2020年8月10日 (月)

「若者から若者への手紙」という本のこと

http://korocolor.com/book/letter1945.html  
「若者から若者への手紙」
1945年に若者だった人の証言を、2015年の若者が読んで手紙を書いた、という素晴らしい本があります。5年経って、その英訳版も出版される運びに。こういう本も、戦争をどう伝えるか、という新しい試みだと思っています。証言者の顔をまっすぐに捉えた、落合さんの写真もとってもいい。2015年の若者の一人に、元山仁士郎くんもいます。
編集者のお一人、北川さんは友人です。その北川さんからこんなおしらせ。東京にお住いのかた、明日11日朝のNHK首都圏ニュースを。全国ネットでは14日のnews zeroでも本のことが紹介されるそうです。
*********北川さんより
  ↓
プロジェクトでお世話になりましたみなさまへ 出版から5年間、みなさまにはいつも応援いただきまして有難うございます。おかげさまで、8月5日には英訳版書籍も出版の運びとなりました。電子書籍には抵抗のある方もいらしたと思いますが、ぜひ紙の本をお手に取ってみてください。落合由利子さんの写真が増ページになり、新たな本に生まれ変わったかのようです。
さて、「若者から若者への手紙」プロジェクトは、戦後75年めの夏にテレビ局3社で取り上げていただけることになりました。
8月11日(火)朝7:45‾8:00 NHK「おはよう首都圏」(関東甲信越地方のみで放映)のなかで5分ぐらい。東京大空襲の被災者・清岡美知子さんに手紙を書いたアイザワ祥子さんが出演されます。東京大空襲戦災資料センターで、被災者の二瓶治代さんとも会われたそうです。 
 *「NHK国際放送」ならびに「NHKプラス」(アプリをスマホに入れていただければ全国どこからでも見ることができます)で同時配信されます。
8月14日(金)夜11:30~0:30日本テレビ「NEWS ZERO」特集で5分ぐらい。広島の被爆者・石見博子さんと長島楓さんが出演されます。有働キャスターも一緒に語り合うそうです。

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長崎の巨大な像のこと

昨日8月9日、長崎浦上に原爆の落ちた日。
中垣さんがこんな記事を教えてくれました。

長崎新聞 2020/3/6
【被爆地との距離 縮められる 彫刻家・小田原のどかさん 長崎原爆を題材に制作】
記事より抜粋:
08年、「彫刻が“ここ”にある意味」について追求しようと思い、「今、ここ」を意味する下向き矢印の形状をした彫刻を作り始めた。2年後、ある学芸員から「長崎にも矢印があったことを知っていますか」と聞かれ、写真や関係資料を見せてもらった。そこで自分の作品に似ている矢羽根型の標柱が、1946~48年に長崎市松山町の爆心地に設置されていたことを知った。
全文はこちら:https://this.kiji.is/608474329594643553

彫刻の像は、なにを、「どこに」おくか、それもすごく大事なことだと、小田原のどかさんの記事をよみながら痛感しました。
今、ここ、という視点。
ここ、が爆心地だと示す矢形の標識が、戦後の数年間、置かれていたということも、昨日はじめて知ったことでした。

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長崎での式典をみながら、昨日も、これまでも、気になっていたこと。
あの、片手で天をゆびさしてすわっている、堂々とした男性の巨大な像はなんだろう、とずっと違和感をおぼえていたのです。

去年の長崎新聞を見つけました。これはローマ教皇さん来日の時に記者さんが書いたもの。読んで、私の違和感の理由がすこしわかりました。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/554327/

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2020年8月 8日 (土)

「ちむぐりさ」オンライン監督挨拶

シネモンドさんで今日が初日の「ちむぐりさ」観てきました。沖縄テレビの番組「菜の花の沖縄日記」は何度も見ているけど、テレビとは違う作品になってた。新しい場面、構成、県知事選も県民投票も内灘もでてきて、すごく深い、いい映画になってました〜〜!

津嘉山まさねさんのナレーションもだけど、なのちゃんが自分の言葉で語るナレーション、すんごくいい。
なのちゃんの、ひとのきもちを聴く耳、聴いて相手のきもちを想像する感性。誰かの心の痛みを自分の痛みとして一緒に受け止める心ーーちむぐりさを、なのちゃんはいっぱい持っているなあ、それってエンパシーのちからでもあるなあ、と思いながら見てた。最後の歌、コシシケレリ もよかった! 映画がおわったら、拍手がわきました。

金沢にこれなくなった平良監督、オンラインでフルスクリーン舞台挨拶。山里プロデューサーも一緒に。奇しくも今日は、2年前に亡くなった翁長もと知事のいのちの日。
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平良さん。珊瑚舎スコーレではじめてなのちゃんに会った時、物静かだけど高3とは思えない、強い芯を持ってる子だと。その女の子の目で見た沖縄。自分たちが慣らされて鈍感になってたこと気づかされて、それをスクリーン見てる方達と共有したいと思った。
山里さん。僕らが取材でインタビューしても出てこない言葉を、本音を、なのちゃんが引き出してくれた。

沖縄地方局にいて、無力感感じないことがない日々。伝えても、伝わった手応えがない。だけどゲート前のおじいおばあの姿見たら、あきらめちゃいけない、と教えられる。国際大学に米軍ヘリ落ちた時、全国のトップニュース!と思ったが、(東京から)生中継いらないと言われ、フラッシュニュースで40秒だけ。人が死ななかったんでしょ、と。涙出るくらいくやしかった。ちなみにその日のトップニュースは読売のナベツネが辞任したこと。
普天間の小学校の校庭にヘリの窓が落ちたこともそう。今ヘリが飛ぶと、危険ですよーと防衛局がいって、こどもたちが校庭から建物にはいっていく。これを伝えなくて私たちの仕事なんの意味があるのか。伝えなくてまた事故あったら、悔やんでも悔やみきれない。

なのちゃんに教えてもらったこと、知ることからはじめるってこと。平良さんも、内灘のことそれまで知らなかった。北陸中日の連載を頼んだ中山洋子さんも、記者になりたての頃は6月23日がなんの日か知らなかった。その悔しさが原点。誰かが初めて知る、その後押しをしたい、と中山さんからのメッセージ。

なのちゃんはこの映画を原点、と言ってる。辺野古と内灘、無縁ではない。中山さんの言葉じゃないけど、この映画が沖縄を「誰かが知る、その後押し」になるといいなあ。いや、きっとなると信じる。ほんとに深いいい映画だったから。珠洲生まれの少女が、沖縄にいって、また珠洲に戻り、その映画が今、金沢で、って、石川に住んでて今これ見ないともったいないって思う。まあさんは帰り道、何度もなんども、いい映画になってたなあ、よかったなあ、って言ってた。

映画「ちむぐりさ」は8日まで10:20~.15日から21日までは12:20~ 
まわりの方にもどうぞお知らせください。
写真は、シネモンドさん初のオンライン監督挨拶。会場にいる私たちの様子もみながら、シネモンドの上野さんとトークしてるとこ。お着物着てるなのちゃんは、去年9月の本の出版記念会の時の一枚。Img_1056_20200808171301 198_20200808171301

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2020年8月 7日 (金)

8月6日のニュース23

8月6日のニュース23。もう10年ほど、この番組で被爆した方たちのお話を聴き続けてきた、広島出身の綾瀬はるかさん。きのうは高校生たちに、これまでの取材映像をみてもらいながら語り合った。
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当時の広島市長が「廣島市のみはさしたる被害も蒙らず、かえって気味悪き様感ぜられ、、」と書いていたように、はじめての原爆がどれほどの破壊力があるか確かめるため、広島は空襲を受けず、それまでは無傷だったこと。

被爆した女の子が、転校した先の学校で起きた、差別のはじまり。
「それまではとても仲の良いお友達もいたんだけど、”あんたから放射層が出て、皆にうつるから、皆そばにいかないようにしてる”って。家に帰って母にウワーと泣きながら言ったのね。そしたら母が、”これから先、絶対被爆のことは言ってはいけない”と」
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原爆の開発にかかわり、原爆投下を空から見て、撮影していたアグニュー博士。「原爆の方が簡単だった、たった一発だからね、毎日毎日空爆するより」と。博士が、二人の被爆者と語り合う場面。
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被爆した女性が、
「キノコ雲の下で市民が本当に地獄絵さながらな、みな、右往左往している姿を想像されましたでしょうか、見ましたでしょうか」
博士
「いいえ、東京大空襲の写真はみましたが、同じことです。誰かを非難したいのなら、あんなことをした日本軍を非難するべきです。お二人は生き残っただけ幸せですよ、死んだ人も大勢いるんですから。私もあまりにも多くの友人を失いました。謝罪はしない、真珠湾が決定的でした」
被爆した男性が、
「放射能被害というのは今でもまだ被爆者を殺し続けている。人類で使ってはいけない核兵器を使った、それに対して謝らないっていうことを、亡くなった方達に伝えられません。その方達はやすらかに眠ることができません。アグニューさんの立場から謝っていただきたいと思います」
博士
「私は謝らない、彼が謝るべきだ。真珠湾を忘れるな」

ああ、、どこまで言っても平行線、、、
はるかさんがお話聞いた一人の方が「殴ってでも、蹴ってでも、喧嘩してでも、話し合うこと」と言ってらしたけど、うん、正解はないんだ、でもきっとそれしかない、、、。思っていることをとことんはなしあうこと。

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平和のパネル展から

石川県庁19階ロビーで展示されている「平和のパネル展」、見に行ってきた。特に確認したかったのが、これ。被爆を体験した方のお話をきいて、それを広島の高校生たちが絵にしたものが何枚か展示されているときいて。
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一枚目の「消えていった幼い姉妹・・・生きていてほしい」と二枚目の絵「山陽道・松並木の下で出会った幽鬼の群・・・これが人間なのか!」の、証言者のお名前を確かめた。新井俊一郎(あらい しゅんいちろう)。ああやっぱり! 先日NHKで見たすばらしい番組、「もし75年前にSNSがあったら #ひろしまタイムライン」に登場した、当時、中学生のしゅんくんが、この俊一郎さんだったんだ。

https://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibaku75/timeline/index.html?fbclid=IwAR2fT0hsOIYKVKVEGS34sUDIP3ScTIbvjaMnX_cgz71-2TtSXw52aQs3nns

「もし75年前にSNSがあったら」は、当時の3人の日記を今を生きる人たちが今のメディアのツイッターに表現し直す、という擬似追体験と新しい伝え方のこころみ。3人のうち、しゅんくんだけは、俊一郎さんご本人が登場して、高校生たちにお話してた。
展示されていた絵は、被爆体験を引き継いで行こうと、2007年から毎年、広島平和記念資料館と市立基町高校との協働作業で制作されてきたものの一部。戦争をまったく知らない高校生が、被爆した方から細かく詳しくその体験を聴いて、一年がかりでそれを絵にしあげていくという試み。絵の題名もコメントも、証言をされた方と高校生とが書いている。
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高校生たちの力作が並んでいた。複製だけども、ぜひ県庁19階に足を運んで見ていただきたいです。

#ひろしまタイムライン
は毎日、3人の日記をもとにツイッターされています。

おまけの写真、ひゃくまんさんと2ショット。
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2020年8月 5日 (水)

石川テレビのニュースで。菜の花ちゃん

8/5石川テレビ、夕方のニュースで映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」のこと。もっきりやさんでのおはなし会の時と、シネモンドの前でインタビューうけるなのちゃんの言葉から。Img_2710-2 Img_2713-2 Img_2694-2

「沖縄問題っていうのは、沖縄の問題じゃなくて、ただ沖縄であらわれてる問題なのであって、多分、その問題の原因となっているものは沖縄にはないんだって、気づいた」

石川の過去と沖縄
「内灘闘争の歴史から米軍基地を追い出す動きが始まって、でも沖縄ではまだ追い出せていない。石川県民の私はそのことを全然知らなかったし、、、」(*内灘闘争 1952年、米軍の試射場として内灘砂丘の接収決定に対して、地元で巻き起こった反対運動。全国に運動が広がるきっかけとなった)
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「沖縄でも同じように生活があって、人の体温があるということを、わかってほしいというか、う〜ん、わかってほしい、ではないけど、でもそう感じて、じゃあ一緒に何かしてこうよ、という動きにつなげられたら、私はうれしいなと思う」

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ちなみに、なのちゃんのしてるマスクは、クッキングハウスのピースバンダナをちくちくしてマスクにして、5月に珠洲のなのちゃんちのお宿にお泊りにいった時、プレゼントしたもの。この日、わたしは水色のをしていきました。クッキングハウスの松浦幸子さんにもさしあげたので、3人、おそろいで〜〜す。

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2020年8月 4日 (火)

1945 #ひろしまタイムライン

8/3のNHKBS1の番組「もし75年前にSNSがあったら 1945 #ひろしまタイムライン」
もし75年前にSNSがあったら、そのころ生きていた人はどんなことをつぶやいていたんだろう? 当時、広島に住んでいた3人(中学生だったしゅんくん、おなかに赤ちゃんのいるやすこさん、そして新聞記者の一郎さん)の日記をもとに、ツイッターでならきっとこんなふうにつぶやいたかな、と表現し直したのが、この#ひろしまタイムライン。
ひろしまを、ツイッターというメディアで今のひとたちが仮想追体験する、という試み。こんな伝え方があったのか!と新鮮だった。
戦争の非常時と現在のコロナという非常時、きもちが近い、と体験した人たちがいっていた。
記者の一郎さんは、自分の記事に「疎開に行き過ぎはなし」と書くのがやっとだった。空襲でどれだけの被害が出ても、「死者少数」としか当時は記事にならなかったんだ。
しゅんくんの日記を、ツイッターで再現したのは現在の高校生たち。軍人勅諭を自分のノートにびっしりかきうつして、しゅんくんが当時これを暗誦させられていたきもちを想像する。これじゃ、自分を優先させたり、自分を守ろうとするのはだめだ、って洗脳される、と感じていた。
見逃したかた、再放送あります。
再放送は8月5日24:50〜(8月6日の午前0:50〜)
予告編動画も見られます。
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=24633&cid=nol
NHKでは、終戦の年(1945年)に広島で書かれた日記をもとに、75年前の人の暮らしや気持ちをTwitterで毎日発信中です。https://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibaku75/timeline/index.html

この番組にでてきた絵は広島の高校生が描いたもの。その絵の複製が、今、石川県庁19階ロビーで開かれている平和のパネル展で展示されているので、今週中、見に行ってこようと思っています。

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2020年8月 3日 (月)

菜の花さん、アフタータイムは。

菜の花ちゃん、もっきりやさんのあとはシネモンドさんにご挨拶。
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初日の8日は平良いずみ監督が舞台挨拶される予定だったけど、今の沖縄の状況で金沢には来られなくなり。リモートオンラインでの挨拶を予定しているとのことですが確実なことは未定です。

なのちゃんの行きたいところにお連れした、野々市のアルさんと金沢の書店、石引publicさん。
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アルさんでお茶しながら、珊瑚舎での文章講座のこと、聞きました。目当ては、「自分の言葉で、自分にしか書けないことを、誰にもわかりやすく」。3年間の授業の仕上げは卒業時に、文章で自分の自画像を書く、というもの。
なのちゃんが元から持ってた感性と言葉に加えて、沖縄でのそういう文章講座やおじいおばあ、いろんな人たちとの出会いで、菜の花畑がしっかり耕されていったんだろうなあと感じる。

なのちゃんは沖縄を斜に見ない、説明じゃなく感じたことをまっすぐ言って、知らない、わからない時はちゃんとそういう。それって大人になるとなかなかしにくいことなんだよね。
なのちゃん、「自分は知ったかぶりや背伸びできないので。沖縄で起こってることを論理的に語ることは、無理すればきっとできるだろうけど、でもそれは誰かがやってること。私は私のみてきたことしか語れない」と。

そこがいい、それがいい。これまで、伝えても伝えても、特に若い人に届かなかった沖縄が、なのちゃんを通してなら、と、大人たちはなのちゃんに大きな希望を感じる。でも同時に、その希望をなのちゃんだけに託しては、負わせては、いけないともすごく思ったんだ。
なのちゃんを通して知った沖縄を、また自分の言葉でおりにふれ、伝えていく努力をさぼらない私でいたい。めんどくさくても、だまされない人になるために。世界によってかえられない私であるために。

写真は、シネモンドさん、アルさん。石引パブリックさんで、熱心に本を探すなのちゃん。ゆったりあれこれ本を見てから、帰りは金沢から最終列車で能登へ。1日、ほんとにおつかれさまでした!Img_2652   Img_2653_20200803092201

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菜の花さんおはなし会 その2

7/31 菜の花さんおはなし会 その②
ーー学校には夜の部もあって。戦争で学校に行けなかった、おじい、おばあと呼ぶには元気すぎる高齢の方たちが夜間中に通ってくる。読み方や計算のサポートに私も入る時があるけど、そうでなくても年齢違う人たちとの交流がいつもあった。
75年前の沖縄の戦争で人生を変えざるを得なかった人たちが、日常的にいる学校。6/23は沖縄の公休日ってなってるけど、その日だけのイベントで終わらない学校。
●映画には内灘(1950年ごろ米軍の射撃場があって、反対運動が起きた)も出てくるね。
ーーはじめは名前しか知らなかった。卒業したあと、内灘から米軍を追い出したことと、それが沖縄に基地がたくさんできることのさきがけになった、って知って。
石川で生まれた自分が、沖縄の学校にいって、また石川に戻ってきて、ってことが、後付けでも偶然じゃないんだと思えて。映画の中では、当時、反対運動してたご夫婦のお話を聞いています。
●なぜ今、沖縄?って言われたとか。
ーー直接ではないけど、コロナという言葉がどこにもあふれてて、この大変な時期、自分たちの生活でいっぱいいっぱいなんだよなーって友だちが書き込みしてるのを見た。
私にとっては沖縄で起こってることを伝えてるんでなくて、三上監督が言ってるみたいに、これは対岸の火事じゃなくて自分とこも燃えてるってことなんだけど、そのことがまだうまく伝わってないんだなあ、と。
森友のことも、コロナの時にしなくてもいいじゃないかって声があったけど、今こんな大変な時だからこそ、本当に私たちのリーダーがこの人でいいのか、って考えるきっかけ、いい材料。だから変わらずに言っていきたい。
●珠洲にもどって3年目。今していることは。
ーーメインは宿の仕事、9割。残り1割でゴミのこと考える勉強会を近所の人たちとしてる。ゴミの埋め立ての場所が新しくなるというけど、自分たちの出してるゴミの量をそろそろ考えないと、って思って。レジ袋有料化の前から、スーパーに、家で余ってる紙袋の回収ボックスを置いてもらって、レジ袋のかわりに使ってください、と。
他には、納屋にある、捨てるのもったいない自転車や冷蔵庫の、貰い手探す掲示板を。
無農薬の野菜市が月2回開かれていて、そこで「なかまして」という呼び名で、調味料を分け合う、ってこともしてる。日本の家庭ゴミの6割は包装だそう。うちでは業務用に、喜界島の砂糖10キロで買ってるから、分けたらその分、プラスチックを減らせる。
(「なかまして」は、シェアする、の珠洲弁。「お菓子、三人してなかまして」というふうに使うそう)
ーー「珠洲 みらい塾」っていう政治っぽい話をする会もしてるけど、現在お休み中。何かの問題を、政府の責任だ、っていうこともできるけど、同時に自分は何していくのか、ってことしないと。
ガンジーさんの言葉。「あなたのしてることのほとんどは無意味であっても、しなくちゃならない。それをするのは世界を変えるためでなく、世界によってあなたが変えられないようにするためである」って。
社会をかえるというより、自分たちがより楽しくゴミを考えることをしていきたいって思って、しています。
●最後になのちゃん、珠洲から持ってきた「暮しの手帖」の「編集者の手帖」のことを話してくれた。
この雑誌をつくった花森安治さんは、戦争プロパガンダに関わったと言われてる人。彼自身、自分は戦争犯罪をおかした、と認めている。「だまされた、でもそれで免罪されるとは思わない。これからは絶対だまされない、だまされない人たちを増やしていく」と言ってる。今の編集長さんは、その言葉を引いて「今の私たちは、花森のいう『だまされない人たち』として生きているだろうか」と。
なのちゃんが読んでくれた、現編集長の言葉。
ーー「平和」とは、もしかしたら、そうした「だまされる」誘惑へ絶え間なくノーをつきつけ、面倒でも、苦しくても、自分の頭で考えた言葉を発し続けることで、ようやく手にできるものなのかもしれません。
面倒でも、苦しくても、なのちゃんはそのように生きていきたい、と思っているのだなあ、ってズシンと感じた。
私もまた、めんどうくさくても考えることを放棄しないで、だまされない人として生きていきたいです。
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質問&感想パートは、おはなし会その③に続く。
「ちむぐりさ」上映は8/8~21金沢シネモンドにて。

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2020年7月30日 (木)

「私は真実が知りたい」

トッちゃん、まあちん、と呼びあう仲のいい、8つ違いのご夫婦。最愛の夫の俊夫さんが、財務局に「殺された」理由、死ななければならなかった理由を、なんとしても知りたい。赤木雅子さんの強い意志が、この本を書かせた。
『私は真実を知りたい〜夫が遺書で告発 「森友」改ざんはなぜ?』(文藝春秋)
二人三脚の同志は、大阪日日新聞記者の相澤冬樹さん。森友国有地問題のスクープをめぐってNHKをやめた方です。
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「2本のコード」からはじまる雅子さんの文章、何度も涙しながら一気に読んだ。俊夫さんの「手記」を相澤さんに見せた日から、「週刊文春」で公表するまでの1年数ヶ月。俊夫さんの職場の人たちの裏切りや弁護士への不信もうずまいた月日、雅子さんの計り知れないほどの孤独と恐怖を思って胸がきりきりした。
俊夫さんの「手記」を、この人ならば、と相澤さんに託せるまで、雅子さんとの信頼関係をていねいにつくっていった相澤さんもすばらしい。

雅子さんの一人称の章と、記者としての相澤さんの章、最後の章は、相澤さんが雅子さんになって書いてるみたいに、心の臨場感が伝わる。

雅子さんのユーモアと直感力。俊夫さんが惹かれたのもわかります。すごい人です。ちなみに本の帯のイラストも、雅子さんが描いたもの。

この本は、雅子さんが国と佐川さんを訴えて起こした裁判の初公判の日、7/15に発行された。私も、真実を知りたい、と強く願う。
#赤木俊夫さんを忘れない のハッシュタグや、「再調査を求めます」の署名が35万筆集まったこと、雅子さんがとても喜んでらっしゃるのも、この本から伝わってきます。

この本がたくさんの人に読まれたら、それだけ雅子さんを応援する人が増える、真実を知りたい人がきっと増える。わが町図書館にも購入リクエストを出そうと思う。夫婦の愛の本でもありました。公共の場にこそ、あってほしい本です。

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