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2017年12月31日 (日)

平和の俳句

2014年の終戦記念日の、金子兜太さんといとうせいこうさんの対談がきっかけになってはじまった平和の俳句、投句総数13万超え。

今日12月31日がその最終日。
連載は終わっても、平和の俳句も平和の表現も、おわらない。

兜太さんから、贈り物の俳句。
「東西南北若々しき平和あれよかし」
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ありがと、2017年

111230_ 2017年もあと残り5時間。

今年は50回ほど、各地の出前によんでいただきました。けんぽうのお届けのこともあれば、ちがうテーマのこともあるけど、いつもいつも思うのは、身一つで行くほうが、よぶよりずっとずっと簡単ってこと。なので、よんでくださった方たち、ほんとにありがとうとう!

来る年、少しでもよりよい年に、未来を感じれる年になりますように。していけますように。また、ちからをお貸しくださいね。
どうぞ、良いお年をおむかえください。

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2017年12月30日 (土)

草かふぇふりかえり

Photo 去年夏から紅茶の時間の中ではじめた草かふぇ。最初は、自民草案といま憲(今の憲法)を読み比べるのがテーマだったけど、やがて、社会のことなんでも話せる場へと変化していって、2017年末で67回となりました。

「この世界の片隅に」の感想を語る日もあれば、チェルノブイリを語る日、「憲法くん」を輪読する日、コッカイオンドクを毎週した季節もあり(12月にもしたね)、都議選、衆院選がテーマの日、広島のDVDを見る日、ハンナアーレントの全体主義を学ぶ日、座間の事件を受けて、死にたいと思う気持ちについて語る日もあれば、対話と圧力についての日。沖縄を知る週が何回かあった後に、沖縄の報道現場にいらした具志堅さんのお話を聞く草カフェスペシャルもあり。

クッキングハウス30周年のソシオドラマの台本をよみあう日もあり。しまい草かふぇの日には、おしまいに、クッキングハウスのソシオドラマの最後にうたわれた「平和のうたをいつまでも」をアカペラで、その場にいた4人で歌いました。

平和ってどういうこと?と、思いつくことをそれぞれが折り紙に書き出した日。

好きな服を着られる。映画が観れる。自由に集まれる。好きな本がよめる。仲間とかたりあえる。安心して眠れる。ご飯が食べれる。18歳で兵役につかない自由がある。憲法のおはなし会や映画会がひらける。違う意見がいいあえる。信頼できる仲間がいる。平和、といわれて思いつくことがいっぱいあること、などなど、、。

今当たり前に思えること、この中ですでにしにくくなっていること、そのどっちも、言葉にしてみる、って大事。あ、これも/あれも平和か、当たり前すぎて見えなくてなってたけど、これって貴重品なんだなあ、と気づくこと。

なんでもテーマになっちゃう草かふぇ。今の社会でおきてることは、ほりさげればみんなどこか憲法とつながっているからね。
毎週、たとえたった一時間でも社会のことふつーに語りあう場がここにある、ってこと、来る年も続けていきたいと思っています。21条表現の自由を自分のものにするためにも。

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しまい紅茶としまい草かふぇ

1712 2017しまい紅茶の時間&しまい草かふぇ。寒い日。あいかわらずこじんまりとでしたが、きてくれた人もいて。

草かふぇはことし一年のふりかえりを。草かふぇはじめて、という人がいたので、まずはこの場のお約束から。わからないことあったら何を質問してもいい。思ったままを言って否定されない。草かふぇの憲法みたいなものの説明から。
でもこの約束があるって、だいじ。平(たいら)に話す、ことが社会や政治の話するときこそ、その場にいるみんなで守りたいこと、と思ってるので。

常連のみいさんが、まず口火を。
「衆院選の翌週の草かふぇで、今回の選挙のよかったとこさがししよう、っていわれて、ショーゲキ的だった。自民圧勝しちゃって、いいとこなんてある?て最初思ったけど、折り紙に書き出したら意外にあった。他の人の見つけたのにもいいのがあって。あ、ニュースも社会で起きてることも、いろんな見方があるんだ、見方を変えるととちがうことが見えてくるんだってわかっておもしろかった」
「平和ってどういうこと?を書き出した時も発見があった。スウさんが、信頼できる人たちがまわりにいることが、平和、って言ってたのも印象的だった」と。

初めてきたひとも感じてることを。
憲法13条の個人の尊重が、わたしはほかの誰ともとりかえがきかない、ってことだと言われても、なんかふにおちない。現実には、すぐとりかえのきくパーツみたいな社会で。

ああ、そうだよね、たくさんの人がそんなふうに思わせられてるよね。でも、というか、だからこそ、というか、憲法に書かれた理想を本物にしたい、って努力することが必要なんだろうなあ。
だって70数年前、臣民とよばれていた国民は、いとも簡単に取り替えの聞く、国体を維持するための部品だったんだものね。個人は尊重されてなかった、法的にも憲法的にも。それを転換させた、今の憲法。

自分を卑下することは、自分への暴力、っておしえてくれたアレンネルソンさんの言葉を忘れない。まずは一人一人が、自分の存在と価値を認めることからはじめられないかな。

何ができるできないで自分をはからないこと。誰かに大切にされた自分を受け入れること。誰かから自分が大切にされたら、それを覚えていること。そしたらいつかそれを誰かに返せるかもしれないし、ね。

そんなふうに大切さが行ったり来たりする社会を、理想だと笑われても、そんな社会をつくっていく一人で、私はありたい、って思う。

そんな話してたらみいさんが、それが積極的平和、ってことじゃない?と。
そうそう、ガルトングさんの言う、差別、貧困、格差といった構造的暴力のない社会を目指す積極的平和の、最初の一歩だね。安倍さんのいう積極的平和主義とは対極にある、私の願う平和の、一歩。

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2017年12月29日 (金)

28日、テレ朝モーニングショー、ウーマンラッシュアワーの村本さん

昨日28日のテレ朝モーニングショー、玉川さんのそもそも総研は、「そもそも、原発、沖縄、政治をお笑いのネタにしてはいけないのか」をテーマに、ウーマンラッシュアワーの漫才をとりあげて、ウーマンの村本大輔さんへのインタビューも。

原発沖縄熊本福島オリンピック東京北朝鮮アメリカトランプ、、、がつめこまれた、たった5分の漫才が、地上波テレビのゴールデンタイムで流され、政治家たちの間でも話題になっているという。今までお笑いに触れてなかった人たちまでみている、ってすごいことだ。

この国で、誰が決めたわけでもないのに、これはいっちゃいけない、言わない方がいいんじゃないか、って空気を共有してるおかしさ。自分が福井のおおい町の出身で、原発の町で、っていうと、まわりがクッと固まるおかしさ。
その場その場のニュースがどんどん流れて、次から次へとスルーされて、あれもこれも終わったことにされてるけど、村本さんは、熊本の人にも沖縄の人にも、忘れないって約束したんだ。これ、全国のテレビでいうよ、って約束したんだ。

アメリカでもヨーロッパでもコメディアンが政治を風刺するのはあたりまえだし、それと同じにごくあたりまえに、若い人たちも政治をいっぱい話題にする。日本は?

この漫才でみんなが手を叩いて笑う、舞台からそれ見てるうちにだんだんむかついてきた。なんで笑ってんだよ、って。みんな自分たちのことじゃないって思って笑ってるんだ。
それで、最初はなかった最後のせりふ「お前たちのことだ!」をいれた。この漫才は、国民の意識が笑いのネタ。

発言力のめちゃめちゃ強い芸能人が沈黙するのは一番の悪ではないかと。自分はテレビに出れなくなってもいい、漫才師の自分が主張したいことは小屋でもできるから。

息つく間もない漫才の裏側で、村本さん、こんな深いこと考えてたんだ、こんな約束してたんだ。
このところ相撲話題ばっかりでがっくりしてたけど、テレ朝さん、ようウーマンラッシュアワーをとりあげてくれました。
録画したら約20分、また来年の草かふぇで何度でも見ましょう。

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モーニングショー、見逃した方へ。

Yさんが、インタビューの最初のとこ、書き起こししてくださいました!
  ↓
僕、地元が福井県のおおい町といって、大飯原発があるところなんですよね。それで、弟が自衛隊に行っていて、で、父親の同級生に拉致被害者の地村さんとかもいたんですね。だから、子どもの頃から、僕の当たり前のパーソナルを語る上で、それは普通に出てくるワードなんです。でも、例えば、女性、女の子とご飯に行ったりするじゃないですか。その時にお酒飲んでワーッしゃべってて、「どこ出身?」「福井県」「どこ?」「おおい町」「何があるの?」「原発」って言ったら「いや、何か重いよ、急に」、僕は「えっ?重いの?」って思うわけですよ。
それとか、あと漫才の時に、それこそしゃべるわけですよね、「おおい町でね」「原発の町出身でね」って言うと、「原発の」って言った瞬間にみんなが急にクッと固まるんですよね。例えば、バラエティー番組で「原発の町の」とかって言った時に「使われへんわ」「とか「なんちゅうこと言うねん?」とかっていうことを言われる。しかも、誰がそれを言うなと決めたわけでもないのに、みんなが「これは言っちゃいけない」っていう、誰も決めていないものを、みんなが勝手に、こう、何て言うんですか、忖度じゃないんですけど、「おそらく言わない方がいいんじゃないか」っていうのを、みんなが、国民も共有していて、それがおかしいなと思っていて、さみしいところもあったんですね。

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2017年12月27日 (水)

2017ラスト紅茶

今日27日、ラスト紅茶の時間、ごくふつーに開きます。
吹雪くような冷たい日に、誰が見えるかなあ、と思いつつ、見えても見えなくても開くのが、紅茶。そして誰もこなかった日がまだなくて、35年目となりました。

120105_ 新しい年の初紅茶は1月3日、これもふつーにひらきます。
1月10日は新年紅茶恒例の、お薄の時間。1:00〜。ことしで21回目、どなたでもお抹茶何回でもお代わりしてくださいね。

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明日のモーニングショーで。

明日28日のテレ朝モーニングショー、必見!

政治ネタを真正面から、いや、真横か、斜めか、鋭く切り込んでる漫才コンビ、ウーマンラッシュアワーを、玉川さんのそもそも総研で!

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自らのアイデンティティが、問われる

140108_ 来る年は、憲法を問う正念場の年!

暮れに浅草であすわかの武井ゆきこさんとお会いして話した時、武井さんが、護憲改憲ってくくりじゃなくて、自らのアイデンティティが問われるってことだよね、と。

うんうん、同感。自らが問われるってこと、自分のいるこの社会がどうあってほしいか、その社会の一部である私は、どうするのか、なにをするのか。

私も今のこの社会を構成している、ちいさいけれど確かなひとかけらだ。そのひとかけらとしての自覚を持つ、ってことが大事だよ、とけんぽうかふぇでいつも言うのだけど、そのこととすっごくリンクした。

敗戦後、戦争をしないできたこの国に生まれ、生きてきたもののアイデンティティ。この国がふつうの国になった時、私はどうやって自分を保たせるのだろう。

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2017年12月25日 (月)

クリスマスの仕掛け

どんなクリスマスの夜をおむかえでしょうか。

我が家では、親子間でとくに贈り物交換はしないことにしているので、とりたててプレゼント!っていうのはないけど、ことしはちょっといつもと違うこと、しました。

クッキングハウス30周年のお祝いのため、22日に娘夫婦の家に泊まったのを幸い、家のあちこちに仕掛けをして、石川に帰りました。
昨日になって、食器棚の土鍋の中をみてごらん、とメールし、そこに小さなギフトがあり、ついているタグを読むと、次はどこどこを探して、と指示があり、また次の小さなプレゼントにタグがついていて、というふうに計5箇所を巡っていくと、最後はジョンとヨーコの写真集「War is over if you want it」にたどり着く、という仕掛け。

これも、クリスマス直前に東京にいてこそできたことで。
私にとっては、月光荘100歳、クッキングハウス30歳、二つのお祝い会にいけて、ましてやその時間を家族でシェアできたことが、少し早めの、とくべつなクリスマスプレゼントでした。

121214_ 今夜、ジョンの歌をまたあらためて。
どうぞよいクリスマスとあたらしい佳き年を。
♬ Merry merry X'mas and a Happy new year,I hope it's a good one without any fear.

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元旦の「相棒」。脚本は、太田愛さん。

水島朝穂さんからのお知らせ!!
相棒ファンの私のためのおしらせみたい!(いえいえ、朝穂さんのを読んでいるみなさんへのおしらせなんですけど)
元旦の「相棒」の脚本家さんは、「天上の葦」という長編小説をかいた太田愛さんです。この本、とってもよかった。メディアの忖度、共謀罪、秘密保護法、ぜんぶからんでるすごい内容のミステリーでした。

水島さんからのご案内。
   ↓
■ 先週の「直言ニュース」でもお知らせしましたが、1月1日午後9時から、テレビ朝日で、「相棒・元旦スペシャル」が放映されます。予告編をご覧ください。
http://www.tv-asahi.co.jp/aibou/story/0010/

『世界』6月号で対談した太田愛さんの脚本です。
   http://www.asaho.com/jpn/bkno/2017/0612.html

   内閣人事局長(事務方の官房副長官)が謎の死をとげます。まさに現代日本を
鋭く活写する内容です。是非ご覧ください。

******ですって。

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2017年12月24日 (日)

without any fear

先週の大雪サンデーとはうってかわっておだやかな日曜日。

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ジョン・レノンのHappy X'masを聴いて、この日を心静かにすごしています。
歌詞にある、without any fear.
あ、この言葉は憲法前文とも重なるね。
「全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

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私へのクリスマスプレゼントは、すでにもう受け取っています。
12 月に二度も東京にいけて、月光荘100歳のおはなし会の時間、クッキングハウス30周年のお祝いの時間を、家族で、親子で、共有できたこと。

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gekkoso のご本


月光荘、という銀座の画材やさんをご存じですか。ちいさいけれど、絵の具や筆、スケッチブック、バッグ、便箋封筒ハガキなどなどオリジナルの品物だけをあつかって今年で100年になる、すてきなお店です。全国に、絵描きさんにかぎらず、ファンがいっぱいいます。

この度、月光荘画材店100歳の記念の本、「人生で大切なことは、月光荘おじさんから学んだ」が出版されました(産業編集センターより 1400円+税)。
著者は、月光荘2代目(娘さん)と3代目(お孫さん)。初代月光荘おじちゃんの書いた月光荘新聞の文章も載っています。記事になったおじちゃんの一生もよむことができます。

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編集の方の、月光荘への愛も感じるすてきな本のつくり。デザイナーさんも以前から月光荘ファンだったそうで、こころこめてデザインしてくださったよし。
表紙は月光荘スケッチブックを思わせる装丁、幅広の帯は月光荘新聞のイメージ。表紙カバーをとると、本体表紙は、日本ではじめてコバルトブルーの油絵の具をおじちゃんが完成させた時の、画家たちからのお祝いメッセージがそのまま印刷されています。

その大切なご本の、まるで特等席みたいな場所に、30数ページ私の文章。1987年~1981年の3冊の本におじちゃんのことを書いたエッセイは、当時のまま、一言一句かえずに本に収められ、2012年に書いたものはあらたに書き直し、書き足して、今につながる文章になっています。月光荘おじちゃんに出逢ってから50年余り。おじちゃんからもらった大切なものが、今も色褪せず、私の中で息づいてることを、この本のなかであらたに書き加えました。それはきっと現代を生きている人たちにも届けたい、大切なものだと思います。

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12月9日、月光荘画材店100歳の記念のおはなし会にいきました。ちなみに、お店の名前の月光荘は、与謝野晶子さんの命名です。

そこでは、15歳の私がはじめて月光荘という場所にいって、目が星になっちゃった時のきもちを、真っ先に語りました。
心揺れる少女の時代に、私をちゃんと見てくれている人がいる、と確信できたこと。おじちゃんが私を、何ができるできないで決して評価せず、まるごとのBeで認めてくれたこと。
おじちゃんが心底、感心したような口調で私にかけてくれた「おまいさんは、おもしろいなあ、、、!」という言葉は、あの日から50数年たって私自身が、はじめておじちゃんに会った時のおじちゃんの年齢になった今も、私の心のなかで生き続けていること。そして何より、35年目にはいった、わがやの「紅茶の時間」の原点は、おじちゃんが私にしてくれたことの中にあると発見した時のおどろき。

月光荘新聞(お店のカタログ、包装紙にもなる)づくりのお手伝いをさせてもらって、おだちんを頂いた時のうれしさと誇らしさ(確か千円札何枚かをちり紙につつんで、「おだちん」と書いて手渡してくれた)。
自分のすることが誰かの役にたっているという、それは大きなよろこびでした。また、年がいくつ違っても一緒に仕事するものとして、おじちゃんが私をリスペクトしてくれていたこと。
おじちゃんの仕事への情熱、老いても心の炎もやして働く職人魂。そういったものを、若い日の私がまじかに見れたこと。そんな一つ一つが、話しながら限りない感謝になってあふれました。

月光荘おじちゃんと、著名な画家たち、文化人たちとの交流は、月光荘新聞づくりをお手伝いする中で知っていたけれど、この本の中にはさらに、私も知らなかったことがいっぱい。
戦争中に書かれた戦争絵画は、すべて月光荘のエノグで描かれていたこと。第二次世界大戦の間、エノグをつくっていたのは世界中で月光荘だけだったこと。そのご縁でおじちゃんはマッカーサーにも直に会っていること。おじちゃんと私の父が同い年生まれ(日清戦争の年に生まれた)というのは知っていたけど、おじちゃんの娘さんと私が一つ違いで、おじちゃんも私の父も、GHQのケーディス大佐と会っていたことなどなど、この本を読んではじめて知ったことでした。

富山県上市町生まれのおじちゃん、今、石川にすむ私、というつながりもふしぎです。
このすてきな本のこと、まわりの方にご紹介いただけたら、とてもとてもうれしいです。まだ月光荘のことを知らない方に、この本のことを知らせたい!のです。

本はアマゾンでも注文できます。私のとこにもあります。

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クッキングハウス30周年のつづき

クッキングハウス30周年には、北海道から銀河通信を出し続けている樋口みなこさん、長野の八ヶ岳からは織座農園ののりこさん、新潟関川村から近さんも駆けつけて。

みなこさんとオリザさんはともに、ふる〜〜くからいのみら通信の読者さん。いのみらでクッキングハウスを知って、やがてクッキングハウスとつながった人と人が、30周年の交流会でこの日はじめて出逢う。そんな場にいられることのしあわせ。写真は、関川村からの30周年お祝いの、甘い鯛!!

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川越紅茶なかまや東京や関東の出前で出逢ってる人たちともこの佳き日に再会。娘のパートナーもソシオドラマの時間だけ、仕事の時間やりくりしてバイクで駆けつけ、会場のどこかで、みんなの歌を聴いてくれてました。(舞台から会場のお客様のお顔はまったく見えなかったので)

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この日の歌の歌詞が、どれもなんと正直で、すなおで。
弱さも辛さもありのままに出し、病気であることをかくさず、よろこびもなみだも等身大に歌って、下を向くこともあるけどもやっぱり、前を向いて生きていく、仲間と一緒に生きていく。
生活の中から生まれた、すばらしい、いとおしい歌たち。本物の歌だからこそ、胸に迫り、心に響き、聞いていても歌っていても、胸が熱くなってくるのでしょう。

笠木さんが、自分の言葉で表現するんだよ、歌にすると、言いたいことが言いやすいんだよ、と言い続けたとおりのことが、今ここで起きているんだ、と実感しました。

松浦さんとクッキングハウスのみんなに出逢って20年、そのおかげで私の人生は確実に、豊かにさせてもらっています。心から、ありがとう!です。クッキングハウスさん、どうぞこれからもよろしくね。

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クッキングハウス30周年 いのちの輝き 希望のあかり

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22日、クッキングハウス30周年を祝う会@調布。
1時間20分におよぶソシオドラマ「いのちの輝き 希望のあかり」(セリフあり歌ありの、ミュージカルドラマ。クッキングハウスの歩みと、社会の動きと時代をからみあわせた作品)の一員に私もまぜてもらい、場内満員のお客様たちに向かって、クッキングハウスのメンバーさんたちときもちひとつに、全14曲を一緒に歌いました。2年がかりで、歌づくり、ドラマづくりに、一生懸命はげんできたみなさんの努力を、まじかにひしひし感じながら。

「心が豊かになり、一人ひとりが輝いて、幸せに生きていけるように、弱い立場の私たちこそが、平和のメッセンジャーなのです」という松浦さんのせりふ、うん、強い人たちのいう平和と、私たちの願う平和は、きっと意味が違うと思いながら、私のひとことせりふ。

「クッキングハウスの皆さん、30周年、本当におめでとうございます!私も、平和のメッセンジャーの仲間にいれてもらってもいいですか」は、私自身の、心からの言葉そのものでした。
台本にはかかれてないのだけど、松浦さんもみんなも即、「いいですよ〜〜!」と答えてくれて、私も「ありがとう!」と答えて、それから最後の歌「平和のうたをいつまでも」を全員で。

娘は当日、ずっと舞台の袖にいて、影アナをしていました。場内アナウンスやクッキングハウスの書籍のご案内、祝辞のご披露など。読んでる自分が泣かないよう、ソシオドラマの間は気をはっていた由。
松崎運之助(うん、と書いてみちのすけ。運があるからみなさんにも!といって場内を笑わしたり泣かせたりのすてきなお話)と西野博之さんのお話が終わり、フイナーレで「ぺんぺん草」「不思議なレストラン」「クッキングハウスのかぞえ歌」になったとたん、娘の目から涙ぼろぼろあふれ、きゃ!どうしよう、、、だったそうです。

全国からのお客様、日ごろ会えないけどきもちでつながってる方たちともここで再会、さながらクッキングハウスの同窓会のようでもありました。この日は、不思議なレストランの歌をプレゼントしてくださった笠木透さんの、いのちの日、3年目のご命日とも重なっていたのです。

この日の引き出物、ソシオドラマの台本を冊子にしたものがお客様全員に。

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2017年12月23日 (土)

月光荘おじちゃんのピアノが宇奈月で。

月光荘おじちゃんのピアノが、70年ぶりに宇奈月で奏でられました。おじちゃんのお孫さんの日比こうぞうさん(今の月光荘社長)が、黒部市にこのピアノを寄贈。その記念コンサートで、ムーンリバーや少年時代が演奏されてるよ。

おじちゃんの写真もでてきます、みてね!

昨日の、クッキングハウス30年を祝う会の会場にも、「人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ」の本を10冊お持ちしましたが、あっという間に完売!紅茶の本屋にはまだありますよ。

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こうぞうさん、このピアノのことを、こんなふうに。

【旅するピアノ 時を越えて】
戦前から東京・銀座の月光荘に置かれ、数多くの文化人たちに愛されてきたグランドピアノ。戦時中は疎開先の宇奈月へと移され、現地の小学生の音楽の授業でも使われていたといいます。
戦後は東京へ戻されましたが、月光荘が創業100周年、黒部川開発100年を迎えた2017年、宇奈月と月光荘のさらなる交流を願って、当時そのままのピアノを黒部市に寄贈することにしました。
モノだけが移動しても、それは形だけのこと。そこに人や想いの交流があってこそ!ということで、東京と富山のミュージシャンでジャズセッションを開催することに♪

月光荘の「旅するピアノ」、富山県のニュースで取り上げていただきました!感性の輪が広がる喜び❗️

http://www.knb.ne.jp/news/detail/?sid=16910

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2017年12月21日 (木)

東京に、いってきます

「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」の再放送の最終回の録画をみて、またまたじい〜〜〜ん、としちゃいました。あ、でも明日の朝でかけるから、そっちの用意もしなくちゃ。

110211_ あさって22日は、クッキングハウス30周年記念ソシオドラマ&コンサート。その1日前に出発です。23日の夜にもどるまで、パソコンは見ません。

頭ん中、ソシオドラマの歌の、歌詞とメロディがずっと響き合っています。クッキングハウスのメンバーさんたちの、体験と実感から生まれた言葉、弱さも、涙も、病気のことも隠さない歌詞だからこそ、すごく胸にしみるんだと思う。
5年前は客席で聴く側だったけど、今回は歌う側になったことで、余計に歌詞の重み、意味の深さを感じています。

12月は月光荘とクッキングハウス、2回も東京に行けることが、めっちゃうれしい。今年一年しめくくりの、ごほうびのよう。

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今日のコッカイオンドク

今日の草かふぇコッカイオンドク。11月30日の参議院予算委員会で福島みずほさんが安倍さんに、11月27日の衆議院予算委員会で長妻さんが安倍さんに、それぞれ質問する場面のオンドクをしました。

みずほさんの質問は、簡潔でみじかくてきっぱりしてて、何を質問してるのか、よくわかる。
加計学園が申請してること知ったのが1月20日だなんて、ありえない。加計さんと、昭恵さんの証人喚問を要求。安倍さんは妻に関しては自分が責任持って答弁するから、というが、夫と妻は別人格、裁判でだって、妻の代わりに夫が話すなんてことはない、と。
9条3項をいれることで、集団的自衛権の行使が憲法違反でなくなってしまうことの確認を、安倍さんから引き出したとこ、よかった。

長妻さんは、森友学園の土地割引のおかしさを追求。また、今回の国会から野党の質問時間の割合がかえられ、前は、野党8:与党2だったものが、今は野党9:与党5という配分。それをいいだしたのが首相ではないのか、と迫る。

う〜〜ん、長妻さん、大事なこと質問してるんだけどなあ、いかんせん、言葉がていねいすぎる、「ございまして、、」が多すぎる。読みながら舌噛みそうになる。ああ、じれったい。ただでさえ、野党側の質問時間がみじかくなってるので、なおもったいない。聞いてた人たちから、もっと簡潔に!そう何回もございまして、っていわんでいいよ!の声が飛ぶ。

あいかわらず、安倍さんは聞かれてることに答えない、論点はずしと論点ずらし。そして、「ございまして」も多い。そうか、答弁を長くすればするほど、野党の質問タイムが削られるわけだから、ございまして、の多用はむしろ戦略か、、、などなど、コッカイオンドクすると見えてくることいっぱいです。

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2017年12月18日 (月)

ウーマンラッシュアワー

昨日真夜中にこれを見て、かんど===!
二人の弾丸トークはもちろんだけど、扱ってる内容がはんぱないっ!!
ぜひみてほしいです。
それにしてもよく舌噛まないなあ、相方とのみごとなリズム!

ウーマンラッシュアワー 政治漫才

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2017年12月16日 (土)

「人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ」、届きました!

月光荘のご本、入荷しました!「人生で大切なことは、月光荘おじさんから学んだ」。著者は、月光荘。おじちゃんの書いた月光荘新聞(このカタログ作りのお手伝いをしていました)や、娘さん、お孫さんの文章も載っています。編集の方の月光荘への愛も感じる、すてきな本のつくり。

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その大切なご本の、まるで特等席みたいな場所に、30数ページ私の文章。1987年~1981年の3冊の本におじちゃんのこと書いたエッセイは、当時のまま、一言一句かえずに本に収められ、2012年に書いたものはあらたに書き直し、書き足して、今につながる文章になっています。おじちゃんからもらった大切なものは、きっといまのあなたにも届けたい、大切なものです。

どうぞ、15歳の時の私に出逢ってみてください。そしておじちゃんからもらったものが、今も色褪せず、私の中で息づいてること、お感じになってみてください。

紅茶にきた人が、月光荘のこと何にも知らなくても、あ!これがスウさんのいつも言ってる月光荘おじちゃんの本なのね、と手にとって気軽に買っていってくださるのが、自分の本の時以上にうれしいです。

22日のクッキングハウス30周年の日にお会いできる方、もしご希望なら調布に持って行きますよ〜〜。あ、アマゾンでも買える本ではありますが、私から直接、っていうかたは、どうぞコメントでもメッセージでも、お申し付けくださいませませ。

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草かふぇで、クッキングハウスの30年

201143 毎週テーマをみつけては社会の話をする紅茶の時間ない草かふぇ、13日は、クッキングハウスの30年、をしました。

22日に30周年をむかえる調布の不思議なレストラン、クッキングハウスは、この30年間の時代と社会をからめて、自分たちでつくった歌をおりこんだソシアルドラマにしたて、それを大勢のお客様の前でご披露するのです。

ドラマの台本が手元にあるので、そのシナリオを順に読みあいました。歌の音源CDもあるのでCDを流しながら全14曲も、歌えるのは一緒に歌って。

精神障害をめぐるこの国の社会、法律のうごき、その中でクッキングハウスがしてきたこと、仲間たちとおいしいごはんをつくりながら、お客様をお迎えし、はたらき、はげましあい、学びあい、やさしい文化をつくってきたこと。
その文化のおすそわけを、この私もうけとっていることが、シナリオを一行ずつ読んで行くことで実感できました。オンドクって、やっぱりすごい!笑。

クッキングハウスの仲間たちが作った歌、たとえば、松浦幸子さん作詞の「小さな居場所」の歌詞は、こんなふうです。

♪ 街の中に ホラ 小さな居場所
 いつもおいしい ごはんがあるよ
 あったかい言葉が ゆきかって
 やさしい笑顔が あふれているよ

 希望のあかりを灯し続けて 
 もう 30年になるんだね
 小さいけれど 思いは大きく 
 ぬくもり感じる 私の好きな居場所

22日、私も調布のホールで一緒に歌わせてもらいます。おかげさまで満席!一つの空き席もない状態で、記念の日を迎えます。

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マガジン31号、アップされました。

対人援助学マガジン 最新号の31号がでました。ウェブ上のマガジン、かきはじめた時には、続けられるかしらともおもったけど、3ヶ月ごとの私の今を見つめ、考えるのに大事な場所になっています。

目次をご覧になって、関心のありそうなテーマで書いておられる方の原稿をよみつづけるのもいいですよ、現場のお話がリアルに書かれて居て。

編集長の団士郎さんの表紙の言葉もいつもとってもいいです。もちろん今号のも。
 
私が31号の「きもちは、言葉をさがしている」で書いているのは、ダニーネフセタイさんのお話。FBに書いたものを書き直して、編集し直したものです。ダニーさんと、トークの会場になったピーチラボのマリさんへの感謝をこめて、お届けします。

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2017年12月15日 (金)

マガジンのバックナンバー

『対人援助学マガジン』第30号発刊記念号!(発行日 2017年12月1日)として、編集長の団士郎さんがこんなふうに。
「2010年6月15日に20名の執筆者(79ページ)ではじまった「対人援助学マガジン」が、2017年9月15日に第30号の発刊となりました。現在の執筆者は53名、総ページ数は309ページになりました。
今回、30号発刊を記念して、これまでに20号以上の執筆をして頂いた方を対象に記念編集いたしました。大変読み応えのある内容になっておりますので、是非ご覧ください。」と。

おかげで、7年前の原稿をひさしぶりに読みました。(このマガジンはウエブでいつでもみられるので、その気になればどのバックナンバーも読めるのですが、今回は一人の書き手のこれまでの文章がぜんぶ続けて読める編集をしてくださっています)

初回は、紅茶の時間の自己紹介からはじまっています。紅茶、って何?という方、もし興味あったらごらんくださいませ。
なお、初回はレイアウトしないままの原稿です。連載2回目からは娘がレイアウトしてくれて読みやすくなっています。


3ヶ月ごとの15日が最新号の更新日。ということで今日中に第31号のマガジンがアップされる予定。
今回は、11月に上尾でお聞きした、ダニー・ネフセタイさんのお話をくわしく。

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2017年12月14日 (木)

広島高裁で。沖縄普天間で。

12月13日、伊方原発差し止め仮処分。裁判所からピンクのジャケットの河合弁護士さんがとびだしてきて、「勝った!」と叫ぶ。

地裁では、差し止めの請求は却下されたけど、その一段階上の、広島高裁で差し止めが命じられたって、すごい!他の訴訟への影響力もでっかい!

火山国、地震国の日本。こういう判決があたりまえになってほしいよ〜〜。世論をつくる一般ピープルが、「でもないと呪縛」(でも、やっぱり、原発ないと、日本はやっていけないんじゃあ、、、という漠とした不安のことを、でもないと呪縛、って呼んでるんです)から解き放たれることも、必要だね。

ああ、でもその同じ日、沖縄では普天間基地に隣接する小学校校庭にヘリコピターの扉が落下。小学生のいたとこからたった10メートルの地点に落ちたという。いつまでこんなことが続くんだ!奇しくも一年前のこの日、オスプレイが海に墜落したのだった!

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地元の中学校にお届け

Photo 地元の中学校一年生さんに、人権講座でお話に行きました。でも、
話のなかで「人権」という単語をつかったのは一度だけ。

どんなひとも、身の丈に認めてもらいたいと願って生きている、ってことを、漢字でかくと「人権」っていうのだけど、このたった2文字でいったとたん、「じんけん」が、急にどこか遠いとこ行っちゃう気がするから、私はいつも、長くなるけど、こういうことにしてるんだよ、と。

ひとは誰でも、身の丈に認めてもらいたいと願って生きているんだよ。私もそうだし、あなたもそうだよ、ほかの誰ともとりかえがきかない存在なんだよ。そのためには、私が私を大切に思うこと、あなたがあなたを大切に思うこと。
誰かから無視されたり、踏んづけられたり、ほかにいくらだって替えがいるんだよ、なんて言われたら悲しいのはあたりまえ。自分が大切にされたいのと同じように、ほかの人だって大切にされたいんだからね。その行ったり来たりが大事なの、必要なの。

秋に小学校にお話に行った時もだけど、今回ももちろん、月光荘おじちゃんの話をしました。15歳の時に出逢ったおじちゃんから、私が、わたしの存在まるごと、認めてもらえたこと。
スウさんは数学とか体育とかめちゃめちゃ苦手、だから数学と体育の点数だけで私って人間をはかられたら、私ちっともいいとこない、すごくダメな人になっちゃう。
地上から見える木の花や実だけじゃない、人間っていうのは、見えない根っこの部分があってこそまるごとの、その人なんだからね。

月光荘という場所で数日前に月光荘おじちゃんのこと話してきたばかりだっただけに、いつもより詳しく、富山県生まれのおじちゃんのこと話しました。月光荘というお店の名前をつけてくれたのが、与謝野晶子さんという有名な歌人さんだったこと。彼女が戦争にいく弟さんのことを「君 死に給うことなかれ」と詩に書いたことも。戦争の時代にそういう詩を書くってとても大変なことだった、ってことも。

国語の授業で与謝野晶子さんを習うのは2年だそうです。来年、彼女の名前が授業で出てきた時に、この日のこと、想い出してくれるといいなあ。

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2017年12月11日 (月)

月光荘お祝い会

月光荘さん満100歳、夜のお祝いパーティは、おはなし会の会場になった画室と、同じビル5階のサロン「月のはなれ」の2会場にて。

おじちゃんの娘さんで月光荘2代目の日比ななせさんとはじめておあいしたのは7年前ごろ。
目がおじちゃんに似ていらして、とても美しい方。おじちゃんは、お嫁にいったばかりのななせさんのことを、私の庭の真っ赤なバラ、と。
オヤジさんから何度も何度もスウさんの話を聞いていましたよ!と、言ってくださり、そのご縁で「ほめ言葉のシャワー」をお店に置かせていただいているのです。

このお祝いの席のおかげで、ななせさんとも久しぶりにお会いできました。
月光荘がとてもとても困難な時代に、95歳のおじちゃんを支えてお店を続けてこられたこと、ななせさんが引き継いでくださったから、今のお店があるということ、出たばかりの月光荘のご本を読んでよくわかりました。

パーティでは若手のシンガーさんが弾き語りで歌を。
その声は5階のサロン月のはなれにも同時に届き、その歌にあわせて、画室とサロンに待機している2人の画家さんが即興でライブペインティング。
その歌の中に、「月光荘の歌」がありました。

おじちゃんのことを、「大空の 月の中より君来しや ひるも光りぬ 夜も光りぬ」と詠んだのは与謝野晶子さん。若い日のおじちゃんをかわいがり、この歌を贈ったことが、お店の名前の由来となりました。
与謝野晶子さんのこの歌に感動し、曲をつけた作曲家さんがいらしたことも、この夜、はじめて知りました。
夜のパーティでは、若い女性シンガーさんがもと歌とはまた違うアレンジで歌い、作曲した土井康臣さんもびっくりしておられました。

今の月光荘は、おじちゃんのお孫さんの日比康造さんが3代目を継いでおられます。おしゃれで、めっちゃカッコいい40代。
康造さんとはこの日、初めてお目にかかったのでしたが、目がかがやいていて、その目ぢからがやっぱり、おじちゃん、ななせさん譲り。

夜のお祝いパーティで、「スウさん、ほんっとにお会いしたかったです、ハグさせていただいてもよいでしょうか」
「きゃ!もっちろんです」って言ったら、ぎゅ〜〜っとハグ。それは、月光荘おじちゃんの分も含めての、ハグだったと思います(おじちゃんとハグしたことはないのだけども)。
本をまとめるにあたって、康造さんが、昔からのいろんな資料を探し出し、整理していく中で、ところどころに私がちょこちょこでてきていたらしいです。
ああ、こうやって人と人の人生はたしかに重なり、つながりあっていくんだなあ、って感じられる、とくべつな夜でした。

写真は、3代目さんと。1712_7

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月光荘おはなし会②

月光荘おはなし会では、15歳の私がはじめて月光荘という場所にいって、目が星になっちゃった時のきもちを、真っ先に語りました。

心揺れる少女の時代に、私をちゃんと見てくれている人がいる、と確信できたこと。おじちゃんが私を、何ができるできないで決して評価せず、まるごとのBeで認めてくれたこと。
おじちゃんが心底、感心したような口調で私にかけてくれた「おまいさんは、おもしろいなあ、、、!」という言葉は、あの日から50数年たって私自身が、はじめておじちゃんに会った時のおじちゃんの年齢になった今も、私の心のなかで生き続けていること。そして何より、紅茶の時間の原点は、おじちゃんが私にしてくれたことの中にあると発見した時のおどろき。

おじちゃんのつくる月光荘新聞(お店のカタログ、包装紙にもなる)のお手伝いをさせてもらって、おだちんを頂いた時のうれしさと誇らしさ(確か千円札何枚かをちり紙につつんで、「おだちん」と書いて手渡してくれた)。自分のすることが誰かの役にたっているという、それは大きなよろこびでした。

年がいくつ違っても一緒に仕事するものとして、おじちゃんが私をリスペクトしてくれていたこと。おじちゃんの仕事への情熱、老いても心の炎もやして働く職人の魂。そういったものを、若い日の私がまじかに見れたこと。そんな一つ一つが、話しながら限りない感謝になってあふれました。

おはなし会で語ったことはほぼ、月光荘の本「人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ」の中におさめさせていただいた文章だけども、文字で伝えるのと言葉でじかにみなさんのお顔見ながら伝えるのとでは、やっぱり違う。こんな機会をいただいたことって、なんてありがたい。

その本には、私も知らなかったことがいっぱい。戦争中に書かれた戦争絵画は、すべて月光荘の絵の具で描かれていたこと。絵の具のご縁でおじちゃんはマッカーサーにも直に会っていること。続きを読みたい方は、どうか「人生で大切なことは、、、」のご本をよんでくださいね!(紅茶本屋さんでもまとめて取り寄せます)。

おじちゃんと私の父が同い年生まれで、おじちゃんの娘さんと私は一つ違いで、おじちゃんも私の父も、GHQのケーディス大佐と会って居たことなどなど、本のおかげではじめて知ったことでした。

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師走のいそがしい中、いらしてくださった方達、ありがとう!膝がつきそうな近さで語らせてもらえたこと、うれしかった!

何十年ぶりに会えたメディアの方や、私が本をかくきっかけをくれた橋本さん、はったんさん、金沢からもどったばかりの落合さん、小松のキルトのさよこさん、きやさん、京都紅茶のかつこさん母娘、京都にいるはずのぽこちゃん、クマ園長さん、お名前あげきれない方々。月光荘の本を作りたい!と企画を出してくれた貴子さん、それを実際に本のかたちにしてくれた産業出版センターの、もうひとりの貴子さん。

そして私の大好きな家族、まあさん、娘、娘のパートナーのせいちゃんとも一緒にこのおはなし会の時間を共有できたことが、とてもとてもしあわせでした。
本を読んだ娘が言ったこと、おじちゃんのしてきたすばらしい仕事の数々はおじちゃんの Doの部分、ママはおじちゃんのBeの部分を文章にしたんだね、と。

さよこさんが撮ってくれた写真、みんなの笑顔がいいなあ、奥にはかつこさん母娘もいて、こいのぼりはドドさんの作で。

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月光荘おはなし会①

月光荘画廊の画室2でのおはなし会は、午後と夕方との2回。そのどちらにも、ちょうど20人くらいのお客様がおみえで、ちっちゃな椅子にすわって、ちょうど1時間の話を聴いていただきました。

おはなし会以外の時間は、画室をくぎる扉があいていて、まるで部屋中が月光荘博物館のよう。
おじちゃんの写真や最初のお店の写真、高峰秀子さんがドアを押す写真や、ふるいふるい月光荘新聞や、ドドこと小園江圭子さん(「この広い野原いっぱい」の詩を書かれた方)作のぬいぐるみや、月光荘おじちゃんがはじめてコバルトブルーの油絵の具を作った時の、画家たちからのお祝いメッセージの原画、、、などなど。

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私の月光荘バッグ3つも飾らせてもらいました。
左から、50年前のショルダーバッグ。一緒にアメリカ大陸横断した時の旅の相棒。
真ん中はA3の紙がすっぽり入るお稽古バッグ、私のお話出前の時の相棒。
右は10数年前に買ったリュックにもショルダーにもなるバッグ。能登半島のアップリケつけて、脱原発のデモの時、よくこれで街を歩きました。

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月光荘画材店

1712 9日、銀座月光荘へ。
1917年創業、今年で満100歳の月光荘。画材店はお店の中を秋に改装。赤く縁取られたガラス扉の、金色の文字が美しい。

広いお店ではないけど、絵の具も筆もスケッチブックも、とても見やすく、手にとりやすく、ちんと背筋伸ばして並べられて居ました。
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月光荘のうまれたてのご本「人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ」の前に、わたしからのお祝いの花、おいてくださっていました。
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クッキングハウスのソシオドラマ通し稽古

8日、東京へwithまあさん。この日の行き先は調布のクッキングハウス。

22日の30周年記念ソシオドラマに向けて、きっといつ行っても歌の練習をしてるに違いない、突然行ってびっくりさせちゃお計画。

(11月末に届いた通信で、この日は郡上八幡の増田さんもみえる、ソシオドラマの通し稽古と知ったので、まさにこれは行かなくちゃ!の日になりました。当日、私も舞台の端っこで一緒に歌わせていただくことになっているので)

クッキングハウスの黄色いのれんが見えたあたり、レストラン前で花の世話をしていたアイコさんが私たちを見つけ、点になった目で、あれ〜〜〜〜!!??松浦さんも、黙ってくるなんてぇ!とびっくり顔。

レストランでランチした後、2階のクッキングスターで、メンバーさん、スタッフ、ナレーター役の松浦さんと一緒に、増田さんのギター伴奏つきでソシオドラマ通し練習。

30年のクッキングハウスの歩みを時代の変化とともに社会ドラマにしあげた、一時間あまりのミュージカルドラマ。台本には、10数曲のオリジナルソングとメンバーさんたちのせりふがびっしり書き込まれている。

まだ歌詞を覚えきれてない歌もあり。
台本見てもいいから、明るく、元気よく、楽しく!と増田さん。笑顔のお客様の顔みながら歌うといいよ、というアドバイスに、でも泣いてるお客様もいらっしゃるのよねえ、と松浦さん。
亡き笠木さんのアドバイスによると、客席でいい男、いい女をみつけてステージの間だけ、フリンすることだ、って!!

奇しくも22日は笠木さんのいのちの日。この日も、笠木さん作詞の歌も何曲か歌われます。

会場の506席はもう完売、満席だそうです(つまり、メンバーさんたちも私も、席なしです笑)

写真は、クッキングハウスののれんと、5年前、25周年コンサートの舞台。

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2017年12月10日 (日)

ジョンとヨーコ

3日留守にして、今夜、石川にもどってきました。
おとといはクッキングハウスへ、きのうは月光荘さん100歳おはなし会へ、そして今日は帰る前に、渋谷のタワーレコード。ジョンとヨーコの写真展に。

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とっても濃い3日間、また明日にでも書きとめておこうと思います、きのうのこと、おとといのこと。

ジョンとヨーコ写真展では、撮影していい写真もあるのです。

というわけで、ジョンと記念写真。1712

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2017年12月 7日 (木)

明日から東京です

Photo 明日の朝、東京へ。3日間、パソコンを見ないアナログになります。あさって9日の月光荘でのおはなし会、当日、行けそう!って思ったらどうぞいらしてくださいませ。

月光荘画材店100歳をお祝いしてのおはなし会@銀座
15歳の時に出会った月光荘おじちゃんからもらった大切なもののお話を、させてもらいます。
・会場/画室2
・お話会時間/1回目13:30~14:30、2回目16:00~17:00
・定員/各回20名(とちょっと)画廊にラグをしいて。椅子も少し用意します。
・参加料/500円(税込)※お支払いは当日、窓口にて。
ご予約は、月光荘画材店まで 03-3572-5605 

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おちあいさんのわらべうた

玉川こども図書館での絵本講座。落合美知子さんの「おはなし会でわらべうた」に行ってきました。
こころの中の豊かな、しあわせな時間をたっぷり贈ってもらったような気もち。おとなの私のこころもほかほかとここちよい。

わらべうたは、からだごとのコミュニケーション。
わらべうたは、こどもの言葉のいりぐち。

このこ どこのこ かっちんこ
いないいない ばあ〜〜
ととけっこ〜 よがあけた 豆でっぽー おきてきなー
おちゃをのみにきてください はい ありがとう
さよならあんころもち またきなこ
にーぎりばっちり たてよこひよこ、、、ぴよぴよぴよ、、、

ちいさな赤ちゃんは、声を聞いただけで、声の中にその人の関わりを受けとる、感じとる。
ことばを獲得していく以前のちいさなひとに、どうぞどうぞわらべうたを。

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落合さんのわらべうたの実演と理論とおはなしとを聴きながら、紅茶の時間がはじまったころに、私はタイムスリップしてた。

34 年前の紅茶をしていたのは、そのころ住んでいた大手町のマンション。毎週、赤ちゃんとおさなごとお母さんがいっぱいの場所でした。てんとう虫文庫の落合さん、あすなろ文庫の松浦さん、りんごばこ文庫の斎藤さん、そしてはまなす文庫の細川さん、たちがいれかわりたちかわり、紅茶にきてくれては、わらべうたやおはなし、絵本を読んでくれて。
今思えば、なんとぜいたくな、なんと豊かな時間。そういう人たちのおかげで、親もこどもも、ともに育ててもらったのです。

落合さんが今日のお話の中で、赤ちゃんは声の中にその人のかかわりを感じる、って言ってたけど、それ、ほんとにほんとです。
当時まだ0歳だった娘は、たぶん1歳半ぐらいまでしか落合さんの声をきいてないはずなのに(落合さんが金沢で暮らした時間は2年ほどなので)、10代の時も20代の時も、ひさしぶりの落合さんの声、聞いただけでなぜかわからないのに涙がでてきちゃう、って言ってたもの。

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斎藤さんと

1712_7 斎藤さんとの3ショット。

滅多に写真に撮られることのないまあさんが、斎藤さんとならんでくれました。


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ガラ紡のショールのその後

1712_5 斎藤さんの染め。
モスリンのコートの横にあるのは、ガラ紡と呼ばれる布の大判のショール。ガラ紡、って、今はふきんなどでも知られている布の名前です。

斎藤洋さんは、AIDSメモリアルキルトを日本に紹介したひとでもあります。
今日久しぶりに会った時、日本で最初に作られたメモリアルキルトの話もしてくださった。

真っ白い布に、亡くなったご夫婦のイニシャルだけが縫い付けられていたキルトがあったでしょ?あの布がね、白のガラ紡だったんだよ、と。

ああ、覚えて居ます!血友病の患者さんだった夫さんと、その奥様の、ご夫婦のメモリアルキルト。真っ白いから、ホワイトキルト、って呼ばれていた。1990年ころはまだ、誰の、とわかるキルトは作れなかったんだ。だからイニシャルだけ、お二人を表す想い出の一つも、縫い付けることができなかったんだ、、、。

私は20数年前、斎藤さんの作品展で思い切って、ガラ紡の大判のショールを買ったことがあります。すごく気にいった色合いだったんだけど、小柄な私にはちと大きすぎて、しょっちゅう羽織る、って風にならなかったのがあまりにもったいなさすぎて、ある日、えいや!ってハサミをいれて、ジョキジョキジョキ。そして手縫いで、ショールをロングベストにつくりかえちゃった。

今日はそれを着ていって、斎藤さんにお見せしました。ショールだった時より、今の方がずっと愛用しているんだよ!って言って。
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斎藤さんの染めたモスリン

斎藤洋さんたち、4人の作家さんたちの作品展@しいのき迎賓館にいってきました。

5年前から草木で染めるようになって、前のくっきりした線の染めとは違う感じだよ、もちろんまだまだなんだけど、でも草木にしか出せない色の、味がねえ、奥が深くてねえ、、、という斎藤さん。

1712_3 ウール毛斯綸(モスリン)のコートにうっとり。
ベンガラと柿渋で染めたのや、ダイラックというタイ山岳の虫の巣で染めたのや、栗のイガやキハダという木の皮(黄檗という薬になる木)で染めたのや、、、

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モスリンはフランス語。もとはモスル、というイラクの都市の名前から来てる(今はISが支配していたところとして知られてしまったけど)。
それがヨーロッパに渡って、モスリンと呼ばれるようになった。
江戸時代に日本に入り、はじめは高価だったけれどやがて、化学染料との相性がよく、鮮やかで綺麗な色に染まることでとてもはやり、輸入が活発になって値段も下がり、シルクがわりの安い布、として一時期おおいに出回ったが、いまはかつてのようにははやっていない。

だけど斎藤さんは、何かの代わり、としてのモスリンではなく、毛斯綸は毛斯綸としてモスリンが大好き。絹とも木綿ともちがう風合い、呼吸する布、からだにそってストンとおちる感じがなんともいいんだよ、と。

作品展は10日まで。ショールやスカーフも並べられています。

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斎藤さんの野染めの布と

京都の染めのおっちゃんこと、斎藤洋さん。25年前のうちのまんまえの原っぱで、野染めをしてくれた。その時の布の一部を、斎藤さんはずっともっていて、イラク戦争のときに「せんそうあかん」の文字を縫い付けた。

それ以来、この布は震災後の東北にもいき、縫い足されるちょうちょの数が少しづつ増えて行った。
9月に大津に出前に行った時に、斎藤さんの盟友のぽこちゃんからあずかった野染めの布、紅茶や草かふぇの仲間たちとまたあらたなちょうちょや小鳥を縫い足して。1712_2
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京都の風工房にお返ししようと発送したのとすれちがいに、斎藤さんはお仲間たちと4人で作品展@しいのき迎賓館。
12月7日から10日まで。

ってことで、いまから斎藤さんと染めの作品に会いに行って来ます。

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2017年12月 6日 (水)

今日の草カフェは先週の具志堅さんのふりかえり

目がさめたら、庭が白い粉砂糖をまぶしたよう。我が家の初雪。
2週間前に、ダイナミック剪定2回目が終わり、せんのき、ナラの木を伐ったので、東南の空が広く見えます。

今日の紅茶ない草かふぇは、先週の具志堅さんの沖縄の話のふりかえりをしましょう、聞いた人も聞いてない人も、言葉にしてゆくことで、お話が自分のものに少しずつなっていく、と思うから。
紅茶は1時〜。草かふぇは3時から1時間。

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沖縄といえば!カメジローの映画がいま、シネモンドさんで。
「米軍が最も恐れた男、その名はカメジロー」瀬長カメジローさんの存在が、今の沖縄に脈々とつながっている。
8日までは2:00~。9日〜15日までは10:15〜。


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実行委員会はしご

昨日は実行委員会のはしご。

ピースウォーク2018のはじめてのミーティング、おもしろそうなアイディアが飛び出したよ!今日もあるので(私は紅茶なのでいけないけど)そのアイディアがさらにふくらんで実現するといいなあ。
ウォークは3月21日です。

遠く七尾からミーティングに参加した草野さんは、1月21日自主上映会をする「憲法を武器にして〜恵庭事件 知られざる50年目の真実」のちらしも持参して。七尾美術館での一回きりの上映です。こういうことするのも、PWのミーティングに参加するのも、12条することだと思えて、と草野さん。私もこの上映会、応援しています。

恵庭事件(北海道のえにわ。牧場のすぐ横に基地があって、そのひどい騒音でとても平和に暮らせない。憲法をもじどおり武器にしてたたかった酪農兄弟の実話)には、ものすごい数の弁護士さんが弁護団をつくって、国と対峙しました。ナレーションは仲代達矢さん、実写部分もありますが、ドラマ部分は無名塾の若手俳優さんが演じています。ご兄弟もご健在で、50年後の今を、語ります。

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夜は、3月31日に柳田邦男さんをお呼びする計画の、2回目の実行委員会。福島を検証するようなかたちで、福島で起きたこと、今現在起きていること、そしてこれからのことを、柳田さんとともに、生きることを学ぼう、という主旨での講演会&パネルディスカッションです。会場はかほくの看護大。

またおいおいにお知らせして行きますが、関心ある方、恵庭事件上映会、ピースウォーク金沢、柳田邦男さん講演会、の日にちを、来年のカレンダーにしるしつけといてね。Photo

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2017年12月 4日 (月)

12月の東京に

12月9日は、月光荘画材店100歳をお祝いしてのおはなし会@銀座
15歳の時に出会った月光荘おじちゃんからもらった大切なもののお話を、させてもらいます。
・会場/画室2(2011年に『つながる三人展』を開催した会場です。)
・お話会時間/1回目13:30~14:30、2回目16:00~17:00
・定員/各回20名(とちょっと)画廊にラグをしいて。椅子も少し用意します。
・参加料/500円(税込)※お支払いは当日、窓口にて。
ご予約は、月光荘画材店まで 03-3572-5605 
私でもOK. ただし8日に上京するので、私へのご連絡は7日の夜までに。
会場には、できたての月光荘の本、「人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ」も並びますよ!
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12月22日は、調布のクッキングハウス30周年をお祝いする会「いのちの輝き 希望のあかり」@調布市文化会館たづくりのくすのきホール。
うれしいことに、満員御礼、だそうです!
新曲が10何曲もおりこまれた、ミュージカルのようなソシオドラマ「心の居場所 いのちの輝き」。
クッキングハウスの30年を時代とともにドラマにした、こんな試みは日本でも初めてとのこと。
松崎運之助さん、たまりばの西野博之さんによる講演「希望のあかり」も聞けますよ。
ソシオドラマで歌われる新しい歌は、クッキングハウスのみなさんが数年がかりでつくりました。こころにしみる、本当のきもちを歌った、いい歌ばかり。
おだやかなこころ、心の平和、ひとりぼっちじゃない、おいしいごはん、一緒に食べる/歌う/学ぶ、ともに働く仲間がいる、何を話しても大丈夫、自分のペースで、心の居場所、などなど、
いくつもの歌に、何度も重なる共通の言葉たち。それは、その一つ一つがどれだけ、にんげんの心をおだやかに、平穏に、平和に、保つための大事なキーワードか、ってことでもあるとおもいます。
私もこのお祝いの日を楽しみにして出かけます。
クッキングハウスつながりの方ともこの日はじめての方とも、この日調布で出逢えたらとってもうれしいです。

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森森いとこ対談@ワンネススクール

120831_3日、鳥越のワンネススクールいのちの暮らしまつりで、森要作さんと、写真を撮っている森栄喜さんとの、初のいとこ対談!「こころの居場所はどこだ!」

要作さんと13歳くらい違いの栄喜さん、「intimacy」で木村伊兵衛賞を受賞。彼の写真展をいつだったか、兼六園下近くのカフェギャラリーに見にいったこともあった。そのひとが要作さんのいとこだったとは!(要作さん本人もびっくりだったそう)

ワンネスのお部屋の一つでは「Family Regained:The Picnic 」というパフォーマンス映像が映し出されていた。栄喜さんとともだちと、友人の8歳の息子、その3人が赤い服を来て池袋の街のなかで道行く人に、記念写真をとってください、と声をかけ、栄喜さんのスマホで自分たちを写してもらう、その様子を映像で見る。

****栄喜さん

家族をつくりたい、っていう想いのプロジェクトに、そうとは知らずに通行人が参加させられていくおもしろさ。しかもカメラに仕掛けがあって、カシャ、と写すと画面は真っ赤になる。赤い服着た、男子2人+男の子のぼくたちは街なかで相当目立つ、でも赤い画面で見ると、赤い服は目立たなくなる。

こうあるべき家族のかたち、を多くの人は強固にもっているけど、こんなパフォーマンスの映像をとおしてとかでも、いつか、どんな形の家族も見慣れた風景になればいいな、と。

望まれた道を進むことはできないな、と遠いところへいったのが突破口。ニューヨークの美術大学で写真を学ぶ。恥ずかしいのかたまりの自分だったけど、初日のクラスで、僕は男の人が好きです、と言った。それでもう失うもの、何もなくなった。アート系の学校だったんで、その雰囲気でいえたかな。20年も前だったけど、すでにトイレはジェンダーフリーだったし。

何にもない時間、その人と過ごす、それだけですごいことだと思っっているので、それを記録に残したくて、写真を撮っている、という栄喜さんの言葉が、しみたなあ。居る、って、ほんとにすごいことだと、私も常日頃思って居るので。

******要作さん

栄喜の写真には、撮る人撮られる人、って感じがない。信頼しあってる関係性のなかで、自然なまなざしで撮ってる。そこがワンネスとも似ているかなあ。してやろう、教えてあげようとした途端、子どもはこなくなるもんね。
いまの社会は多数の人のためのシステムになってるから、マイノリティや不登校の子はいき苦しいよ。

はじめからスクールつくろうと思ったわけじゃない、芝居やってて、挫折して、鳥越に戻って、隙間風の多い場所をつくった。人の目からかくれんぼできる場所。はじめは気功の場から。
社会の中で金かせぐことができない自分、大人とは話があわないけど、子どもとはあう。子どもを通してなら自分も社会のなかで生きていかれるかな、って。

3つの縁があると思う。地縁、血縁、きえん(奇縁、かと思ったら、気縁、だそう。気、いのち、想い、でつながる、ってことらしい)。今、ここ、を大事にしてる。つい、過去と、この先どう生きるんだ、の未来にとらわれがちだけども、今、ここ、こそが大事なんだと。

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森森いとこ対談に、共感するとこいっぱい。要作さんをしったのはまだ彼が気功教室してるころで、いしかわ環境ネットワークの中で出会ったんだった。30年くらい前?

栄喜さんは瞳がとてもやさしくて、感じのいいものを内に秘めてる人でした。

鳥越までのドライブもよく晴れた空の下で、きもちよかった。いっぱい充電しました。本物の言葉をまた貯金しました。
けいちゃん、ももちゃん、ほっしー、まさみさん、ちょろさん、などなど、遠いのに、いろんな人にもいっぺんに会えました。

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ひとのまの宮田さんのおはなし

120630_ 2日、ワンネススクールさんからのお便りで、「今、居場所がおもしろい」で高岡ひとのまの宮田隼さんがお話しすると知って、出かけました。

めっちゃおもしろかった!宮田さんのopen 度が、半端ない!それを伝えたら、「めんどくさいんで」と。たしかに、こっちが先に開いたほうが、あとからめんどくさくないよなあ。

7年前にはじめた、コミュニティハウスひとのま。してることは実にシンプル、一軒家をあけて誰が来てもいい。
以前は開ける日と時間をきめてたけど、いまでは365日24時間、鍵をかけずにいつでもあいている。不登校の子も、引きこもりさんも、かつてのひきこもりさんも、子育て中のママも、おとなもこどもも。時にはホームレスさんも泊まっていく。

ひとのまに来たら300円払う。それで家賃と駐車場代をまかなう。
スタッフはいない。宮田さんも、ひとのまに来てる一人。
宮田さんは夜は塾で勉強教えて月謝をもらうので、ひとのまからスタッフ代はもらわない。

はじめはいろいろ考えて、人が来るようにしようとしたけど来なくて、考えるのやめたら来るようになった笑。
いろんな人がやってくる。その人と会ってる時の宮田さんを、その場にいる、不登校やひきこもりの子たちも見てる。それって、人間関係の、すごい学習の場だろうなあ。

宮田さんは専門家じゃない。相談員でもない。ただ、目の前にいる一人の話を、ひととして聴いて、できることないかな〜ってしてるうちに、今みたいな場になった。一人で考えない、その場のみんなと一緒に話し聴いて考える。

支援者、になりたくない。誰か一人に依存、って健全じゃない。僕がいなくても、その場がまわっている。 NHKでひとのまが放送される時も、ひとのまの人たちに訊いて決めた。決定権は僕にはないんで。

仕事、って思ったらできない。宮田さんにとっては話聞くのも、不登校やひきこもりの子の家を訪ねるのも、人間関係の延長なんで。

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今年1月、「不思議なクニの憲法」の上映会をひとのまで(石川、富山、とリレーのように何回もしたうちの一つ)。ひとのまのことは前から聞いてたのでこの機会に、とはじめて出かけました。幼い子から小中学生、若者から80代のひとまで40人ぐらいでみました。このごちゃまぜ感がいいなあ、って思った。

子どもたちは映画に登場した金髪お姉ちゃんの言葉「ギャルって
言われる人は政治のことを考えちゃいけないんですか?私だっていっぱい考えてます!」に、いたく反応したそうで。

その翌々日の紅茶に、宮田さんがふらりときて、ひとのまの話、自分の話、いろいろ聞かせてくれました。
紅茶は週休6日、水曜の午後だけあいてる場で、ちいさな似てるとこもいくつかあるけど、今回、たっぷりお話きいて、そのスケールと自由度がすんごいなあ、と感心したよ。

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さわともえさん コンサート

110227_ 沢知恵さんコンサート@もっきりやさんは、10数年振り(その時のコンサートにいって、ファンになりました)。そのもっきりやさんと沢さんは、同い年なんですって。

迫力あるピアノの弾き語り。いく色もの声。この日、一番ズシンってきた歌は「われ問う」。

大好きなおじいちゃん、大好きなおとうさん、おじいちゃんほどの人が、お父さんほどの人が、どうして戦争をとめられなかったの?どうして見て見ぬふりをしたの?

♫ ここまでなら大丈夫と だまってみているうちに
  気づいたら 何一つ自由に ものを言えなくなっていた

愛する子どもたちを守りたい、その想いが歌にあふれて、聴いてるこっちも、なみだがあふれた。今、多くの人に聴いてほしい歌のひとつ。途中でWe shall overecomeも入ってくるよ!

塔和子さんの詩「胸の泉」も歌に。病気のせいでかかわりを絶たれた塔さんが、かかわらなければ何も生まれてこないことを。「消印のない手紙」は、やはりハンセン病もと患者さんの桜井哲夫さんの詩。「しがまっこ溶けた」ーーこころの氷がとけた、というご本で桜井さんのこと、しった。塔さんの詩も「しがまっこ」も、津幡図書館の詩の時間に読んだなあ。

沢さんが関東から岡山に移住した理由の一つが、瀬戸内のハンセン病療養所大島青松園と近くなることだったそう。赤ちゃんの時にお父さんに抱っこされて島にいった沢さん。シンガーとなり、今は多くの人のサポートで毎年、青松園でコンサートを。

谷川俊太郎さんの「朝のリレー」、茨木のりこさんの「どこかに美しい村はないか」、韓国の歌「こころ」「朝露」、そしてオリジナルの歌もたくさん。最後はみんなで「きよしこの夜」、韓国語の歌詞でも。

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ひさしぶりにあう沢さんに、私の本をお土産がわりにいくつか持って行ったら、「あら、全部もってます、コンサートに行った先で、ぜんぶ違う人が、スウさんの本プレゼントしてくれるの」ですって。
せっかく持って行ったので受けとってもらいました。だって、さわさんからけんぽうぶっくもらった人、きっと読んでくれる!って思うもん。

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ココロ充電

Photo 週末は、たっぷりこころの充電。沢知恵さんの歌と言葉、高岡ひとのまの宮田隼さんのお話、きのうは鳥越のワンネスで、森要作さんと、写真を撮っている森栄喜さんとの、いとこ対談!

この4人に共通してるのは、自分の言葉でほんとうに思っていることを話してる、ってこと。だから、響くんだ。しみるんだ。

自分への愛をたやさない、ってこと、できるだけ大事にしてるけど、こういうのが、私の心への愛です。
またおいおいに記録メモだしていこう。

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2017年12月 3日 (日)

月光荘のピアノが黒部市に

月光荘のショルダーバッグのことを書いたら、金沢出身で今は東京で暮らし、月光荘のこともずっと前から知ってるきやさんが、今朝の朝日新聞川の手版(っていうのがあるんですね、山の手に呼応しての呼び方かな?)に載っていました、と、教えてくれました。

******きやさんより

今朝の朝日新聞に、「疎開ピアノ 黒部に帰る」として、月光荘のグランドピアノが富山県黒部市に寄贈されたとの記事が載ってました。

「(月光荘の橋本兵蔵さんは)戦時中、黒部市の宇奈月温泉に疎開していたことがあり、約70年ぶりに戻って美しい響きで市民らを楽しませる。」
「兵蔵さんは戦時中、宇奈月温泉に画材の製造工場を移し、居宅にピアノも持ち込んだ。46年の宇奈月温泉の大火で地元の小学校分校が焼失した時は、子どもたちが月光荘に通い、このピアノで音楽の授業を受けたという。」

と、紹介されています。
黒部川開発も100年だそうです。

昨年11月に宇奈月温泉を訪れた康造さん(兵蔵さんのお孫さん)が、100年記念イベントを企画する黒部市にピアノの寄贈を提案し実現したものです。

*****ですって!

スウのおはなし会は、12月9日@月光荘画室2
1:30〜と4:00〜と、2回お話させてもらいます。
ことし100歳になる月光荘画材店さん。高校生の時のおじちゃんに出会った私が、おじちゃんからもらったもののお話します。
参加費は500円、私にご連絡くださってもOK.

きのう、このご本がとどきました!「人生で大切なことは月光荘おじさんに教わった」。私の文章も少し。1712

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2017年12月 2日 (土)

「セントラルパークの詩(うた)」

昨日の真夜中にみたメール。
私が、「セントラルパークの詩」という本を書いた人かどうか、とまどいながら尋ねてくれてるメールでした。

びっくり!その本は、43年前の私の初の単行本。私がHONDA350のお尻にのっけてもらってアメリカ大陸横断した時の、旅の物語を書いた本です。
その方は高校生だった頃に読んで、ずっと覚えていてくださったんですね。なんとまあ、ありがたいこと。
うれしくて思わず、はい、私で〜〜す!とお返事しました。その方、今の私のブログを読んでくださってるそうです。

1712 その旅の間中、私が肩にかけてたショルダーが、月光荘のこのバッグ。来週9日の月光荘さんでのおはなし会でもお見せしようと、クローゼットから出してきたばかりだったので、ふしぎなシンクロにおどろいています。半世紀以上前のこのショルダーバッグ、色も褪せて、ホルンマークもとれかかっているけど、大陸横断の思い出がぎっしりつまっています。

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今年100歳の月光荘さんでのお話会は、12月9日1:30~2:30と4:00~5:00と2回あります。場所は画材店の方でなくて、そこから歩いて2分の画室2です。どなたでも。参加費500円。

月光荘のご本、「人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ」も今日届きました。
読みながらわくわくしてます。お話し会当日、会場にも並びます。

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