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2018年12月30日 (日)

辺野古に

12月3日。辺野古へ。
海と向き合うテントにいるゆりちゃんと、8ヶ月ぶりに再会した。でもとってもしんどい顔してる。だってこの日の朝、14日から辺野古の海に土砂を投入する、って発表されたのだもの。
この日は朝から、ダンプが100台くらいもきてキャンプシュワブに入っていったという。テントにいるゆりちゃんは目も肌も砕石のほこりでじゃりじゃりになっている。

沖縄の人はもうもう十分に怒っているよ。それを表現もしているよ。毎日毎日。選挙でも意思表示しているよ。怒った先はいったい、どうしたらいいのだ。

ゲート前に並べられたおりたたみのイスにこしかける。
「ここにすわるのは憲法で保障されてる表現の自由だ、国家の暴走に対して、表現の自由を行使している。道交法違反だと相手はいうが、憲法の方が上だ。ひるむ必要はありません」とマイクで言う人。

でも、パトカーに先導されて、午後の部のダンプが隊列になってやってきたら、沖縄県警の人たちが目の前にずらりと並んで立って、屈強な若い人たちに両脇つかまれて、情けなくもあっけなくひっこぬかれる私。

砕石積んだトラックはこの1日だけで232台、キャンプにはいっていったという。

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その5日後、私は東京にいた。PCJF贈呈式の会場で、「沖縄スパイ戦史」でこの基金の奨励賞を受賞した三上智恵監督のスピーチを聴いていた。三上さんの言葉の一部をまたここに。

「沖縄が大変だから、それを全国の人にわかってもらいたい、そう思って映画をつくったことは、一度もない。沖縄大変だから、じゃなくて、沖縄にいると、あからさまにわかる。日本が壊れるけど、知ってますか? 三権分立おわってるけど、国民主権手放しつつあるけど、いいですか?対岸の火事じゃなくて、皆さんの服にもう火ついてますよ。大丈夫ですか。そのことを自分はいってるんだけど、この壁は何なんだ。

宮古は着工、石垣はこれから。となれば、沖縄戦から直接、処方箋もらってくるしかない。だから「沖縄スパイ戦史」をつくった。9条あっても、強いものに守られたい、とみんな大合唱。それに反対してる沖縄の人たちはわがままだ、アメリカに守ってもらってるのに、自衛隊にまで反対するなんてわがままだ、といわれる。自分だけ守られればいいの、誰に守られるの?

あったことがなかったことにされて、歴史の漂白がおきてる。「沖縄スパイ戦史」で描いたことは、日本軍によって、意図的な策で、何千人単位で殺されたということ。それは沖縄だったから、じゃない。軍隊の本質。旧日本軍と今持とうとしてる武力組織とが、今も繋がってるのか、繋がっていないのか、明らかにしたいとつくった映画です」

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その6日後の14日、辺野古の海に土砂が投入された。以後、ずっと、されている。

ホワイトハウスに署名を送ろう、2月の県民投票までは辺野古の海に土砂投入しないで、とハワイの沖縄県系4世のカジワラさんがよびかけをはじめた。その署名、もう17万人?(その中の一人に私もなった)ふだんは声をあげないでいたひとも、テレビでよく顔をみるあのひともこのひとも、この署名のよびかけをしてる。

沖縄タイムスで、署名のやりかたをわかりやすく説明しています。
まだの方、おきもちあったらどうか。










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