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2013年10月30日 (水)

深谷の教会で

Photo_2 10月末の東京。台風を案じていたけど、無事に東京着。

金曜日にクッキングハウスのサイコドラマ、土曜日にメンタルヘルス市民大学、と二日間たっぷり学ぶ人になって、日曜日は埼玉県深谷の教会へ、出前紅茶。

熊谷の一つ手前の駅には、80代になる牧師さんのいとこが、心からの笑顔で迎えに来てくれていた。
ああ、そうそう、この笑顔だ。私の幼い時、“もっとつ(もうひとつ)のお兄ちゃん”と呼んでいたころから、その笑顔の印象が変わらない、ひろしさん。

前の日に電車時刻確認の電話をかけた時、ひろしさんが、教会で今回のおはなし会が実現することを、「夢のまた夢」と言ってくださったけど、そのきもちはおおげさでなく、私にとっても同じ、夢のまた夢。
水野につながる、私たちは最後のいとこ同士なのだもの。

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深谷福音自由教会は、かわいらしい教会でした。

いのみら通信で出前紅茶のおしらせをした際、なんとものすごいミスをしてたこと、出前紅茶の前日に気づき、冷や汗っ!教会の名前から「自由」を抜かしてしまってた私。
「自由」がないって、そりゃもう、たいへんなことでしょう?ひろしさんにお詫びしてそのことを伝えると、「大丈夫、こちらで書き入れておきますからね」。
というわけで、当日、信者さんたちにお渡しするいのみらには、無事、「自由」が復活。

その日の午前、礼拝の牧師さんのお説教の中で、ひろしさんはALSで亡くなられた息子さんの話をされた。
信仰の時期は短かったけれど、とても純粋に、深く、神様を信じることができた息子さん。

聴きながら同時に、母もそうだったなあ、父もそうだったなあ。
生きていても、絶望の中ですでに死んでいるような人と、重い病いの中にあっても、生かされている人と。
そして姉も、亡くなる前の日には感謝の言葉ばかり口にしていたなあ、、、と、私もまた、自分の家族の信仰を、いっぱい思い出していた。

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午後の紅茶のおはなし会には、午前中の信者さんたちにくわえて、ご近所の方や、若いお母さんや、そしてはるばる平塚から来てくれたいのみら読者さんも参加。

私の話は、いとこのひろしさんとのつながりからはじまって、水野のひろしお兄ちゃんのこと。
その兄が亡くなって40年もたってから、姉と、兄をめぐるたましいの会話をかわすことができたこと。
姉に、どうかもう自分を責めるのをやめて、自分を赦してあげてほしいとやっと伝えられたこと。

そういう会話ができたのは、紅茶の時間で、私がたくさんのひとの人生の物語を聴かせてもらい続けて来たおかげだった、それが聴くことからの贈り物だった、ということ。

紅茶の時間は、とくべつなことは何にもしてないとこだけど、その分、ひとをbeで見られる場所なのかもしれないこと。
少なくとも、何ができるできないというdoで、そのひとをはかったりはしない場所だということ。

後半は、いつものようにほめ言葉のシャワーのお話とワーク。

最後は、13条のうた「ほかの誰とも」。
ちかごろは、これを歌うたびに、これってもうひとつのほめシャワの歌だなあ、とも、紅茶の歌だなあ、とも思う。

この教会で、こんなおはなし会を企画したのははじめてだったとのこと。きっとひろしさんも信者さんたちも、ドキドキしてたことだろうな。

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110518_ ひろしさんご夫婦と、紅茶の放課後のそのまた放課後で、若い神学生さんが言ってくれたこと。

「お話が、とても聖書的でした」

へえ〜、どこでそう思ったんだろ?

「beとdoのお話のところ。
神様は、be、まさに存在そのもの。その存在と私たちが、beで向き合うことを、神様は求めておられますから」

こんな感想を聞けたのは、もちろん初のこと。

ひろしさんと、父の口ぐせだった「のち、悟らん」についても語りあえた、この日の放課後。私の胸にも、感謝がいっぱいでした。
深谷の教会によんでくれてありがとう、もっとつのお兄ちゃん。

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