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2007年11月17日 (土)

着地点

賢治さんの作品をふるさと岩手の言葉で読みつづけている律子さん。紅茶がオープンするひと月前に出逢ったので、もう24年のつきあいになるもっとも古い紅茶仲間のひとり。そうひんぱんに会うわけではないけれど、長年あたたかな親しい距離で、お互いを大切にしあってきた。

そのことを身にしみて感じたのは、今年の春から夏にかけてのこと。

私の心が塞がれてこわばっていた時期に、律子さんは用事もないのにふだんよりあしげく紅茶に寄ってくれて、とりたてて何も話さず、じゃあまたね、ということをくりかえしてくれた。

ひとは誰でもこころが弱るときがあるもの、ということを律子さんはしぜんにわかっていたのだと思う。ゆっくりね、ゆっくりね、と何度も言っていた。

それだけに、長いこと休んでいた「きもち」ブログが再開したとき、律子さん、どんなにほっとしたことか。

近くであたたかく見守っててくれた紅茶の仲間や、川越、京都の紅茶つながりのなつかしいひとたち、いのみらを読んでくれてるひとたち、津幡の風の仲間も、ああ、すこしづつスウさんがもどってきた、、、と感じていたようだ。

              *****

もどったのは、たぶん、以前とはほんのすこし違う場所、と私自身は感じている。

その場所から前いた自分を眺めると、いかに一度にたくさんの引き出しを器用に開け閉めしてたか見えてくる。ていねいにひととつながることを望んでるはずの私が、きっとあの一番忙しかったころは、他者に対しても自分に対してもずいぶん乱暴だったろうな。

あの、いまだうまく言葉にはならないこころの旅をしんけん(こころで体験すること)して、たしかなことは、しなきゃ、と、したい、の線引きが、自分の中で以前より明確に、ある意味で厳しく、なったこと。そして、いっぺんにあれもこれもはできなくなったこと。それは、すてきな年齢になった今の私にとってさいわいなこと。

10月にはいってまたしばらく書き込みがとだえたとき、律子さんはちょぴっとだけ心配したらしい。ありがとう、でもご心配はいりません。

10月はずっといのみらアタマだったのだ。いのみらを最優先事項にすえて、出したくて、書きたくて、でもなかなか言葉が見つからなくて、いつもの通信書きの10倍くらい、うんうん言葉の便秘でうなってた。ほかのしたいことに先にとりかかったら、ずるずるとそのまま出せない気がして、こわかった。

うなりながらも出したいいのみら、だから書かなきゃならないいのみら。書きながら、きもちにしっくり添ってくれる言葉を探しだして獲得していく。そうだったのか、とひざを打って、一つでも二つでもあらたな自分に気づいていく。ほかの誰のためでなく、今回はまさに自分のために書いたいのみらだった。

いのみらは、そうやって次の、したい、にまた一歩踏み出す類の、なきゃ、だ。したい、に後押しされてる、なきゃ、と、正しいねば・べきの、なきゃ、は違うんだ。

前の私なら、いのみらも書き、あれもし、これもし、と、ひとからはなんと器用に見えていたことだろう。その器用なひきだしはちょっと横においておくことにした。これから先はほんとうにしたいことを、速度気にせず、量を気にせず、一個ずつ、日々重ねてゆくことにしよう。

           ******

気がつけば、私のまわりにぶきようなひとはいっぱいいた。まじめで、融通がきかなくて、やさしくて、真剣で、自分をごまかせなくて、自分に嘘つけなくて、ふらじゃいるで、独特のすばらしい感性をもっていて、だけどそんな自分を表現するすべはそう簡単には手にはいらなくて、自分はいったい何なんだろうと苦しむことが多くて、、、。

私の知る、そんな一人ひとりの顔をあらためて思い浮べると、なんだか胸がいっぱいになってしまう。誰さんや、彼さん、彼女さん、クッキングハウスで知り合ったひとたちも。

きようさを誇ることも、恥じることも、必要ないと同じように、ぶきようを恥じることも、まったく必要ないんだ。

おととい読み終わったばかりの、クッキングハウスの仲間たちによる新刊「生きてみようよ」からも、そのことを痛いくらい感じた。一生懸命に生きてきた、一生懸命に生きている、そのことの尊さ、輝き、希望。

「生きてみようよ」、紅茶玄関本やにたくさん並んでいます。

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