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2019年6月 2日 (日)

志賀原発にあらがった人たちに、学ぶツアー

6月はじめの日、むぎわらぼうし例会で志賀原発の学びのツアー。貸切バスは満員の25人。むぎわらメンバー、紫金草合唱団メンバー、メンバー以外の個人も参加、私は紅茶仲間の二人と参加。
 
ガイド役は途中からのりこんだ、志賀町町議の堂下さん。
196 志賀原発の安全性を説明するアリス館を見た後、超懐かしの団結小屋へ。
出迎えてくれた、志田ヒロさんはじめ、のと女の仲間たち、ずっと現地で反対運動してきて、小屋に泊まり込みもしていた多名賀さんはじめ、命のネットワークのメンバー。
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小屋の前の草も刈り取られ、小屋にあがるコンクリも踏み台もあらたにつくられ、手づくりのおにぎりお弁当もあり、この日、私たちを迎えるためにみなさんどれだけ準備してくださったか。小屋は50人近いひとで満杯ながら、浜風が通り抜けてきもちいい。
 
準備はそれだけでなかった。むぎわらぼうしから、志賀原発と闘ってきた地元の人たちの思いと歴史を知りたい、という依頼をうけた志田さん。珠洲原発反対運動の記録はあるけど、志賀原発のそれって、ないなあ、、と思いあぐねてたら、実は、あったのだ!全11冊にのぼる、膨大な量の住民運動の記録。それを志田さんは必死に読み込んだのです。
 
原発候補地、はじめは志賀町と隣の福浦だった。福浦の漁師さんだった中町さんが50年前から出し続けた日誌と手書き通信「ふるさと」には、抵抗の歴史が克明に記されてた。志田さんは、自分も初めて知った中町さんの半世紀前からの日誌に、命をも一回ふきこむようにリアルに語ってくれました。
 
その中町さんの言葉。西海漁業組合長として海洋調査にずっと反対し続け、そのため県から組合にひどい圧力の「西海つぶし」をかけられ苦しんだ川辺さんの、「天を恐れよ」の文章。現地赤住のリーダーだった橋菊太郎さんの奥さんで、いつも団結小屋に保温ジャーいっぱいのおにぎりを持ってきてくれた橋のばあちゃんこと、たきさんの、裁判所での意見陳述。そのどれも読み手をきめて、のと女メンバーが音読してくれました。
 
現地で声をあげることの、なんという厳しさ。お上のすることにたてつくなんて、の意識は今どころでない時代。村八分、いやがらせ、脅迫。北電は福浦をあきらめ、赤住の二次買収にかかり、松茸の山も海も、北電にとられてしまう。赤住の反対運動はさらに激しくなって、日本初の住民投票が実施されたけど、原発の反対票が多くなったのを見越した県が介入、封印、ついにはそれを燃やしてしまう。地元紙が、もうみんな賛成したと報道し(実際にはしてないのに!)、これじゃもう、、とあきらめて賛成に回る人も。この時代から常にフェイクニュースはあったんだ!
 
原発に反対し続ける信念を持つことがいかに大変なことだったか。志田さんは資料を読み込んで、ここの人たち、がんばったんよ、と金沢の人たちに知ってほしい、そう思ったという。むぎわらぼうしからの依頼のおかげで、志田さんものと女のみんなも、はじめて知り得たことがたくさんの、深い学びをもたらしたって、なんてすてきなことだろう!頼んだ方頼まれた方、双方の学び。ああ、このツアーに参加してほんとによかったよ。
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ハガキをつけたヘリウム風船をみなで飛ばす。風向きをしらべるこの風船飛ばし、ずっと定期的に続けられている。新潟の魚沼郡に到達した風船もあったという。
団結小屋の出口で、富山からきてくれた和田さんが「やめんまいけ・原発」と「ケ・サラ」の辺野古バージョンに橋さん夫婦をしのんだ歌詞を入れて歌ってくれました。みんなも一緒に大合唱。歌いながらもう、涙がとまんなかったよ。
 
♪ ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ
 僕たちの人生は 平和と自由と脱原発を
 求めて生きてゆけばいいのさ
 
 いつも思い出すのは 原発反対をつらぬき通した
 橋菊太郎さん・たきさんと仲間たちのやさしさ
 決して忘れはしないさ
 ケ・サラ ケ・サラ ケ・サラ 
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のと女のみなさん、命のネットワークのみなさん、ほんとうにありがとう!!

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