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2019年11月 1日 (金)

身の丈考

どこのおはなし会に出かけてもかならず口にする言葉。「誰もが、身の丈に認めてもらいたいと願って生きている」。
紅茶の時間を続ける中でいつからかしらそう思うようになったんだけど、この願いが、実は「人権」だった、と気づいたのは、この言葉をいいだ
したずっとずっとあと。
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過大評価されて、常に身の丈以上を求められるのってしんどくて息切れするし、かといって身の丈以下に見下されるのもすごく悲しい。等身大の私まるごとが私だ、それを私自身も認めて、受け入れたい、って思ってる。無理に背伸びせず、卑屈にもならず、という意味での、身の丈。
 
私がそのように大事にしてる「身の丈」という言葉を、ぐちゃっと踏んづけた人がいる。この言葉にはたしかに、分相応、身のほど、身分に合った、身分わきまえて、って意味があることは知っている。でもそれって、上から目線の、見下した、身の丈だ。私の大事な身の丈と、真逆のベクトルの身の丈だ。
 
この逆ベクトルの言葉の使い方のせいかどうかは知らないけど、受験生を不安にさせ混乱させる、英語の民間テストの導入は延期になった。多くの人が、不公平だ、それはおかしい、って声をあげたおかげだね。「学問の自由は、これを保障する」の23条ともあいいれないもんね。
 
だけど、めんどくさ。これから先のおはなし会で私が、身の丈、というたび毎回、注釈つけなきゃならないなんて。真摯も誠実も責任も、一つ一つは大事な日本語なのに、違う使われ方がはびこっちゃうと、あんまり使いたくなくなる。憲法守らず、壊しまくってる政治家たちに、日本語まで壊すな、とさけびたいきもちだよ。

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