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2010年12月 2日 (木)

muroさんで、まったり紅茶 

20101121 11月21日、京都紅茶のかつこさんと、京都→大阪→和歌山まで、約2時間の電車の旅。関西の出前のときはたいていかつこさんと会えるのだけど、こんな二人紅茶の時間は久しぶり。

桃山町のcafe muroさんには、早くもクリスマスツリー。muroさんとこは、cafeに入る前から、ようこそ、と迎えられてる気がいつもするけど、この日もまさに。

Photo cafeのテーブルはひろいベランダに出して、この日は、床にじゅうたんをしいて、そこに靴をぬいで座る。これまで2回おとずれたmuroさんとはまた違う雰囲気、和風むろさんっぽい。

muroママさんが用意してくださったランチには、7月に訪ねたときはまだ、赤ちゃん実だった栗のはいった、たきこみごはんも。

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集まった約20人の方たちは、cafeのお客様はもちろんだけど、ほめシャワつながりだけで、お店へははじめての方も何人か。3時間、といつもより長い割には、shareしたmuroさん紅茶の時間があっという間。

その様子はもうその日のうちにmuroママがupしてくれてた。いろんなモノづくりのワークショップを開いてるmuroさん、でも今回みたいな、言葉のワークショップというのははじめてで、始まる前はママさん、とても緊張してたらしい。
けど、muroさんならではの、あったかい時間になったと思うし、私は私で、muroママが前に言ってくれた、「ほめる」や「ほめ言葉」の、きもちのボタンの掛け違いについて、たぶん、落ち着いて語れた、と思います。

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muroママブログにも書いてあるけど、この日のびっくりの一つは、はじめてみえた和歌山のYさんが、30年以上も前に雑誌に書いた私のエッセイ(もう紙の色も変わってた!)を持ってきてくださったばかりか、この日の参加人数分、コピーしてお土産に、と配ってくださったこと!Yさん、ありがとう。

Photo_2 「手紙を書かないひとへの手紙」と題したそのエッセイは、その後、書きたして、「想いのコンクジュース」という本になり、でもそのことは、Yさんは知らず、という双方にとって、鳥肌たちそうにすてきなサプライズだった。
(ちなみに、muroママはこの本がどうしても自分用にほしくて、ネットの古本でみつけて、何倍もの値段がついてたけど、お買い上げくださったのだった)

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お話の途中で、見えないボールをふくらませてキャッチボール、というきもちボールをこの日もしたのだけど、私が最初に投げたのは、この日が初参加で一番緊張してそうなひとへ、だった。

和歌山のこの方は、亡きお父様のふるさと、金沢の、21世紀美術館でほめシャワを見つけて、以来、娘とメールのやりとりが始まり、この日の紅茶をお知らせしたことで、思いきってmuroさんに来てくださったのだ。

私の語ったdoとbeの意味を、とても深く感じ取ってくださってうれしかったのと、この方が幼稚園の先生で、しかも、私の投げたきもちボールを、いつも園の子どもたちに元気ボールとして、キャッチボールしあってたと、後からメールでわかって、muroさん紅茶には、その日には見えなかった、もう一つのサプライズがあったんだ!と余計うれしくなった次第。

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muroママ、いろんなご準備ありがとう。これからもまた、とブログに書いてくださってありがとうね、はい、関西への出前のおりに、足を伸ばしましょう、私もまた、cafe muroさんでみなさんとお会いしたいと願っているよ。

この日はちょうど秋のお便り展の最中で、mai worksのあたらしい年賀状も並べてくださってた。娘も来たいきもちは、mountain moutainだったのだけど、ブックレット原稿の仕事がmountainのようで、どうしても終わらず、涙の不参加。次回はきっと。

muroさんブログは、こちら。いつも写真がいっぱいで、11月末のブログには、奈良でのカメリアーノさん個展の報告には、いつも以上に写真満載(息子さんがちいさなカメラマンで)で、なんだかその場に行った気分。
        

紅茶の日のこと↓

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muroさんブログ。最新版には、ちいおばさんのカレンダーのことも
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