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2018年9月25日 (火)

山本先生のおはなし「私たちが平和をつくる」

第40回帯広・十勝母親大会。午前中は山本まさとしさんがお話する分科会「私たちが平和をつくる」に参加。山本さんは高校で社会をおしえてらした先生。今は札幌学院大教授。ママたちのひらく憲法寺子屋になんどもけんぽうの授業をしにきてくださって、そのつど、くわしいともみリポートを目にしていたので、直にお話きけるのがとってもうれしい。母親大会さん、ありがとう。もちろんお会いするのもはじめて。

山本さんの伝える工夫がすばらしい。イントロクイズで流れてきた曲。グループ作って40年、さあ誰でしょう?それはサザンの「いとしのエリー」。これ、桑田さんが原さんにプロポーズしてる曲だったの?知らなんだ。二人三脚、夫婦でサザンの歌をつくってきた二人、グループの名前も、サザンオールスターズ、みんなフラットで全員が主役。

はたして、73年前までの女性の生き方は?「この世界の片隅に」の主人公、夫の顔も知らずに嫁いだすずさん。産む性とみなされていた、当時の女性たち。銃後の守りはすべて女性。
産めよ増やせよは、結婚十訓の最後の言葉でした。
結婚報告、じゃないよ、結婚報国、育児報国。14人産んで日本一の子宝部隊として国から表彰された白戸さん。子どもを産むことはお国のため。一大国家事業として、女性の性はあつかわれてたんだ。

それを受け継いでる人たちが政治の中枢に今もいる、という現実に引き戻される。政治家たちの言葉は、かたちをかえた、産めよ増やせよ。今の少子化に国はすごい危機感持ってる。経済力がおちてしまうから、国家を守る人がいなくなってしまうから。いまだに、国の方が大事、ひとりひとりよりもの価値観のまま。
杉田議員発言を擁護してる「新潮45」。和歌山の本屋さんが、新潮社の本を置かないと、抵抗しています。

25歳で「青鞜」を出した平塚らいてう。一人称にてのみ、ものを書く、と宣言した与謝野晶子(晶子さんは月光荘のなつけ親ね)。わたしはわたし、という個人の人権宣言。らいてうは市川房枝と婦人参政権もとめる運動を。当時、女性は政治活動が禁止されていたので、男装して行ったとか。
婦選・普選運動は、不戦ともつながる言葉。普通選挙がないと、女性が自由にものをいえる社会でなければ、戦争につながってしまうから。

山本さんの授業には、伝えたいの工夫がいっぱい。知ることの楽しさを知れば、学ばないことのこわさを自分で感じられる。濃い〜〜授業をうけられてほんとによかった。山本先生、ありがとう!

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午後の部の始まる前に、山本先生が、私とマリコさんとともみさんを、帯広駅なかでしていた「表現の自由展~戦跡とアートの融合・トーチカの記憶」に連れて行ってくださった。戦争末期、北海道の海沿いにたっくさん作られたトーチカという、建物ともいえないような戦跡。箱のようなものを沿岸につくり、その箱の中の穴から銃でうってロシアを迎え撃つ、というもの。
鉄筋の材料もないなかで、すぐにやられてしまう脆い箱をつくって敵をやっつける、という発想そのものが、人間魚雷の回天にも、伏龍にも、竹槍にもつうじてしまう。表現の自由、というタイトル自体に迫力がありました。
こういうものを伝えようとする人たちが、北海道にいるということが大事なこと。ちょっとの時間でも、見られてよかった。

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