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2014年5月15日 (木)

女たち・いのちの大行進 その2

11日の上野のつづき。

140511_ ゼロノミクマくんが司会するステージにかざられたかざぐるまフレンドシップキルトには、「希望の風車」の文字が読めました。

会場のあちこちにもパターンのかざぐるまキルトがかかっていて、私はすんごく胸があつくなった。

その内の何枚かはまちがいなく、3.11後に縫われたもの。

サイズは30人分とか、35人分だったりとかで、金沢の100人分のキルトよりはちいさいけど、みな、同じ一つの型紙からできているのが、誰よりもよくわかる私なので。

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ねえ、路子さん、このキルトたち、見えてる?

あなたが1988年の秋に、「キルトでも原発にNO!って言えるよ」と思いついて考案したかざぐるまの型紙。

4人分の布のあわさるところが、ほら、四枚羽根のかざぐるまになるんだよ、って説明してくれたけど、パッチワークそれまでしたことのなかった私にはちんぷんかんぶん、だけどすごくすてきなアイディアに思えて、その型紙をその年のいのみら通信の付録にしたんだったよね。

そうやって、チェルノブイリのあとに、金沢で、能登で、加賀で、そして全国で縫われたかざぐるまフレンドシップキルトには、一万人以上の人が参加したんだった。

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3.11にあらたに縫いはじめられたかざぐるまキルトのいくつかは、この日の「女たち〜」のスタッフでもあるおゆうさんがその世話人をしてくれてた。

1999年のJCO臨界事故のあとに出会ったおゆうさんとは、いまもおつきあいが続いてる。

そのおゆうさんが、
「この二年間、月に一回あつまっていろんな話をしながら縫ったの。キルトがあって本当によかった、針をうごかしながらでも、なにげなくいろんな話ができてね、そして互いに親しくなれてね」って。

おゆうさんのこの言葉こそ、路子さんに伝えたい、って思った。

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140511__2 左の写真は、双葉町に暮らしてた人の縫った一枚なんだろう。

右側のは、津波に流された小学校の、6年生の女の子たちの名前を縫い込んだ一枚。140511__3

その隣りには、男の子たちの名前を縫った一枚がありました。

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1000人が集ったという、水上音楽堂の、ステージからのスピーチも、アイヌの踊りや古代フラやちんどんや歌のパフォーマンスも、聴く人見る人、みんなきらきらしてて美しかった。

この時間とこの場所で、たくさんの出逢いを確かめ、大きな声で歌い、自由に踊り、自分をゆるやかに拡げたり、解き放ったりしてた。

3.11後の長い日々、それぞれががんばってきたことへの確認、ねぎらい、ごほうび。そしてこれからまた、歩き出す勇気。

たくさんのおんなのひとたちが、この日のために、去年から、どんなに時間もきもちもやりくりして、準備してくださったか。
ありがとうのきもちでいっぱいです。

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ウォークのあと、もう一度会場にもどって、みんなと別れを惜しんで、能登のヒロさんと一緒に上野駅まで。

夜は、鎌仲ひとみさんが、金沢修学旅行組の4人をさそってくれて、5人で一緒に夕ご飯。

渋谷のアップリンク、という映画館の一階にあるレストランで、クスクスや、名前のおぼえられない、トルコや中近東辺りの、はじめての味を楽しみました。

鎌ちゃんは、いま、秋に公開予定の。「内部ヒバクを生き抜く」に続くドキュメンタリー、「ちいさき声のカノン〜選択する人々」の編集作業のおいこみで毎日、画面とにらめっこ中。

そのわずかなすき間をぬっての、貴重なお食事時間でした。

なんとなんと濃い一日!

 

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