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2018年12月29日 (土)

かざぐるまキルトからシーサーまで

12月2日夜。やんばるにおま住いの水野さんご夫婦が、やんばるほっとかふぇにいる私に会いにきてくださった。ミスター水野さんは、前日のゆかるひさんに話をききにこられて、その時に、お連れ合いが私を知っているという謎の言葉を残した方。そのわけがどうしてもしりたくて、お二人にきていただいたのだ。

謎がとけました!
ことの発端は、1988年のいのみら通信の付録につけたかざぐるまフレンドシップキルトの型紙→当時、札幌にいて通信の読者だった樋口みな子さんが、その型紙を稚内にいる友人の児童文学者さんに送った→その方のお連れ合いさんはキルトが得意→彼女は、やはり針仕事の得意な友だちである水野備子さんを誘い→稚内でもかざぐるまのフレンドシップキルトが縫われた由。そのキルトは、脱原発デモの時にも、地域の高校の文化祭などでも、大活躍したのだという。

7年前に亡くなった安宅路子さんが、脱原発の願いをこめて30年前に考案した一枚の型紙が、こうして北海道に渡り、実際にその型紙をつかって、稚内でかざぐるまキルトを縫った人が、今、沖縄のやんばるに暮らしていて、私と出逢うって!なんてすごい物語だろう。

水野備子さんの手は、今、陶芸でシーサーもいっぱいつくっているという。翌日、今帰仁城址のグスクショップにおよりして、安宅さんへのおみやげのシーサーを選びました。備子さんの手づくりシーサーは大きさも、表情も、背中の模様も、一つ一つ違う。背中が星のもようのこれに、きめました。

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安宅さんちには今も月一回かよっている。私のからだのメンテナンスを安宅治療院さんにお願いしているのです。つい先日、予約した治療の日にやっとこの物語を語れて、水野さんのシーサーを直接お渡しすることができました。

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