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2017年3月11日 (土)

6年目の今日という日

6年目の3月11日。今日は朝からパソコンで、「アレクシェービッチの旅路」前後編をみていました。
アレクシェービッチさんは、小さき人々の声を聴きとり続けて「チェルノブイリの祈り」という本を書き、ノーベル文学賞を受賞したノンフィクション作家さんです。

前編
http://www.dailymotion.com/video/x5cg2j2

後編
http://www.dailymotion.com/video/x5cg603

チェルノブイリの原発事故後、たくさんの人に逢い、声を聴き、何年もかけて本を書かれた。最初に登場する消防士の奥さんの話は、あまりにも痛ましい。
事故から30年経っても、被曝量の多い子どもたちがいること。一番の原因は、自家製牛乳を毎日子どもたちが飲んでいること。安全な干し草を買うお金はなく、栄養のためには牛乳を飲むしかないこと。

「私は過去について書いていたのに、それが未来のことだったとは」
去年の11月、アレクシェービッチさんは念願だった日本を訪れ、福島県内の小さき人々の声に耳を傾けた。
小高で魚屋さんを再開した人は、「ここは先祖からの土地、私がこの土地を見捨てるわけにはいかない」と。
日本には「故郷」という言葉がまだ残っているのだ、とアレクシェービッチさん。

チェルノブイリの事故後、チェルノブイリ法ができて、年間1ミリシーベルト以上被曝するところからは、他の地域に住む権利が認められているという。
飯舘村で酪農をしていた長谷川健一さんは彼の地にいった時、30キロゾーンの立入禁止区域の厳しいチェックに驚く。
その飯舘村のほとんどが、この3月末、避難解除地域となる。まだまだ放射線量の高い山も林も、村にはいっぱいあるのだが。

長谷川さんは、大切な酪農仲間の一人を失くした。「原発さえなければ」と牛舎の壁に書き残して逝った人。
飯舘では村で最高齢の102歳のおじいさんも。避難指示が出た時、おまえたちは行け、おれはどこにも行かない、といって、指示のでた翌日にいのちを絶った。
お嫁さんは、102歳まで必死に生きてきたおじいさんの、無念さを知ってほしい。こういうことがあったとみなさんにわかってほしい、自害するのを恥だと思ってる人たちがいっぱいいるけど、という想いで、アレクシェービッチさんのインタビューをうけてくれたそうだ。
話を聞いたアレクシェービッチさん、「より多くの人が知る必要があります、そこに抵抗の力も生まれます」と。

アレクシェービッチさんの言葉から。
「チェルノブイリとフクシマ。2回しか起きていないことに対して、どのように抵抗すればいいか、人々にはその経験がない。あの人たちは社会と切り離され、のけもののようにされ、災害をまぬがれた人たちは、それが自分の身にも起こり得たのだと思っていない。
多くの人にとって、チェルノブイリもフクシマも、医学や経済の数にすぎない。しかしあの人たちにとっては「生命」そのもの。ここから文化を、新しい知を、新しい哲学を作らねばならない。

日本の学生たちの前で彼女はこう語りました。

ーー福島を旅してきて一番の感想は、チェルノブイリの時と同じです。
国家は人間のいのちに対して完全な責任は負わない、ということ。最低限の補償をして、あとは、「好きにしなさい」です。

社会における抵抗のなさにも驚きました。社会主義の国ならともかく、あなた方の国ではどうなのでしょう。あなたたちの社会には、抵抗の文化がありません。

残念ながら、人間は未来でなく、過去に向かうでしょう。過去に守ってもらいたがる。人々は未来を恐れてる。「自」と「他」という区分けは過去のものとなり、未来は、過去とは似ても似つかないものになるだろう。

では一体どうしたら、という学生の問いには、
ーー孤独でも「人間」であることをたんねんに続けるしかないのでしょう。それ以外に、あなたをこの世界で守ってくれるものはありません。

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