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2011年4月 2日 (土)

かけ橋+「でもないと」変換計画

110327__2 このところ、20年ぶりとか、10数年ぶりの人から、よくメールをいただく。以前、金沢の大学生だった時に金沢の紅茶にきていて、今はハワイ在住の人が、今回のことで私を思い出して、ブログを読んでくれた、とも聞いた。

福島のことで私を思い出した、というのが、うれしいような、哀しいような。

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去年の西東京紅茶に大きいお腹で参加して、この冬、赤ちゃんを産んだばかりのNちゃんが、いつもは見ないだろう紅茶のブログに、たちよってくれた。
そこでたまたま、ほんの二日前に書き込まれたmai worksの「長い模索」を読んだようで、その感想を彼女は自分のブログでこんなふうに。

「そうだよなあ。
原発に賛成なのか 反対なのか そのどちらなのかすら わたしにはわかっていない。
こうなった今、ときどき頭がおかしくなってしまうんではないかと思うくらい
不安 恐怖 いらだち さみしさ 感じているのに
それなのに大本の「原発」「電気」についての意見がない。
反対運動 めんどくさそう って思っている。
きっと大半の人がそう。
ああ いいや。
だったら そんな「無関心の罪悪感」を表現してみよう。
それがきっと 反対と賛成の対局の間
恐ろしいくらいある距離の かけ橋のデザインになっていくはず」

と。

そうだね、かけ橋。ほんとにそう思う。

その距離が恐ろしいくらいあるんだ、ということもこの若い人はわかっている。だけどまずは、こうして言葉にしていくこと、声にだしてくこと。大きな声じゃなくていいから。それがとっかかりのはじめの一歩。

今までこういうことにあまり関心のなかったひと、つまり他人ごとだった人が、自分ごととして、発信してくことが、これから先、すっごく大事な試みになってくはずだ。
そして若者同士、発信しあいながらこんなふうに呼応してってほしいなあ、と心から願う。

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テレビの街頭インタビューで、若いお母さんがこたえてた。

「、、こわいです。でも、ないとーー」

「でも」と「ないと」の間には、(原発)の二文字がある。

だけどほんとのところ、「でも、ないと」の根拠はなんだろう。原発や電気の本当のことを知ったときに、この文脈が別の言葉で変換されるだろうか。
「でもないと」変換計画、私もすこしずつでもはじめていこう、その根拠を確かめながら。



 

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