2019年12月 3日 (火)

東近江へ

iPadを持って旅に出るようになったので旅先からFBにリアルタイムで投稿できるようになりました。

ブログへのアップは石川に戻ってからなのでそこにタイムラグがあるんだけも。遅ればせのアップで、堪忍。

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枚方を出て、今は京都駅のでりかふぇで、これから伺う東近江での話の中味を整えてるところ。
したがきはいつも石川を出る前にメモ書きするけど、最終的にこれで行こう!と心が定まるのはこんな時間が一番いい気がする。

出前紅茶はいつだって、呼んでくださる方とのコラボだ。
今日は昨日のおやこ劇場さんで話したことよりは、憲法の分量が少し多い方がよさそう。
お伝えすることの基本はほぼ変わらないけど、切り口というか味付けというかがいつも少しずつ違う。

さて、心が定まったので、昨日の会場で和子さんがぷれぜんとしてくれた今週の週刊金曜日をめくる。
太郎さん特集号。奥田牧師さんとの対談も載ってる、必見の一冊です。

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2019年11月29日 (金)

21美で

21美に納品に行くたび、この楽しい作品にはいつも足をとめて話しかけてしまう。Img_1542 Img_1544

それから、ここんとこいつも21美にいくと、館内のどこからか不思議な声が聞こえてくる。わお〜〜〜〜ん、うおお〜〜んん、という狼の遠吠えのような。はじめは耳の錯覚かと思ったけど違った。展覧会のなかで、女子たちが犬にあわせて遠吠えしてた。
なのでつい、この画像の前にたつと、私たちも、わお〜〜〜んんと、一緒に遠吠えしちゃいます。 子どものいない時期が長かった私たち夫婦は、時に夫婦間で、犬語で対話してた時期もあったもんで余計に。

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21美は2004年に開館。今年で15年経ったんだね。ショップにほめしゃわをその半分以上の年月、(2010年から)置かせていただいてるありがたさ。
12/20~2/2まで21美は休館するそうです。21美、今度はどんな表情をみせてくれるんだろね。

あ、先日大学の同窓会にいったら、21美の設計者のお一人の妹島さんが、母校のあたらしい図書館や教室棟を設計される由。つまり、せじまさんは私の後輩ってわけ、学科は違うけど。

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2019年11月26日 (火)

香港で

https://headlines.yahoo.co.jp/hl…

香港区議会議員選挙。投票で自分たちの意思を示した香港のひとたち。
投票率あがったことがすごく大きいね。

民主派が圧勝したけど、これはただの一歩、はじまり、とチョウさん。

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フランシスコ教皇の言葉

フランシスコ教皇の言葉。長崎と広島で。
本当に心から思っていることを語っておられるから、一言一言が胸に響く。
保存版にしたい。

原子力、核兵器、武器の軍拡、そのことにも具体的にきちんとふれて。それらは、人類に対するテロ行為なんだと。

核兵器と原発を区別しないところもすばらしい。核抑止力を認めてない。

それは世界がそれと真逆の方向にぐんぐん進んで行ってることへの、おおいなる警鐘。
すべてのいのちをまもる。そのためには、あなたの、わたしの、すべてのひとの参加が必要なんだね。

 

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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191124/k10012189341000.html?fbclid=IwAR29O0C9EhioLJ0ATeCwV8YU4wjIaQWMct5lSnhFadzlCYWRIpv7O0qLzqQ

ローマ教皇庁が発表した、フランシスコ教皇の長崎と広島でのスピーチ全文は以下のとおりです。

長崎・爆心地公園 2019年11月24日

愛する兄弟姉妹の皆さん。

この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。

人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。

核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。

今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。

カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。

こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。

心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに愛を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。



広島 平和公園でのスピーチ

教皇の日本司牧訪問
教皇のスピーチ
平和記念公園にて
2019年11月24日、広島

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。

ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。

この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。

わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、じっと祈るためです。とくに、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。

わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。

確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。それは、わたしがすでに2年前に述べたとおりです。これについて、わたしたちは裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、国と国の間で何の行動も起こさなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪のスピーチで、あのだれもが知る偽りの行為を正当化しておきながら、どうして平和について話せるでしょうか。

平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス―地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を求めるため、他者に何かを強いることが正当化されてよいはずはありません。その逆に、差の存在を認めることは、いっそうの責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。

実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈して対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。

だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。

神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、心から声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11-12)。

主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

 

 

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2019年11月21日 (木)

山本太郎さん@片町きらら前

紅茶を4時半に閉めて、金沢片町きらら前へ。5時から7時過ぎまで、太郎さんの熱いトーク。6月の時は、れいわがまだまだ人に知られてなかったため、最初にれいわのことと自分の考えを語っていたけど、今回は最初から、路上で聞いてる人たちとの一問一答からはじまった。Img_1512
 
病気や障がいを持っている人たちのための施作、経済問題、エネルギー問題、消費税のこと。どの問いにも逃げることなく、考えていること、できないとおもうことをs、路上のおおきい画面を示しながらわかりやすく説明していく。
 
問われたことがこういう受け取り方でいいかどうか、一回一回確かめつつ、紋切り型でなく、言葉を選んで、誠実に話す。
足を止める人、だんだん増えてくる人、足早に通り過ぎる人、拍手する人、、、
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投票に行かなかった50%の人にどうしたら行ってもらえるだろうか、の問いに、一人が一人に語りかけることから始まると思う、と答えたのに、激しく同感。手間ひまかかるけど、個人が個人に思いをこめて伝えるしかない、って、私も思ってる。
 
冷気がしんしんと降りてくる中、ひとりひとりと向き合う太郎さん。聴き入る人たち。太郎さんの話に即、パソコン画面をきりかえて図表や文字を見せてくれる人、この場を設定し準備したたくさんのボランティアスタッフさんたち、みなさま、寒い中、ほんとにありがとう!おつかれさま!!
 
太郎さんのポスターもらってきた。家に貼ります!

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2019年11月20日 (水)

「i新聞記者」

今回の旅は夜行バスで金沢東京の往復。
なので、夜まで時間たっぷり。ピカデリーで上映が始まった「i新聞記者」を観る。

望月いそこさんを追った、森達也監督のドキュメンタリー。辺野古、宮古島、官邸、福島、もり・かけ、籠池さん、前川さん、伊藤詩織さん、かんべ記者、、といそこさんが疾風怒濤のごとく追いかける。その迫力、臨場感、半端ない。彼女の歩き方見たら、「新聞記者」で記者を演じたシムウギョンさんがいそこさんをよく見てたんだとわかる。

官邸内のバトル、何度もニュース映像で見てる官房長官の、木で鼻をくくった返し、繰り返される質問妨害。映画の中で見るといっそう悔しくて血圧一気にあがりそー!(官邸記者会見はすべてニュース映像のみ)

いそこさん、わたし(たち)の知る権利、報道の自由、表現の自由のために、ジャーナリストとして至極当たり前のことしてるだけ。めだつことがそもおかしいのに。
最後の森監督のメッセージ、胸の真ん中にずっしーんと刻んだ。

夜ご飯はピカデリー地下にあるMUJI mealで。無印のビュッフェスタイル夕ご飯。前に有楽町でたべたけど、ムジミール、安くておいしいのだ。

ピカデリーのすぐそばの、DUG.まあさんと学生時代に行ったジャズ喫茶。わお!

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2019年11月 4日 (月)

伊藤ちひろさんのおはなし。

11月3日、伊藤千尋さんのお話、9条を活かして誇れる日本を、をお聞きしました。
たいわけんぽうぶっくには、巻末のおすすめブックで伊藤さんの本をご紹介してるので手渡しでおもちしました。

わあ、伊藤さん、満面の笑み。九条の会石川ネットの五十嵐正博さんにとっていただきました。
会場には、加賀で九条の碑を建てられた西山さんもお見えになっています。

 

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伊藤ちひろさん、ハキハキとした口調で、お話もとっても明快。
アフリカ沖のカナリア諸島に建てられたスペイン語の9条の碑。トルコにもある。日本国内には21ある9条の碑。沖縄に7つ、石川に3つ。広島のは栗原貞子さんのお墓のよこに。
2017年韓国での平和宣言会議にて、9条は北東アジア全域の軍事対決を避ける平和の鍵として機能してきた、と。
 
1946年1月に、当時の幣原首相がマッカーサーに迫った言葉。「歴史の偶然は、日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えた。日本が自発的に戦争を放棄することが、世界を救い、アメリカも救う唯一の道である」と。
9条は、ただ持ってるだけじゃだめ。世界に広げることが任務。
 
九ちゃんの歌で知られる「幸せなら手をたたこう」の歌。この歌の作詞者は、木村利人さん。フィリピンにボランティアに行った時、日本軍に父親を殺された若者から、お前を殺してやる!といわれたが、木村さんがボランティアする姿を見続けた彼が、やがて握手をもとめてきた。自分が何ができるか、態度で示そう、と感じてこの歌詞になったそうだ。
 
コスタリカは世界で2番目に平和憲法をつくった国、そして憲法を使っている国。
かつては軍事費にお金がかかりすぎていた(国費の30%も!)。何にお金を使えば社会は発展するか、そうだ、教育だ!そこで軍隊をなくし、国費の30%を教育に。幼稚園から高校まで無償。大学生の70%は、返す必要のない奨学金で大学に通い、残り30%は授業料を払って大学へ、その額年間3万円。軍事費をなくしたからできたこと。ちなみに医療費も無償。
 
コスタリカ公務教育省の人が語る。「教育の目的は、本人がしあわせであること。この国は人権の国。他人の権利を認めることが平和につながる。自分と同じく他人の人生を尊重することから民主主義が生まれる」と。ああ、これってまさに13条の実践だなあ。
 
誰もが愛される権利を持っている、と小学生も知っている。対話型の授業を重ねて、もっといい考えにしていくことを学ぶ。小学生も公約をだして生徒会長の選挙に臨む。人気投票でなく、みんなのためになる公約かどうかの選挙。
4年に一度の大統領選挙ではこどもも模擬投票に参加する。本物の投票用紙を使って。中学生のボランティアが、伊藤さんに向かって、自分が何故この人に投票したかをとうとうと語ってくれたそうだ。
 
コスタリカは完全比例代表制で選挙する。連続再選禁止。57議席中、女性は26名。憲法で議員の40%以上は女性、とあって憲法に書いたら実現するように社会の制度をつくっていく。
違憲訴訟はこどももできる。みんなのためにする訴訟だからお金もかからない。イラク戦争の有志連合に参加すると表明した大統領を訴えた、当時は法学生のサモラさん。「憲法が危機に陥った時、国民にはたたかう責任がある」と。ああ、このサモラさんのことも、「たいわけんぽうぶっく+」に書いたなあ、といっぱいうなづきながら聞いてました。
 
伊藤さんは、ベルリンの壁が崩れる前の、デモの人数のふえかた、9.11のあとのアメリカで、国旗をつけて走る車の数を数えたことから、1割ちょっとの人が一斉に同じ行動をすると、みんなしてるように見えることを発見。これを、「社会をかえる15%の法則」って名付けたそうだ。
あきらめないこと。思ってるだけじゃなくて、態度で示すこと。15%の最初の一人になること。それで日本の世界史的任務を果たそうよ、と。

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2019年11月 1日 (金)

身の丈考

どこのおはなし会に出かけてもかならず口にする言葉。「誰もが、身の丈に認めてもらいたいと願って生きている」。
紅茶の時間を続ける中でいつからかしらそう思うようになったんだけど、この願いが、実は「人権」だった、と気づいたのは、この言葉をいいだ
したずっとずっとあと。
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過大評価されて、常に身の丈以上を求められるのってしんどくて息切れするし、かといって身の丈以下に見下されるのもすごく悲しい。等身大の私まるごとが私だ、それを私自身も認めて、受け入れたい、って思ってる。無理に背伸びせず、卑屈にもならず、という意味での、身の丈。
 
私がそのように大事にしてる「身の丈」という言葉を、ぐちゃっと踏んづけた人がいる。この言葉にはたしかに、分相応、身のほど、身分に合った、身分わきまえて、って意味があることは知っている。でもそれって、上から目線の、見下した、身の丈だ。私の大事な身の丈と、真逆のベクトルの身の丈だ。
 
この逆ベクトルの言葉の使い方のせいかどうかは知らないけど、受験生を不安にさせ混乱させる、英語の民間テストの導入は延期になった。多くの人が、不公平だ、それはおかしい、って声をあげたおかげだね。「学問の自由は、これを保障する」の23条ともあいいれないもんね。
 
だけど、めんどくさ。これから先のおはなし会で私が、身の丈、というたび毎回、注釈つけなきゃならないなんて。真摯も誠実も責任も、一つ一つは大事な日本語なのに、違う使われ方がはびこっちゃうと、あんまり使いたくなくなる。憲法守らず、壊しまくってる政治家たちに、日本語まで壊すな、とさけびたいきもちだよ。

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2019年10月26日 (土)

太田先生のブログから

青年劇場の福山さんが、おしえてくださったブログ。
 
「平和へのメッセージ」を見にこられていた教育学者で前大東文化大学学長の太田政男さんがこんなふうに書いてくださっていたと。
とってもうれしい!
朗読会の二日間、最後に劇場のみなさんで群読してくださったのです。12条と13条とを。
太田先生、13条を、うたの歌詞もふくめて全部書いてくださいました。
朗読会の翌日、茅ヶ崎でピースウォークがあったんですって!
 
あ、ピースウォーク金沢は2001年の1回目から参加してるけど、はじめたのは、アルのむつみさん、みゆきちゃん、たいとうドクター、そしてアムネスティの前田さん、です。私はおしらせをいただいて駆けつけた一人。
 
酒中日記
http://blog.livedoor.jp/masao55ota1/archives/52243997.html

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2019年10月16日 (水)

リッキーさんのお話と、みしなさんのお話と。

金沢の柿の木畠、竪町通りに近い油車のあたり、鞍月用水の流れの上に枝をのばして、たわわに(って言い方は実のことをいうのかな)咲いてる金木犀。この界隈、どの小径を曲がっても、金木犀のかおりがする。とあるお家の植木鉢に咲いてたのは銀木犀?香りが金よりすこし地味目だけど、同じ香り。Img_1170 Img_1169

きのうの午後はもっきりやさんで、リッキーさんこと、コスタリカ研究家の足立力也さんの、コスタリカに学ぶ地球環境のお話をきき、夜は、中日新聞文化部の三品信(みしなまこと)さんの「表現の不自由展その後」について考えるお話をきき、私のあたまはまだパンク状態。

軍隊をなくした国コスタリカの人々の心に、インストールされている、という人権感覚。70年余りもの間、粘りつよく、しつこく、この国は軍隊を持たない、戦争をしない、そういう国だと信じ、言い続けてきたコスタリカの人々。その揺らがない信念を、この「わたし」が、持ち続けるということ。それを求められてるのは、他の誰でもない、このわたしだ。

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気候変動問題、じゃもう手ぬるい。今や、「気候危機」っていわないとこの切迫感を伝えられない。早くからそれに気づいて、持続可能エネルギー100%を実現させて、この問題の先頭を行くコスタリカ。

戦争をしない、ということと、個人が大切にされる、表現の自由がある、とはリンクしている。
個人ー人権ー自由。

さて、夜の部。
公金もらってひらく展覧会で、国を批判することは許されないのか?(愛知のトリエンナーレにかかった費用は約12億。展覧会の中の展覧会である「表現の不自由展その後」にかかった費用は490万円だが、それは寄付でまかなわれたので、実際には、国の予算は使われていない。そう思わせる報道もあるが)
でも問題の本質は、国からお金をもらってる/もらってないってことでは、ないんだ。国からお金もらったら国を批判できない、国に反すること言えない、ってことが本当にまかりとおるようになったら、教育も演劇も出版も言論も、文化は、表現の自由は、死んじゃう。ってことを、夜、三品さんのお話聞きながら何度も反芻してた。

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今日の紅茶内の草かふぇでは、集まった方のお顔ぶれで何をテーマに語り合うかきめましょう。遠くから、びっくりする人が訪ねてきそうでもありますし。

毎週あいてるけどはやっていない紅茶は、ほんとに伸縮自在の場。一期一会の出逢いで成り立つ、社会とつながる窓。

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