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2008年7月15日 (火)

能登じいの言葉

M高校のとなりは曹洞宗・総持寺。その少し先にある小さな小さなそばやさんで、ずいぶん昔においしいおそばを食べた記憶がある。たしか、そこに暮らす方のおうちに、ちょっとお邪魔するような感じの、そばやさんだった。出された豆腐もおいしかった。

M高校には、これまでも何度か出前にうかがってるのだけど、寄り道する間はなく、いつもとんぼ返り。今回は意図的に早く家をでて、お昼はそのそばや・「手仕事屋」さんで、と決めていた。

ちいさかったお店のたたずまいは、木の香もあたらしく大きくなっていた。去年春の能登沖地震で、こうせざるをえなかったのだという。石川であて(木へんに当たる、という漢字を書く)と呼ぶ、あすなろの葉に盛られた二八のそば、そして胡麻を練りこんであるというコクのあるお豆腐。どちらもおいしくなつかしく、いただいた。

一人のテーブルで、なにげなく品書きをよんでいたら、最後のページの一文に目がとまった。思わずノートにかきつけた。その一部分ーーー

地球という星の、針の先の1点よりも小さい場所での、

人生の積重ねと繰り返し。

地域が消え去ろうとしている。

経済という人の暮し向きの為に生まれた行為が、

人々を支配して大きな魔物となって

針の先のような地域を消し去ろうとしている。

自然の豊かさも、積重ねられた人の知恵も

「経済」という魔物の前で価値観を無くしてしまっている。

文章は、都心の億ションのようなところで電気と水とガスがとまればあんなに厄介なものは無いだろう、と言い、

隙間風の入る小さな木造の能登の家で

暮らす生活がどれだけ安全と安心か。

見つけてある幾つもの湧き水や、薪や炭になる林のこと、ろうそくになる山漆の実のこと、ヤスリや砥石があれば刃物も長く使える、と言い、

何より老人が多いから知恵が至るところにゴロゴロしている

と続く。

おこがましいみたいけど、先週W高校の生徒さんたちにも、お金がすべて、のような価値観が今の社会をおおってるけど、みんながみんな、お金がすべて人間になってしまったらどんな恐ろしい世の中になってしまうだろう、って、話したばかりだった。だから、上の文にはっとし、「知恵がゴロゴロ」に胸がつまる想いがしたのだ。

文章を必死に書き写してたら、お店の方がコピーしてくださった。家のお土産に、胡麻いり豆腐とちゃわん豆腐を持って帰りたいので、と、帰りに寄る約束をして、M高校へ。

夕方に再び寄って、はじめて、この文を書かれた店主さんにお会いできた。意志の力強さを感じる方。その存在とお名前には聞き覚えがあった。なぜかあちらも私のことは知ってくださってた。

文章はがんこな能登じいの思ったまま、だそうだ。言葉を紹介させていただくお許しも得たので、ここに。

またいつか、今度は夫婦でおそば、食べにいこう。

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