« ダキシメルオモイ、無事に最終日。 | トップページ | 紅茶の時間 in キャンディケイトさん »

2014年4月24日 (木)

「憲法13条のうた」に込めた願い@クッキングハウス

Photo_2 4月18日、今年で10回目になるクッキングハウスでのおはなし会は、お客様やメンバーさんたち、あわせて40人余り、会場のクッキングスターはほぼ満員。

そもそも、13条のうたをつくろうという想いの種も、5年前、「ほめ言葉のシャワーから平和へ」というお題を松浦さんからもらって、親子で語ったクッキングハウスのこの場所から生まれたんだった。

「ほめ言葉のシャワー」の最後のコラムに娘が書いた「あなたの存在は、ほかの誰ともとりかえることができません」という言葉と、憲法13条の「すべて国民は個人として尊重される」という条文とが、ぴたりと重なっていると感じた、あの時の娘のきもち。

そのきもちを、松浦さんからのリクエストもあって、今回のおはなし会でもふたたび娘に語ってもらったのだけど、5年の歳月が経過した今だからこそ語れる、娘ならではのあらたなきもちと言葉があって、それが、私にもとても新鮮に心に響きました。

                ******

まずは、自分で自分をほめたり、認めたり、が大の苦手な娘が、6年前に突然、「ほめ言葉のシャワー」の冊子を編集することになった時のきもちから。

ワークショップに寄せられた、たっくさんの「言われてうれしい言葉」「自分に贈るほめ言葉」を前にして、しばし途方にくれてしまったという娘。

それでも、自分を最初の読者と仮定して、その「わたし」が読んだ時さびしいきもちにならないような本を、自分のこころがよろこぶ本を、単なるきれいごとでないほめ言葉の本を、つくろうと決めたこと。
その想いが、最後のコラムにある「ほかの誰ともとりかえがきかない」の言葉をうみだしたんだった。

「ほめシャワ」の冊子をつくる前後の娘は、自分のことを、社会に何の役立つこともしていないちっぽけな存在、と思いこんでいた。

多くが企業に就職した大学の同期と自分を比べて、一人暮らしの部屋でどんどんおちこんでいく時期もあった。ひきこもってた日々もあった。

みんなと同じように○○や△△がうまくできない自分は、ダメ人間だなあ、○○できるようになれば社会に認めてもらえるかもしれないのになあ。

だけどもある時からーーおそらく「ほめシャワ」の冊子づくりの途中らへんから、少しずつ、そのぐるぐるしてた想いが、反転していく。

「どんな私であろうと、それを他者から、これこれの条件付きでなら生きてていい、って許されたって、そんなのちっともうれしくない」

「要領よく人生を生きることは、自分にはどうもできなさそうだし、これからもあいかわらず不器用だろうけど、そういうわたしをわたしが生きるってことは、ひょっとしたら、ほかのひとにはできないことじゃないんだろうか」

「わたしがわたしとして生きるってことは、自分にしかできないこと、とりかえのきかないこと、なのかもしれない」

****

その一年後、クッキングハウスで平和について語ることになった娘が、何かヒントを見つけたくて、1ページ目から読み出した日本国憲法。

13条の書き出しの言葉、「すべて国民は個人として尊重される」に出逢った瞬間、娘はものすごくうれしかったという。

何の条件もつけずに、個人として、自分は大切にされる。
そのことが、憲法によって保障されているし、許されているし、自分自身が守られてもいるんだ、と感じたのだそうだ。

「ほめシャワ」づくりからはじまった、まるごとの自分を認めていく作業。たどりついた先が、憲法13条だったって、なんてすてきな一致だろう。

条文の中の、「公共の福祉に反しないかぎり」という文言に、娘はやさしい日本語訳をつけた。
自分を大切にすること、相手もその人自身を大切にすること、そしてたがいに大切にしあうこと、それが13条の精神であることを、こんなふうに。

「わたしはわたしを大切と思っていい
 あなたもあなたを大切と思っていい
 その大切さは行ったり来たり
 でないと 平和は成り立たない」

          ******

娘の語りからひきついで、この日の私の話のはじまりは、憲法と法律の違いをきっちりとみんなに知ってもらうことから。

そして、13条をはじめ、憲法を守るべきは権力の側なのに、それが守られてないどころか、憲法にふれずに憲法の本質をかえようとしてる今のアベコベさんに黙ってられなくて、エイヤ!って思いきって勇気をだして、CDまでつくってしまった話を。

後半は、13条のうたの歌詞にでてくる「あなたが大切にされ、私も大切にされ、それが行ったり来たり」を、具体的にほどいていくワークショップ。

あなたは、どんな時、どんなことで、自分が大切にされてるなあ、と感じますか、という問いかけをして、みなさんに書いてもらった言葉を読みあう「大切なリレー」。

みなさん、いっぱいいっぱい書いてくれました。
実になにげない、さりげない、思いやりや、認められてる感や、やさしさや、、、。

それらを聴きながら、大切にされてたことに気づかないでいた人が、実は自分も大切にされてたんだなあ、と気づいたり、誰かに感謝したくなったり、 もっとあの人を大切にしたいなあ、やさしくしたいなあ、と思ったり、、、と、いろんなこころ反応のおきているのが、その場でさざ波のように感じられたよ。

そして最後にはふたたび憲法の話にもどり。
憲法を大切だと思う人は、どうしたら大切にすることになるんだろ。

12条に書かれてるみたいに、国がおかしなことしないか、ちゃんとウオッチする不断の努力を普段からすることも、その一つだろうし。
9条にノーベル平和賞を、っていうムーブメントに参加するのもその一つだろうし。
憲法を語る自分の言葉を持つのも、なんらかの意思表示するのも、むろんその一つだろうし。

Photo_3

「大切」というキーワードからみえてくるものが、実はいっぱいある。

最後に、今年80歳になる、ある夫さんの言葉を、みんなに紹介。
長年連れ添ったパートナーについて、彼はこのように。

「私が大切にしたいと思うことを、ともに大切にしたいと思ってくれました」。

さて、誰の言葉でしょう。参加した人はきっと忘れないね。
ヒント。この人はこうも語っています。
「米国の占領下にあって、自由と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法をつくった」と。

*******

「13条のうた ほかの誰とも」を、この日はCDとはちがうバージョンで歌いました。
前奏で、13条の条文を。歌と歌の間の間奏で、13条のやさしい日本語訳を。

みんなでシェアリングしてる時に遅れてみえた精神科医のマッシー先生。
みんなの話を聴いていたら、ぼくもその歌を聴きたくなったな、のリクエストにお応えして、もう一度、13条のうたを。

最後のフレーズ、「♪一緒に生きていこう」を、その場のみんなで大合唱できて、うれしかったよ。

******

Photo この日、実はまだ続きがあって。
夜は、マッシー先生のサイコドラマに参加しました。

クッキングハウスメンバーのSくんの描いた絵の個展が、近くのカフェギャラリーでひらかれていて。

その絵をもとに参加者のみんなでサイコドラマにしていく、という試みがすでに一回おこなわれており、その日はアンコールで、二度目のサイコドラマをするという。

素材となる絵は同じでも、その日の参加者やSくんの想いで、またちがうドラマが誕生するのがわかっていたので、これにも松浦さんと一緒に、
平和への想い、巨大な権力にあらがうちからを内側から感じながら。

私は、Sくんの書いた迫力ある津波の絵をえらび、巨大な権力にあらがうちからを自分のうちに感じながら、あっちに持って行かれまいと必死に足を踏ん張った。

すると、まわりの人たちからいくつもいくつも力強い手が差し伸べられ、いつのまに一緒になって大きなちからに対抗してた。

ドラマの最後は、マッシー先生のリクエストもあって、三たび、「13条のうた ほかの誰とも」を、アカペラで歌った。その歌の歌詞が、ふしぎなくらい、この夜の一期一会のドラマのフナーレに、ぴたりとあっていた。

一日に三回も「ほかの誰とも」を歌った、忘れられないクッキングハウスの一日でした。

                 

|

« ダキシメルオモイ、無事に最終日。 | トップページ | 紅茶の時間 in キャンディケイトさん »