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2008年7月31日 (木)

かみさまからのおくりもの

ある日のともの時間で。

はじめに、「かみさまからのおくりもの」という絵本を一ページずつ読んだ。5人の赤ちゃんに、かみさまからの贈りものを天使がひとつづつ運んでゆくお話。

ほっぺの赤い赤ちゃんには、よく笑う、を

大きい赤ちゃんには、ちからもち、を

泣いている赤ちゃんには、歌がすき、を

よく動く赤ちゃんには、よく食べる、を、

すやすや寝ている赤ちゃんには、やさしい、を。

読み終わってから、ではあなたへの贈りものはなんだったと思う?と問いかけて、思いついた言葉をかきだしてもらった。

このおくりもの探しには、追加もあり、だ。生まれたときだけでなしに、あとになってからも、かみさまはおくりものをくださるらしい。この絵本の作者のひぐちみちこさんがあとがきでそう書いてくれているので、ちょっと気が楽になる。自分が生まれたときになにをもらったかなんて、誰も正確には知りっこないものね。

うーん、すてきなものが思いつかないよ~、の声。

うん、私もそうだ。だけどひとつのものにはいつだって裏表、両面ある。100%のいい、も、100%のよくない、も、多分ないはず。だからいっけんすてきっぽくなくても、それはそれで贈りものなのかも。

そうだよ、やさしい、っていうのだって、やさしい、だけでは違うと思う。それだけなら、ときには優柔不断ってことかも。やさしすぎて、ときにひとを傷つけることもある。そこにはきっと、強さも必要なんだ。

              などなどのやりとりがあって。

             ***

さて私のそれがなんだったかというとーー

自分の子ども時代、真っ先に思い浮かぶのは、すねてる私、だ。気に入らないこと、思いどおりにならないことがあると、すぐすねる。おとなたちの間のひとり子どもで、あまやかされ、ガマンを知らない、超わがままな子どもだった。

ちいさいころの通信簿には、一つものごとに集中しないこととか、もうすこしまわりと協調することがのぞましい、などの添え書きがあったように思う。

なので、かみさまからのおくりものは、「わがまま」。追加が、「ちいさなことをうれしいと感じる心」。

自分でそう書いて、あらためて、これってすごく象徴的だと思った。いまだに私はじゅうぶんにわがままだもの。

追加的に、そのわがままのなかに、あるがまま、や、自分のきもちにありのまま、や、身の丈のまんまで通す、がはいってきたような気がするけど、基本的には、よくもわるくも、わがまま、なんだ。でもきっとそのおかげで、世間というものからは少し離れたところに身を置き、ささやかながらも、私は私なりの世界を持ち続けてこれまで生きてこれた、とも思うんだ。

                    *****

この「かみさまからのおくりもの」探しは、川口のちいさいおうち紅茶の落合さんからヒントをもらったもの。絵本は知っていても、こんなふうな味わいかたがあるって思いつかなかった。

ちいさいおうち紅茶は今年はじまったばかりだけれど、落合さんには長い年月、ちいさなひとたちと育んできた、わらべうたや絵本やおはなしの豊かな世界がある。だからごく自然に、それらをドアにしながら、集うひとたちが心ひらいていける場としての紅茶を育ててゆくのだろうな。

そう思うだけで、笑顔になる。うれしいのと、ありがとう、とで。

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2008年7月29日 (火)

川が暴れた

昨日の朝、テレビをつけてびっくり。全国放送のニュースで、見慣れた金沢の浅野川大橋あたりが映っている。しかもごうごうと音がしそうな濁流の映像。

その前の晩、たしかに津幡でもカミナリが何度もとどろき、雨も激しい降りだった。でもいつものように午前3時ころマーガリンに起こされた時は、たまたま雨はやんでいて、その後、熟睡。朝起きたときは何も知らず、ひと雨あったから、おかげで涼しいねえ、などとのんきなことを言っていたのだった。

大橋からすこし低い位置にある主計町(かぞえまち、と読む)あたりの、料亭や旅館の被害がかなりひどそうだ。何度か東京や京都のお客様にとまっていただいた、ちいさな旅館も泥だらけになっていた。

浅野川は女川とよばれるくらい、普段は水量も少なくて、友禅流しや灯篭流しもする、おとなしい川のはず、だった。よもやその川がこんなに急に暴れだすとは、思ってもいなかった。

夜、月いちのwowの勉強会で金沢にでた。帰りにおそるおそる、浅野川大橋までいってみる。橋の近くも大通りも、朝はあったのかもしれないがもう泥は見えない。大橋から近いしら井昆布さん、被害はなかったろうか。

川の上流では、3時間に254ミリもの雨が降ったそうだ。50年に一度、100年に一度、のことが、防ぎようのない速さで、here&there 起こっている。兵庫県では、川遊びの子どもたちが何人も水に連れさらわれた。痛ましすぎる。一つのいのちのまわりには、かぞえきれない涙と悲しみがあるのだから。

                

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2008年7月27日 (日)

ハツユキカズラ

紅茶の始まる少し前、ドアの外で、ひたいに汗いっぱいかきながら、手に大きな鉢植えをもって立っていたのは、新潟県に住んでいるAさん。

Photo ← ハツユキカズラ、というのだそうだ。白いところもピンクのところも、花のように見えるけど、葉っぱ。

ここまで見事に育てるのに、どれだけの時間と、手間ひまがかけられていることだろう。たとえ彼女がみどりの指の持ち主だったとしても、決して楽して育てられるものではないはずだから。

どんなに逢いたくても、なかなか逢えない、遠さの問題だけでなしに。ひとは、いろんな事情だらけで生きている。ほんのわずかな時間をひねりだして、ここまで足を伸ばしてくれる彼女のきもちが、痛いくらいだ。

あわてて、彼女のてのひらに「ほめシャワ」を乗せる。このなかに、あなたに贈りたい言葉がいくつもあるよ。

                 ***

直接、贈りたい言葉もあるよ。

ほんとうによくやっているって、いつも思っているよ

ずっとがんばってきたものね

大きな愛だね

休めるときにはからだも心もやすめてね

祈ってるよ

たいへんな中を、逢いにきてくれてありがとう!

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マガシャワ 再び

Photo_2 ← めずらしくカメラ目線のマガ。

先日書いた「マガにもシャワー」は、その後も効き目があって、彼女の食事中はずっと横についてて、声かけをしている。

あ、えらいね、よく食べるね、おいしいおいしい、むぐむぐ、あ、全部食べたね、マガ、えらいな~~~ えらいっ!

ひとがきいたら、あきれるだろう。私だったら食べるときこんなに干渉されるなんてまっぴらごめん。だけど、今のマガにはこれが必要みたいだ。そばについて声かけてないと、もう食べない。

ついこの前も、ごはんのタイミングをのがしたらふて寝して、夕方までなにも口にせず。老いた小さないきものには、1、2日、食べないことはいのちにかかわるほどのことだから、一食ごと、ないがしろにはできないんだ。

         ***

鼻がよく効くのは、マガの元気のしるしの一つかな。いわしのつみれ団子を煮てると、足元から湯気のたってるのをみあげて、ふっふっ、と鼻息あらく、匂いをかいでいる。

鼻をぴくぴくさせる、とよくいうけど、よく見ると、鼻が動くんではないみたいだ。鼻のすぐ下の、白いところがぷくっぷくっとふくらんで、鼻の穴が閉じたり開いたり、そうやって、おいしい、を吸い込んでるんだ。

それにしても鼻息の音のすごいこと。こんな小さなからだで、

            ふっふっ!ふっふっ!

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2008年7月25日 (金)

コットンサリー

Photo

この20年ちかくずっと大好きなお店、アジア雑貨と洋服のアチャさん。

← 去年の今ごろ、アチャさんで一枚のスカーフを買った。女性用のコットンサリーの布だそうだ。今年の夏はふと思いつきで、そのスカーフを半分に切って、肩を縫って、首の入るだけの穴をあけて、夏用のトップにしてみた。

紅茶手縫いや作品(もちろん、非売品だけど)の制作時間、2時間弱。

                ****

森本のほうに移ってからのアチャさんのお店は、もともとはおじいちゃんの家。古い日本のおうちを、そのままのかたちで、うまく工夫して、アチャさんのセンスならではのすてきなお店に生かしてる。

単なるお店と呼べなくて、行くといつもつい長居したくなる不思議な場空間。行くたび、なんでこういうものがここにあるんだろう、と感じる小物や作品が、いつもさりげなく置かれている。そういう品を見るのも楽しみで、たまに行く。

この日は前から注文をうけていた、めがねをかけるためのビー玉ネックレスを届けにいった。

アチャさんでは、「ほめ言葉のシャワー」も置いてくださってる。mai works専用の木箱のなかに、ポストカードや「オキナワニッキ」、「コトノハ在中」、そして「ほめシャワ」。

アチャさんとは、ながいつきあいだけど、そのここちよい距離感が、この間ずっと変わらない。これって意外にできそうでできないこと。そして、お客に決してモノをすすめない。これはもっとむずかしいこと。だから信頼できるんだ。

アチャさんで求めた服は、どれも実に長く着ている。古くなったらよけいに味が出るし、着れなくなったものは rescued clothとして、私が別のものによみがえらせてる。

アチャ、の意味をいつか聞いたことがある。インドでとてもよく使われる言葉、だけどとくべつになんの意味もない言葉、だそうだ。うん、このあたりもアチャさんらしくて、私が惹かれてるとこかもしれない。

                       ****

Photo ← アチャさんから、歩いて5分くらいの「ぶどうの木」のぶどうが、もうこんないい色。

ぶどう園のぶどうを眺めながらのレストランで、家族の、親子の、実にいろんな話をしたっけなあ。

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イケカヨさん

「世界がもし100人の村だったら」「やさしい日本語で日本国憲法」

などの本をだしておられるイケカヨさんこと、池田香代子さんが
連続講演で石川県に。
なんと!津幡町にもみえる。
      ****
口承文芸研究家、のイケカヨさん。
また、グリムの童話や、「ソフィーの世界」、
「夜と霧」(池田さんのわかりやすい新訳のおかげで、やっと終わりまで読むことができた)など、ドイツ文学の翻訳家として知られる。
何よりも、地球のこと、平和のこと、憲法のこと、しなやかに活動する一市民。今年の世界9条会議の呼びかけ人のひとり。
                    ****
100人村のお話をしに紅茶にきてくださったのは、
もう何年前の夏の日になるだろう。
出迎えた翔のことも、よく覚えててくださった池田さん、
それから何度もお話を聴きにいったけど、
いつも感じることは、
核心に深く迫る、本質的なことを、やさしいことばで、ユーモアこめて
語ってくださること。だから、そのメッセージはとても心に残る。
ご本人はちっともきどることのない、はにかみやさんで、
でも政治家たちには、凛として、言うべきことをきちんと伝えるひと。
私が憲法の持つ深い意味に気づいたきっかけも、
ふりかえれば池田さんのお話を聴いてからだった。
まだお話聴いたことのないかた、ぜひぜひ!!
               ***
☆彡 池田香代子さんが石川県にやってくる! ☆彡

http://magazineworld.jp/html/pickup/100people/event/index0807.html
http://magazineworld.jp/html/pickup/100people/event/index0808.html


●7月30日(水)  14:00~15:30
人権同和啓発講演会
「100人の村 あなたもここに生きています」
会場:加賀市文化会館
http://map.yahoo.co.jp/pl?sc=3&lat=36.17.58.595&lon=136.19.03.520
(加賀市山代温泉北部2-68 0761-77-2811)
主催:石川県庁
窓口:076-225-1235(石川県庁)

●7月31日(木)  10:30~12:00
人権同和啓発講演会
「100人の村 あなたもここに生きています」
会場:津幡町文化会館シグナス
http://www.town.tsubata.ishikawa.jp/cygnus/access.htm
(河北郡津幡町北中条地区 076-288-8526)
主催:石川県庁
窓口:076-225-1235(石川県庁)


●8月2日(土)  13:30~15:30
第六回「教育のつどい」市民集会
「100人の村、あなたもここに生きています 子どもたちに平和な未来を」
会場:教育会館3Fホール
http://www.kanazawa-town.com/map/kz017260
主催:石川県教職員組合金沢支部
後援:金沢市PTA協議会
窓口:232-1304(石川県教職員組合金沢支部 澤出)

●8月3日(日)  9:30~11:35
教育のつどい
「100人の村の子どもたち」
会場:白山市美川文化会館
http://map.yahoo.co.jp/pl?sc=3&lat=36.30.40.964&lon=136.34.07.453
主催:石川県教職員組合石川支部
窓口:076-275-0179(石川支部書記局 山口)

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2008年7月20日 (日)

西の魔女が

映画「西の魔女が死んだ」を見た。その数日後に娘が見にいき、その後、夫も見に行き。で、家族全員が一つの映画を時間差鑑賞したことになった。

映画の中のおばあちゃん、その立ち姿や語り口ーー静かな自信に満ち、凛としてて、不思議なユーモアのある、そういう雰囲気全体が、私にはとても近しい、あるひとと重なった。

この前紅茶で会ったばかりだけど、長いこと会わなかったとしてもすぐに想い出したろう、京都のお産婆さん(そう呼ぶには若すぎるけど、ご本人がそう名乗るので)。

10数年前にはじめてあったときから、魔女っぽいと感じ、会うたびやはりそうに違いないと確信を深めた、あゆみ助産院の左古さん。

3億の中のたった一つのいのちのもとの半分とその相方とが、奇跡のように出逢い、数々の危険をくぐりぬけ、いよいよ生まれてこようとするのを手助けするひとなんだから、ある意味、魔女で当然、でもあるのだが。

       ***

もう一人、このおばあちゃんと、とても重なったひとがいる。こちらは、雰囲気より何より、その存在全体が重なるのだ。兄の妻で、中3の時から私を育ててくれた、ねやまと呼ぶ東京の姉。

毅然として、いつも正しくて、自分でものごとを決め、誰が見ていようといまいと日々の暮らしをきちんきちんとていねいに。そんな姉からしたら、妹のソコツさは目に余るものがあったろう。口答えしたくてもいつだって必ず姉のほうが正しいので、反論せずとも反発は、若いころの私の中では毎度のことだった。

私に娘が生まれて、姉は自分の子どもは産まなかったけれど、”おばあちゃん”になった。「西の魔女ーー」の物語にでてくる女の子と同じ名前の、まいのおばあちゃんに。(だから、映画の中でおばあちゃんが、「まい」と呼ぶ時や「まいは」と口にするたび、たぶんほかの人以上に反応してたと思う)

               ***

「西の魔女ーー」を見てきた娘には、やはりねやまこと、東京のおばあちゃんが重なったようだ。こんなメールがきた。

映画の中で、「おばあちゃん大好き」っていう言葉に、
いつも正しく毅然としていたおばあちゃん自身が、どれだけ支えられていたことか、とも思ったな。

ねやまが生きていた頃、
私は、さみしさや孤独だって背負いながらねやまが一人で生きてる、なんてこと、
全く想像できてなかった。
私の目に映るおばあちゃんがすべてだって思ってた。
背筋がシャンとして、きちんとして、強い正しいねやま。
だけど本当は、誰かと生活を共にする時間のほうが、ずっとずっと少なくって、ひとりのときは、小さくなって泣きたいときも、弱虫になりたいときも、あったろうな。

だからこそ、私やママに会えることも、手紙もらうことも、声聞くことも、
想像してた以上に、ねやまにとって大切なこと、嬉しいことだったのだろうな・・・・って、

今更ながら気づいたよ。

「おばあちゃん大好き」って言葉、今でも届いてくれてることを、願いたい。

      ****

血が繋がってないんだから、
万依が生まれたときに、ねやまは自動的におばあちゃんになったわけじゃない。
ねやまが万依を愛してくれて、それをめいっぱい態度で伝えてくれて、
そういう時間を一緒に過ごして、私たちの歴史の中で、
ねやまは、万依のおばあちゃん になったんだ。

小さくなって泣きたいときも、弱虫になりたいときも、の言葉に、歴史の中で、万依のおばあちゃんになったんだ、の言葉に、思わず涙があふれた。決して多くを語らなかった姉、そこも魔女のおばあちゃんみたいだ。

娘にはもう一人、重なったひとがいたし、夫は夫で、別の人物を重ね、「魔女」や、魔女の修行に反応している。

娘は去年、原作を読み、私は映画を見てから読み、夫はこの夏、映画にいく直前に読み、私はこれからもう一度、原作を読み直そうと思ってる。魔女の修行、にまだまだ学びたいことがあるので。

        ****

おばあちゃんを演じているサチ・パーカーさんは、本当はまだ若い、アメリカのすてきな女優さん。シャーリーマックレーンの娘で、子どものころは日本で育ち、サチ、の名は、漢字の「幸」からきているのだという。

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2008年7月18日 (金)

ショウ ノ ビンセン

Photo_6 mai works 新製品のお知らせ。

← ショウノビンセンこと、翔の似顔絵入り(イラスト描いてくれたのは紅茶のTさん)の便箋が届いた。これまで私個人用に使っていたA4サイズのを、その半分、A5の大きさで。

20枚入り、シール2枚入りで、200円。

それと、もう在庫がなくなっていたmai worksはがき、再び入荷。

Photo_8  ← 翔やマーガリン、一輪挿し、オキナワを旅したバイク、光のハート、原始林窯の紅茶カップ、ガラスのコップなど、どれもほんのひと言のコトノハつき。

12種類あって、一枚40円。

他の紅茶じるしの品や本と同様、どちらへも発送いたします。

              ****

Photo_9

← こちらはお送りできない、森みたいになった庭の空気を、気持ちだけでも。

わが家のシンボルツリーになった、栴檀の大木。

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2008年7月17日 (木)

システムとして

大分県の教員採用試験の不正が明るみに出て、
全国で震え上がってるひとがどれくらいいるだろう。

大分だけ、のはずがない。うけとる方は、これもシュウカツの世話の一環で、もう当たり前化してたかもしれないが。

いつも疑問に思うのは、親が、子には内緒で上に頼むのか、それとも子ども自らが、頼んでくれと親に頼むのか。

もし後者なら、自分の人生をひとに頼んで生きる、
そこに誇りはあるか。曲がりなりにも、子どもを教え、育てるという役目を担うひとが。

遠くの大学を出て、教員採用試験は地元で、そして一回目で合格する。あらぬ噂をたてられたくないひとは、あえてそうはしないかもしれない。

この件で、娘とメールのやりとり。

「そうでもしなければ教師になれない、っていう教採のシステム自体が、
なんだかおかしい。

前に読んだ本に、アフリカの社会システムでは、
コネがなければ何もできない、なれないのが現実、って書いてあったんだけど、それを書いた人は、
努力してもどうにもならない、っていう状況があること自体、
社会がシステムとして機能してない、崩壊してしまってるってことなのだと言ってた。

そう考えると、
親か親戚が教師でなければ、とか、議員を知らなければ、とか、何も無くて新卒で一発採用は難しい、っていうこの事実は、システムの崩壊に近いものがあるような」

そうか、一人ひとりの生き方が問われてるだけでなしに、もしほんとにどうにもならない状況があるとしたら、教採がシステムとして機能してない、ってことでもあるのか。

(こう書くと、教員採用試験すべてが灰色だったり悪者にみられてしまいそうだ。実際に、何年もかかって自分の実力でたしかに難関をくぐりぬけ、非常勤講師から本採用になったひとたちがいるのを個人的にも知っているから、十把一からげでは語れないのだが。)

   ***

システム、といえば、さらにもっと気がかりな、今の社会のありよう。

いくら働いても、どれだけ本人が努力しても、そのことがまっとうに評価されない、報われない。そんな働かされ方を強いられる社会そのものも、また、ものすごくおかしい。社会システムとしたら、もう崩れかけてるんじゃなかろうか。

「蟹工船」の本が書店で平積みにされ、たくさんの若い人たちがそれを読む、という今の時代。

   ***

ニュースによると、今週末におこなわれる大分県の今年度の教員採用試験では、成績を名前や受験番号から切り離して、成績だけで合否の判断をすることにしたという。
じゃ一体なんだったんだ、これまでは。今までのシステムはそもそも、不正を生むためのシステムだったのか?

いずれにしても、今回の件で、先生を信じない子どもが今よりもっと増えたとき、クラスにいったい何が起こるだろう。

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2008年7月16日 (水)

へまならべ

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← サンキライ(サルトリイバラ、とも言う)のリース

f、t、r、g、のパソコンの文字がやっとスムーズに打てるようになった。左手人差し指がひと月半、使えなかったため。

紅茶shoppeの日の朝、床の雑巾がけしていて、すべって転んで、つきゆびした。と思ってたら、夜にはれてきて、翌朝病院に行くと、「骨折してます」。思わず、うっそ~~!と言いたいのをのみこむ。バツ悪!

自分でもなんてよくへまするんだろう、とあきれる。昔の言葉で言うなら、この粗忽モノめ!だ。

自分ちの居間(つまり、紅茶の部屋)の柱に激しく正面衝突して、目の上が天然むらさきアイシャドーになったことも、

乗ってた薪の山がくずれて、アスファルトに顔面制動して、前歯を折ったことも、

紅茶ゲストの帰りの列車きっぷ、午前と午後をまちがえて予約してしまったことも、

そうそう、財布がないないと大騒ぎして、2,3日したら、下駄箱で見つかったこともあったなあ。

    ****

前に、おかみさんたちのワークショップで、へましたこと、失敗したことを仲間たちにご披露する、というのをしたことがある。

意外!そんなふうにぜんぜん見えないけどね~。

あははっ、けっこうドヂもするんだ、なんかほっとしちゃうな。

へえ~~、そりゃ横綱級のへまだね、あと、大丈夫だった?

などなど。とても楽しい時間だった。

その時や直後は悲惨に思える失敗も、時がそれを別のものに変換してくれること、よくある。何より、成功くらべより、へまならべのほうが、笑顔が多い。そして、遠かったひととの距離感が変わったり、壁が一枚取り外されたりする。

失敗から学ぶ、へまドヂから気づく、さて、私はなにを気づいたか。

少なくとも、これだけは気づいてる。これらの信じがたいへまをしでかしても、夫は一度も私を責めなかったし、あほか、みたいな目で見なかった、ということ。

そう、本人は誰に言われずとも十分、自分のお間抜けに気づいているので、それをわざわざもう一度、他者が念を押す必要なんか、もとからないんだ。

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2008年7月15日 (火)

能登じいの言葉

M高校のとなりは曹洞宗・総持寺。その少し先にある小さな小さなそばやさんで、ずいぶん昔においしいおそばを食べた記憶がある。たしか、そこに暮らす方のおうちに、ちょっとお邪魔するような感じの、そばやさんだった。出された豆腐もおいしかった。

M高校には、これまでも何度か出前にうかがってるのだけど、寄り道する間はなく、いつもとんぼ返り。今回は意図的に早く家をでて、お昼はそのそばや・「手仕事屋」さんで、と決めていた。

ちいさかったお店のたたずまいは、木の香もあたらしく大きくなっていた。去年春の能登沖地震で、こうせざるをえなかったのだという。石川であて(木へんに当たる、という漢字を書く)と呼ぶ、あすなろの葉に盛られた二八のそば、そして胡麻を練りこんであるというコクのあるお豆腐。どちらもおいしくなつかしく、いただいた。

一人のテーブルで、なにげなく品書きをよんでいたら、最後のページの一文に目がとまった。思わずノートにかきつけた。その一部分ーーー

地球という星の、針の先の1点よりも小さい場所での、

人生の積重ねと繰り返し。

地域が消え去ろうとしている。

経済という人の暮し向きの為に生まれた行為が、

人々を支配して大きな魔物となって

針の先のような地域を消し去ろうとしている。

自然の豊かさも、積重ねられた人の知恵も

「経済」という魔物の前で価値観を無くしてしまっている。

文章は、都心の億ションのようなところで電気と水とガスがとまればあんなに厄介なものは無いだろう、と言い、

隙間風の入る小さな木造の能登の家で

暮らす生活がどれだけ安全と安心か。

見つけてある幾つもの湧き水や、薪や炭になる林のこと、ろうそくになる山漆の実のこと、ヤスリや砥石があれば刃物も長く使える、と言い、

何より老人が多いから知恵が至るところにゴロゴロしている

と続く。

おこがましいみたいけど、先週W高校の生徒さんたちにも、お金がすべて、のような価値観が今の社会をおおってるけど、みんながみんな、お金がすべて人間になってしまったらどんな恐ろしい世の中になってしまうだろう、って、話したばかりだった。だから、上の文にはっとし、「知恵がゴロゴロ」に胸がつまる想いがしたのだ。

文章を必死に書き写してたら、お店の方がコピーしてくださった。家のお土産に、胡麻いり豆腐とちゃわん豆腐を持って帰りたいので、と、帰りに寄る約束をして、M高校へ。

夕方に再び寄って、はじめて、この文を書かれた店主さんにお会いできた。意志の力強さを感じる方。その存在とお名前には聞き覚えがあった。なぜかあちらも私のことは知ってくださってた。

文章はがんこな能登じいの思ったまま、だそうだ。言葉を紹介させていただくお許しも得たので、ここに。

またいつか、今度は夫婦でおそば、食べにいこう。

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2008年7月14日 (月)

能登へ

2週続けて能登へ。二つの高校の思春期講座の出前。

能登の保健センターが高校に呼びかけ、その高校や養護の先生からの希望をお聞きした上で、おはなしの中味を詰める。

あちらからのリクエストは、性感染症の予防・HIV/AIDSに関して・人権のこと・性教育・思春期のこころとからだに関して、の話を50分授業で、という、注文の多い料理店!でも考えてみれば、どれも互いにリンクしてるのだから、この中のどれか一つだけを、ということのほうが、むしろよっぽど不自然なことで。

性や生に関して語るようになって、15年たつ。こころ、と、生きる、で、性、という字。語らしてもらってきたおかげで、自分の生も、性も、生まれるも、生むも、生きるも、そして、性にはとりわけ互いのコミュニケーションが不可欠だってことも、学びなおせてきてよかったなあ、と思う。

今、私のまわりの信頼するひとたちと、性の話が語りあえる状況があるのもそのおつり。からかいやふざけでなしに、性の話、HIV・AIDSの話がしあえる関係って、カップルであれ夫婦、親子、ともだちであれ、それは大事な、とてもいい関係だと思っている。高校生たちにもそんな話をした。

     **** ****

当初、3年生だけで聞く予定だったのが、前日になって校長さんが2年生も一緒に、となったW校。1年生はいない。能登にも高校再編の嵐が吹きまくってて、今の2年生が卒業した時点で、この学校は幕を閉じるんだ。

M高校では、1年生に話すことになってたけど、せっかくの機会と、3年生の前でも話すことに。この学校でも、学年によって生徒数がものすごく違う。能登の高校生は、きっと誰もが、自分の今いる学校の今後や、自分の将来に、他地区の子たち以上にいろんな不安を持ってることだろうな。

3つの場面で、亡くなった兄の話も。これは以前は語らなかったことだ。それから、紅茶に来てた若者の話や、こころが便秘する話や、性の話や、何より、自分で自分のことを、むずかしいけど、認めてあげられるひとでいてほしいこと、など。

終わりあたりで、「ほめ言葉のシャワー」から「十分にすごいこと」と、それにつづくいくつかのほめ言葉を朗読。それから、「3億の一つがぼくになった」ではじまる「ぼく」の詩も。

限られた時間の中で、HIV/AIDSについてくわしく話すのはむずかしいので、15年前の小学4年生たちとした授業が収まってる「出逢いのタペストリイ」を、保健室においてもらう。養護の先生に本の贈呈式!をして、授業終了。

どちらの高校にも、県立看護大と金大の看護学科の学生さんたちがちょうど行政の実習で参加してくれてて、ほめことばのシャワーにもいっぱい感じるものがあったみたいだ。そればかりか、校長先生や養護の先生、若い男の先生までも。養護の先生の分のほめシャワ代を、校長先生が一時たてかえで、自分のとあわせてお買い上げくださったのがほほえましく、うれしかった。

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マガにもシャワー

Photo ← さすがに小さくなったマガ。紅茶の一番だいじなおざぶとんの真ん中で。

夏は外で寝ることの多いマーガリン、そんな夜は私も朝までぐっすり眠れる。きのうはひさしぶりに家の中にいて、夜中の2時に私を起こしに来た。

にゃ~~にゃ~~、

ドスのきいただみ声でひとしきり催促したあと、それでも動かない私に、こんどは前足の肉球で私の首すじを押す。

ねーってば、ねー、♪ごはん~~、ごはん~、

こうなるとこっちも根くらべだ。狸ねいりしてたら、次は私の耳たぶを甘噛み。

うひょ!こらかなわん、わかったわかった、ごはんあげるよ。

かくして、マガは夜中のごはんにありつけました。マガの勝ち。

    ****

Photo_2

← マガ、ご機嫌 Photo_3

← マガ、ぶっちょうづら

夏でもあり、それ以上に高齢でもあり、甲状腺の薬が効いてることもあるのか、マガの食欲は去年のように、食べても食べても空腹、ということはなくなった。その分、たべる量がまちまちだ。好みのシニア用キャットフードをお皿にのせても、ふん、とよこを向いてまったく口をつけない時もある。そんな時、

ほら、おいしいよ、いつもの好きなのだよ、食べてみ、おいしいから。

と声かけしながら横で見てると、いったん、ふん、とした時でも、もう一度鼻を近づけ、そんなに言うなら食べてみっか、という顔でたべだすことが何度かあった。

あ、えらいね~、よく食べるね~、おいしいもんねえ。

途中から、むぐむぐ、本格的にたべてお皿を空にすることもしばしば。どうも、お皿に盛って、私がその場をはなれてしまうと、食べないことが多いみたいだ。

マガの薬をとりにいったとき、そのこと、ナースさんに話してみる。

そうそう、猫ちゃんには多いみたいですよ、入院中の子でも、食べるのを応援してあげてるとけっこう食べますよ。

へえ~~!やっぱりそうなんかぁ。

確かに、翔の場合も、てのひらに乗せてごはんをあげると、食欲なさそうなときでもどうにか食べてくれたものだ。声かけすることで食べたかどうかは記憶にないが。

食べることを応援する、って、老猫にとっては、生きることを励ます、ってことだ。

ほめ言葉のシャワーのちからは、人間にだけではないらしい。

うん、マガにもシャワー、だ。

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2008年7月12日 (土)

手仕事の仲間たち展

6月の「そばが好き」に登場した、原始林窯のげん・こりんちゃんの二人、7月には金沢にこられなくなったので、あえるのはもう少し先になりそう。

それでも10月には(たぶん)、4回目の紅茶ギャラリー・原始林窯展を。

待ちきれずに二人の最近を知りたい方は、こちらをどうぞ。

   ↓

http://www.clover4.co.jp/GenshirinNikko/08Ransyou/08Ransho.html

先ごろ開かれた「手仕事の仲間たち展」で、なつかしい二人の、いきいきした表情に逢えます。

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2008年7月 9日 (水)

はくちょうろ

Photo 義父の17回忌の夜の宿は、兼六園に近い白鳥路ホテル。

← どこか古風な、ホテルの鍵。

26年前からの10年間、私たち家族はすぐ近くのマンションに住んでいた。娘は小学3年生までここで育った。幼稚園のころは、毎朝、白鳥路を歩いて兼六園下にでて、そこのバス停から路線バスで通園してた。

マンションの近くに車をとめていたが、あるときから、その駐車場がつかえなくなった。土地が売られて、そこにホテルが建ったのだ。それが、このホテル。

泊まった翌朝、娘と二人で白鳥路を、朝の散歩。

一番びっくりしたのは、すっきりと空が見えること。昔は、この路は大きな樹々でおおわれ鬱蒼としていて、空が見える隙間はほとんどなかった。入口にある白鳥の像と藤の木からはじまる白鳥路には、大きな胡桃の木が何本もあって、よく緑の実が落ちていた。右手は、当時はこの地にあった金沢大学。左手は金沢地方裁判所。

昼でも暗く、夏は天然の冷房がきいてここを抜ける間は夏の暑さを忘れられたけど、その分、危険な面もあって、観光客向けにも、と樹々を相当伐って明るくしたのだろう。

Photo_2 朝の通園のとき、親子でいつも歌いながら白鳥路を歩いた。あのころはまってたのは、クボタトシノブの「流星のサドル」だったよね、と娘。

路を抜けると、急に明るくなって、そこは大きなバス通りで、石川門を右斜めに見あげる池があって、その浅瀬で遊んでた娘がこけて、びしょぬれになったこともあった。よその人には観光地でも、私たちにはお隣の金大キャンパスもふくめて、大きな遊び場だったんだ。

白鳥路から大手堀に向かう途中、大手門にあがる道の脇に、かつては、古い大きな藤棚があった。住んでいたマンションの5階からもその藤の花が見えた。そこであの年の5月、たった一輪の、遅咲きの藤の花と出逢ったのだ。あなたは、あなたなりの花におなり、と教えてくれた、私にとって大切な記念の場所。

大手堀も夕方、よく散歩したものだ。

Photo_3 堀の水面につきそうなほどに低くたれてる枝は昔のままだ。枝でブランコしてる鳩たちもまた。

Photo_4

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2008年7月 8日 (火)

clan の おさ

義父の17回忌があった。集まった親族は、89歳から3歳まで、総勢16名。

クリスマスや感謝祭に親戚が集まることを、family reunionと呼ぶのだったと思うけど、今回のそれは、ファミリー、というより、clan(一族) reunion、という感じだった。

これまでも感じてたけど、こういう場面では、夫はまさに一族の長(おさ)になる。父親になったばかりの甥っ子たちにとっても、彼らの父親モデルは叔父である彼だ。彼らが幼かったとき、長い里帰りの間、よくよく面倒をみた彼なので慕われるのも当然かもしれない。彼らが大きくなってからも、父親とは話せないことを彼には話していた。それ以上に、すべての姉妹の家族SOSの場面で呼び出されては、即、駆けつけて対処、ということをしてきたので、いつのまに、彼はおさになるべくしてなってしまったのだ。

それでも、私たち家族だけでいるときはみごとに、ふだんの彼になり、一人の父親になる。そのすばやい変化を、娘が今回もするどく見つけてた。

だけどーー ちいさな単位の、静かな家族で育ってきた私は、いまだに、濃い血的関係の輪、というのが苦手だ。みんな同じ○○の血が流れてるんだ、すごいことよねえ!などといわれると、その場でどういう顔をしていいかわからなくなる。

私自身はどうも、血、の意識がひとより少ないみたいだ。水野の家は血の縁の薄い家、と昔から言われてきて、それがからだにしみこんでるからかもしれない。亡くなった姉と、血に依らない家族をつくってきた歴史があるからかもしれない。

なので、あまりに血を賛美されると、つい優性思想を連想してしまうんだ。

娘と私は間違いなく血でつながってるのだけど、こんなにおもしろいひとがどうして私の娘なんだろう、といつも思ってる。親子枠や、血、だけでは理解し得ないふしぎさに満ちた、ひとりの人間としての存在。

もともとは赤の他人だったひとと、結婚して家族をつくり、34年。夫もまた、いまだにふしぎに満ちた、私にとって一番近しい、ひとりの男だ。

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2008年7月 2日 (水)

とつぜん紅茶

Photo 秘密にしといていきなり、というのは私自身もわりとよくするのだけど、

ふつう紅茶にも予告無しの突然、という常連さんがいて。いつも紅茶のちいさい玄関で、私のびっくり顔との再会をよろこびあう。

京都、あゆみ助産院の左古さんにとっては、赤ちゃんの生まれてくる日がなにより優先される。だからなかなか前もっての約束や予告編がだせない。今回も、つい先日、無事に赤ちゃんが生まれて、急きょ、これることになったのだった。娘の尚ちゃんと、3,4年ぶりに会う左古さん教え子の助産婦さんも一緒。

尚ちゃんと紅茶で知り合って仲良くなった同い年の愛ちゃんもお母さんとやってきた。この若者たちは親をとびこえてよく行き来してる。おもしろい仲!

愛ちゃんのお母さんはバスガイドの仕事をしていて、遠くのめずらしいお土産をよくいただく。この日も、左古さんたちがくるのにあわせて、山形の黒糖のおせんべい「からから」をもってきてくれた。ぱちんと割ると、中にひとつづつちいさなサプライズーー根付だったり、折り紙の姉様人形だったり、鈴だったりーーが入ってる郷土菓子。金沢でいえばお正月のふっとくのような。

私のからからの中にはおみくじ。大吉。待ち人、の欄にはそのものずばり、「たよりなし来る」と。

左古さんは2ヶ月ぐらい前に大きい病院で外科の手術をうけた。ただでは起きないわよ、いっぱい気づいたことがある、という。

どういうこと?

その病院では、手術後から退院までの日々、ドクターからもナースからも誰からも、ただの一度も、痛みますか、大丈夫ですか、といった気遣いや思いやりの言葉をかけられなかった。それがどういうきもちになるものか、患者になったことで、とてもリアルに感じることができたのだと言う。

あゆみ助産院では、左古さんはじめ、どのスタッフも、妊婦さんやお母さんに、ほめ言葉や認め言葉のシャワーを毎日毎日、かけている。もうそれが当たり前のふつう。クッキングハウスでも、ふつうのこと。でも多くの現場では、それってきっと、いや、全然、ふつうじゃない、みたいだ。

あらためて、一人ひとりは、自分のまわりのひとにどんなプレゼントをできる力を持ってるか、考えさせられる。同時に奪う力も持ってると。

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中1になったさおちゃんがともだちとやってくる。めずらしく部活がないから、サプライズ紅茶させてね、と二人でするマッサージのワークショップをしてくれた。左古さんも助産婦さんも、さおちゃんに肩もみしてもらう(これがなんとも上手!)という、ビッグなおまけつきでした。

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