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2014年1月25日 (土)

2月1日のこと、その1。ウクライナにいった中日の記者さんのお話。

110331_ 2月1日は、いそがしい一日になりそうだ。
PEACE WALK金沢から、peace関連のお知らせ、その1。
←写真は、ミチコさんのキルト「ちきゅう」(1989年作)から、原子力発電所の部分。

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☆10:00~12:00
平和サークルむぎわらぼうし2月例会

昨年大みそかに、以下の大きなカラー写真入りの記事を書いてくださった、北陸中日新聞中山洋子記者のウクライナレポートが聴けます。

中山記者は、むぎわらぼうしの東しげのさんとウクライナのニーナ先生の小学校の先生どおしの交流のお話を聴くや、単身一泊二日(!)でウクライナに行っちゃった情熱的な記者さんです。津幡町出身(って知って、とても親近感)。
中山さんは、東京新聞「こちら特報部」の担当でもあった記者さん。そんなお話も聞けます。

2月1日(土)10:00~12:00 近江町交流プラザ 研修室1
会場費300円(むぎわらぼうし年会費をお支払いの方は1000円)
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むぎわらぼうしは、1986年(奇しくもチェルノブイリの年!)に、朗読劇「この子たちの夏〜1945・ヒロシマ・ナガサキ」の実行委員会を母体としてはじまった平和サークル。
毎月一回あつまって、原爆のこと、被爆した方のお話を聴くこと、原発問題、憲法のこと、戦争のこと、ずっと学び合い、語り合い、行動してきた貴重な市民グループ。

中山さんが会いに行ったニーナ先生は、20年前に金沢にいらしてむぎわらぼうしでお迎えし、金沢からバスをしたてて、一緒に広島へもでかけている。私も娘と一緒に広島へ行った。

この日のむぎわらぼうしへのご参加、もちろんどなたでもどうぞどうぞ。

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ウクライナでも「ゲン」の翻訳 非核の願い 被ばく国結ぶ
http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2013123102100005.html

チェルノブイリ原発事故で被災したウクライナの元教師ニーナ・バシレンコさん(77)が、漫画「はだしのゲン」のウクライナ語訳を進めている。全十巻のうち二巻まで出版された。金沢市の元教師との長年の文通がきっかけで、「ゲン」と出合った。非核の願いが、二つの被ばく国をつないでいる。(中山洋子)
(以下省略)
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この記事のこと、名古屋のがま口塾のバンドエイドに知らせました。

彼女は、チェルノブイリ原発の事故後、日本からはじめてウクライナにお薬をもっていった市民グループ「チェルノブイリ救援中部」のメンバー。
お薬を運んだ彼女の本名がバンドウさんだったので、「救援」の文字の入ってる市民グループとひっかけて、以来、彼女のこと、バンドエイド、って私だけが勝手に呼ばせてもらっている。

その記事を読んだバンドエイドが、がま口塾のブログにこんなふうに。
ニーナ先生が今、ウクライナ語でゲンを訳しているように、バンドエイドは今、中国語でゲンを翻訳中なのだ!
     ↓

http://gamaguchi-jyuku.seesaa.net/article/385174530.html

大晦日に北陸中日 に、ゲンのウクライナ版のことがデッカク載ったよーーーって、金沢の水野スウさんから連絡を受けていて、デジタルで読んだのだけど、7日には東京新聞の夕 刊に載ったそうです。そして、今日は名古屋で載ったので、これは中部地方をカバーしているのかな。地方でタイムラグがあるね。なにせ、女性記者さんが東さ んの話を聞いて、ウクライナのマカレビッチ村のニーナさんに会いに行ったというのだから、すごい。

 そもそもことの始まりは「チェルノブ イリ救援中部」で始まった「マザーツーマザー」という文通の企画でした。ニーナさんの文章を読んで、私はすぐ、原発問題で繋がっていた水野スウさんが頭に 浮かんで、連絡したら、スウさんは自分ももちろんするけど、ニーナさんは学校の先生だから、反核の活動をしている小学校教師の東さんにも紹介しよう! と言ってすぐ連絡してくれたのです。不思議なことにスウさんの出す手紙はまったく当時の崩壊前夜の混乱したソ連には届かず、東さんが子供達と一緒に出した 手紙は全部届いたのでした。

 翻訳のお手伝いを始めたのが、たまたま東さんの家の近くに住む、プロジェクトゲン代表のANさん でした。もちろん、名古屋でも、たまたま私の家の近くに住むタチアナさんが、献身的にウクライナ語やロシア語の翻訳をボランティアでしてくれました。そん な中で、チエルノブイリのニーナさん訪問にボランティア通訳で参加もしたANさんが、ゲンのロシア語訳を思いつき、初めての外国語訳としてロシア語版が完 成したのでした。もう20年経っています。その後のことは雨後のタケノコのように、色々な言語に翻訳されて行きました。

 大勢 の人の発想、見守り、励ましがあってのこと。最初にスウさんがウクライナと日本の子供達をつなごうという発案をしなかったら、こんな道をたどらなかったか もしれません。そして7人の子供のお母さんであるANさんがゲンをロシア語に訳そうと、よくぞ考えたこと! と、いつも感心しています。命を守る女の力はすごいぞ。もっともっと爆発しよう。
皆さんの人の輪の中に入れてもらって、私まで、ゲンの翻訳をしようと迷路に入ってしまいました。感謝感謝。根っこのスウさんの想い、絶対に忘れない。ありがとう。

****バンドエイドのブログここまで。私はほんのちょっぴり糸をつないだだけなので、ここまで書かれて恐縮しておりまする。

 








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