« 11月のおとどけ。信州と金沢 | トップページ | 2016 火入れの日 »

2016年11月 1日 (火)

「母の物語」という冊子

川口に住む、紅茶つながりでけんぽうつながりの友人、ヒロコさんが、「母の物語 戦争の時代の聴きとりより」という小さな冊子を贈ってくださいました。

161028_ 最初のページに、「母のことを文字に残そうと思う。九十二歳で記憶もしっかり残っていて、話してくれる今。」と、あります。
戦争の時代に大人だった人たちの話を聴く機会は、年々すくなくなっていってる。
ヒロコさんが決心したのも、今でなければ、という内からの思いと、今という時代からの要請と、その両方からだったでしょうか。

大正13年生まれのお母さんの、おいたちから、女学校時代のこと、16年の開戦をラジオで知って、あんな大きな国と戦って勝つかしらと身震いしたこと、でもその後は勝ったニュースばかりだったこと。
19歳で結婚して一週間後には中国に。戦後、夫の遺骨と一歳の赤ちゃんを連れて、船での引き上げ。
夫の弟さんとの結婚を勧められたが、それを断ることは、まだ幼な子だった息子を婚家先に残して、出てくることだった。
その後、小さい頃から知っていた方と結婚をして、ヒロコさんたちが生まれる。

お母さんが大好きだった4つ上のお兄さんは、終戦後にボルネオで、自分が引き起こしたのではないトラブルの責任を自ら負ってポルトガル人に処刑されてしまう。
そのお兄さんは、二十歳の時の徴兵検査で甲種合格をもらった喜びを、家族宛の手紙にしたためている。「もう国家に捧げた身であります」と。

幼いころ別れたお母さんの最初の息子さんとお母さんとは、彼が高校卒業後に再会できたという。ヒロコさんは成人してからそのお義兄さんと会い、つながりは、今も続いている。

戦争がなかったら、ここに登場する一人一人が、まったく違う人生を歩んでいたろう、それぞれのものがたり。
戦争を止められなかったのかと問うヒロコさんに、お母さんは「いつの間にか戦争になってしまった」「雰囲気にのまれてしまった」という。
それが時代の空気というもの。ヒロコさんは、お母さんのお話をじっくり聞き取る中で、昔の空気も、今の空気もかんじとっています。

ヒロコさんはあとがきで、
「ここにあるのは母の物語だが、誰しもが自分の物語をもっている。その一つ一つが大切にされる世の中、大切にする自分でいたいと思う」と記しています。

いのちと平和のバトンを手渡すこと、手渡されること。
その物語は、聞かれなければ、ないままにされて消えていってしまう。

お母さんの言葉を、愛情もって、でも筆は淡々と、読みやすく、まとめてくださったことに感謝。
おかげで、ヒロコさんのお母さんを知らない私も、そのバトンのはしっこにふれることができました。

一番身近な人から、物語をききとるというこの試み、もっともっとひろがっていくといいな。
特別な人をマスコミがとりあげるのではない、子や孫や近しい人が聞きとって記して残していく、個のものがたりがそこに無数にひろがっているはずです。

|

« 11月のおとどけ。信州と金沢 | トップページ | 2016 火入れの日 »