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2007年12月30日 (日)

hello & goodbye 2007年 ありがとう

大根なます、黒豆、北陸ではカイボシとよぶ田作り。わが家のお正月に、他の何が足りなくてもいいけど、このシンプルな3点セットだけはかかせない。なのでこれだけは多めに作って、あとはあまりたいそうなことはしない、おだやかな年の暮れ。

おだやか、っていい。今年はとくにそうでなかった日々があったから、いっそう、おだやか、の大事さがしみてくる。

自分の存在を、こんなにも見つめたしんどい一年はかつてなかった。いろんな自分、いろんなきもち。初めて出逢う他人みたいな自分にものすごくとまどったけど、今はそのときの私も自分で認められる。

’07年をふりかえったとき、この一年にありがとう、と言ってる私がいる。しんどい渦中は無我夢中で、よもやこんなふうに思えるなんて!感謝だなんて!まったく想像もできなかったけど。

一人のちからでそう思えるようになった、と思わない。

大きかったのは、家族のちから、ともだちのちから。どんな私をみせてもだいじょうぶ、と信じていいひとたちがいてくれたおかげ、と思う。信じることのできたひとたちとの関係は、家族もふくめて、おそらくこれまでとは少し違うものに、また育ってゆくのだろう。               

                ******

私をいちばん支えてくれた家族のなかには、翔もマーガリンもいる。

家のなかのもう一匹を失くしたマガは、前以上にあまえんぼうになった。毎朝4時に私を起しにくる。しつこくなくだけでは足りずに、私のおでこをじょりじょりなめたり、髪をひっぱったり、耳にかみついたりと、起す手段はだんだんエスカレートしてくるのだけど、それも、マガがどうにか元気で新しい年を迎えられる証拠。         

Photo_2 翔のお墓に、スミレが咲いていた。

翔の季節にこれから毎年咲くからね、と能登の友人が分けてくれたスミレ、一輪もらって翔の写真の横に。

               

                *****

Photo

このブログ、以前と違ってときたまの書き込みだけれど、そこにきもちを寄せてくださっているかたがたに、この場をかりて、翔のポストカードで感謝をお伝えしたいです。

この一年間、本当にありがとうございました。来る年も、おだやかな速度できもちをつづってゆきたいと思っています。

あなたにとっても、来る年がこころゆたかな年になりますように。

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2007年12月28日 (金)

天使っぽいgod dog

Oさんちのジェスちゃんが、翔と同じ11月に、天国の犬になった。

16歳5ヶ月というから、翔のちょうど一つ年上。
あの小さなからだで、本当に長い間、ずいぶんがんばってきた。
         ****
若くして亡くなった娘さんの犬でもあったので、
その肩代わりもしてくれていたという。
そのこともジェスはきっと十分わかってて、
ジェスのはたらきをせいいっぱいしてくれていた、
Oさんが一番つらいときそばにいて。
ずっと、ありがとう、ばかり言ってるの、というOさんのきもち、
ああ、おんなじ、おんなじ、って思う。
お母さんを励まし続けたジェスに
わたしからも、ありがとう、です。
          *****
私の携帯には、去年の出前紅茶のときにうつした、
うしろ足で立ってるジェスが今もいる。
ジェスと翔とは、娘さんを偲ぶ上毛高原でのつどいのときに出逢った。
彼女が出逢わせてくれた2匹は今ころ、
やあ、ジェス、やあ、翔、って再会をよろこんでるな。
もちろんその横には、ジェスの本当のご主人である娘さんが
笑顔でいて、ジェスが、これまでの家族の話を
いっぱいきかせてあげてるに違いない。

                  ******

津幡図書館で毎月一緒に詩をよむきりりんさんが、
てづくりのミニミニ本 ーーー きりりんさん選、
犬をうたった詩だけを集めた一冊きりのアンソロジーをくださった。
まどみちおさんの、東くんぺいさんの、工藤直子さんの。
とりわけくんぺいさんのは、
「紅茶の時間」という詩集のなかの、「紅茶の時間」という詩。
知らなかったよ、そこに一匹の犬が登場してたなんて。
       *****
Photo_2 表紙の翔の字には、ほんとに羽がはえている。
ウラ表紙には DOG とちぎり絵文字でかいてあり、
逆から読むと、GODですね、ってきりりんさんが教えてくれた!
ジェスも翔も、天国に行って、
GOD(きっと天使っぽいGOD DOGね)になった。Photo_3
犬とは思えない犬、そのたしかな存在。
Oさんちにとっての、ジェス。
私たち家族にとっての、翔。

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2007年12月25日 (火)

.年末年始と紅茶玄関shopから

紅茶のお知らせいくつか。

ふつう紅茶は、12月26日(水)が今年最後。1:00~6:00 @水野宅

第4週なので、ふつう紅茶のなかで、りさいくる封筒つくりをしてます。見てるだけももちろんOK。

2008年最初のふつう紅茶は、1月2日。

                  *****

1月9日 恒例、お薄の時間。1:00~6:00

毎年、津幡のYさんがお抹茶とお菓子の用意をして、ボランティアで紅茶仲間におうすを点てに来てくださる。私にとっては、一年で一番楽な、なんにもしないで、おうすをいただく「紅茶の時間」。お茶のお作法知らなくてもだいじょうぶ、おかわり何杯でも。どなたでも。

ひょっとするとこの日、東京から若い友人が紅茶を訪ねてくるかもしれません。はじめてお便りをいただいた時から、30年の歳月が過ぎたけど、糸はきれずにつながっていた。今は書く仕事をしているというのも、うれしく。はじめて来る紅茶が、おうすの時間の日というのも、またおもしろいご縁です。

サタデーナイト紅茶で夕ご飯をごいっしょに、は、

1月19日(土)5:30~9:00 手ぶら参加費500円・要予約。ただし、雪次第。あまりひどく降っていれば当日閉店も、あり。

                  *****

紅茶玄関shopのラインアップ 

*クッキングハウスモデルの楽しいSSTガイドブック「元気になれるSST」

クッキングハウスで実際にしているコミュニケーションの練習・SSTが再現されていて、SSTがどういうものかとてもよくわかる読みやすい冊子 500円。30冊取り寄せて、好評につき、追加注文しました。

*細川律子さんの「風と光の散歩道ーー宮沢賢治の植物を訪ねて」、一時切らしてましたが、またはいりました。1800円。

*紅茶でお出ししてるインドの無農薬紅茶シンガンパティも入荷。500円。

*翔の紅茶はがきセット 5枚入り おまけのプチカード一枚と、  

   mai worksからのメッセージつき    300円 

  紅茶プチカードセット 肉球セット・紅茶セット どちらも各8枚で150円

はがき、プチカード(一筆箋)とも、たくさんのかたにご愛用いただけたらとてもうれしいです。 

おまけカードが、翔のお墓カード(葉っぱの上に白い貝殻)だったとき、お申し出くだされば、翔のはがき一枚を贈呈します。

野々市のフェアートレードのお店・al(アル)さんと、森本近くの、洋服とアジア雑貨のすてきなお店・アチャさん、七尾市一本杉通りの鳥居醤油店さん、かほく市の細川さんちのはまなす文庫、川越紅茶のジュンコさんち、京都向日町紅茶のかつこさんちにも、紅茶はがき&紅茶プチカード、おかせていただいています。

ご注文をいただいてメール便でお送りすることもできます。送料は9部まで80円。それ以上のときは送料はいりません。

    

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2007年12月23日 (日)

ある授業

かなもりとしろうさんの授業は、まず、「右という漢字はどう書く?」から始まりった。口でごはんを食べる手、から来た「右」という字。

では、「左」という字は?右、のロの字が食べる口なら、左という字のエの字は何だ。エというかたちは、何に似ているだろう。のこぎりを持つ手が右手なら、ノミを持つ手はどっちだ。「左」という字はノミを持っている手、という左手から来てるんだ。

右手と左手が組み合わさったのが、「友」。重いものを持ち上げている、という字が「力」。友だち同士の力を束ねるのが、協力の「協」。「老」は、力をいっぱい持っていること、持っているひとが「老」人。じゃあ、その力とは何だ。お年寄りがいっぱい持っているものって何だと思う?

老いたひとが持っているもの、知恵、経験、想い出、人生、年輪、歴史、ともだち、家族、ゆとりある心。そうだね、昔はじじばばが子育てを支えてくれてたんだ。昔話に、そういえば、父母は、でてこないなあ。

                 *****

先週の日曜日。河合谷小学校の小学生13人と、親たちと、ほかのおとなたち、参加した全員がこの時間だけは金森学級の生徒になった。

つぎつぎ投げかけられる問いかけの「?」ボールに、子どもも大人も考える、考えるのがだんだん楽しくなってくる、ボールを返すたび、体じゅうで応えてくれるかなもり先生の反応もうれしくて、想像力の翼もどんどんと広がってゆく。

この日、かなもりさんが読んでくれた絵本は、いぬいとみこさんの「ちいさなちいさな駅長さんの話」。

ーーーー日本海のほとりのちいさなちいさな駅に、ちいさなちいさなきかんしゃがとまりました。「ねえ、おべんとううってないの」と、男の子にいわれて、ちいさなちいさな駅長さんは大よわり。

何度も何度もくりかえされる「ちいさなちいさな」のリフレイン。この、ちいさなちいさな、から、みなさんは何をイメージしますか、の問いかけに、真っ先に「未来」とこたえたのは河合谷の小学生だった。

おとなたちや他の子たちも、首をかしげかしげ、続ける。

・とっても大切な・他にはない・かけがえのない・貴重・なくてはならない・一つしかない・願いがはいっている・ひとに知られていない・過疎・電車の本数が少ない・守りたい・守ってる・唯一・世界に一つだけの花・さびしい・たったひとつ・なかったら困る・そこにいるだけでいいんだよ

ちいさな絵本から、なんと豊かなイメージがふくらみ、未来へとつながっていったことだろう。言葉に出さずとも、想いは、河合谷小学校の存在の貴重さに重なった。

    ****

授業を終えたかなもりさんは、河合谷小の子どもたちのすばらしさを何度も口にしていた。そのわけの一つは、関係性にあるだろう、と。人と人。ひとと自然、声かけしあうちいさな共同体。

切磋琢磨、という言葉に、本来、「競争」という意味あいはない。この言葉の本当の意味は、励ましあい、支えあう、ということだそうだ。かなもりさんをうならせたのは、本当に切磋琢磨している、河合谷の子どもたちだった。

ちいさいから劣っている、という考えは、文化を抹殺すること。もし今、このちいさなちいさな小学校を残そうとする政治判断があったなら、それはのちのちまでも高く評価されることだろう。津幡町のすばらしさがもっとひとに伝わってゆくだろう。

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2007年12月22日 (土)

翔の紅茶はがき

翔が逝って数日間は、カミナリが光れば瞬間的に翔を想い(いつもすごく怖がったので)、落ち葉が縁側でカサコソ舞えば翔が歩いてる気がし、夢のなかで翔と逢って、目が覚めてから本物の翔はまだおとなしく寝てるか、とねぼけまなこで階段を降りていってしまったり、、してた。

ちょうど一週間たったとき、夕ご飯をたべてる途中で、ふいにわいてきた、翔を語り継ぎたい!っていう想い。

語り継ぐ、なんて、人間じゃないのにおおげさな、って言われるかも知れない。だけど、翔というとくべつな存在の家族のこと、時がたくさん流れても、私たちだけでなく、翔を知るひとたちの記憶のなかにもとどめたい。なんか、なんとか、かたちにして、翔を知ってるひとたちのなかで翔が生きつづけてほしい、って願った。そしてできれば、翔を知らないひとたちのなかでも。

なんか、なんか、、、って考えて、あ、と思いついた、ポストカード。

でもそれ以上のアイディアは思い浮かばないまま、娘に電話。翔と紅茶からのメッセージが伝わってくるような、そんなはがき、つくってもらえる?

翔が元気だったころの写真や、写メールで撮った今年の翔や、猫のマーガリン。それに娘からの注文で、紅茶のポットやカップ、コースター、紅茶の看板などを、写メールで撮って西宮へ。

    **** **** *****

Photo そんなふうにして、翔と娘とのコラボレーション、オリジナル紅茶ポストカードが生まれた。5枚のどのはがきにも、翔や紅茶からの、ほんのひとことのコトノハつき。

たくさん送った写メール、はがきには活かせなかったけど、どれも好きだったからプチカードにしたよ、 と娘からちいさな一筆箋も送られてきた。16種類あって、それを一枚づつ、はがきセットのおまけにいれてほしいとのこと。

おまけに入れた以外のプチカードは、それぞれ8枚組みの、翔とマーガリンが中心の「肉球セット」、原始林窯の紅茶カップが中心の「紅茶セット」、にもなっている。 

        Photo_2

紅茶が25年目にはいった今、翔からの贈りもののように紅茶初のカードが生まれたということ、考えたらすごく意味深いことなのかもしれない。

はがきもカードも書きやすくて、これで便りを出すのがうれしくて、翔はこれからいろんなひとのところへおおいに旅してゆけそうだ。

              

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2007年12月19日 (水)

天使の祝福

Photo一週間前届いた おおきな平たい宅急便。

開けたら、それはなんと特別なカレンダーだった。12月1日からクリスマスの前日まで、毎日あたらしい扉をあけてその日を待つ、アドベントカレンダー・降臨節暦。日付の数字が記された小さなドアを開けると、毎日毎日ちがう折り紙でつくられた、クリスマスツリー、靴下や手袋、リースにゆきだるま、ろうそく、サンタとトナカイ、ジングルベル、、、!

カレンダーの前に翔の写真をかざってみた。亡くなる一週間前、せいっぱいふらつく足をふんばって立っている貴重な瞬間だ。なんだか、ちいさな天使たちに祝福されてるみたいに見えませんか。

贈り主の大津のIさんの手紙を読んだら、なみだがじゅわっとあふれてきた。夏ごろからつくりはじめたそうだけど、9月に右手を骨折、字も書けなかった日々があって、その上、お身内のご不幸もあったという。

彼女が骨折したのは知っていた。どんなに不便なことかと思っていたけど、半年がかりで、手間ひまかけてこころかけて、不自由な指で折って、これだけのものを作ってくれて、、、と胸が熱くなる。

とうとう今になってしまって、12月ももう半分過ぎてしまったね、でもまた来年も使えるから、と。

            *******

今年の春から夏にかけてのわたしの異変を遠くから、確実に見守ってくれていたともだち。そして、わたしのリカバリー、もとの地点とはちがう着地点にたどりついた私のこころを、きもちブログやいのみらを読みながら感じとって、ほっとしてくれてた彼女。

ちょうど同い年の彼女にも、生きてきた間に、あたりまえだけどいろいろなことがあった。月いちで連載していた新聞の文章に手紙をもらい、そこからはじまったおつきあいだから、もう20年以上になる。出前に行ったりして会う回数はそう多くないけど、かわす言葉もさほど多くないけど、お互いの底の方で、shareしてる何かがあるのを感じる、そういうともだち。

             ******

☆のシールでとめてあるドアを開ける。豆本のページを開いて、そこの文字を読む。天使のスカートを広げてみて、うまくできてるなあ、と感心する。細かい手作業の苦手なわたしには、気の遠くなりそうなしごと!

16日のドアを開けると、トトロ。17日は、雪降るチャペル。18日は、二人のシスターと十字架。19日はサンタを乗せたトナカイのクリスマスカード。カードをめくると、sueさんへ、と書いてある。明日はなんだろう。

このプレゼントは、もらったときの「うれしい!」以上の「うれしい」が、毎日ふえてゆく、そこがうれしいとくべつなプレゼントだ。彼女の、labor of love.に、クリスマスの日まで、毎日、ありがとう、を言おう。そして、来年の12月にも、飾らせてもらおう。

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2007年12月16日 (日)

なみだ

あるひとが、苦しくて、つらくて、孤立感でいっぱいだったとき、不安でつぶれてしまいそうだった時、彼女をはげますつもりで逢いにいった親しいともだちが、逆に、そのひとの胸の中で、大泣きに泣いて泣いて、、という話を聴いた。

訪ねていったともだちのほうにも、亡くした大切なひとへの深い悲しみがあって。

そうやって双方が、泣きあえたこと、涙を流し合えたこと。泣いたほうも泣かれたほうも、流す涙に自分も解放されて、胸で泣かれたひとも自分という存在の貴重さに気づかされて、、。

安心して泣いて、泣けて、ともだちは、自分のなかの何かが変わった、と言ったそうだ。現実には何も変わっていないんだけど、そう思えること、確かにある。

               ***** 

自分のこころのまったく意図しないところからあふれだしてくる、洪水のような、透明な涙。
そういう涙には多分、とくべつなちからがあるのだと思う。

私自身、まったく泣けなかった一時期があったからなお、そう思う。

こころは悲しいのに涙が一滴も出てこない。それが本当に苦しかったから、ぼろぼろ泣くことができた時、固まってた氷山が内側からみりみり、とひびがはいっていくみたいな感覚で、からだじゅうがふわあーっとなった。逆にそれまでどれだけ、しんしん(こころとからだ)ともガチゴチにこわばってたのかって実感した。泣けることは、こんなに大きなことなんだ、ってそのとき感じた。

            *****

でもだからといって、泣くこと=楽になること、という方程式もまた、ないんだ。泣けてうれしい、とか、泣けてよかった、とか感じるのにも、そのひとそのひとで、悲しみの時間差や生き方の価値観があるんだろう。悲しみの感じかたも、悲しみの表しかたも、一人ひとり、違う。

             *******

なのでーー

あまりにまだ悲しみがつらすぎて生々しいひとに、悲しみかたが自分とは違うひとに、泣いたら楽になるよ、も、泣けてよかったね、も、そのひとの心には響かない。言われればいわれるほど、逆に納得できない。だってなにも変わらないじゃないか、泣いたって。そうだね、変わったという証拠はどこにもないものね。

泣くことが楽になること、話すことが放すこと、とは思えないひとが、いっぱい泣けたんだ、いっぱい聴いてもらえたんだ、とうれしそうな表情で言ったとき、思わず、泣けたんだぁ、よかったねえ!って言いそうになるけど、きっとそれはまだ違うんだ。

泣けたんだ、聴いてもらえたんだ、という、そのひとの言葉の波をうけて、こちらからは寄せて返す波のように、そう、泣けたんだねぇ、聴いてもらえたんだねぇ、と、ただ受けとめてそのまま静かに返そう。

それできっと十分、good enough。

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2007年12月15日 (土)

水車の図書館

じてんしゃ図書館の土居さんのお話会に行ってきた。

翌日が29歳の誕生日という土居さんの、作為のなさ、謙虚で誠実な話し方、うけこたえ、なにより強い意思のちから。

全国の図書館に「百年の愚行」をおいてもらいに行こうと決めたとき、
きっと楽しいことなど何もない旅がはじまるのだから、途中で意思がくじけてしまわぬよう、自転車に積むバッグ3個を、一番厚い幌布と、4分の一頭分の牛の皮とで、3ヶ月かけて手作りし、そうすることで心の準備をしたという。零下10度でも持ちこたえられる野宿の装備も、と。

土居さんは、この3年間、どれだけ自分との対話を重ねながら、
自転車をこいで、人と出逢ってきたろう。
はじめはわかってもらいたい、というたくさんの期待をもってたかもしれない。でも旅を続ける中で、そういう想いがだんだんそぎ落とされていったように聞こえた。期待すると、相手に求めてしまう。求めない、って、そのことのほうが、逆に強い気がした。

「相手を理解してみよう、と想うきもちがすごい大事と思う」という言葉にも、
はっとした。そういえば、理解しよう、といつも努めるのはかなりしんどいこと。してみよう、っていうのなら、間口がゆるやかだ。


彼をここまでつきうごかす「百年の愚行」っていったいどんな本なんだ?って思わせるものを、彼は確かに持っている。
全国の図書館にこの本を、というのをすでにはるか越えた強いメッセージが、土居さんの細身のからだからびんびん伝わってきた。

自転車についてる彼の手つくりの水車の図書館、下のほうを見たら、草木がはえてた。葉っぱは紅葉してた。それも一緒に旅してるんだ。

津幡図書館では、この本が購入リストにはいったそうだ。

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2007年12月11日 (火)

お知らせ、いくつか

        *****今週のお知らせいくつか

*明日12日は、いつもどおりのふつう紅茶 1:00~6:00 @紅茶 

*12月13日(木)

「詩を楽しむ」時間 @津幡図書館の みんなの部屋 1:30~3:00

先月は読めなかった茨木のりこさんの、「りゅうりぇんれんの物語」を読みます。この物語については、「きもち」ブログをさかのぼった11月9日、「きもちの言葉」ですこし書きました。参加はもちろんどなたでも。

同じ日の夜、じてんしゃ図書館 土居一洋さんのお話を聴くつどい

   7:00~9:00 @常讃寺 (野々市町三納145-2)
     TEL 076-248-7203     参加費 500円

もあります。館長の土居さん、おとといはかほく市や内灘、そして津幡図書館をまわり、今日は金沢大学の図書館へ。おとといはほんの少ししか土居さんに会えなかったので、常讃寺さんのおはなし会にいくつもり。

               *****

*12月15日(土) サタデーナイト紅茶 5:30~9:00 @紅茶

  持ち寄り一品夕ご飯の、夜の紅茶。手ぶら参加費 500円

  手ぶらのかたは、要予約。この日は三重県から、紅茶ははじめて、とい  うかたもみえるようです。

 * 15日の午後は、2:00~5:00 

  @紅茶で、コミュニケーション・ワークショップ。

   コミュニケーションの練習の時間です。関心のあるかた、お問い合わせください。

            *******

*12月16日(日) 金森俊朗さん教育講演会 

       2:00~4:00 (開場は 1:30)

   「ひとや自然、過去と未来にていねいにつながることの大切さ」          

       @河合谷ふれあいセンター2Fホール

        主催・河合谷小学校保護者会        

     前半は、子どもたちと模擬授業、後半は講演会。

         入場無料、どなたでも参加できます。

   

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きもちの一枚

マスノマサヒロさんのとくべつ紅茶で、紅茶の床にひろげられた
40枚近くのマスノさんのひとことつき写真たち、
そのなかの20枚を、あの日お願いして紅茶に譲っていただいた。
10月の結ともを、その写真のなかから
「今日のわたしの一枚」を選んで語ることからはじめたように、
これから先、出逢うひとたちとのコミュンケーションワークショップでも
生かさせていただきたいと思って。
そのときには、この写真たちがどうしてこのかたちになって、
今ここにあるのか、そのものがたりも知ってほしいと思って。
               *****
先週は、たまたま、月いちのともともと、ふた月に一度の、
七尾一本杉どおりのおかみさんたちの会・栴檀の集いとが、
同じ日に重なった。
それぞれの場に、マスノさんの風景がひろがり、
そこから仲間たちが、今のきもちに添う一枚を選んで、語りだす。
同じ一枚でも、語られるものがたりは100人100色。
どのひとも、自分の人生と重ねてお話される。
聴きながら私は、
ひとりひとりから人生のおすそわけをしてもらってるような、
深くてあたたかなきもちになる。
作者の手をはなれた作品は、
作者をまったく知らないひとたちの間でこうやって、
あたらしいものがたりを創ってゆく。
それはまた、作者のあたらしいしあわせだ、って思う。
                   *****
冬の空気のなか、枝に残ったたった一枚の葉っぱの写真、
添えられたコトバは、「最後の最後まで」。
その一枚を選んで、
「私はいま、2度目の最後の入口に立ったところのような気がする、
そう思うと希望がわいてくる」
って言った栴檀のおかみさんの言葉に、ぞくぞくする。
栴檀のおかみのひとりは、県知事にこの会のことを聞かれたとき、
「哲学の勉強仲間です」って言ったそうだ。
たしかに、鷲田清和さんの言う、哲学の作法、ということからすると、
栴檀は、てつがくする場所かもしれないって私も思ってた。
(せんだんに限らず、紅茶も、ともともや結ともも、ほかの場所も、
そう感じることが多々ある)
そんなおかみさんたちと、来年の栴檀では、
老いることを問題としてでなく、
老いることの課題とは何か、それを、
年重ねのいいとこめっけ、ということからはじめようと思ってる。
               ******
マスノさんからのお返事メールに、この前の時間のこと、
「ぼくの人生の中でも、あれは珠玉の輝きを放つひととき」
とあって、あちらとこちらと、
双方がそう感じられたことに、また、感謝。

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2007年12月 9日 (日)

じてんしゃ図書館

ここ数日間、石川県内を、水車をうしろにつけた不思議な自転車が走っていること、ニュースなどでご存知かもしれない。
じてんしゃ図書館。
館長の土居一洋さんは、28歳の若者。
20世紀の100年間で、人間が地球に何をしてきたかリアルにわかる
「百年の愚行」という写真集を、全国の図書館においてもらいたくて、
土居さんは自転車で日本を巡っている。
積んでいる本は、環境に関する本たち。
道々出会うひとで、図書館の本を借りたいというひとには、
じてんしゃ図書館の本を貸して「あげちゃう」、
つまり、返却しなくていい、そのかわり、その本を誰かにまわすことが条件。
             ****
その土居さんが、今日、内灘、かほく、宇ノ気、七塚とまわって、
もう暗くなった夕方遅くに、津幡図書館に到着。
水車つき例の自転車と土居さんが見えたときは、
思わず、わあーーい!と叫んでた、
ほんとに首なが~~くして待ってたからね。
冷たい風のなか、鼻をまっ赤にしてあらわれた彼、
待ちかねてた前図書館長の前田さんとも会えて、
紅茶のNさん夫婦とも会えて。
        ***
それから土居さんは図書館にはいって、
職員に、自分の紹介と、「100年の愚行」の本の紹介、
なぜこういうことをしているか、
そしてこの本を図書館でぜひ購入してほしいことを、
熱く、でもていねいに、お願いしていた。
                  *****
今日の津幡町立図書館で、訪ねた公立図書館は1、674館。
すっごい意志の力だ。
いろんな人から彼のこと、聞いてはいたけど
ほんとにとってもきもちのいい青年、そして何より謙虚。
もう真っ暗になった町へ、一路、今夜お泊まりするお寺のある
野々市へと自転車をこぎだす。
彼に会って、もっとゆっくりお話聞きたい方は、
             ↓
12月13日(木)19:00~21:00
  じてんしゃ図書館 土居一洋さんのお話を聴くつどい   
   常讃寺 (野々市町三納145-2)     
     TEL 076-248-7203
      参加費 500円 
土居さんのこと、もっと、は
       ↓
じてんしゃ図書館あそブック
  http://asobook.nomaki.jp/

全国行脚の自転車図書館(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/photonews/photo.htm?ge=1&id=5136

「じてんしゃ図書館」が町田を通過-環境問題関連の書籍普及目
指す (町田経済新聞)
http://machida.keizai.biz/headline/50/index.html

動画もあります!
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=242423
    

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2007年12月 6日 (木)

ただ、それだけのことが、やさしいんだ

外は冷たい雨の日だったけれど、富山からほっころろんの仲間たちがほぼ全員集合で、そしてふだんの紅茶のひとたちや、まったくはじめてのひとがうちを探し探し迷子になってもあきらめずに、マスノマサヒロさんの「あめつちのしづかなる日」の紅茶に集まってくれた。

おおきなスクリーンで味わう映像と音楽「天地をつなぐものがたり」は、白山の空や雲や朝日や夕日や、、、本当に夢のような美しさで、紅茶がいっとき映画館になったみたいだった。天と地をつなぐものがたりは、あなたのなかにもあるんだよ、とマスノさんは言う。

           *****

風の吹くままカメラマン、風景の出前もち、と称するマスノさんの、なにげない日常をきりとった写真が40数枚、紅茶の板の間に広げられた。そのどれにも、マスノさんのなにげないひと言が添えられている。全員でゆっくり眺めて、そのなかから今の自分のきもちにあう一枚を、それぞれ選んでもらう。その一枚のわけを、話すもよし、話さぬもよし。

語られた言葉は、それこそそのひとの、天と地をつなぐものがたりだったなあ。いのちの愛おしさやいのちとの別れ、わが子との、父との、母との、ものがたり。

その一枚一枚は、実は、入院していたほっころろんの大切なともだちのために、マスノさんが外の風景をきりとり、その風景のなかにそのひとも一緒にいてほしい、と毎日、メール便で病室あてに届けられたたもの。

病室の真っ白だった壁が、やがてやさしい風景でいっぱいのギャラリーになった。そのともだちはもとより、その病室をおとずれる誰もが、ナースさんもドクターもほかの患者さんも、どれほどその風景とコトバになぐさめられたか、そうそう、と共感したか、安心したか、希望をもらったか、と、そのともだちが言っていた。

どこにでもある風景に、どこにでもころがっているコトバを添えただけ、とマスノさんは言う。

ただそれだけのことで、ただそれだけのことが、こんなにもやさしくて、こんなにもいろんな想いや深い記憶を、ひとのこころに運んでくれる、感じさせてくれる、、。ただ、それだけだったものが、もっと生かされた気がした、というようなことをマスノさんが言っていた。それがいっそういいなあ、それってしあわせなしごと、って思った。

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ボクは表現するのがすき、と言うとおり、カリンバやインディアンフルートやそして歌まで。いろんな自分を表現するマスノさんが、どんどん少年の輝きになっていって、それが、とっても楽しそうでうれしそうで、それが私をまたしあわせにする。

紅茶のゲストがきもちよく自分をひらいてゆく過程、それを手伝うのはその場にいるひとたちが創りだす場の空気、その中にいる自分もまた、その空気をつくっている一人だ。

より大きな自分になりたい。自分のなかにふと思うものを大切にする。そう感じている自分を感じる。ーーーーマスノさんの問いかけやコトバが謎のようにまだ自分の中をめぐっているけど、自分をほどいてゆくこと、解放してゆくことも、より大きな自分にちかづくこと、かな、私にとっては。

マスノさんのブログ、12月のはじめころに、紅茶のことも。

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http://kazesan3.jugem.jp/

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