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2019年5月 7日 (火)

神戸記者と奥田牧師の言葉

6日のnews23を見ました。テレビ放送局記者の神戸金史さんが、相模原やまゆり園事件の被告と接見した記録。
「植松聖被告は、障害者の父である私に、何を語ったのか」と。
 
神戸さんのことは、去年、いしかわピース9コンサートのゲストだったパギヤンが、神戸さんの書いた手紙を歌にして教えてくださってたので、番組表を見た時にすぐ、あの方だ、とわかりました。
 
番組のメモ書きです。被告の言葉をできるだけここに書かないようにして、かきとめた部分だけでも。
 
神戸記者
 あなたは役に立つ人と立たない人との間に線を引いて、人間を分けて考えているようですね、もしかするとあなたは、自分は役に立たない人間だと思っていたのではないですか。事件を起こしたことで役に立つ人間の側に立ったと思っているのではないですか。
 
接見の場に同席していた奥田知志牧師
 彼はあまり役に立っていなかった、と思っていた。彼自身も存在の危機の中に生きていたのではないか。
 「社会保障を使っている人はダメな人」そういうプレッシャーがすごくある。「意味のない命を殺すことこそ社会のためになる」という主張を果たすことで、僕、役に立つ側になったよ、生きてる意味あるよ、という承認欲求というか、生産性の証明というか、時代の圧力の中で被告自身もあの選択をしたのではないか。
 ホームレスや困窮者、在日外国人、、さまざまな人に対して分断ラインが引かれていく。「役に立たない人間は排除しろ」「生産性低い人間は意味がない」と、彼の言葉でなく、時代の言葉として語られてきた。
 その論理が通用するなら、障がい者だけじゃない、当然、高齢者に向くし、ひきこもりにも向く。この事件は今ここで、本当にみんなが考えないと大変なことになる。
 
*****
 
奥田牧師の言葉を聞きながら思い出していたのは、Eテレのドキュメンタリー番組「ホロコーストのリハーサル」。ナチスのT4作戦で、障がい者たちはどのように、安楽死という名の下で殺されていったか。それに反対したガーレン司教の言葉をもう一度ここに。
 
。。。こうして人々が沈黙する中すすんでいった障害者の虐殺.そんな中,ついにある人が声を上げました.それは,ドイツ北西部の町ミュンスターの司教だった,クレメンス・アウグスト・フォン・ガーレンでした.フォン・ガーレンの耳にも信者たちの家族が殺されているという噂ははいっていました.1941年夏,ついに教会の説教の中で「行われていることは障害者を救済するという恵みの死ではなく,単なる殺害だ」と明言したのです. 
(中略)  説教をした教会の一つ,聖ランベルティ教会では,今もその言葉が大切に残されています.
 
「貧しい人 病人 非生産的な人.いて当たり前だ. 私たちは,他者から生産的であると認められたときだけ,生きる権利があるというのか.非生産的な市民を殺してもいいという原則ができ実行されるならば,我々は老いて弱ったとき,我々も殺されるだろう. 非生産的な市民を殺してもいいとするならば,今弱者として標的にされている精神病者だけでなく,非生産的な人,病人,傷病兵,仕事で体が不自由になった人全て,老いて弱ったときの私たち全て,を殺すことが許されるだろう」
 
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司教の言葉がドイツ中にひろがり、T4作戦の法律は廃止された。が、その後も虐殺は続けられていてそれが、ホロコーストのリハーサルになったのだった。
誰もがいつか、生産性のない、役に立たない、人になる。もちろん私も。そういったものさしで人を切り分ける社会は、平和から遠い社会です。

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