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2017年1月24日 (火)

母のいのちの日。

13124_52 今日は、母の56回目のいのちの日。生まれた方のじゃなくて、もう一つのほうの。

いつもこの日はスイトピーをかざる。1月末の紅茶に来る人は、毎年この花を見て、あ、今年も、って思ってくれる。

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この頃になって急に思い出した母にまつわる、あること。

私が小さい頃、ほんとによく言われたなあ。
yes かnoか、どっちなの、はっきりしなさい、って。

これ、実いうと苦手だった。だってそう簡単に決められないし、どっちもいい時もあるしさ、どっちと答えられない時もあるしさ。

はい、か、いいえ、か。
それをいつも要求されるのは結構プレッシャーだったな。

でも、今になって思うよ。
自分はこう思うってことを、自分の言葉で言おうとしてる今の私、そのもとは、もしか、そのあたりにあったのではないかと。

明治生まれの母は、戦後民主主義、という言葉が文字通り生きてた時代に、私を産み、その中で私を育てようとしたんだと思う。

戦後に生まれた憲法が、これからは自分の思うことをいっていい、それは私たちの基本的人権です、と言ってくれている。

それが憲法に書かれてるってことは、それまでは、自分の思うことなんて言えない社会だったからだし、個人の幸せなんて追求できなかった時代だったから、だよね。

それならば、これからの時代は、女も、男に従うだけじゃない、自分でものを言う、自分の意見を持つ、そういう女子に、母は私を育てたかったのかもしれないなあ、あの母ならきっとそう思うなあ、って、妙に合点がいく。

とはいえ、人生長く生きてると、そんなに簡単に、単純に、Aか、Bか、これか、あれか、なんて決められない、矛盾だらけの混沌の壁にかぎりなくぶち当たる。それが当たりまえ。

そうだよね、現実は。それでもさ、単純に割り切るようには選べないとしてもさ、自分で考えて、自分で決める、という習慣を知らぬ間に身につけさせてくれた母に、あらためてやっぱり、とてもとっても感謝してる。

はじめはもの言えなくても、もの言えるようになっていくこと。
現実は違っても、理想にむかって進むこと。
これ、憲法のとらえ方と同じじゃん。

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そうそう、この1月24日、って言う日に、去年あたりからまたあたらしい意味が加わったよ。

1946年のこの日に、当時の幣原首相がマッカーサーに、9条の戦争放棄を提案したという証拠が見つかったので。

母のいのちの日と、9条の種の生まれた日が同じって、なんだかうれしいシンクロ。


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