« ショウ ノ ビンセン | トップページ | イケカヨさん »

2008年7月20日 (日)

西の魔女が

映画「西の魔女が死んだ」を見た。その数日後に娘が見にいき、その後、夫も見に行き。で、家族全員が一つの映画を時間差鑑賞したことになった。

映画の中のおばあちゃん、その立ち姿や語り口ーー静かな自信に満ち、凛としてて、不思議なユーモアのある、そういう雰囲気全体が、私にはとても近しい、あるひとと重なった。

この前紅茶で会ったばかりだけど、長いこと会わなかったとしてもすぐに想い出したろう、京都のお産婆さん(そう呼ぶには若すぎるけど、ご本人がそう名乗るので)。

10数年前にはじめてあったときから、魔女っぽいと感じ、会うたびやはりそうに違いないと確信を深めた、あゆみ助産院の左古さん。

3億の中のたった一つのいのちのもとの半分とその相方とが、奇跡のように出逢い、数々の危険をくぐりぬけ、いよいよ生まれてこようとするのを手助けするひとなんだから、ある意味、魔女で当然、でもあるのだが。

       ***

もう一人、このおばあちゃんと、とても重なったひとがいる。こちらは、雰囲気より何より、その存在全体が重なるのだ。兄の妻で、中3の時から私を育ててくれた、ねやまと呼ぶ東京の姉。

毅然として、いつも正しくて、自分でものごとを決め、誰が見ていようといまいと日々の暮らしをきちんきちんとていねいに。そんな姉からしたら、妹のソコツさは目に余るものがあったろう。口答えしたくてもいつだって必ず姉のほうが正しいので、反論せずとも反発は、若いころの私の中では毎度のことだった。

私に娘が生まれて、姉は自分の子どもは産まなかったけれど、”おばあちゃん”になった。「西の魔女ーー」の物語にでてくる女の子と同じ名前の、まいのおばあちゃんに。(だから、映画の中でおばあちゃんが、「まい」と呼ぶ時や「まいは」と口にするたび、たぶんほかの人以上に反応してたと思う)

               ***

「西の魔女ーー」を見てきた娘には、やはりねやまこと、東京のおばあちゃんが重なったようだ。こんなメールがきた。

映画の中で、「おばあちゃん大好き」っていう言葉に、
いつも正しく毅然としていたおばあちゃん自身が、どれだけ支えられていたことか、とも思ったな。

ねやまが生きていた頃、
私は、さみしさや孤独だって背負いながらねやまが一人で生きてる、なんてこと、
全く想像できてなかった。
私の目に映るおばあちゃんがすべてだって思ってた。
背筋がシャンとして、きちんとして、強い正しいねやま。
だけど本当は、誰かと生活を共にする時間のほうが、ずっとずっと少なくって、ひとりのときは、小さくなって泣きたいときも、弱虫になりたいときも、あったろうな。

だからこそ、私やママに会えることも、手紙もらうことも、声聞くことも、
想像してた以上に、ねやまにとって大切なこと、嬉しいことだったのだろうな・・・・って、

今更ながら気づいたよ。

「おばあちゃん大好き」って言葉、今でも届いてくれてることを、願いたい。

      ****

血が繋がってないんだから、
万依が生まれたときに、ねやまは自動的におばあちゃんになったわけじゃない。
ねやまが万依を愛してくれて、それをめいっぱい態度で伝えてくれて、
そういう時間を一緒に過ごして、私たちの歴史の中で、
ねやまは、万依のおばあちゃん になったんだ。

小さくなって泣きたいときも、弱虫になりたいときも、の言葉に、歴史の中で、万依のおばあちゃんになったんだ、の言葉に、思わず涙があふれた。決して多くを語らなかった姉、そこも魔女のおばあちゃんみたいだ。

娘にはもう一人、重なったひとがいたし、夫は夫で、別の人物を重ね、「魔女」や、魔女の修行に反応している。

娘は去年、原作を読み、私は映画を見てから読み、夫はこの夏、映画にいく直前に読み、私はこれからもう一度、原作を読み直そうと思ってる。魔女の修行、にまだまだ学びたいことがあるので。

        ****

おばあちゃんを演じているサチ・パーカーさんは、本当はまだ若い、アメリカのすてきな女優さん。シャーリーマックレーンの娘で、子どものころは日本で育ち、サチ、の名は、漢字の「幸」からきているのだという。

|

« ショウ ノ ビンセン | トップページ | イケカヨさん »

コメント

下の息子に見に行こうかと誘われていたけれど、いけなかった映画。都合往復五時間の道のりは、今の我が家には、きついらしい。ここにも石油高等のあおりが忍び寄っているのだなあと悲しい想い。私にとっての魔女は、実家の祖母なんだなあ。スゥさんとこのねやまとも重なる部分あったりするよ。毅然として何人もの子供たちの学費稼ぎにあけくれた日々。頼みの綱の夫は若くして病に倒れのちになくなり。あてにしたい長男は、遥かはなれた戦地。それものちに満州からシベリアにりょくりゅうされた二年もの長きに渡って。父親が亡くなったこともしらずに。それが私の実家の父です。守り抜いた子供らと旅館。
万依さんの言う。一人のときは小さくなって泣きたいときも
弱虫になりたいときもあったろうな。に胸が痛みます。
それこそ、今からでも、この私から祖母へほめ言葉のシャワー届いて欲しい。辛かったね。しんどかったね。そして
私と母と女三代、働けた日々は宝だよ。今も私の胸に。
残る厳しかったけれど、輝いてた遠い昔のことですが。

投稿: 津軽・today | 2008年7月22日 (火) 05時42分

todayさん
ひとりひとり、心におもいうかべる魔女さんがいるのですね。
実家のおばあさま、は、私が32年前にお逢いした、あのおばあさまでしょうか。

息子さんであるあなたのお父さまはシベリアに。
どんなに過酷な日々を、日本とシベリア、親子はなればなれで、越えてこられたことか。
お父さまが生きてもどられてよかった、そうでなければ、あなたの存在もありえなかったのですものね。
働けた日々は宝物、胸に響く言葉です。

投稿: sue | 2008年7月24日 (木) 07時35分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ショウ ノ ビンセン | トップページ | イケカヨさん »