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2014年7月 7日 (月)

川越紅茶14年のつどい

もう10日近くたってしまったけども。
6月27日の川越紅茶14年のつどいに、今年は私たち夫婦と、娘と、パートナーのせいちゃんと、家族4人で参加しました。

広い畳のお部屋に、なつかしい川越の仲間たちと、はじめて出逢う人たちとで、30人の輪ができた。
真ん中に置かれているのは、川越紅茶のジュンコさんのお母様が縫われたキルト。

140628_1137 なんてすてきなキルト!
「吾(われ)唯(ただ)足るを知る」の文字。
4文字のどれにも、「口」があります。

誰かがささやかにはじめたことを、あ、これってちょっといいな、と思った誰かが、そのひと流にうけとって、それを誰かと一緒に育てて、それをまた誰かが引き継いでゆく。
そんな循環を感じることのできる、14年目の川越紅茶の時間。

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たいせつをみつめる、が今年のテーマ。

「あなたの存在は、ほかの誰ともとりかえがききません」と、ほめシャワの最後のコラムに書いた、その時の娘のきもち。
それが、憲法13条とぴったり重なっていたと発見して、娘がやさしい解釈とやさしい日本語訳をつけたこと。それを私が受けとって、13条のうたをつくったこと。

川越紅茶の仲間たちにはきっともうおなじみだろう、「13条のうた・ほかの誰とも」をこの日も。

午後には、「たいせつ」をほどくワークを、ゆっくり時間をかけて。

みんなが出してくれた、こんな時、大切にされてるって感じる、のいろんな具体例や言葉を聞きながら、そうだよなあ、大切に「される」も「する」も、とくべつおおげさなことじゃないんだよなあ、って何度も思う。

何気ない言葉や態度や向き合い方の中に、愛が感じられること。
自分のこと、ちゃんと見ててくれる、気遣ってくれる人がいると思えること。

日常のささいなことから、そう感じるひともいるし、感じられない人もいる。

やがて、日常にある「たいせつ」をずいぶん見逃してたかもしれないなあ、とか、
「たいせつ」センサーの感度が鈍ってた、とか、
もらってるものをきちんと受けとってなかったな、大切の行ったり来たりが少なかった気がする、などなど。

そのあと誰かが言った「たいせつがつながりますように」の言葉は、広い意味での祈りのようで、何だかとてもこころに響いたな。

最後は、去年の川越紅茶13年の日に、聖路加病院の細谷亮太先生が紹介してくださった「わが町」というお芝居の中から、ほんの一部の、ミニミニ朗読劇を即興で。

生きている人と死んでいる人が登場するこのお芝居。
「今」がどんなにとくべつですてきな時間なのか、当たり前の日常を生きてる人は、なかなかそれに気づけない。
もうこの世にはいない彼女の目を通して、「今」がどれほど大切で、いとおしい時間か、それをみんなで感じあうひとときを、どうにかつくれたかな。

ジュンコさん、Qちゃん、いろいろ準備してくれてありがとう!川越紅茶仲間たちも、ありがとう!しあわせな時間でした。

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