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2011年4月27日 (水)

いのみら通信の由来@クッキングハウス

20日水曜日の紅茶が終わると同時に家をでて、小松空港へ。8時の飛行機で東京に飛ぶ。
12月以来ぶりに見る西東京の家。想像していたほどの地震被害はなくて、両親や兄、姉の遺影も倒れてなくて、ほっとする。

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21日、早めに調布のクッキングハウスへ。
110421_ 路子さんのちきゅうキルトと、ちきゅうのポスターと、「ミツバチの羽音と地球の回転」のポスターを、会場のクッキングスターの壁にかざったところ。
(と、書いて今気づいたけど、キーワードはどれも「地球」でした!)

クッキングハウスでの、4月のお話出前はこれで7度目。

23年前から出してる「いのみら」の本名は、「いのちの未来に原発はいらない通信」。そのお話をすることは同時に、私の、そして一緒に原発のことを学び、動いて来た紅茶仲間たちとの、23年間をたどることでもあり。

私の○(まる)い頭で理解した、原爆と原発の関係、原発の仕組み。
多くの人が、原発はこわいけれど、ないとやっていけない、と何重にも思い込まされて来た、その根深い仕組み。
テレビや新聞からは、本当に知りたいいのちの側にたった情報が、得られない仕組みや、日本で自然エネルギーがなかなかふえない仕組みについても。

こういった仕組みを知ることで、「こわい、でも(原発)ないと」の呪縛から、ほんのすこしでも自由になって、これまでと違う角度から原発のこと、考えてもらえますように、と祈りにも近いきもちで語る。

「でも、(原発)、ないとやっていけない」、略して「でもないと」という思い込み。その思い込みを変えていく作業、「でもないとチェンジ」に必要なのは、「感」と「理」だと私は思ってる。

感、は、不安や恐れ、怒りなどの感情、そして感性。
原発のどの場面にも、ヒバクシャがいること。差別のシステムの上に原発があること。
プルトニウムの半減期24.000年。50年近く原発を動かして来てて、放射能のウンコの最終処分地さえ未だ決まってないこの国。
それらの事実を知って、どのくらい想像力がはたらくかどうか。

理、は、理性や道理や理論。
仕組みを知ることだけでなく、多少は、原発を巡る数字やデータ、世界での脱原発・自然エネルギーについて知ることも、また必要。でないとちょっとつっこまれただけで、「でもないと」にすぐ逆戻りしてしまうので。
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(そのためのテキストブックが要るなら、田中優さんの「原発に頼らない社会へ(ランダムハウスジャパン)」が出たばかり。内容は、「ヤマダ電機で電機自動車を買おう」に、3・11以降のことを新たに書き加えたもので、その上、「ヤマダーー」より安い1050円)

感と理、それを持った上で、次に大事な、伝え方。
どれだけ、「私メッセージ」で伝えられるか。
20数年前のように、いいか、悪いかで、敵対しても始まらない。
正しさを一方的に押し付けるだけだったら、私もまた以前と変わらない。

今、いのちの未来の大事な分岐点に立ってる、私も、あなたも。
東電の原発のあの現場に対して、自分じゃ何一つできなくても、未来に関わる一人になることは、誰にでもできる。自分がその一人になるんだって、自覚すれば。
それを考えてもらうため、気づいてもらうための、今回の出前。

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正直言って、12年前に中垣さんといっしょに「東海村であの日、何が起こったのか」という冊子(藤田ゆうこうさんの講演録)を出して以来、原発について語ることはほんとにひさしぶりだった。

今回の出前をきっかけに私なりの25年間の表をつくってみたら、ちょうどその12、3年前に、私はクッキングハウスの松浦さんと出逢い、以来、SSTとよばれるクッキングハウスでのコミュニケーションの学びにどんどん魅かれていき、調布に通うようになったのだった。

10年あまりの時を経て、今また原発を語らなきゃならない今の状況はすごく悲しい、そしてくやしい。
でもこの日クッキングハウスで、満員のお客様やメンバーさんやスタッフさんの前で語りながら、この10年間のSSTの学びや、コミュニケーションの練習の場である「ともの時間」での気づきを、語りの中で生かしてる私がいることにも気づいたんだ。

原発を語る時、相手を非難したり責めたりする「あなたメッセージ」だったら、本当に伝えたいことは伝わらない、心に届かない。だから、「私メッセージ」を、心して、心して。
そう思った時、そうか、巡り巡って、これまで学んで来たことにちゃんと深い意味があったんだ、と納得できた。

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話の中で、66年前、長崎浦上の病院で、原爆の患者さんたちの治療に当たった秋月辰一郎医師の食事療法のことにも少しふれた。
天然の塩と味噌と玄米、かぼちゃやわかめのお味噌汁、甘いものはさけること、とくに白砂糖はよくないこと。

この組あわせ、レストラン・クッキングハウスの毎日のメニューとおんなじだね。
このつらい経験から、あらためて、日本の伝統的醸造発酵食品を使った食事のよさが見直されていくといいなあ、と思う。

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ちきゅうキルトの物語を語ったあと、ひと前では初、一昨年の秋に私が生まれてはじめて作った歌、♪for the first time in my life ー 生きてきてはじめて、を歌わせてもらいました。

3・11の後は、当たり前の暮らしも、当たり前にその人がいてくれること=beも、ほんとは奇跡に近いことだといっそう感じるようになった。
もともとこの歌は、娘が生まれてきてくれた時のきもち、兄をなくした時の言葉にならないきもち、というプライベートなものから出発して、だけどほんとは毎日毎日が、生きてきてはじめての今日という日なんじゃないか、って自分に向かって言いたくて作った歌。

今、当たり前が実は奇跡みたいなことで、あなたにこうして逢えたことも決して当たり前じゃないと思えば、私の個人的な歌を、この日のクッキングハウスで歌おう、って東京に行く前から決めてた。

♪for the first time in my life 今日の日ははじめて

 風も空も ちがってみえる あなたと一緒で

 for the first time in my life 今日の日ははじめて

 花も草も ちがってみえる あなたと一緒で

という3番のリフレインを、クッキングハウスのこの日のみんなと一緒に歌えたこと、とてもしあわせでした。

信州から織座農園さん(3月16日の紅茶に来てくれた)、京都からおうちカフェふうさん、生後3ヶ月の龍平くんを抱いてやってきたなつみさん、古いいのみら通信のバックナンバーをファイルごと持って参加してくれたきやさん、川崎からのお母さんは、私に原発のお話の出前注文を予約。

一人一人とつながってこその、出前の意味。ちいさな集まりだからこそ、手渡しやすい希望の種。10年ぶりにこのテーマで語ったけど、きっと何かしら通じた、手渡せた、と信じます。

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