがあって、いま、3度目を読んでるところ。松浦さん自身、この本のことを、「私を導いてくれるバイブルとなるだろう」と書いています。希望と勇気をプレゼントされた気持ちになる本。

ほかに、すでにご紹介したけど、

・細川律子さんの、「風と光の散歩道~宮沢賢治の植物を訪ねて」

                  (椋鳥書房 1800円)

・金森俊朗さんの、「いのちの教科書」「希望の教室」

                  (角川書店 どちらも 1200円)

・一時品切れでしたが、また入荷しました。

  中西万依の、「コトノハ在中」   (mai works 200円)

・ちいさんの「つぶやきカレンダー」もはいりました。 (500円)

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紅茶や本などに関するお問い合わせは、

「紅茶の時間」HPhttp://www12.ocn.ne.jp/~mimia/sue.htm

のトップページから、E-mailでどうぞ。

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2007年11月17日 (土)

着地点

賢治さんの作品をふるさと岩手の言葉で読みつづけている律子さん。紅茶がオープンするひと月前に出逢ったので、もう24年のつきあいになるもっとも古い紅茶仲間のひとり。そうひんぱんに会うわけではないけれど、長年あたたかな親しい距離で、お互いを大切にしあってきた。

そのことを身にしみて感じたのは、今年の春から夏にかけてのこと。

私の心が塞がれてこわばっていた時期に、律子さんは用事もないのにふだんよりあしげく紅茶に寄ってくれて、とりたてて何も話さず、じゃあまたね、ということをくりかえしてくれた。

ひとは誰でもこころが弱るときがあるもの、ということを律子さんはしぜんにわかっていたのだと思う。ゆっくりね、ゆっくりね、と何度も言っていた。

それだけに、長いこと休んでいた「きもち」ブログが再開したとき、律子さん、どんなにほっとしたことか。

近くであたたかく見守っててくれた紅茶の仲間や、川越、京都の紅茶つながりのなつかしいひとたち、いのみらを読んでくれてるひとたち、津幡の風の仲間も、ああ、すこしづつスウさんがもどってきた、、、と感じていたようだ。

              *****

もどったのは、たぶん、以前とはほんのすこし違う場所、と私自身は感じている。

その場所から前いた自分を眺めると、いかに一度にたくさんの引き出しを器用に開け閉めしてたか見えてくる。ていねいにひととつながることを望んでるはずの私が、きっとあの一番忙しかったころは、他者に対しても自分に対してもずいぶん乱暴だったろうな。

あの、いまだうまく言葉にはならないこころの旅をしんけん(こころで体験すること)して、たしかなことは、しなきゃ、と、したい、の線引きが、自分の中で以前より明確に、ある意味で厳しく、なったこと。そして、いっぺんにあれもこれもはできなくなったこと。それは、すてきな年齢になった今の私にとってさいわいなこと。

10月にはいってまたしばらく書き込みがとだえたとき、律子さんはちょぴっとだけ心配したらしい。ありがとう、でもご心配はいりません。

10月はずっといのみらアタマだったのだ。いのみらを最優先事項にすえて、出したくて、書きたくて、でもなかなか言葉が見つからなくて、いつもの通信書きの10倍くらい、うんうん言葉の便秘でうなってた。ほかのしたいことに先にとりかかったら、ずるずるとそのまま出せない気がして、こわかった。

うなりながらも出したいいのみら、だから書かなきゃならないいのみら。書きながら、きもちにしっくり添ってくれる言葉を探しだして獲得していく。そうだったのか、とひざを打って、一つでも二つでもあらたな自分に気づいていく。ほかの誰のためでなく、今回はまさに自分のために書いたいのみらだった。

いのみらは、そうやって次の、したい、にまた一歩踏み出す類の、なきゃ、だ。したい、に後押しされてる、なきゃ、と、正しいねば・べきの、なきゃ、は違うんだ。

前の私なら、いのみらも書き、あれもし、これもし、と、ひとからはなんと器用に見えていたことだろう。その器用なひきだしはちょっと横においておくことにした。これから先はほんとうにしたいことを、速度気にせず、量を気にせず、一個ずつ、日々重ねてゆくことにしよう。

           ******

気がつけば、私のまわりにぶきようなひとはいっぱいいた。まじめで、融通がきかなくて、やさしくて、真剣で、自分をごまかせなくて、自分に嘘つけなくて、ふらじゃいるで、独特のすばらしい感性をもっていて、だけどそんな自分を表現するすべはそう簡単には手にはいらなくて、自分はいったい何なんだろうと苦しむことが多くて、、、。

私の知る、そんな一人ひとりの顔をあらためて思い浮べると、なんだか胸がいっぱいになってしまう。誰さんや、彼さん、彼女さん、クッキングハウスで知り合ったひとたちも。

きようさを誇ることも、恥じることも、必要ないと同じように、ぶきようを恥じることも、まったく必要ないんだ。

おととい読み終わったばかりの、クッキングハウスの仲間たちによる新刊「生きてみようよ」からも、そのことを痛いくらい感じた。一生懸命に生きてきた、一生懸命に生きている、そのことの尊さ、輝き、希望。

「生きてみようよ」、紅茶玄関本やにたくさん並んでいます。

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2007年11月15日 (木)

どんぐりと山猫

紅茶での賢治の時間の回数はそのまま、津幡で暮らした年数。昨日は15回目、顔ぶれは毎年ちがうのに、ここ数年はいつもおなじような人数で、15人。

賢治さんの37年の生涯のなかで、世に出た本は「注文の多い料理店」と「春と修羅」のたった2冊、と知ってあらためておどろく。今日の賢治ワークショップの作品は、そのうちの一冊から、「どんぐりと山猫」。

五郎さんが一郎さんのせりふを、紅茶にはじめてみえた富山のひとが山猫を、夫がどんぐりの1と2を、私は、読むたび気になってる馬車別当を、ほかのひとも全員それぞれの役になって、作品を読みあう。いろいろな声で聴く賢治の世界。窓からひろがる紅葉をバックに、秋舞台の朗読ワークショップ。

どんぐりのなかで誰が一番えらいかをきめるあらそいに困った山猫が、一郎に知恵を借りる。この場面が、いつも楽しくて大好き。

紅茶でも、毎週くるひとがえらいとか、たまにしか来ないひとはふまじめ、とか、そんなことでまったく競わない。「どんぐりと山猫」を読んだ放課後なので、いらした方に「ぶり」からはじまる自己紹介をしてもらった。

紅茶には半年ぶりの、五郎さんとYさん、そういえば半年前のその日にもふつう紅茶であいましたね、といいあう二人。1年ぶりのひと、2週間ぶりのひと、金沢→高知→金沢と住まいをかえて、5,6年ぶりのひと。能登から1年ぶりに来たちょろさんは、さかのぼれば20年前、五郎さんをはじめて紅茶につれてきてくれたひとだった。

翔を知ってるひとたちが次つぎ翔を偲んで下さり、それもまた幸せな時間。

Yさんに、あなたのくれた桜と白樺の木の間に翔のお墓をつくったのよ、という。

Kさんからは、翔の名前には羽がついていると教えてもらった。このことは、知ってたはずが、忘れていた。珠洲のキャンプ場でひろったとき、足がわるくて、だから翔るように走れたらいいな、とつけた名前だったのだ。そうか、翔は飛んでるんだ、と思ったらなんかすごくうれしくなった。

小1のときからほとんど毎週きていた6年生のSちゃんは、多分一番多く翔にあってる紅茶の子。子どもたちだけでよく散歩にも連れて行ってくれた。全速力で走ってたときに突然翔が気絶して、子供たちが真っ青になったのはもう何年前だったろう。あのころからもう心臓が弱かったのだ。

「翔はもうよろよろだったけど一所懸命生きていたね」とSちゃん。紅茶の玄関のドアに、「しょうがとつぜんおそとにとびださないよう きをつけてあけてくださいね」と翔の顔写真入で注意書きがはってあるのを、「これ、このままはずさんでおこうね」と言ってくれた。

翔に白い百合をもってきてくださったかた、お墓参りしてくださったかた、ありがとう。お墓はみなさんがそなえてくださった秋の菊たちで、朝の雨にとてもきれいに輝いている。ふかふかの庭の土のうえには、クヌギやナラのどんぐりがいっぱい落ちていた。

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2007年11月13日 (火)

明日は、賢治さん

明日14日は、年に一度の「賢治の時間」紅茶。

細川律子さんに来ていただいて、その日そこに参加したひとたちと、賢治の作品を何かひとつ、読みあう。その場で、地の文を読むひとや、配役(といっても、たとえば童話のなかの、イチョウの実の1、とか2、とか3、とかをきめて)、ぶっつけ本番の輪読です。そこが楽しい。うれしい。

その後は、律子さんの朗読で、賢治の童話や詩を読んでもらう。

6年前の「賢治の時間」の日の朝、姉がなくなり、それをまだ知らない律子さんや紅茶の仲間たちが、私のいないまま、自然に、静かに、紅茶をひらいてくれていたのだった。

賢治の日には、毎年、姉の好きな白い百合が飾られる。今年は翔のとふたり分なので、紅茶にはいってきたら、花の香りがまずするでしょう。

どなたでも。ふつう紅茶は、いつもどおりに1:00~6:00open。

賢治の時間は2:00~ 参加費は300円。@水野宅。

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2007年11月12日 (月)

ラブレター

ブリ起し、とも呼ばれる冬かみなりが激しく鳴って、光って、大粒の霰がバシバシバシっと屋根や縁側をたたく。

翔がいたらどんなにこわがったろうねえ、と異口同音に夫と話す。かみなりが怖くて怖くて、それで真夜中、必死に真っ暗な階段をのぼって2階にきて、ふとんの中の私に鼻息かけて起した夜のことを、もう7、8年も前のかみなりの夜を、想い出す。あれ以来、2階に登るってことを憶えたんだね。

翔が最期の10日間、寝ていたお風呂用マットは、今は台所の足元マットになった。翔がこの半年間使っていた安定感のあるお皿は、娘の赤ちゃん時代のもの。そのお皿はふたたびブーメランみたいに巡って、今度は私たちのお皿になった。

今は何を見たって、翔に結びつく。想い出す。

だけども、翔が若い元気いっぱいのときに突然逝ったのだったら、今みたいな、悲しいけれどもおだやかな気持ちではきっといられなかったろうな。

想い出すのが全部、尻尾ちぎれんばかりに振ってる元気げんきの翔だったら、悲しくて、かわいそうで、無念で、どんなに私たちがつらかろう。
どの翔のイメージも決して、かわいそう、ではない。
そうなんだ、かわいそう、ってきもちにならないことが、私をとっても救ってくれている。

11月はじめから無我夢中で泣きながら書いた「きもち」は、まさしく翔へのラブレターだ。これが私の悲しみ方なんだ。

書くことはもっと悲しくなることだったけど、そうしないではいられなかった。きもちを言葉にせずにいられなかった。翔が、書かせてくれたんだ、本当にそう思う。

そして書いたから、気づいた。なんであの夜にかぎって翔に添い寝したのか、なんであの朝にかぎって一時間もずっと抱っこしていたのか。後になって、私のことをしあわせなきもちにさせてくれるために、そうと知らずに、私はそうしていたんだ、、、ね。

    *****

思いのほかたくさんの方がたが、この間の「きもち」を読んでくださってた。そして、メールやお手紙や声できもちを届けてくださった。ありがとうございます。翔に代わって、お礼申し上げます。

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2007年11月 9日 (金)

知っていたの?

津幡に越してきた夏に出逢ったから、この家の歴史と翔は同い年だ。

毎週の紅茶で出逢ったひとの数は、のべで万を越すだろう。でもそのなかで翔がほえたのをきいたひとはたぶん数えるほど。そのくらい寡黙だったけど、翔の、きもちを伝える表現力の、なんて豊かだったこと。くりんくりんの目は、にんげんに対する信頼感でまん丸で、うけくちのお顔でいつも笑いながら話しかけてくれてるみたいだった。

10月の私の宿題は、かならずいのみらを書くこと!だった。

8月ころ、もうそろそろ書かなきゃな、と思い、でも一体どうやって書いたらいいかわからなくて途方にくれてたとき、翔のうけくちスマイル見てると妙にこころが落ち着いてきた。しなきゃって思ううちはまだまだ書かないことだよ。書きたいってきもちがしぜんにたまるまで待ってたらいいんだよ、って言われてる気がした。

書きたいきもちはたまったものの、言葉にするのは今回ものすごくむずかしかった。書き終わるまでにすごく時間がかかった。翔のこと、マーガリンのこと、書いてる途中に書きたくなって書いた。発送にもいつもの3倍くらい時間がかかった。

そのいのみらが届いて、みなさんが私の心の旅や近況を知り、翔とマガのことも知り気にかけて、メールやお手紙をくださった。

そして紅茶に、逢いにきてくれたひとたちがいる。それって、それがそのいのちの日だったって ーーー 翔はぜんぶわかっていたのかい? 知ってたのかい?

           ******

犬と猫でも、同じ年にうまれて家族になって、姉妹みたいに暮らしてきた翔とマーガリン。このところすごく甘えるようになったマガは、いっそう甘えん坊になるだろう。あたりまえだよね、うんと抱きしめてあげる。そうすることで私もまた、なぐさめられるよ。

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りゅうりぇんれんの物語

詩の時間のことを何日か前に書いて、昨日だったかおとといだったかここに載せたのだったけど、翔が水曜日に旅立ってしまったので、私は詩をとても読めそうになく、一度は下の文章を消したのだった。

遠くに住んでるけど月に一度はあえるきりりんさんが、今日は詩の時間をひらいてくださった。図書館に行くまえにわざわざ翔のために花束まで家に届けてくださり、、。きりりんさんはそう何度も翔にあってるのじゃないけど、はじめて紅茶に行ったとき、翔がお迎えをして、おとなしくて、かしこくて、びっくりしたそうだ。

りゅうりぇんれんは来月にしましょう、ってきりりんさん。私もそう願います。

  **なので、 一度消して、ここにもう一回載せますね **

毎月第2木曜は、津幡図書館で「詩を楽しむ」の時間。

それまで仕事ばかりで詩には縁がなかったというかたが、ここに来るようになってはじめて、しおりの存在に気づいたという。それってすごい大発見。詩を楽しむ、は多分、県内でももっともちいさな読書会だろうけど、しおりの発見とともに、ひとりのひとの詩の世界をひらいたんだ。

好きな詩をもちよって、声に出して読む。自分の声を聴く、ひとが読むのを聴く。毎月、ここでしか逢えないひとたちと逢える、貴重なひととき。

いつもは何を読むかふたをあけるまでわからないけど、8日の詩の時間には、茨木のりこさんの長編詩「りゅうりぇんれんの物語」を読もうと決めている。

りゅうりぇんれん。日本軍につかまり、日本につれてこられて働かされ、逃げ出し、北海道で14回もの冬をあなぐらで生きのびた、実在の中国のひと。

はずかしいことに、彼のことを知らなかった。発見された年は昭和33年というから、東京タワーの建った年、「3丁目の夕日」の、あの年。

なぜ知ることになったか、といえば、同じタイトルの沢知美さんのCDが東京のともだちから送られてきたから。彼女とは一緒に、沢さんのコンサートを金沢のもっきりやで聞いた。

沢さんはこれまでにも茨木さんの「私が一番きれいだったころ」を歌っているけど、70分におよぶ「りゅうりぇんれんの物語」をコンサートで歌い、朗読するって、相当の覚悟や、必然がいる。

そんなもうひとつの物語もふくめて、木曜日の詩の時間には、「りゅうりぇんれんの物語」を読みます。午後1:30~3:00、どなたでも。

    ーーーーーということで、りゅうりぇんれん、

         12月第2木曜の13日の詩の時間に。

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2007年11月 8日 (木)

お気に入りの場所で

この10日あまりほとんど毎朝、しゃーしゃーという、何か大きな本のページでもめくるような音ではっと目が覚めてた。後ろ足の力のなくなった翔が足をひきずって歩いてる足音。抱っこして庭におろすまで、たいていおしっこもがまんしてた。

昨日からはそれがもう聞こえない。でも今朝はまだ、ピンクのガウンかけてそこに眠ってるような翔がいた。

昨日も今日も、晴れてあったかい日でよかった。夫が、約一時間かけて、桜と白樺の木のあいだにお墓を掘る。フェンスの近くのこの場所が翔のお気に入りで、若いころはよくここに寝そべりながら、車をとめて紅茶にやってくるひとと同じ高さの目線で、ようこそ、をしていた場所だ。

ピンクのガウンにくるまれた翔を、土の上にそっと。その身の、あまりの軽さよ。よくこの軽さで立っていたねえ、歩こうとしてたねえ。

埋葬に立ち会うのは、私たち夫婦と、夕べ遅くに駆けつけた娘と、翔を家族みたいに想ってくれてたTさん。お庭からシュウメイ菊を根っこごと何株かもってきてくれたのを、お墓の上に植える。来年、翔のいのちの日のころに、きっとここで花が咲くからね、という。

こんもり土をもったお墓に、夫が栴檀の黄色い落ち葉をしき重ね、その上におおきな貝を乗せた。スペインの巡礼地までの道しるべに、これとおなじような二枚貝が道々に埋めこまれているのだそうだ。

4人で手を合わせてお祈りした。翔はこれから先はもうどこへでも走って行けるんだなあ、と思う。いろんな場面場面で翔を想い出すたびに、そこに居てくれるんだなあ、と思う。

                  

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2007年11月 7日 (水)

いのちの日

紅茶の時間がまだはじまらないお昼少し前、翔が私の腕のなかでほんとうにおだやかに、やすらかな眠りについた。

だんだんかすかになってゆく心臓の鼓動、生きてるしるしのその音を、私はさいごのさいごまでてのひらで必死にたぐりつづけてた。翔を抱っこしたまま、いっぱいいっぱいありがとうを言い続けてた。

ごはんを口にしなくなってから9日目、おそらくお迎えはそう遠くないとわかっていたよ。でもその日が今日だと知らなかったよ。っていうか、まだ思いたくなかったんだ、ぜいたくな願いだけど。

でも逝くときに苦しまなかった。お祈りは届いたんだ。神さまありがとう。

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今日が紅茶の日だったのは、なんてさいわいなことだったろう。

翔を自分ちの犬みたいに想っててくれた家族や、いのみら読んで翔のお見舞いにきてくれたひとや、半年ぶり、1年ぶり、4年ぶり!のなつかしいひとも、まだあったかい翔にじかに逢えた。くちぐちに、翔が呼んだんだね、って言いあった。今日があしたでも、きのうでも、翔にあえなかったろうから。

誰かが、翔はほんとにしあわせだったね、と言う。誰かが、翔はみんなをしあわせにしてくれたね、と言う。そうなんだ、私も、翔はしあわせだったと確信してるけど、それ以上に、翔は出逢うひとにしあわせを贈ってくれる存在だった。

紅茶に来る誰もが、翔に話しかけた。翔が前足でガラス窓をノックすると、近くのだれかれが、あ、翔、おうちに入りたいんだ、あ、外に出たいんだ、と窓を開け閉めしてくれた。

もう年だったけど、紅茶の看板娘だった。犬嫌いさんや犬恐怖症のひとを治す名人だった。すばらしいカウンセラーでもあった。

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今は夜。翔はピンク色のガウンをかけて、眠ってるみたいだ。娘がちいさいころのお寝巻きガウンがとてもよく似合う。

夫が心ばかりの祭壇をこしらえた。一番お気に入りの写真の横に、シベリアという名の白い百合をかざり、ろうそくを灯し、お香をたき、レクイエムをずっと流し続けてる。それは私が死んだときにかけてね、とたのんであるCDの曲。

そのCDのもとの持ち主は、6年前の11月10日に逝った姉。姉のいのちの日が近いので、白い百合を花やさんに買いにいってね、とたのんでた矢先、はからずも二人分の百合がかざられることになった。

今夜はずっとこのレクイエムを聴いていよう。家族で見送る夜。明日になったら、翔が庭でだいすきな居場所にしてた白樺と桜の木のあいだの土を掘ってお墓をつくり、そこにそっと翔の身をよこたえよう。

翔は、15歳と5ヶ月のいのちを翔らしく生ききった。今までもこれからも、翔を大好きなことはほんのちょっとも変わらないよ。翔とすごした歳月の重みは、これからもずうっと続く、わたしたち家族のたからものだ。

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添い寝

翔が寝たら、私も2階にいって寝よう、そう思って横にいたのだが、いつまでたっても翔は寝ないのだ、目を開けてるのだ。そしてときどきちいさなくしゃみをする。黄色みがかったあおっぱながぷくんと鼻の先につく。ほっとくと鼻がつまりそうだからティッシュでふきとる。

結局そうして朝まで添い寝してしまった。翔といっしょにうつらうつらしながら、鼻水ちん、をしながら。

私の目がさめたとき、まず、うすっぺたくなった翔の腰のあたりに目をやる。そこが静かに上下してるのを確かめる。だいじょうぶだいじょうぶ。

5日前まではよろよろしながらも自分の足で歩いていたけど、今はひとりで立つことが難しくなった。腰をささえても、ぺたんとすわってしまう。
でもその姿勢のほうが鼻がつまらなくて本人には楽そうだ。

抱っこすると一番安心するみたいで、やがて寝息がきこえてくる。
今夜も翔の横で寝ることにしよう。

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この前の点滴のとき、ドクターが話してくださったこと。
いろんなワンちゃんのお迎えをみてきたけれど、
日本犬のほうが、だいぶ弱ってからでも、細く細くいのちをながらえて、
静かにお迎えが来る傾向がおおいようだと。

ロンゲの翔だけど、どうやら柴犬まじりの日本犬の血を持ってるそうだ。
いのちの灯をかすかに灯しつつ、そういう日本犬の伝統が翔にもあてはまりますように。

5日ほど前の朝、起きるなり翔は一時間半近くも、縁側と家の中を歩きまわった。疲れるからもう寝ようよ、といってもまた起き上がってくる。どうしてそんなに無理するのか不思議で、そのこともドクターに聞いてみた。

犬は本来、歩きたいもの。寝ながら足をばたばたさせるのも、夢の中で歩いているから。動物にとって、歩かないということは、死を連想させるのじゃないでしょうかね、と、ドクター。

そうか、翔がそんなにも歩きたいのは、翔の「生きたい」なんだ。それが、翔の生きるちからなんだ。

              *****

今日は紅茶。たまたま来たひとは、どうぞ静かに翔に逢っていってください。話しかけてやってください。きっと翔はわかると思うので。

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2007年11月 6日 (火)

翔のちから

うっとりと音楽に耳を澄ます。

縁側で、きもちよさそうに風に吹かれながら哲学する。

紅茶にくるひとたちを横目で眺めながら、静かにみんなの話を聴く。

黙ってそこに居るだけで、その場の空気をおだやかにやさしくする。

翔ほどたくさんのひとに出逢ってる犬も少ないだろうなあ。愛されてる犬も少ないだろうなあ。翔の持ってる不思議なちからにどれだけ私たち家族も、紅茶も、助けられてきただろう。

よくぞ、15年前に珠洲のキャンプ場にいたね、そしてうちの子になってくれたね。運命だったんだね、きっと。

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先週から、翔の吐き気を抑えるために点滴をしている。早く落とすと余計吐いてしまうので、私が抱っこしながら、ゆっくりゆっくり時間をかける。

5月ころから貧血もしてる翔の、手足の先っぽの体温は低いけど、抱っこしながら心臓に手をまわすと、そのあったかさに涙がでそうになる。

翔の顔に頬を近づけると、まるで香ばしい麦のような、干草のようないい匂いがする。もちろんそれは犬そのものの匂いなのだけど、ずっと食事してない翔のからだは、きっともう透きとおるように清らかなのだ。

吐くことの少なくなった翔は、横になりながら前よりいっそうつぶらなひとみで家族を見つめる。今のところ苦しそうでないのが救われる。

娘も翔に逢いにきて、たくさんのありがとうと愛を伝えていった。

以来、毎日、翔の様子をメールで知らせている。昨日から鼻水がよくでるんだよ、そのたんび、ちっちゃい子に、ちん!するみたいにふいてるよ、と伝えると、娘からメールが届く。

「翔は鼻水グズグズなのかぁ。
でも、おしっこが出たと言ってよろこび、
水を飲んだと言ってよろこび・・・・
小さく細く、でも確かに灯っている灯りの、
かすかな風よけとして、私達家族の存在が在れたら、と思います。
もしも、翔が今まで辛く寂しい犬生を送ってきたのだとしたら、
翔はこんなにも一生懸命、生き永らえなかっただろう、と思うから。
わたしもここから、翔に想いを飛ばしているけど、
ふたりの温もりに、わたしの分も乗せてくださいな。」

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2007年11月 4日 (日)

ぐるぐる

10月はじめ、縁側におく翔のあたらしい家を夫がつくった。

断熱材をはり、なかにバスマットを敷き、さあ、今夜からここで寝ればあったかいよ。そうはいっても、翔はなかなか新築の家にはいろうとしない。老いてから、あたらしいことを学習するって、そりゃあむずかしいことなんだ。

何日目かに、あ、と思い出して言ってみた。翔、ここ!ここ!夜はここで寝るんだよ。何度もそう言って聞かせた。

翌朝、翔はあたらしい自分の家で寝ていた。えらいぞ、翔!憶えてたんだね。ここ!の意味。

翔が若かったころ、家のなかにいるときは窓際のマットの上だけ、という決まりがあった。ここ!ここ!と憶えさせて、何年間かはその約束を翔はみごとに守った。

7,8歳になったころから、そのしばりをほどいて、家のなかを自由に歩きまわってた翔。ときには2階にまで登ってきてた。4年ぐらい前からは、足をふみはずして骨折したらおおごとと、階段のぼりはご法度になってたけど。

5月に、翔が、庭からのあたらしい階段のぼりを学習した時も、私たちはおおいに感激した。

庭と縁側の登り降りが翔の足でだんだんおぼつかなくなり、一度はジャンプに失敗してケガまでした。段差のひくい階段を夫が工夫したけど、そこから登るようになるまでに、そうとうな日数がかかった。翔が自分ではじめてその階段を登り終えたとき、私たちは思わず拍手した。ちょうど、赤ちゃんがはじめてはいはいしたときのように、はじめて立ったときのように。

だんだん、その階段を登るのもむずかしくなってきた。庭でおしっこするときは、抱っこしておろした。翔のできることが、すこしづつ減ってゆく。それが老いるということ。

でも不思議なんだ。できることが少なくなればなるほど、翔へのいとしさはましてゆく。翔がこれまで私たち家族にくれた贈りものの日々が、心のなかをぐるぐると巡り巡る。

一週間前から、翔はごはんが食べられなくなった。ふらつきながらも何とか自分の足で歩こうとする翔の腰を支えながら、またいとしさがこみあげてくる。どんどん小さくなる翔だけど、いまはただ、そばにいて、ずっとずっと大好きだよ、と伝え続けてる。そして、それは確かに伝わっているんだ。

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句読点

9ヶ月ぶりのいのみら通信を、やっと出し終わった。もともとのんびりしてる通信だけども、これだけの長期休暇は新記録。書き添えるひとことが、ついふたことになり、みことになり。印刷できてから発送まで10日あまりかかったのも、また新記録。

でも、速度じゃないんだ、いのみらは。もともと、newsじゃなくてoldsだったのが、さらにゆっくりになっただけ。

これまでの速度をゆるいものに変えてゆくには、なにかしら必然がいったんだろうな。ここまでゆるくリセットできたので、これからはさらに気楽にだせる気がする。

冬の間に通信代いただいたかたたちには長らくお待たせしたけれども、これからも急がないペースでいきます。よろしく。

心の旅をしたこと、書けてよかった。私はやっぱり、文字や言葉にすることで、きもちに句読点をつけてゆくんだな。と同時に、いのみらの原点は私なりのラブレターだってことも、今回、再確認したよ。

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2007年11月 3日 (土)

たからものの小学校

10月最後の日曜日、河合谷小のさわらび祭を見に行く。全校生徒13人、こじんまりしてるけど、その分、一年生であろうと何年生であろうと、一人ひとりの存在感のでっかいこと、一人ひとりが輝いてることに感動してしまう。

河合谷小のもとの校舎は、村びとたち全員が何年間も禁酒して、その分のお金をためて建てたもの。今は他の地区からのこどもたちも受けいれてる小規模特認校。昔と同じように、地区をあげて子どもたちの育ちに、あったかく深くかかわっている。

この小学校に来て、その子その子の自分らしさを出せるようになって、きらきらしてる子たち。よろこんで通ってきてる子たち。河合谷小の教育のゆたかさは、津幡町のたからもの。

            ****

その小学校を来年春で閉校にする、と教育委員会から突然言われた河合谷のひとたち、親たち。地元も親もまったく納得いってないのに、話し合いもないまま、議会が閉校をきめてしまった。とうとう直接請求という手段で、河合谷小のことを議論する臨時町議会が10月末に開かれた。

閉校の理由が、はじめは経費のことばかり。でも実際は言うほどかからないことが明らかになってきた。そしたら今度は、閉校に賛成する議員たちによる、少人数学級非難の言葉のオンパレード。

・自分の意見を伝える能力が、少人数では育たない…
・少人数教育は、質、内容ともに劣る…
・教員数が少なく指導面のバリエーションが…
・忍耐力が育たない ・切磋琢磨できない

・国際化に通用するような人材が育たない
・わがまま、競争力がない、・責任感がない 

・連帯心、自立心がさまたげられる、社会性が育たない

これらの言葉を次々と、傍聴にきてた保護者たちは聞かされたのだ。泣いている親ごさんたちもいた、議会のあまりのひどさに、怒りと悲しみでいっぱいになる。
河合谷のユニークな教育を冒涜(こんな言葉、初めて使う!)するばかりでなく、全国の小規模校の子どもたちにも、教育者たちにも、なんとなんと失礼な、ひどい言葉の数々。

なんとか河合谷小学校の存続を、と願う「風」仲間の二人も、同じ想いの他の議員たちも、懸命に意見を述べたけれども、圧倒的多数による、多数決で、願いは否決された。閉校の理由は、こどもたちのため、なのだそうだ。少人数ではよい子は育たない、と。

悲しいけど、これが今の津幡町議会の、現実。

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2007年11月 1日 (木)

ちいさな、うれしい

富山のお寺で、ちいさな紅茶の出前。

はじまる前にお寺のお庭で、黄色いクモの糸を見つけた。クモの糸、ってそれまでは透明か銀色だとばかり思ってたので、ちょっと新鮮&びっくり。お腹んとこがクリーム色っぽい黄色いクモだったけど、そのことと糸の色って、関係あるのかなあ。

ちいさな出前には、お話だけじゃなく、ワークショップもいつもすこし混ぜる。最後のほうで、二人一組でするしあわせまわし=最近見つけた「ちいさな、うれしい」を聴きあうのを、ここでも。

私はもちろん、このお寺の庭でみつけた黄色いクモの糸のことを。

そこへちょうど入ってらした、お孫さん連れのご夫婦。娘さんが紅茶に参加してる間、お孫さんを見ててくださって、そろそろ終わるころだとお寺にみえたのだった。

あらま、グッドタイミングです、お二人でペアになって、一分半づつの、しあわせまわしをどうぞ。

グッドタイミングだったかバッドタイミングだったか、ご夫婦でとまどいながらも、しあわせまわし。なにをお話されたか知らないけど、こんな設定で夫婦で、ちいさなうれしい、を聴きあうのはむろんはじめて。

その体験自体が、新鮮な、ちいさなうれしいだったらしいお二人の感想を聞きながら、それがその日の、私にとってもうひとつの、「ちいさな、うれしい」。

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