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2010年12月 1日 (水)

あゆみさんで、「聴くということ!」

Photo 11月20日、お話の出前先は、京都京阪の墨染駅から歩いて5分の、あゆみ助産院。

あゆみさんの1階は、本がいっぱいの待合室と、診察室と、お話を聴く部屋。
2階は、これからお産をするひとたちのためのお部屋がいくつか。
3階は、フリースペース。あゆみさんをご縁につながったお母さん、お父さんたちの自主勉強会やヨガ教室、時には助産婦さんたちの学びの場にもなる、畳敷きのロフトっぽいお部屋。ここにも本がたくさん並んでいる。

サコ魔女サンバ、こと左古かず子さんとは、15,6年ほど前に出逢って以来、年に一度は、京都か石川のどちらかで会って、大切な時間をわけあっている。あゆみさんへの出前はこれで2度目。

サコ・サンバさんの今回の注文は「聴くということ!」。タイトルに「!」がついてる以上、ただ聞く、とか、聞き流す、にとどまらない、聴く、について語ることになるのだろうな、って予感しながら出かけていった。

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Photo_2 紅茶の時間で、とりわけ、津幡に移ってからのはやらない紅茶で、最初はよくわけもわからず、ただ、聞くことをしていた私。やがて、聴く、という、いっけん控えめな行為の持つ深い意味や、ちからについて、ちょっとずつ気づかされていった。聴くことは、時に、私のまったく知らない人生を、目の前で語るひとから、ほんの少しおすそわけしてもらうことでもあった。

私にとって、聴くことの最大の贈りものの一つは、兄に対するきもちが、私の中でじょじょに変化していったことだったと思う。若くして突然逝ってしまった兄のきもちに思いを馳せるなんてこと、それまで長いこと、私はしてこなかった。兄を理解しようと思いはじめた原点が、私の場合は、たくさんのひとの話を聴くこと、人生を分けてもらうこと、だったのだ。

兄のきもちに近づいていったら、もうこれ以上、兄を責め続けるのはやめよう、って思えるようになってきたこと。そうしたら、兄の妻である姉に、そのことを伝えなきゃ、って思えてきて、兄が亡くなってから40年目の春、ついにはじめて、姉と、お兄ちゃんの話ができたのだった。

兄をもう責めない、ということは、自分で自分を責めながらそれまで生きてきた姉に、もう十分だよ、どうか自分を赦してあげて、と伝えることでもあった。姉の性格からして、自分を赦す、ってどれほど難しいことか、知っていたけど、でも、言わずにおれなかったんだ。

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こういう贈りものをもらえた、ということが、私にとっての、聴くことの「!」だ。みなさんのお顔見てたら、たぶん、私の伝えたいことが届いてるな、って感じられた。

こんな話のあとだから、余計に、ほめ言葉のシャワーの話も届けやすかった。できるできないといった、評価のほめるでない、そのひとの存在を認めること、せいいっぱい生きてる自分を赦すこと。それをまっすぐに伝える言葉が、私の届けたいほめ言葉なんです、と。

ほめ言葉のリレーには、ほんとにたくさんの、何気ない言葉、純粋に、自分のこころがよろこぶ言葉が、次々にでてきた。
「祈っているよ」「ええ家族やなあ~」「ぼちぼちでええんちゃう?」
「不思議だなあ、私がしんどい時、いつもそばにいてくれるね」
「ママの怒り方、やさしくなった」(って、子どもから言われたらうれしいな)「お風呂はいり~、さめるで~」(って、夕べ、息子から言われてうれしかった)

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Photo_3 この日のあゆみさんには、京都紅茶のかつこさん、富山で結とも仲間だった貴美ちゃん、おうちカフェふうさん、助産婦学校時代のサコさんの教え子さん、今年1月、NHKクローズアップ現代に出てくださった、京都の若いお母さんのさわこさん、そして、♪贈りものの言葉、の歌の、もう一人のお母さんである順子さん、と、うれしい再会、初出逢いがいっぱい。

あゆみさんらしく、赤ちゃんの泣き声も響くお部屋で、みなさん、私の話を本当に耳を澄まして聴いてくださってた。まさに、聴くということの「!」にふさわしく。ありがとうございました。

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お産の一年に関わるだけでなく、その後の子育て、生まれた子の思春期、またはお母さん自身の更年期、そして老いてからも、おんなのひとの、からだとこころに寄り添ってきたあゆみ助産院。来年で25周年を迎えるそうだ。お祝いの日には、京都にくるね、と、もう来春の約束。

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