« へまならべ | トップページ | ショウ ノ ビンセン »

2008年7月17日 (木)

システムとして

大分県の教員採用試験の不正が明るみに出て、
全国で震え上がってるひとがどれくらいいるだろう。

大分だけ、のはずがない。うけとる方は、これもシュウカツの世話の一環で、もう当たり前化してたかもしれないが。

いつも疑問に思うのは、親が、子には内緒で上に頼むのか、それとも子ども自らが、頼んでくれと親に頼むのか。

もし後者なら、自分の人生をひとに頼んで生きる、
そこに誇りはあるか。曲がりなりにも、子どもを教え、育てるという役目を担うひとが。

遠くの大学を出て、教員採用試験は地元で、そして一回目で合格する。あらぬ噂をたてられたくないひとは、あえてそうはしないかもしれない。

この件で、娘とメールのやりとり。

「そうでもしなければ教師になれない、っていう教採のシステム自体が、
なんだかおかしい。

前に読んだ本に、アフリカの社会システムでは、
コネがなければ何もできない、なれないのが現実、って書いてあったんだけど、それを書いた人は、
努力してもどうにもならない、っていう状況があること自体、
社会がシステムとして機能してない、崩壊してしまってるってことなのだと言ってた。

そう考えると、
親か親戚が教師でなければ、とか、議員を知らなければ、とか、何も無くて新卒で一発採用は難しい、っていうこの事実は、システムの崩壊に近いものがあるような」

そうか、一人ひとりの生き方が問われてるだけでなしに、もしほんとにどうにもならない状況があるとしたら、教採がシステムとして機能してない、ってことでもあるのか。

(こう書くと、教員採用試験すべてが灰色だったり悪者にみられてしまいそうだ。実際に、何年もかかって自分の実力でたしかに難関をくぐりぬけ、非常勤講師から本採用になったひとたちがいるのを個人的にも知っているから、十把一からげでは語れないのだが。)

   ***

システム、といえば、さらにもっと気がかりな、今の社会のありよう。

いくら働いても、どれだけ本人が努力しても、そのことがまっとうに評価されない、報われない。そんな働かされ方を強いられる社会そのものも、また、ものすごくおかしい。社会システムとしたら、もう崩れかけてるんじゃなかろうか。

「蟹工船」の本が書店で平積みにされ、たくさんの若い人たちがそれを読む、という今の時代。

   ***

ニュースによると、今週末におこなわれる大分県の今年度の教員採用試験では、成績を名前や受験番号から切り離して、成績だけで合否の判断をすることにしたという。
じゃ一体なんだったんだ、これまでは。今までのシステムはそもそも、不正を生むためのシステムだったのか?

いずれにしても、今回の件で、先生を信じない子どもが今よりもっと増えたとき、クラスにいったい何が起こるだろう。

|

« へまならべ | トップページ | ショウ ノ ビンセン »

コメント

教員採用試験の不正や非正社員の過労死、ニュースをみているとまだ社会に出ていない僕には世の中というものに対して漠然とした不安と恐怖が感じられます。
自分や周囲がそのような事件に遭遇していないのでズレや齟齬を感じるのかもしれません。

『社会というシステム』に関しては、ブランドだけで大学を選ぶ僕には何も言えません。既にその歯車の一部とも言えます。

教師に対する生徒の信頼、という点では『不信』まではいかないのでは、と思います。
遠くの情報よりは自分が受けた印象の方が大きいでしょうから、そこは、教師のコミュニケーション能力や熟練度だと思います。
ただ、『採用試験の不正』という言葉を笠に着る生徒が現れないか心配です。熱心な教師に対して心無い言葉をぶつけるのは教師のモチベーションに関わります。

投稿: ショウジ | 2008年7月20日 (日) 03時50分

>ショウジさんへ
社会システムは、誰だって歯車の一部、を担ってるのではないかなぁと、私は思います。

知らず知らずのうちに、自分が巻き込まれていることもあれば、逆に与していることも

ショウジさんがおっしゃるように、確かに、今回の件が一足飛びに目の前の教師に対する「不信」へ繋がることはないかもしれませんね。
ただ、教育全般に対する、漠然とした不信感を感じてしまうとしたら、悲しいなと思いました。


投稿: sue | 2008年7月20日 (日) 22時05分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« へまならべ | トップページ | ショウ ノ ビンセン »