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2011年4月15日 (金)

「ひとつになろう日本」じゃなくって

mai works のmai です。
震災の日から、1か月以上が過ぎました。
1か月前の私は、日本が一変したと思っていました。

さすがに政府は、利権云々言ってる場合じゃないだろうし、
さすがに原発推進は断念するだろうし、
さすがにマスコミは、正しい情報を流すだろうし、
さすがに国民は、「ふざけんな!」って声をあげるだろう。

だけど甘かったなぁ、私。
変わったどころか、
これまでずっと見ないふりしてきた、ゆがんだ仕組み、みたいなものが
はっきりと見えるようになっただけだ。

4月10日の統一地方選挙。
低い投票率に、のきなみ現職再選。
なんだか、日本がばらばらに、ちぐはぐに、なっているような気がした。

3月23日にはすでに出てきていた「レベル7」という言葉は、
まるで待っていたかのようなタイミングで、選挙直後に発表されたのたけど、
これが選挙前の発表だったら、少しは結果が変わってたんだろうか。

原発のまわりで、ずっと推進派と反対派の二項対立が存在していたのは、
そのはしっこどうしを結ぶ空間にいるはずの私たちが、
我関せず、として、すっぽりと議論のテーブルから抜け落ちていたからなんだなぁ。
そのことを、まざまざと見せつけられた気分。

戦後の焼け野原から見事に先進国へと成長した日本だけど、
本質的な部分は、何も変わってないのかもしれない。
そうか、だってまだ66年「しか」、経っていないんだったね。

私が原発のことから目を離せずにいるのは、
そこから日本をのぞいたときに、
今のこの国の在り方っていうのが、よくよく見えてくるからだ。

原発がなければそれでいいかっていうと、違うよなぁ。
「原発」はひとつの切り口でしかなくって。
例えば、かつてそれが、「水俣病」という言葉で語られた時代もあった。

国益ってなんだろう。
国にとっての財産は、そこに住む人間であり、そこに存在する自然じゃないの?

だけどこの国は、豊かさだとか、経済競争だとか、国益だとか、
目の前にぶら下げられたにんじんを追いかけて追いかけて、
ここまで来てしまったみたいだ。
それで今、この国に残ってるものは一体なんだろう。

それでよかったの?
これからも、それでいいの?
いま私につきつけられてるのはきっと、そういうことだね。

選挙当日からここのところ、ぼんやりとうなだれていた私だけど、
その中で、かすかなあかりもまた、見つけてる。

事前にお知らせしていた高円寺のデモには、なんと15,000人が集まった。
老若男女、だったけど、特に若い人がいっぱい。
そして何よりすごい!と興奮したのは、
そこに集まったのが、組織や団体と名のつく人たちでなく、
名のない市民、だったからだ。
一人ひとりの気持ちを持ち寄った結果が、15000、っていう数字になった。

原発はいらないよー2011年4月10日の一日 高円寺反原発デモ写真1000枚(動画)

注*動画なので音が出ます

そして、ひっそりと変わりつつものもある。
3月31日、これまで原子力を推進してきた16名の人たちが、
――元原子力安全委員長、元日本原子力学会会長、東大名誉教授、など――

「原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、
 今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします」

という言葉からはじまる、緊急建言を発表した。
また、国の原子力安全耐震設計特別委員長の入倉孝次郎(京都大名誉教授)は、

「何があっても多重防護で大丈夫って言ってきたのが、うそだった。人災だと思う」

とも語っている
これまで推進する側の人が、このように言わずにおれない、
そういう事態が、今、起こっているということ。

だけど、デモも推進側の謝罪も、
どちらも、大々的に大手マスコミに取り上げられなかったのは、
いったいどういうことなんだろう。
デモを取り上げたテレビ局は、日テレだけ。
NHKでは、同日開催の2000人デモを取り上げつつ、高円寺はスルー。

元原子力安全委員長は、4月23日号の週刊現代のインタビューでこう語っていた。

「我々が出した建言書を政府もメディアもほとんど黙殺しました。
 なぜ、これまで原発は安全だと言ってきた我々を責めないのか。
 自分たちは 原発は安全で、あったほうがいいと信じてやってきた。
 しかし誤りもあれば責任もある」

 住田健二 元原子力安全委

「必要だよ」「いや、いらないよ」
このどちらの意見も、同じように聞けることが当たり前なはずなのに。
そんな当たり前の国になってほしい、だけなのに、なぁ。

私がのぞんでいるはきっと、「ひとつになろう日本」じゃないや。
一人ひとりが好き勝手に、でも真剣に声をあげている、
そして、その名もなき声によって、かたちづくられる日本、なんだろう。
ばらばらでもいい、ちぐはぐでもいい。
ただ沈黙であることが、おそろしい。

「どうせ変わらないよ」が幻想なのと同じように、
「ほっといたら誰かがなんとかしてくれる」もまた幻想なんだって、
気づきたい。
気づいてほしい。
きっとそこが、私たちのスタートライン。

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