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2009年12月27日 (日)

だいすきなものを、だいすき、と。

今でも、よくあんなことできたもんだ、と思い返す。ピース9フェスティバルという大勢のひと前で、歌を歌おう、と、だいたい思うことからして。

なんであんなきもちになれたのだろう。ずっと考えていて、今になって、すこし見えてきた。

それはとてもシンプルなこと。スーザン・オズボーンさんの歌ってた「graduation」があんまりにもすてきで、美しくて、大好きになったから。歌詞の一つ一つがとても深くて、私の胸に響いて共振したから。

「たとえ敵であろうと、誰もが人生の旅の道連れ」「生と死をくりかえす終わりのないらせん」「生きるすべてのいのちを抱きしめる、私たちの内なる宇宙」「私たちの生きる場所はここ、生きるときは今」――どれにも、そうそう!とうなずいた。

個人的なこともっといえば、歌詞のなかの「いのちのまなびや」も、私にとっては紅茶の時間のようで、「笑い声や怖れや涙をわけあうこと」も、「ともにすごす日々の美しさを決して忘れない」も、まさにそのとおりで。

そんなにも大好きになってしまったこの歌のこと知ってほしくて、日本語の詞を書いた。そしてあるひとに背中を押してもらって、歌おう、って決心した。

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だいすきなものをだいすき、と表現するのに、ものすごく勇気がいるんだと知ったのは、ずいぶんあとから。

ある日ふと、まあさんから「そうか~、そうだったか。世間の評価とかからぶっとんだとこに、君の歌はあったのか~~」と言われて、私もすとんと腑に落ちた。

歌も、絵も、字も(きっとまだほかにもいっぱい)、うまくないと、上手じゃないと、ひと様には聞かせられないもの、見せられないもの、っていうジョーシキに、私もまたすこしは縛られてたらしい。

だいすきなものを、だいすき、と言えて、よかった。そして、そう表現することに意味があることも知った。

その勇気の後押しをしてくれたさわこさん、9tasになってくれた紅茶仲間たちの勇気、そして、伴奏してくれた順子さん。1年の終わりに、あらためて、ありがとう。

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きもちを歌にする。歌で伝える。そのことを実感したおかげで、ふしぎなことに、私の中に歌が生まれた。

生まれてはじめてつくった歌「for the first time in my life」を、西東京紅茶にきてくださった水野の姉や兄と近しいひとの前で歌って、一緒に泣いたことも、今年の忘れられない一場面。

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ちょうどそのころから、ほめシャワの歌「贈りものの言葉」が生まれはじめてた。11月の大津の紅茶ではまだ伴奏なしで歌って、その2日後の宇治で、順子さんがすてきに編曲して伴奏つけてくださって、歌が歌になった。

燕の出前のときには、風邪でほとんど声が出なくて、ど、どうしよう・・・coldsweats02!だったけど、参加したみなさんが、小さな声で歌っててくださった。なんてしあわせな歌だろう。

能登の高校で、かほくの中学で、大宮の高校の保護者会で。生まれて間もない「贈りものの言葉」は、またすこしずつ育っていっている。

1月半ばに刷り上がる16刷目の「ほめシャワ」には、というわけで(って理由もないのだけど)、歌詞つきです。

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