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2007年12月 6日 (木)

ただ、それだけのことが、やさしいんだ

外は冷たい雨の日だったけれど、富山からほっころろんの仲間たちがほぼ全員集合で、そしてふだんの紅茶のひとたちや、まったくはじめてのひとがうちを探し探し迷子になってもあきらめずに、マスノマサヒロさんの「あめつちのしづかなる日」の紅茶に集まってくれた。

おおきなスクリーンで味わう映像と音楽「天地をつなぐものがたり」は、白山の空や雲や朝日や夕日や、、、本当に夢のような美しさで、紅茶がいっとき映画館になったみたいだった。天と地をつなぐものがたりは、あなたのなかにもあるんだよ、とマスノさんは言う。

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風の吹くままカメラマン、風景の出前もち、と称するマスノさんの、なにげない日常をきりとった写真が40数枚、紅茶の板の間に広げられた。そのどれにも、マスノさんのなにげないひと言が添えられている。全員でゆっくり眺めて、そのなかから今の自分のきもちにあう一枚を、それぞれ選んでもらう。その一枚のわけを、話すもよし、話さぬもよし。

語られた言葉は、それこそそのひとの、天と地をつなぐものがたりだったなあ。いのちの愛おしさやいのちとの別れ、わが子との、父との、母との、ものがたり。

その一枚一枚は、実は、入院していたほっころろんの大切なともだちのために、マスノさんが外の風景をきりとり、その風景のなかにそのひとも一緒にいてほしい、と毎日、メール便で病室あてに届けられたたもの。

病室の真っ白だった壁が、やがてやさしい風景でいっぱいのギャラリーになった。そのともだちはもとより、その病室をおとずれる誰もが、ナースさんもドクターもほかの患者さんも、どれほどその風景とコトバになぐさめられたか、そうそう、と共感したか、安心したか、希望をもらったか、と、そのともだちが言っていた。

どこにでもある風景に、どこにでもころがっているコトバを添えただけ、とマスノさんは言う。

ただそれだけのことで、ただそれだけのことが、こんなにもやさしくて、こんなにもいろんな想いや深い記憶を、ひとのこころに運んでくれる、感じさせてくれる、、。ただ、それだけだったものが、もっと生かされた気がした、というようなことをマスノさんが言っていた。それがいっそういいなあ、それってしあわせなしごと、って思った。

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ボクは表現するのがすき、と言うとおり、カリンバやインディアンフルートやそして歌まで。いろんな自分を表現するマスノさんが、どんどん少年の輝きになっていって、それが、とっても楽しそうでうれしそうで、それが私をまたしあわせにする。

紅茶のゲストがきもちよく自分をひらいてゆく過程、それを手伝うのはその場にいるひとたちが創りだす場の空気、その中にいる自分もまた、その空気をつくっている一人だ。

より大きな自分になりたい。自分のなかにふと思うものを大切にする。そう感じている自分を感じる。ーーーーマスノさんの問いかけやコトバが謎のようにまだ自分の中をめぐっているけど、自分をほどいてゆくこと、解放してゆくことも、より大きな自分にちかづくこと、かな、私にとっては。

マスノさんのブログ、12月のはじめころに、紅茶のことも。

     ↓

http://kazesan3.jugem.jp/

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