« かくぎけっていって何? | トップページ | 湯河原におとどけ »

2017年3月30日 (木)

川越紅茶にお届け

稲城の翌日の24日は、川越紅茶へ。
2000年にはじまった川越の紅茶は、津幡紅茶の妹みたいな存在。そこへほとんど毎年、おはなしに行かせてもらっています。

私の今、伝えたいことをお話しに来て、というご注文。
伝えたいことがあって、受けとってくれる人たちが確実にいて、そうやってバトンタッチしていけるって、なんてうれしいこと!
他の出前先とちがって、私の家族のことや個人的な物語もよく知ってる川越紅茶仲間なので、今回用意したのは、今につながる私のファミリーヒストリー。

あらためて年表書いてみたら、ほんとにいろんなことがみえてきたよ。
日清戦争のはじまった年に生まれた父、水野東太郎さん。
その4年前に教育勅語が出され、その年に明治憲法、つまり大日本帝国憲法が施行されている。

貧しい農家の8番目の東太郎さんは、20歳の徴兵検査で丙となり、兵隊になれない、お国の役に立てない自分を、なんと恥ずかしく、情けなく、屈辱的に感じたことか。
修身や道徳の教えを、教育勅語を通して身にしみこませ、ごくあたりまえのこととして、お国のために生きるのが臣民のつとめ、って、東太郎さん思っていたんだろうなあ。
国民(当時は臣民)がこのように思うって、国にとってはとても都合のよいことにちがいない。
この時の東太郎さんに、今の憲法13条でうたう個人の尊重、あなたの存在はほかの誰ともとりかえがきかない、って考え、きっとこれっぽっちもなかったろうな。

戦争が終わり、日本国憲法が施行される年に生まれた私。
安倍さんのおじいちゃんの、岸内閣における憲法調査会で、委員の一人として、9条を変えることに反対意見をのべた、弁護士の東太郎さん。
かたや、大学時代も卒業後も、まったくののんぽりで、社会に無関心で、日常の何気ないちいさしあわせにだけ目を向けていた私。

娘が生まれて、1983年に紅茶の時間をはじめて、さまざまな違いを持つ人たちと出会っていって、やっとやっとおくればせながら(汗!)、
あ、このちいさな私も、今の社会をつくってるひとかけらだ!って実感するようになる。
そのひとかけらの私が、父の死後ずっとたってから、戦後の安保の時代に、平和のひとかけらであろうとした東太郎さんの想いをようやく想像できるようになった。

今から8年前、東太郎さんの孫にあたる娘が、13条の深い意味を発見してくれて、おととしの夏には、その娘とのコラボで、けんぽうBOOKをつくった。
長〜〜い空白をへた後に、こんなかたちで父からの平和のバトンを受けとってる気がする、今のわたしです。
そのバトンを、この日、川越紅茶のひとりひとりにも手渡せてたらしあわせ。
13条のこと、川越でもここ数年語ってるおかげで、初めての時より、2回目の時より、ずっと自分の中にしみてきてる気がするよ、といってくれた川越の仲間たち、ありがとう。
「紅茶姉妹」の歌も、きれいな花束も、ありがとう。

173

********

教育勅語の時代に生まれた父の話から、100年余りの時をこえ、再び、それが表舞台に登場した話もあわせて。
その内容をよしとし、幼稚園だけでなく小学校にもそれをひろげていこうとしていた森友学園の籠池理事長、
自分の思想に共鳴してる人だ、すばらしい教育をしている幼稚園だと妻から聞き、その教育方針をたたえ、新しい小学校づくりを応援もしていたろう安倍首相、
そしてそのまわりの人々は、今は一致団結して、森友のちゃぶ台返しをしているよ。

明治時代の教育勅語そのものずばりはさすがにまずいと、手を変え、品をかえ、その先取りはもうはじまっている。
来年からは点数がつくことになる道徳の教科書で、パン屋さんが和菓子屋さんに書き換えられたりしてるものね。
それはまさに、これから小学校にあがる子どもたちの現実です。

|

« かくぎけっていって何? | トップページ | 湯河原におとどけ »