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2007年12月16日 (日)

なみだ

あるひとが、苦しくて、つらくて、孤立感でいっぱいだったとき、不安でつぶれてしまいそうだった時、彼女をはげますつもりで逢いにいった親しいともだちが、逆に、そのひとの胸の中で、大泣きに泣いて泣いて、、という話を聴いた。

訪ねていったともだちのほうにも、亡くした大切なひとへの深い悲しみがあって。

そうやって双方が、泣きあえたこと、涙を流し合えたこと。泣いたほうも泣かれたほうも、流す涙に自分も解放されて、胸で泣かれたひとも自分という存在の貴重さに気づかされて、、。

安心して泣いて、泣けて、ともだちは、自分のなかの何かが変わった、と言ったそうだ。現実には何も変わっていないんだけど、そう思えること、確かにある。

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自分のこころのまったく意図しないところからあふれだしてくる、洪水のような、透明な涙。
そういう涙には多分、とくべつなちからがあるのだと思う。

私自身、まったく泣けなかった一時期があったからなお、そう思う。

こころは悲しいのに涙が一滴も出てこない。それが本当に苦しかったから、ぼろぼろ泣くことができた時、固まってた氷山が内側からみりみり、とひびがはいっていくみたいな感覚で、からだじゅうがふわあーっとなった。逆にそれまでどれだけ、しんしん(こころとからだ)ともガチゴチにこわばってたのかって実感した。泣けることは、こんなに大きなことなんだ、ってそのとき感じた。

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でもだからといって、泣くこと=楽になること、という方程式もまた、ないんだ。泣けてうれしい、とか、泣けてよかった、とか感じるのにも、そのひとそのひとで、悲しみの時間差や生き方の価値観があるんだろう。悲しみの感じかたも、悲しみの表しかたも、一人ひとり、違う。

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なのでーー

あまりにまだ悲しみがつらすぎて生々しいひとに、悲しみかたが自分とは違うひとに、泣いたら楽になるよ、も、泣けてよかったね、も、そのひとの心には響かない。言われればいわれるほど、逆に納得できない。だってなにも変わらないじゃないか、泣いたって。そうだね、変わったという証拠はどこにもないものね。

泣くことが楽になること、話すことが放すこと、とは思えないひとが、いっぱい泣けたんだ、いっぱい聴いてもらえたんだ、とうれしそうな表情で言ったとき、思わず、泣けたんだぁ、よかったねえ!って言いそうになるけど、きっとそれはまだ違うんだ。

泣けたんだ、聴いてもらえたんだ、という、そのひとの言葉の波をうけて、こちらからは寄せて返す波のように、そう、泣けたんだねぇ、聴いてもらえたんだねぇ、と、ただ受けとめてそのまま静かに返そう。

それできっと十分、good enough。

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