« 「ブックレット、とは何でしょう」 | トップページ | さくらの椅子 »

2011年3月 7日 (月)

きもちを言葉にするということ

110311__2この3年間で、尾道へは4度、うかがっている。とりわけ、去年の6月に瀬戸内海の伯方島に行ってからは、いくつかの島と島、人と人の、糸のつながりがどんどん伸びていって、そんな時間を持てるようになってきた。

2月にも、ちいさなコミュニケーション・ワークショップの出前で尾道へ。

毎日何気なくしている、聞くことや話すことや伝えること。それが知らず知らず、誰かを傷つけていたり、悲しませていたりすることって、けっこうある。近しい関係や家族のあいだならいっそう、それがもう当たり前になっていて、そのことになかなか気づけないんだと思う。

             ****

どんなワークショップに行っても、参加してくださった方がそこで何かちょこっと気づくことがあったなら、私はとてもうれしい。

・聞いてるつもりが、全然聴いていなかった。ああしたら、こうしたら、ばかり言ってた。

・あの子は、もっと、わかってほしかったんだと思う。もっと、わかるためには、これまでと違う何かをする必要があったんですね。

・doだけに目がいってた。あの子のbeを認めてなかった。あの子の存在より、世間体や見栄を優先してた。今のあの子をみっともない、とか、隠したい、と思ってる自分がいた。

・「聴く」練習で聴いてもらってた時は、懐かしい想い出がふわあ〜っとよみがえってきてすごく楽しかったのに、「聴かない」練習のときは全然ちがってた。たちまりいやになっちゃって、もうそれ以上話す気もしなくなった。

・前はあんなふうにしてたじゃない、って自分としては励ますつもりで言ってたけど、それは今のあの子を否定してることだったんだ。

・せっかく話す気持ちになってくれてたのに、つい、答えを出してる私がいた。聴いてもらいたかっただけだったろうに。いつも、答えを押し付けてる私がいるのかもしれない。

 −− などなど、カッコわるくても、こんなふうにきもちを言葉にすることで、そのひとの気づきは深くなる。言葉に出さないうちは、その人自身にも、きもちってなかなか見えないものみたいだ。

                     ****

みっともない、という言葉で、急にあッ、と思い出した一場面がある。
もう何年も前のある日の紅茶でのこと。めずらしくお母さんと一緒に来た娘さんが、言ったひとこと。

「お母さん、私のこと、みっともないと思ってるでしょ」

うわぁ、すごい爆弾発言だ。
その娘さん、当時はまだ、大勢の人の前や社会に出ることがこわかったころ。お母さんはそういう娘さんのことを人に知られたくないおきもちが強かったと思う。

親がそう感じてるってこと、子どもは見抜く。感じる。伝えてないつもりだけど、しっかり伝わってしまう。
このひとことは、ほんとに大きな示唆を含んでいるように思う。

ふりかえれば私にも、娘にも、カッコわるいとき、みっともないとき、これまで生きてきた中であったよ、ありました。でも、そういう過去を、恥じてはいないな。そういうもろもろあっての、今、ここ、に生きていること、生かされてること、に感謝したいな、と思う私がいる。

|

« 「ブックレット、とは何でしょう」 | トップページ | さくらの椅子 »