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2008年11月 7日 (金)

私、ではなく

こりんちゃんと、その後も電話で話しては、原始林窯展のふりかえりを、そうとは意識せずにしている。一人ひとりの注文をうけて、そのひとのためだけの器をつくり、そのひとによろこんでもらう、というしごとの幸せについても度たび。

それって、げん・こりんちゃんの天職だよねえ、と私が言うと、

「う~~ん、そうなりつつある、のかも。だとしても、それってみなさんがつくってくれた天職、だと思うんです。決して、とくべつな才能があって始めたことじゃなくてね、ただずぅっとやめずに続けてこれたことで、みんなが天職をつくってくださった、ってことなんだと思う」

こりんちゃんから返ってきたこの言葉にはっとする。そのひとが、じゃなく、みんなが「そのひとの天職をつくる」、という発想。

たしかに、よく考えてみれば、そっちの方が本当のようにも思えてくる。自分ひとりで天職をつくる、なんて無理な話で、そのひとが出逢うひとたちによって、そのひとの天職がつくられる。天職になる。その時の主語は「私」じゃないんだ。

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Cazc56xm ← 見あげた窓。せんだんの葉の木漏れ日、光のアートにおもわず見とれる秋の午後。

松浦さんとのSSTも無事におわり、いまゆっくりと自分の中で、10月のふりかえりをしているところ。

10月という月はなぜか毎年、出前の多い月になる。今年も、能登の田鶴浜にはじまり、助産婦の卵さんたちとのちいさな紅茶、西東京や加賀、輪島高校、そして、毎月のともの時間、七尾のおかみさんたちとのせんだんの集いもあった。

あ、そうか、、、!

これらの出前も、毎週だれかが訪れることによって続いているふつう紅茶も、とくべつ紅茶や紅茶ギャラリーをひらくことも、いろんなひとの人生が交差する紅茶のものがたりを綴ることも、ともの時間の水先案内人をさしてもらってることも、

こういうのぜ~んぶひっくるめて、私ではなく、みなさんがプレゼントしてくれているしごと、だったんだ。みんなが、私に、天のしごとをつくってくれている、そういうことだったんだね。

これがしごと、と気づかなかったときにも、なぜか幸せを感じていたわけ、またほんの少しわかってきたような気がするよ。

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