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2020年3月31日 (火)

はしもっちゃんのこと

その悲しい知らせをうけとったのは2月の末でした。ご病気療養中だったはしもっちゃんこと、「みんなで決める会 新潟原発県民投票を成功させよう」共同代表の橋本桂子さんが亡くなられた知らせ。

私は、はしもっちゃんに会ったのは二度だけ。それでも、包容力があって、明るくて、いっぱい考えてて、つやつやのすてきな笑顔のはしもっちゃんをとってもよく覚えているよ。

2015年の秋に、新潟県関川村のコンさんに呼んでいただいた時、新幹線の上越妙高駅まで私を迎えにきてくれて、そこから3時間車を走らせての関川村まで、はしもっちゃんと私は自己紹介しあいながら初対面の時間を共有した。翌日のけんぽうお話の出前もきいてくれて、また、村から上越妙高駅まで私を送り届けてくれた。

「おらっての電気をつくろ」と、おらって新潟市民エネルギー協議会にかかわり、柏崎刈羽原発の稼働についての県民投票条例を求めて動いてきたことなど、ぽつぽつと、私が聞くことに答えてくれたけど、自分からあれもこれもとしゃべるひとでなかったから、はしもっちゃんのしてきた大切なしごとのことは、ほとんど知らずじまいだったと思う。

私が関川村に行った2ヶ月後、コンさんとはしもっちゃんは二人して、細川律子さんの宮沢賢治の紅茶の時間にきてくれた。律子さんの読む賢治、コンさんの語る村に伝わる昔話と紙芝居。岩手と新潟、二人の語り手の出逢いに感動した日、はしもっちゃんもほんとに楽しそうに笑っていたね。

コンさんが送ってくれた、「みんなで決める会」の報告書は、2013年発行。68000人の県民の署名をあつめて、原発の新潟県民投票条例を制定してください、と直接請求した記録。県議会で述べた、はしもっちゃんはじめ、県民の意見陳述も載っている。Img_1979
泉田知事(当時)もこの請求をとても重く受け止めて意見書も出してくれたのだけど、議会では44:7で否決されてしまう。それでもこの会のすごいところは、審議後、県議全員に面談して個別に聞き取りをしてその報告も載せているところ。(電話での聞き取りもあれば、結論がでたことにたいしてお話することはない、と言われた議員の話もふくめて載せている)

あらためて、はしもっちゃんの存在の大きさやていねいな仕事ぶりを知って、彼女に出逢わせてもらったことに心から感謝した。2011年の福島原発事故後、原発を抱える県に住む人はそれぞれに、原発を再稼働させていいのかって自問自答したと思う。その問いの答えの一つを見せてもらった気がする。

はしもっちゃんのしてきたようなことは、市民活動っていうより、主権者運動って呼びたい。自分たちのことを自分たちで決める、国や行政任せにしない。この報告書から、私は主権者です、と凛として陳述しているはしもっちゃんの姿が想像できたよ。

今、コロナ感染の不安が蔓延してて、大きな力でこれをくいとめてほしい、いっそ外出を禁止にしてほしい、と国が緊急事態宣言を出すことを望むような声が大きくなってきてる。
主権者はどこにいった? 自分がどう行動するか、決める主役は、ほんとは、あなただよ、わたしだよ。だよね、はしもっちゃん。手のひらのハグで合掌。

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