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2011年8月16日 (火)

つながる3人展 最終日の3日目

3人展の準備の日のこと、そして1日目と2日目のことは、東京銀座からこの「紅茶なきもち」のブログに書き送っていたのだけど、今は津幡の家で、ふりそそぐ蝉時雨の中で、これを書いている。

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3日目の最後のおはなし会にも、その時間めがけて、また多くのお客様、それも初めてお会いする方たちがたくさん、お越し下さった。

川越紅茶からと京都紅茶からのお花が、ギャラリーの入り口でみなさまをお迎えし。

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テーマは初日の夕方と同じ「ほめ言葉のシャワー」。
だけど、最終回でもあるし、またこの3人展のもう一つの名前が「紅茶の時間 in 月光荘」ということもあるので、この日のおはなしは、ほめシャワのとくべつバージョンにしよう、って、朝から思ってた。

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28年目になる「紅茶の時間」のこと。
ひとは誰だって、自分のきもちにぴったりの言葉をさがそうとしてる。
自分の話をただ、ただ、受けとめてくれるひとがいて、まっすぐに聴いてくれるひとがいたら、自分で話しながら、自分のきもちというものに、多分みんなもっと気づいていける。それで少し楽になるひとも、きっといる。
そのことを書いたのが、紅茶の3冊目の本、『きもちは、言葉をさがしている』。

チェルノブイリの事故のあと、原発の話をいっぱいしてた23,4年前の紅茶に、路子さんが来てくれた。
路子さんの発案で、100人のメッセージを縫い込んだ「かざぐるまフレンドシップキルト」が紅茶でぬいはじめられたのは今から23年前。
一枚のちいさなピースが、ほかの3人のピースとつながった時はじめて、その中心にかざぐるまがひとつ、まわりだす。
そうやってつながって、縦横2メートルのおおきなフレンドシップキルトができあがった時、そこには81個のかざぐるまがまわっていた。
そのキルトを表紙にして、子育てや原発のことを書いたのが、紅茶の1冊目の本、『まわれ、かざぐるま。』

そして、路子さんが1989年にたった一人で縫いあげたキルト、「ちきゅう」。

110813_ 言葉も文字もつかわずに、なんて雄弁に路子さんは地球への想いを語ってることだろう。

地球という星は、おおきな宇宙の巡りの中の、星の一つ。この星の、ひとも動物も虫も草花も、本当はつながって、支えられて、助けあって、生きている。
だけど現実に原発の事故が起きて、いのちの輪がちぎれてしまったとこもある。それが私たちの生きてるこの星の今だと、「ちきゅう」キルトは、私たちにはっきりと実感させてくれている。

キルトでなら言える、と、あのころ、路子さんよく言ってたっけ。「かざぐるま」のキルトを通しての、原発への意思表示もだし、この「ちきゅう」を通して、自分自身の想いも。
それから、こうも言ってた。
「わたし、キルトで自分のアイデンティティ見つけたような気がする。
自分に、すこしだけ自信持ってもいいのかなあ、って思うことができたような気がする」って。

路子さんの、「キルトでなら、言える」のお話を、紅茶の2冊目の本、『出逢いのタペストリイ』の中に書いたけど、今読み返してみると、まさに、「ほめ言葉のシャワー」で私が伝えたいことそのものが、そこのページに書いてあった。

そのひとの持っているいいとこ、すばらしいとこって、自分からじゃなかなか見えない。いろんなひととつながって、他者から光をあててもらって、等身大に認めてもらって、少しずつ気づいていける ―― 15年前の本に書いたけど、今もそう思う。

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『きもち――』の本は7年前。娘とつくった冊子、『ほめ言葉のシャワー』は3年前。
でもそのずっとずっと前から、私の伝えたいことの芯は変わってないんだな、って、この日、話しながらあらためて思った。

そして、『ほめシャワ』がたくさんの方に読まれ、いろんな感想や反応をいただいたことで、あのちいさな冊子では伝えきれなかったことを、きちんと伝える必然にせまられた。

do と be についても、ほめるっていったい何なんだろう、ってことについても、ちゃんと見つめなきゃ、って思いはじめて、そうやって親子でつくったのが、この8月に生まれたばかりのブックレット、『贈りものの言葉』。

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3人展=紅茶の時間 + かざぐるま舎 + もう一人は、mai worksをしてる娘。

なので、おはなしタイムには、娘の出番も。娘が語ったことは、きっと彼女自身がまたここに書くだろうから、私はその感想だけ少し。

キルトで路子さんが自分を表現し、キルトでひととつながり、さらにひとや想いをつなげていったように、娘も、mai worksの、ひとつひとつはちいさな作品が、自分をひとに出逢わせてくれ、ひとと自分をつなげてくれた、というようなことを言っていた。

それから、『ほめシャワ』の冊子づくりの過程で、あ!親子だけど、母と自分って、こんなにも違ってるんじゃん!って実感したあたりの話が、すっごくおもしろかったなあ。

この日、娘が自分の言葉で語ったことで、それぞれが三人三様、自分の世界を持ち寄ってのこの3人展だったんだ、ってことが具体的にみえて、それがとてもよかったな、って思った。
まるで、とくべつ紅茶のランチがいつも、参加するひとたちの持ちより一品で成り立ってるみたいに。

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そして最後に私がまた語らせてもらったのは、この「つながる3人展」が、実はもうひとり参加してくれていての、「つながる4人展」ではないのか、ってことだった。

月光荘画材店をつくった月光荘おぢちゃんとのおつきあいは、今をさかのぼること、もう40数年になる。

そのころは銀座の泰明小学校前のリッカービルの中にあった月光荘。
15歳からの私がいつ行っても、そこにかならず白髪頭のおぢちゃんがいて、「おお、スウか、また来たか」って言って、画材は一つも買わずに、便せんやはがきしか買わない私のこと、しぜんに迎え入れてくれた。いつも勝手に、長居させてくれた。

中2から中3にかけての半年間で、母と兄を亡くした私にとって、68歳の父と31歳の義姉と3人で暮らす、って、なんだか息苦しくて、しめっぽくて、きもちを話すひともいなくて、月光荘おぢちゃんとこに行くと、なんだかすごくほっとしてた。

おぢちゃんと父は偶然にも同い年くらい。父には全然話さないことを、おぢちゃんにはいっぱいいっぱい、自由に、気楽に、話したなあ。

おぢちゃんは、こんな小娘の私をいっちょまえに扱ってくれて、まるごとの私のbeを認めてくれてた――ってことは、ずっと後から気づいたことだけども、そしてその意味の大きさにきづいたのも、もっとずっと後からだったけども。

月光荘おぢちゃんにいっぱいかわいがってもらったこと、月光荘がまぎれもなく、思春期の私の、居場所だったってこと。110813__2

おぢちゃんから、働くことや生きることの意味、みたいなことも、ここに通ううちに、知らず知らず教わってたと思う。今はもう茶色く変色した私の昔々の本のなかにも、おぢちゃんは何度も登場してる。

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そんなご縁のおかげもあって、今の月光荘さんのお店に、私たち親子の『ほめシャワ』も置かせていただいてる。

おぢちゃんが亡くなった後、月光荘を引き継いだ娘さんと、画材店ではじめてお会いしたときは、だから二人とも、胸がもういっぱいになってしまった。
今回の3人展も、見にいらしてくださり、たくさんのこと、感じてくださった。「巡り合わせの妙、心からうれしい、貴重なこといっぱい」と。

―― と、いうわけで、ずいぶん前に天のひとになった月光荘おぢちゃんだけど、やっぱり今も、たしかにつながっている。

娘はおぢちゃんとは一度も逢ったことないけど、昔から月光荘さんは憧れの画材やさんで、ホルンのマークのスケッチブックも、鉛筆も、バッグも、リュックサックもだいすきで。
なので、今回、月光荘さんから声かけていただいての3人展のこと、私同様、めちゃくちゃうれしくて。

そう、「つながる3人展」は、実は、月光荘おぢちゃんもはいっての、「4人展」だったのでした。

ほんとうに、こんなすばらしい貴重な機会をプレゼントしてくださって、おぢちゃん、ありがとうありがとう。

 

              






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