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2013年6月11日 (火)

憲法とわたしたち

098 6月9日の、アーサー・ビナードさん講演会の日の夜は、津幡で、「憲法とわたしたち」と題しての学習講座。
お話くださったのは、前金沢大学教授で、今も金大で教えてらっしゃる井上英夫さん。

96条を変えて憲法を変えやすくしよう、いまこそ自主憲法を!とアベさんが大きな声でいい、選挙も近いしで、関心が高かったのだろう。市民グループ風の主催にしてはめずらしく、町外内から60人近くもの方が聞きにきてくれた。

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井上さんのお話のほとんどは、憲法に書かれている「人権」のこと。

人権って、日常生活の中で、それがないと生きていけない、生きる基本になるもの。
だけどふだん意識することはあまりない。
空気と似てる。なくなってはじめてわかるもの。
侵害されたり、奪われたりした時に気づくもの。

国民一人ひとりに人間としての基本的な権利を保障する、と書いている97条。
それは、自由を求める人々が(日本人だけじゃなくてね)、長い長いたたかいの末に(age-old struggle of man)、ようやっと手にした成果(fruits)なんだ。

それは、えらい人が国民に与えるようなものではない、決して。

97条の中には、人々の運動やたたかいの歴史観まで、実はこめられてる。
フランス革命も、一向一揆も、120年前の秩父事件も、どれも人権をかちとるためのたたかいだった。

その成果は、過去からのたくさんの厳しい試練を乗り越えて今につづいてきたもの、そしてこれからもずっと侵すことのできないものとして、今と未来の人たちへと、信頼のもとに、託されているもの。

12条に書かれてるように、私たちは憲法によって自由と権利を保障されてるけど、私たちには、それを、毎日の努力によってささえていかなきゃならない、という義務があるんだ。

国民主権の民主主義と、基本的人権を保障する人間の尊重と、第二次大戦をふまえて二度と戦争をおこさないと決めた、積極的な平和主義。

この三つは、この国のかたち。
この三本柱を変えれば、国のかたちは変わってしまう。                    

だからこそ、最高法規という特別な法律である憲法を変える時には、ふつうの法律をかえるのと同じ手続きではおかしい。

おしつけ憲法だといわれるが、肝心なのはその内容。
今の憲法の文章をねじまげずに、素直に読んでみてもらいたい、と井上さんは最後に念押しのように言われてた。

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この日、資料として参加した人たちに配られた、自民党が去年だした憲法草案と今の憲法を読みくらべると、憲法の三本柱がおおきく書き変えられてるのがくっきりわかる。

戦争放棄は安全保障に、自衛隊は国防軍に、公共の「福祉」が公共の「秩序」に、書き換えられてる。
国のちからは増して、私たちの人権はせばめられる。

国のかたちが、まさに問われてるんだ。

一水会の鈴木邦夫さんが書いていたっけ。
「自由のない自主憲法より、自由のある押しつけ憲法のほうがいい」って。

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アベさんが度々いう「とりかえす/とりもどす」という言葉、私にはどうしても、「前にもどる/もどす」って聞こえちゃう。
ビナードさんが何度も講演の中で言ってた、「本物の言葉をとりかえす」とは、行って帰ってまた行ってくるほども、本質的にその意味が違うと思う。

憲法が危機におちいった時は、人権保障のためのstruggleをすることが平和につながる、と井上さんは言ってらした。                  

人権って、たしかに空気みたいなものかもしれない、だけどそれに無自覚でいちゃいけないんだね。

人権は、一人ひとりの私たち自身の問題。ひと任せにしないで、人権というレンズをとおして憲法とむきあわなくっちゃ。Photo


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