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2018年7月 7日 (土)

国が殺すいのち

国によって、命がころされた。

昨日殺された人の中には、自分の罪を認めて生きながら罪を償おうとしていた人もきっといたと思う。知り合いのかほく高松のお寺さんは、井上死刑囚に、生きて罪を償ってもらいたい、ということでずっと交流を続けてた。本当のことを知りたいご遺族もおられる。

気になる大雨情報を見ていると、いれかわるように教祖の映像がよくでてくる。そのときはチャンネルをきりかえる。今の若い人はこの教団のことも教祖のことも過去の話で知らないからと、知らせる意味もあるかもしれないけど、逆に作用することだっておおいにあるよ。キワモノ的な、はでなとり上げ方はすごくいやだ。

このままの自分じゃダメだ、自分なんて生きてる価値ない、と自分を否定したり、認められない人があふれているこの国。
自分を肯定してくれる絶対的な存在を求める、絶対的な答えをくれる人を求める素地は、この国に常にあります。
ヒットラーが、第一次戦争敗戦後のドイツ人に強い肯定感を与えたように、不景気になればなるほど、勇ましい、強い、肯定的な言葉を求めたい心理。それが全体主義の土壌の養分だ。

大雨に流されないようにするのはもちろんだけど、全体主義の洪水にも流されない自分でいたいと思うよ。

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