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2008年7月 8日 (火)

clan の おさ

義父の17回忌があった。集まった親族は、89歳から3歳まで、総勢16名。

クリスマスや感謝祭に親戚が集まることを、family reunionと呼ぶのだったと思うけど、今回のそれは、ファミリー、というより、clan(一族) reunion、という感じだった。

これまでも感じてたけど、こういう場面では、夫はまさに一族の長(おさ)になる。父親になったばかりの甥っ子たちにとっても、彼らの父親モデルは叔父である彼だ。彼らが幼かったとき、長い里帰りの間、よくよく面倒をみた彼なので慕われるのも当然かもしれない。彼らが大きくなってからも、父親とは話せないことを彼には話していた。それ以上に、すべての姉妹の家族SOSの場面で呼び出されては、即、駆けつけて対処、ということをしてきたので、いつのまに、彼はおさになるべくしてなってしまったのだ。

それでも、私たち家族だけでいるときはみごとに、ふだんの彼になり、一人の父親になる。そのすばやい変化を、娘が今回もするどく見つけてた。

だけどーー ちいさな単位の、静かな家族で育ってきた私は、いまだに、濃い血的関係の輪、というのが苦手だ。みんな同じ○○の血が流れてるんだ、すごいことよねえ!などといわれると、その場でどういう顔をしていいかわからなくなる。

私自身はどうも、血、の意識がひとより少ないみたいだ。水野の家は血の縁の薄い家、と昔から言われてきて、それがからだにしみこんでるからかもしれない。亡くなった姉と、血に依らない家族をつくってきた歴史があるからかもしれない。

なので、あまりに血を賛美されると、つい優性思想を連想してしまうんだ。

娘と私は間違いなく血でつながってるのだけど、こんなにおもしろいひとがどうして私の娘なんだろう、といつも思ってる。親子枠や、血、だけでは理解し得ないふしぎさに満ちた、ひとりの人間としての存在。

もともとは赤の他人だったひとと、結婚して家族をつくり、34年。夫もまた、いまだにふしぎに満ちた、私にとって一番近しい、ひとりの男だ。

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コメント

日記読ませてもらいました。
すごく感銘をうけました。いや、感銘というか、よく似た考え方なのかな。


血さえ繋がっていれば家族?絆は?
血で繋がる家族、絆で繋がる友人。どっちが大切?
家族って血でしか繋がらない他人?

こういう、よく分からない疑問って多いです。

投稿: ショウジ | 2008年7月13日 (日) 05時52分

血族そうだね。私は、旧家の旅館に生まれ育ったから、あまり抵抗は、感じないけど。ただ若い頃は、重かったなぁ。早くそこから抜け出し自由になれる日を夢見てたかなぁ。だって、私を取り巻く大人達が、あまりにも旅館の娘として特別な目で見られ続けていたから、嫌でもいい子いい子してなきゃってプレッシャーも多分にあったし、友達までもがそんな目で見ているのを強く感じつつ生きてきたからね。

一族のおさか、我が家でのおさは、まぎれなく舅だね。
田舎とはいえ、親族、家を含めて四家族を養って来た人
であるわけだから。その件については、私は尊敬できると
確信できてる、だってこんな田舎で四家族も養うってただ事じぁないよ。ただでさえ、仕事ない所だもの。それは、紛れもなく感謝してるし。息子たちだってすべて彼の力で上の学校まで、進めた訳だしね。ただ、私の夫にしたら、ありがたい思いとは、べつに複雑な思いも抱えているだろうなあ。といつも想っているよ。だってそこそこの年齢になっているのに、今だ、経済的なことは、すべて舅頼みだから。
情けないよ。不甲斐ないよ。って私にだけ。そっと、嘆いてたことあるもの。彼が想いのたけを男泣きにうったえてた時も、あったけど。聞く耳持たずの一点張りだったものなぁ。そのくせ、もう少し仕事に意欲持って欲しいって、夫にではなく私に愚痴る。夫は五年ほどの間、引きこもってたけど。私は、ただ、見守り、言葉がけだけは、極力努力し続けていたっけ。彼の無精ひげと後ろ姿、会話さえない日々。自分ながらよく耐えたと想う。あの後、夫は、店の仕事に極力深入りしなくなったそれが、彼の出した答えだと私は理解しているので、一切口出しなく今日まで生きてきたよ。ただ、お店番とかプロパンガスの集金の集計とかは、やっているけど。それで、私は、十分と想っているの。彼の二十五年の苦悩を絶えず見続けた彼の同志として
もう彼を解き放してあげたい気持ちの方が極力強いかな。
もう十分過ぎるくらい苦悩し続けた彼を知っているもの。
それでいいんじゃない。って私は、想っているけどね。舅は
かなりあきらめてもいるけど、不満たらたらなのも知ってる。

私たち夫婦がなっとくし会っているんだから。解り合っているんだから。それが一番大切なことだからね。長くなっちゃったなあ。私っていつもこう。想いか溢れちゃうみたいで。
こまったさんのひとりかしらね。では、また。

投稿: 津軽、today | 2008年7月13日 (日) 06時46分

ショウジさん 
はじめまして。
私にもよくわからないのです。血、とか絆、とか。でもあまりに血の濃さを誇示されると、どうしても、そうでない関係ってのも確かにあるんだよ、それはそれで尊いのだよ、って言いたくなってしまいます。
血であろうと、他人であろうと、ひとりのひとをわかる、ことは至難の技で(たぶん、不可能なことなのでしょう)だからこそ、かすかな瞬間にでも、わかりあえた気が互いにするとき、その時間が輝きを放つのだと想います。

todayさん
血族のことをいやがおうでも意識せざるをえない、そういうなかで育ってきたんですものね。
でも、最後の方の、
お二人が納得しあってるんだから、解りあっているんだから、っていう言葉に、そう、そこが鍵、って思いました。お二人で苦しみを共有しながら、歩いてこられた歴史、を感じます。

投稿: sue | 2008年7月13日 (日) 09時42分

気持ちが、大切と近頃切に想うよ。けど、私たちという夫婦の間に息子たちがいて彼らが、大きなクッションの役割を担い夫の両親との間にも入りクッションになっててくれていてくれてたから感謝しているし。だからこそ、内ばかりでなく、外に目を向けて欲しくて、外に出した。そして今がある。私たち自身の今は、いい距離感を保てていていいなぁと想っているよ。

私のまわりにも、血縁関係などないのに、家族として認め合い生きている家族がいる。それは、それでいい感じと
私には、想えている。素直にそう感じられる自分で居られることを幸せなことと想っているよ。人それぞれなんだな。
お互いの気持ちが肝心。スゥさんが、いうみたいにね。

私たち夫婦が、気持ちの意志疎通が出来ていれば、いいんだな。二十五年の夫婦生活で、得た宝物なんだなそれってさ。本当にそう感じるよ。紆余曲折乗り越え生きてきたからこそ、そう、想えるんだよね。幸せなことです。

なんだかさ、スゥさんとおたより交換が再開されて、こうして、書き込みしたりしているうちに、何か知らないけど、静かに萎縮してた心が解きほぐされている感じなんだな。
話を聞いててくれている人の居る幸せっていうのかな。そういぅのを私は、人にはしてきていてたのに。自分自身のことが後回しになってたみたいだなぁ。確かにここ数年、私は、がむしゃらに突っ走るしかない状況下にあったんだけど。スゥさんとの新たなる縁に感謝、感謝!あっそう、その縁を結ぶために力貸してくれたわが息子たちにも感謝ですよね。親ばかさん発揮だけど・・・へへ。言っちゃった。
では、またいずれ!

投稿: 津軽@today | 2008年7月13日 (日) 13時10分

夫婦のあいだできもちが通じ合ってる、うん、そのことの貴重さ。それが実感できてよかったですね。

私はいつもtodayさんのお手紙から、しあわせの意味を感じさせてもらってるよ。ときほぐされてきてる、というカンカク、どうぞどうぞ、大切にしてほしい、からだとこころがそのカンカクを覚えてくれてると、苦しくなったときにもそこにたちもどろう、と思えると思うので。

それにしても、clanの文にはなぜこうもいろんな反応がかえってくるのか、(個メールでいただくのもふくめて)と思うけど、それっくらい、切り離せない重たいものを、だれもがひきづりつつ、生きてるってことなんだろうなあ。

投稿: sue | 2008年7月17日 (木) 00時11分

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