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2010年7月27日 (火)

もっとつのお兄ちゃんと。

Photo_3もっとつ、は「もうひとつの」という意味。私が4,5歳のころから7,8歳ころまでの数年間、水野の家で一緒に暮らしていたいとこのことを、私はこう呼んでいた。

そのひとは、私とはすごく年の離れた兄の、3歳年下で、名前が 同じ「ひろし」だったので、同じ家の中のひろしお兄ちゃんと区別するため、しぜんと、「もっとつのお兄ちゃん」と呼ぶようになったのだった。

一緒に遊んでもらった具体的な記憶はあいまいでも、そのやさしくてあったかかった存在の記憶は、いまもはっきりと私の中にある。
東京の家にいた時代に、アメリカ人の宣教師さんと出逢い、その影響があって、とうとう牧師さんになった、というのも、いかにももっとつのお兄ちゃんらしい、と子どもごころに思ったものだった。

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そのひろしさんが、7月はじめ、前々からの約束どおり、ご夫婦でわが家を訪ねてくださった。

息子さんが難病になられてからの12年間、昼も夜もなくご家族で献身的に看病と介護を続けられ、息子さんは3年前に天に召された。

介護のこともあって、ひろしさんは牧師さんのお仕事からはもう退いておられたのだけど、今年の夏から請われて、埼玉県深谷の教会の牧師さんに迎えられることになったのだという。

「信じられないでしょう?今年、80歳になる僕がね、この年でふたたび牧師をさせてもらうなんてね」
「ううん、それって神様の大抜擢だと思う、息子さんからの贈りものみたいでもあるし」

私の言葉に奥さんのみえこさんが、あ!って顔で、同感してくださる。

息子さんとの、長い長い苦しいときをご一緒したご夫婦だもの、神様に守られていなかったら越えることのできない年月だったもの.。時おりいただくお手紙にはいつも祈りと感謝があった。

そういうひろしさんだからこそ、牧師さんでいてほしいなあと思う。
お年の割りにからだがお丈夫なのは、自分が倒れるわけにいかない、と介護の合間に、ダンベルやスロージョギングで筋トレを欠かさなかったおかげ、という。それもまた、賜物だね。

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ひろしさんは、父のすぐ上のお姉さんの息子さんだそうだ。
だそう、っていうのもヘンだけど、とにかくあのころの水野の家には、家族以外の人が何人もいて、幼い私にはくわしい人間関係図がまるでつかめてなかった。あのころは父の一番上のお兄さんの息子さんも住んでいた、とこの日にきいて、そうだったっけ?と驚いたくらいだから。

そんなごちゃごちゃの家族のなかで、あまりにやさしい、繊細なこころの持ち主だった兄は、どんなふうに感じていたろう。兄にとっては継母にあたる私の母との関係は、どんなだったんだろう。

もっとつのお兄ちゃんは、私の兄の若いころの心の片鱗を知る、おそらく今では唯一のひとかもしれない。突然に逝ってしまってもう50年近くたつけど、いまさらのように、お兄ちゃんがあの家で感じていたことを知りたい、きもちをわかりたい、と強烈に思う私がいる。

それって私の宿題なんだ、きっと。いつかそう遠くない日、埼玉のもっとつのお兄ちゃんを、あらためてお訪ねしよう。終わらない宿題の糸口を探しに。

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