2009年10月18日 (日)

お墓の前で

0910  西東京紅茶の看板。いつもは家にそのとき咲いている花たちでつくるのだけど、ことしはホトトギスだけで少しさびしかったので、姉の花、カサブランカも添えて。

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紅茶の翌日、石川に帰る前に、どうしてもお墓参りしたくて、カサブランカとホトトギスをもって、多摩墓地へ。

水野のお墓には、母、兄、父、姉、が眠っている。父の最初の妻、最初の息子、も一緒に。父は、なんと多くの家族を見送ってきたひとかと、あらためて思う。母はなんて若くして逝ってしまったのかとも思う。私はそのときの母の年より、13年も長生きしてる。

Photo 今年は、話すことがいっぱーいあった。両親にも、兄にも、もちろん姉にも。姉には、昨日の紅茶の報告をとりわけくわしく。

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誰もいないひろい墓地の、家族のお墓の前で、まず、♪graduationを歌い、♪for the first timeを歌い、それから、今できかけの歌を歌った。

今を生きてる私たち家族が、先に逝ったひとたちからどれほど大切に守られているか、の感謝をいっぱいこめて歌った。私の今、がきっと等身大で伝わるはず。きっと聞こえてるはず。

午前9時過ぎの空には、うっすらと白い月がうかび、松の木々が風を鳴らし、ドングリがぽとんぽとん落ちる音、そしてときどき、カオ!とからすが伴奏してくれてた。

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2009年9月29日 (火)

さくらFMさん

Photo_4 光の水玉。家のなかで見る、だいすきな光景。この水玉は、ほんとはちらちら ちらちら、揺れてるんだ。

2階の窓からはいってくる、葉っぱのこもれびダンス。

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今ごろ、もう、始まってるかな、と時計を気にしてる。西宮で放送されている、さくらFMというコミュニティ・ラジオで、娘がはじめて、DJさんとおしゃべり。こちらできけないのは残念だけど。

7月の朝日新聞をごらんになって、「ちょこっと英訳つきほめシャワ」を注文されたDJさんが、あの手のひらbookをとても気にいってくださり、インタビューの予約を3ヶ月前から。

ご自分の番組によんでくださって、のべ40分近くも、ふたりでおしゃべりするのだそうだ(インタビュー、というと緊張するので)。娘の好きな曲も、かけてもらえるらしく。

すてきな感性のDJさんみたいだから、きっと大丈夫。 うん、大丈夫。

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追伸。

午後になって、娘から、無事にすんだよ~、と電話。

話し出したらあっという間で、しゃべりやすくて、なによりかにより、すっごく楽しかった!!と。

初対面のDJさん、予想どおり、ほんとうにすてきなひとだった、とのこと。「ほめシャワ」を、これからも番組の中で大事にしてくださるようで、うれしいかぎりです。

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2009年7月13日 (月)

しあわせ猫、つづき

Book

図書館の詩の時間でご一緒するきりりんさんが、マガのために猫のアンソロジー詩集を作ってくれた。翔には翔の、犬のアンソロジーを作ってくれたように。           ****

Book_2097book さわちゃん作、一冊きりの写真絵本、「紅茶の時間とマーガリン」。

そこに登場してる若かりし日のマガ。そう、こんなにまん丸だったんだよね。

「紅茶の時間と翔」の本とあわせて、これもまた、たからもの。

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金沢にお墓参りにきたその足で、原始林窯のげんちゃんとこりんちゃんが、今日、わが家によってくれた。

Photo 手渡してくれたお湯のみには、マガがいて、お地蔵さんの顔はなぜかげんちゃんにそっくりで。

この紋様の名前は何と言うの?と聞いたら、「麦藁手(むぎわらで)」というのだそうだ。びっくり。なぜって、マガの茶色い縞模様のことを、私は勝手に、麦藁縞(むぎわらじま)って呼んでいたから。そんな呼び方は、おそらく誰も知らないはず。

数ある日本の紋様のなかから、こりんちゃんが、マガのためにこれを選んだ不思議。

げん・こりんちゃんの一年おきの紅茶ギャラリーやきもの展は、来年の秋で5回目、ちょうど10年になる。4回目まではかかさず、原始林窯展で共演してくれてたマガだったね。

翔もマガも元気なうちに、二匹のお皿をお二人にたのんで作っておいてもらって、ほんとによかったよかった・・・

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翔とマガに出逢ってくれて、大切に想ってくれて、みなさん、ほんとうにありがとう。翔もマガも、こんなふうにみんなに愛されて、今もとてもとてもしあわせな動物家族です。         

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しあわせ猫

Photo_4 京都から送られてきた笹ほたる、という美しい和菓子。

「きもち」のブログでマーガリンの旅立ちを知ったスミコさんが、このお菓子を選んで、送ってくれたのだった。抹茶とほうじ茶、夜の竹やぶを思わすふた色の水羊羹のなかに、ほのかにうかびあがるように光っているほたるは、白小豆の寒天だという。

スミコさんからの贈りもので、「お淋(さびし)見舞い」という言葉があるのをはじめて知った。遺されたひとたちのきもちに寄り添う、やさしい言葉。

京都に行く前の紅茶の日にまにあうよう届いたので、その日いらしたかたにほんのひとくちづつ、おすそ分けもできた。甘さもひかえめで、品のいい、なんともやさしい味のほたる。

スミコさんとは、宇治日和紅茶のおかげで何年ぶりかで逢えて、直接お礼が言えたこと、余計にうれしかった。はじめて会ったのは彼女がまだ10代のころ、もう26年前だったね。

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Photo_5 カンパニュラ。花言葉は「感謝」とか。倉本さんの書いた「風のガーデン」に出てくるカンパニュラとは、この花のことだったか。

5月のとくべつ紅茶に中学生たちのお話をしにきてくれた由美子さんと娘さんからいただいた。「マガちゃん、いつも私たちを見守っていてね」のメッセージが添えられていて。マガのお墓のそばに、植えてあげよう。

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翔はなんてしあわせな犬だろう、といつも思うけど、マガもまた、なんてしあわせな猫だろう。

晩年の翔はいつも紅茶のなかにいたから、来るひとみんなに出会っていた。でもマガはたいてい2階にいて、夕方になると好き勝手におりてきて、あの個性的な、お世辞にもかわいいとはいえないだみ声で、強気の自己主張をいつもしてたよね。

私たち家族のなかにだけでなく、紅茶にくるひとの心の中にも、マガの存在がこうして在り続けてて、そのことがしみじみ、うれしいです、ありがとう。

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2009年6月16日 (火)

アジサイのとき

Photo_5 東京、姉の家のアジサイ。

雨にぬれた姿がまたうつくしい。こんな鮮やかな色で咲くこともあるんだと、今回初めて知った。東京の家で過ごすのは、一回の上京につき、いつも数日なので、早すぎても遅すぎても、花のときにまにあわないことがしょっちゅう。

Photo_6 同じアジサイの木に、こんな色も咲いてた。これはいつものおなじみの水色。

どちらも誰かに見てもらいたくて、家から直接お訪ねするちいさいおうちと、JHC板橋のクラブハウス、サン・マリーナには、花束にして持っていった。

     ***

東京にいる間、毎晩、めずらしく娘が電話をかけてきた。日中ひとと会ってるときはともかく、水野の家にひとりでいたら、きっと想い出しているだろう、と気遣ってくれていたこと、知っていたよ。

たしかに、ふっとマガの声を聴くような、足あとを感じるような、やわらかい毛にふれるような、不思議な感覚は今もまだ続いている。

それは津幡にもどってからもそうだ。とりわけ、床のあちこちに残る、吐きあとの白い地図を見たり、2階で何か音がすると、マガが自分の指定席にしていた和ダンスから、どた、っと飛び降りる音に聞こえたり、娘の部屋にはいるとすぐベッドに目が行って、そこに小さくまるまって寝てる姿がありそうに思う。

翔のときもそうだったなあ、ベランダをかつかつ、と歩く足音。なにか動く気配がすれば、思わず翔にみえて仕方なかった日々。

マガのいのちの日のおそらく一、二日前。自分でトイレの砂箱にいったあと、ぬれた足のまま歩いたのだろう、肉球のかたちのかすれた足あとが、ほんのわずかだけど、まだ台所の隅に残っている。ここだけはまだしばらく、雑巾でふかずにおいておこうと思う。

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Photo_3 5月は、20日過ぎからマガの体調が気になって、眠りの浅い日が続いていた。実をいうと、東京へは行けないかも、と思っていたので、出前のプログラムを練りだしたのも、行く直前になってからだった。

その週はたまたま、近くの出前紅茶が二つに、ともの時間など、いろいろあったなかを夢中ですごし、きもち張りつめたまま、マガのいのちの日のことを書きーーマガのことを書かずに東京に行ったら、逆にそのことが気になって、出前に集中できない自分がわかっていたからーーそして一気に東京に突入したのだった。

                   ****

川越紅茶の日。ワークショップが無事にすみ、持ちよりランチもすんで、午後に用事のあるひとが帰り支度をはじめるころになって、急に、私はへろへろふわふわ~、となり、それから突然、睡魔がおしよせた。

そんな私の一瞬をのがさなかった川越紅茶のMさんが、「スウさん、眠たいんじゃない?さあ、ここで寝なさい、ほら、枕」と大きなお母さんみたいに言ってくれたものだから、私はそのままその言葉に身をゆだねて、毛布までかけてもらって、たぶん5秒で寝てしまったんだ。目がさめたら一時間はたっていて、Mさんもみんなも、もう帰ったあとだった。

というわけで、川越紅茶9歳の記念撮影は、この日は、なし。私の寝顔に、おやすみなさいを言って、 みんな帰っていったそうだ。

どこででもすぐ寝ちゃうので有名な私だけど、さすがに出前先では初。よっぽど安心してたんだろう。そして、緊張の糸もやっとすこしゆるんだんだろう。

何度想い出しても笑えてきちゃう、9歳バースデイ紅茶のひとこま。寝かせてくれて、ほんと、ありがとさんでした。

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2009年6月 4日 (木)

栴檀の花、マガのとき

Photo_4  もうすっかりわが家のシンボルツリーになった栴檀の大きな木。一週間ほど前から、その先っぽが淡いピンク色にかすんで見える。

夢の雲、と私が名づけた、ほんの10日あまりの栴檀の花の季節が、今年もやってきたんだ。

これからも毎年咲くはずのこの”花のとき”が、来年からはこれまでと違う、とくべつなとき、になるのだろうな。16年と9ヶ月のあいだ、私たちと一緒に暮らしたマーガリンが、ちょうどこの花の咲きだした日の朝、旅立っていったから。

                    ***095

何があっても必ず来るから、ぜったい知らせてよ、と娘に言われていた。マガの写真を携帯で撮って毎日送って、という注文もあった。

撮り出して3日目のマガの写真をみて、その翌日、紅茶の日の夕方に、急きょ駆けつけた娘。映像が言葉をこえて、マガの今を伝えていたんだ。

1・5キロの、ちっちゃな細いからだ。マガはもう自分のからだを支えれなくなっていた。夜のあいだずっと、二人でマガに添い寝。規則正しく上下するおなかを目で確かめながら、マガの手をなで、にぎりしめていた。

うっすらあたりが白んできたころ、おなかの上下が浅くなったのに、二人同時に気づいて、その瞬間に、マガの片方の足がつっと伸びた。あ、翔のときと同じだ、もうお迎えがくるんだ。

娘がマガを抱っこした。二度、三度と手足を伸ばして、そのあと、本当に幸いなことに、静かに、おだやかに、苦しまずに、娘の腕のなかで、マガはもう息をしなくなった。

いつもは離れて暮らす娘が、マガのその瞬間に間にあって看取ることができたなんて、今思っても奇跡に近いことだ。私がうとうとしてた間に、娘はマガにずっと話しかけていて、一人と一匹の、それはとくべつな、なかよし時間を持つことができたそうだ。

桜と白樺の木のあいだにある翔のお墓、その隣、白樺と胡桃の木のあいだにマガは眠っている。

2009年5月28日早朝。

マーガリン、よくここまで生きてきたね、長いこと私たちの大切な家族でいてくれてうれしかったよ。本当にありがとうね。

                *****

Photo_3 本名、中西マーガリン。母猫ブルーベリーが産んだ4匹のなかでただ一匹、曲がったしっぽを持っていたから、曲がりん。

小さいときから私や娘にどれだけおもちゃにされても、マガはおこらなかった。本当によく、私たちのほうが遊んでもらってた。

若いころはまん丸なからだで、おなかのたるみが床につきそうだったマガ。2年ほど前から急にやせてきて、甲状腺の病気とわかり、心臓はいつもフルマラソンの状態、食べても食べてもおなかがすき、以来、夜中でも朝でも、目が覚めるたび、何度も何度も私を起こしにきてた。

しつこく泣いても私の目がさめないときは、右手の肉球を私のまぶたの上にのっけたまま、起きて、起きて、ごはんほしい~、起きろ~、と泣き続けた。それでも私が起きないと、肉球のあいだからそぉっと爪を伸ばした。けど伸ばすだけで、ただの一度だって、その爪でひっかきはしなかったマガ。

おととしの11月に犬の翔が逝ってから、マガはめだって甘えんぼうになった。早くに妹猫のバター、それから母猫のブルーベリーを亡くし、そして翔を見送ったあとは、ただ一匹の動物家族になってしまった。

             ****  

Photo_2 ひと月ほど前から、マガはだいぶ弱ってきてた。ご飯を食べたり食べなかったり。

今のうちに逢っといたほうがいいね、と娘が様子を見にきたのが5月10日ごろ。そのときはびっくりするぐらいの食欲で、今ふりかえれば、よくぞあれだけの元気な姿を、私たちにさいごにみせてくれたものだと思う。

マガとすごしたこの歳月、とりわけ翔が亡くなってからの一年半、あの個性的なだみ声で自己主張する姿と、まんまるの目と、やわらかい毛と、とびきりの存在感ーー。年をとってちいさくなったマガから、私はどれだけ安らぎとしあわせをもらっていたことだろう。

マガが生きてたしるしは今も、この家のそこいらじゅうにある。

床のあちらこちらに残っているいくつものふしぎな地図は、老いてからの翔やマガが調子悪いときに吐いたあとだ。ベランダの柱にはさんざん爪とぎをした跡がある。どれもこれも、大切なしるし。たくさんあってよかった。

動物にとって、死ぬことは悲しくないんだよ、自然なことなんだよ、と娘が何度も私に言った。そうだよね、悲しむのは人間たち。

空の野原で、もうマガは翔と再会してるだろう。また前みたいな犬猫姉妹にもどって、じゃれあってる二匹を想像しただけで、悲しみではないなみだがあふれてきて、私の胸は、どなたかへの感謝のきもちで、いっぱいになった・・・。

    

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2009年1月24日 (土)

48本のスイトピー

Cavh4ayv その日は毎年、一年で一番寒い日のように感じる。母のいのちの日にかざるスイトピーの背景がいつも雪景色だから。

48年たった、いのちの日。

私の中の母の存在が、あまりに大きくて今でも温かいので、ほんとにいったい、どれだけの贈りものをまだまだもらい続けてるかなあ、と思うよ。

mother、thank you for my birth。

                   ****

母の日の翌日は、先日みえたケイ先生のお誕生日。ケイ先生のワークショップの日にそれを知って、シェアリングも済んだ最後の最後の時間に、集まった20人で2日早めの、♪happy birthday to ケイちゃ~~ん、を振り付けつきでお贈りした。

私より一回り半年上のケイ先生、みんなからのキラキラ拍手をあびながら、その瞬間は、幼いケイちゃんになったようにかわいらしく、なんともチャーミング。

どうしてそんなにお若いんですか、と誰もが不思議に思うケイ先生。みなさんがよくほめてくださるからかしらね、とおっしゃる。うん、きっとそう。先生のお仕事もまた、たいへんだけど、幸せな仕事。

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2009年1月13日 (火)

because of you

Cakif095 同じ日に同時に届いたちいさな包み。

5人の天使がとびだしてくる、手づくりの幸の日カードと、「のほほん」という絵本のような詩の本は、図書館の詩の仲間、きりりんさんから。

カップにちょこんとおさまった針刺しは、娘から。添えられたカードは、ほめシャワハガキの「生まれてきてくれて ありがとう」のちょこっとアレンジ版。

包みをほどいてこころがぽかぽかして、カードをよんで鼻の奥がつうん・・として。しかも言われるまで、手縫いの針刺しとも気づかずにいて。

       ほんとにかぞえきれないほど、ありがとう、です。

               *****

その翌日の夜、クノキお父さんから電話。

「スウさん?遅くなったけどね、私たちから贈りたいものがあります」

いきなり受話器の向こうから、♪happy birthday to you・・・のコーラスが聴こえてきた。♪dear スウさ~~~ん、の長い「~~~~」が、クノキファミリー、14人兄弟姉妹のそれはそれは美しいハーモニイで、いちどきに胸が熱くなる。

すっごくうれしい!でもなぜ知ってたの?

ジョンさん、笑って答えず。そのかわりに、どんなバースデーでしたか、と。

はい、静かでおだやかないい日でしたよ。娘からは「生まれてきてくれてありがとう」のカードをもらって、それがとってもうれしかったの。

あ~、それ、thank you for being born、だねぇ、とジョンさん。

ジョンさんからは、いつもすてきな英語をもらう。

この日もそれにくわえてもうひとつ、おかげさま、おかげで = because of you/because of everybody も、もらいました。

暮れにジョンさんに教えてもらった pace myself も、ブログに書いたらもういろんなひとに使われているようで。

こういうのも、言葉の贈りもの、と呼ぶんだろう。

                  *****

倉本聡さんの「風のガーデン」が終わってしまった、と思っていたら、山田太一さんのひさびさの連続ドラマ「ありふれた奇跡」がはじまった。

もうこのタイトルだけで、見たい、と思ったドラマ。

人生って、ほんとはありふれた奇跡だらけ。奇跡を奇跡とも思わずに生きてることの方が多いけど、実はまか不思議な、とてもありえない、奇跡×奇跡の連続、のおかげでーbecause of everythingでーひとは生きている。私も生きている。

母に産んでもらったこと、私が生まれてきたこと、夫と出逢ったこと、娘が生まれてきたこと、出逢ったひとたちのいのちが在ること、そのすべて、奇跡がいっぱい、不思議がいっぱい、だから、what a wonderful world ・・・なんだねえ。

              ****

「のほほん」は、のはらうたの工藤直子さんと写真家さんたちとのコラボレーション絵本。雪の日のともの時間に、それぞれが好きな写真をえらんで、その詩を声に出してよみあいました。きりりんさん、ありがとう。

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2008年11月11日 (火)

家族の肖像画

曇り空っぽかったけど、この日曜日は家族ですこし遠出しようと決めていた。といっても金沢からほんのすこし出ただけ、それで十分。

山側環状線を西に走る。イチョウもケヤキもアメリカ楓の並木も、ことしは特に紅葉が美しい。

Photo_2いつ行っても木の香りいっぱいのお店、鶴来のもく遊りん。行くのは2年ぶりか。 レストラン横の、大きな木材がならべてあった空間は、木や家具のほか、薪ストーブや、いろんな人の作品を展示するギャラリーに変わっていた。レストランの席が空くまでの間、見るともなしに見ていたら、午後に行きたいと思ってるところのひとが創った絵本も並んでいる。

よしっ、これはやっぱり、行け、ってことだ。

                    *****

Photo

この9月に寺町から泉野出町に場所がかわったという「宇吉堂」さんは、絵本と石けんの、おうちお店。泉が丘高校テニスコートの真向い。この看板ですぐにわかった。

うきち、は、店主のうきこさんのこと。西宮でお店をはじめてから21年。おうちお店にあがって、ぽそぽそ話すうちに、遠くに住むいろんな共通の友人・知人がつながっていく。写真のノデラさん、染めの斉藤さん、お洋服のはるじおんさん、きっとまだまだ続きもありそうだ。

もく遊りんのギャラリーで見た絵本「ありがとう」の作者は、色鉛筆画家のミツル・カメリアーノさん。うきちさんのパートナーだ。

そういえば、フェアトレードのalさんでも、お洋服とアジア雑貨のアチャさんでも、カメリアーノさんの絵をみたことがあったっけ、と想いだす。

「ありがとう」の絵本は、やはり、作ったひとの手から買いたかったので、ここで一冊わけてもらう。そしたら、絵を描きますか?ってカメリアーノさんが聞いてくれた。Photo_4

えっ、うれしい、お願いします。

言うそばから、表紙の裏にカメリアーノさんが色鉛筆でするすると描いてくれた、ひさびさに再会した家族の肖像画。翔とマガのポストカードを見せると、そのふたりも描きこんでくれて、いっそうこの絵本はわが家のたからものになった。

うれしいことはもうひとつ。おちかづきの印にと「ほめシャワ」をプレゼントすると、その場で即、ほめシャワをこの絵本のお店においてくださることになった。

はじめての場所にでかけるのには、いつだって大なり小なりの、えいやっ、がいるけど、今日のそれは、楽しい、えいやっ!でした。

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ふたつのいのちの日

いのちの日、と呼んでいる家族の命日。翔の一年目の日の7日と、姉の7年目の日の10日にあわせて、西宮から娘が帰ってきた。

Cacrct8q 翔のお墓に植えたスミレの葉の、なんと大きく育ったこと!葉っぱにも茎にも、翔のいのちがはいっているんだろう。

姉には、亡くなってからもずっとお世話になりっぱなしだ。いつも凛として、きちんとしていて、私はいまだに頭があがらない。それでも白和えだけは、最近ようやっと、姉の味にどうにか近づいてきたかな。

原始林のげんこりんさんにも、松浦さんとのお食事会にも、もちろん娘とのおうちごはんにも、飽きずに白和え。

Caqrjq00 子どもを産むことのなかった姉だけど、じゃじゃ馬の私の育ての親、娘には完全なるおばあちゃん。

「ねやまという家族のものがたり」を「きもち」の本に書いたことで、姉と私の距離はそれまでよりずっとずっと近づいた。そうやって書いたことのおつりは、またいつの日か、別のかたちで言葉になっていくのだろうな。

                  ****

姉の最期の瞬間を、家族だけで看取ることを許してくれ、亡くなった後もていねいに姉の死亡を確認してくださった大阪の病院のことは、今でも忘れられない。その病院に、若いともだちがドクターとして来春から勤務することになった。そのめぐりあわせの、ありがたいような不思議。

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2008年9月24日 (水)

マガ くうきをよむ

Photo_2 ← 翔の家で、秋の光にまどろむマガ。

朝早くいつもみたいに、マガに起こされる。ごはんごはん~~~とさわぐので、眠い目をこすりこすり、2階からおりてきた。

ねぼけまなこで、右手に、めがねと本。左手に、着替えのシャツ、その他。

って、ここまではいつもと一緒。のはずが、何段目かで、あ、と思った瞬間、からだが宙に浮いて、がらがらがらのどどっし~~~ん!あっちこっちぶつかって、背中で階段をころげおちて、気がついたら床の上。

物音に驚いて、夫がおりてくる。しばし身動きできぬ私。頭がイテテテ、手を当てたら、ギョ、頭から血がでてる。

血を見るのがこわい夫。でも必死に、ぬれたタオルで頭を押さえてくれる。

その間、マガはひと言も鳴かなかった。じっと私の横に張り付いて、神妙な顔つきで正座している、それもずいぶん長い時間。

マガ、空気を読んだんだ。今はごはんどころじゃないみたいだ、ってわかったんだ。イテテ、、って思いながら、おとななマガに、ちょっと感動。

                ***

頭の右と左にたんこぶができてるのがわかったので、とにかく冷やさなくちゃ、とお菓子用のちびアイスノンで冷やし続けた。バンダナの布帽子がすごく役立った。帽子の左と右にひとつずつ、アイスノンをはさみこんで、うしろでしばり、アイスノンをとっかえひっかえ。翌朝まで冷やし続けた。

おかげで、目が覚めたとき、たんこぶはみごとにひっこんでた。布帽子さまさま。落ちてすぐ、そして長時間冷やしたのが、当たり。顔もどこも変形してないし、ふつうにしてればもう頭も痛くない。からだのあちこちは、そりゃすごい色のあざになってるけどね。

よかったよな、この程度ですんで。

っていつものように夫がいう。同感。一日たつともう、私の中でも笑い話だ。

ほんとに札付きのドヂ、と我ながらあきれるけど、それにくらべ、マガはえらい!

Photo ← いざというときは、おとなな、マガなのだ。

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2008年7月27日 (日)

マガシャワ 再び

Photo_2 ← めずらしくカメラ目線のマガ。

先日書いた「マガにもシャワー」は、その後も効き目があって、彼女の食事中はずっと横についてて、声かけをしている。

あ、えらいね、よく食べるね、おいしいおいしい、むぐむぐ、あ、全部食べたね、マガ、えらいな~~~ えらいっ!

ひとがきいたら、あきれるだろう。私だったら食べるときこんなに干渉されるなんてまっぴらごめん。だけど、今のマガにはこれが必要みたいだ。そばについて声かけてないと、もう食べない。

ついこの前も、ごはんのタイミングをのがしたらふて寝して、夕方までなにも口にせず。老いた小さないきものには、1、2日、食べないことはいのちにかかわるほどのことだから、一食ごと、ないがしろにはできないんだ。

         ***

鼻がよく効くのは、マガの元気のしるしの一つかな。いわしのつみれ団子を煮てると、足元から湯気のたってるのをみあげて、ふっふっ、と鼻息あらく、匂いをかいでいる。

鼻をぴくぴくさせる、とよくいうけど、よく見ると、鼻が動くんではないみたいだ。鼻のすぐ下の、白いところがぷくっぷくっとふくらんで、鼻の穴が閉じたり開いたり、そうやって、おいしい、を吸い込んでるんだ。

それにしても鼻息の音のすごいこと。こんな小さなからだで、

            ふっふっ!ふっふっ!

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2008年7月20日 (日)

西の魔女が

映画「西の魔女が死んだ」を見た。その数日後に娘が見にいき、その後、夫も見に行き。で、家族全員が一つの映画を時間差鑑賞したことになった。

映画の中のおばあちゃん、その立ち姿や語り口ーー静かな自信に満ち、凛としてて、不思議なユーモアのある、そういう雰囲気全体が、私にはとても近しい、あるひとと重なった。

この前紅茶で会ったばかりだけど、長いこと会わなかったとしてもすぐに想い出したろう、京都のお産婆さん(そう呼ぶには若すぎるけど、ご本人がそう名乗るので)。

10数年前にはじめてあったときから、魔女っぽいと感じ、会うたびやはりそうに違いないと確信を深めた、あゆみ助産院の左古さん。

3億の中のたった一つのいのちのもとの半分とその相方とが、奇跡のように出逢い、数々の危険をくぐりぬけ、いよいよ生まれてこようとするのを手助けするひとなんだから、ある意味、魔女で当然、でもあるのだが。

       ***

もう一人、このおばあちゃんと、とても重なったひとがいる。こちらは、雰囲気より何より、その存在全体が重なるのだ。兄の妻で、中3の時から私を育ててくれた、ねやまと呼ぶ東京の姉。

毅然として、いつも正しくて、自分でものごとを決め、誰が見ていようといまいと日々の暮らしをきちんきちんとていねいに。そんな姉からしたら、妹のソコツさは目に余るものがあったろう。口答えしたくてもいつだって必ず姉のほうが正しいので、反論せずとも反発は、若いころの私の中では毎度のことだった。

私に娘が生まれて、姉は自分の子どもは産まなかったけれど、”おばあちゃん”になった。「西の魔女ーー」の物語にでてくる女の子と同じ名前の、まいのおばあちゃんに。(だから、映画の中でおばあちゃんが、「まい」と呼ぶ時や「まいは」と口にするたび、たぶんほかの人以上に反応してたと思う)

               ***

「西の魔女ーー」を見てきた娘には、やはりねやまこと、東京のおばあちゃんが重なったようだ。こんなメールがきた。

映画の中で、「おばあちゃん大好き」っていう言葉に、
いつも正しく毅然としていたおばあちゃん自身が、どれだけ支えられていたことか、とも思ったな。

ねやまが生きていた頃、
私は、さみしさや孤独だって背負いながらねやまが一人で生きてる、なんてこと、
全く想像できてなかった。
私の目に映るおばあちゃんがすべてだって思ってた。
背筋がシャンとして、きちんとして、強い正しいねやま。
だけど本当は、誰かと生活を共にする時間のほうが、ずっとずっと少なくって、ひとりのときは、小さくなって泣きたいときも、弱虫になりたいときも、あったろうな。

だからこそ、私やママに会えることも、手紙もらうことも、声聞くことも、
想像してた以上に、ねやまにとって大切なこと、嬉しいことだったのだろうな・・・・って、

今更ながら気づいたよ。

「おばあちゃん大好き」って言葉、今でも届いてくれてることを、願いたい。

      ****

血が繋がってないんだから、
万依が生まれたときに、ねやまは自動的におばあちゃんになったわけじゃない。
ねやまが万依を愛してくれて、それをめいっぱい態度で伝えてくれて、
そういう時間を一緒に過ごして、私たちの歴史の中で、
ねやまは、万依のおばあちゃん になったんだ。

小さくなって泣きたいときも、弱虫になりたいときも、の言葉に、歴史の中で、万依のおばあちゃんになったんだ、の言葉に、思わず涙があふれた。決して多くを語らなかった姉、そこも魔女のおばあちゃんみたいだ。

娘にはもう一人、重なったひとがいたし、夫は夫で、別の人物を重ね、「魔女」や、魔女の修行に反応している。

娘は去年、原作を読み、私は映画を見てから読み、夫はこの夏、映画にいく直前に読み、私はこれからもう一度、原作を読み直そうと思ってる。魔女の修行、にまだまだ学びたいことがあるので。

        ****

おばあちゃんを演じているサチ・パーカーさんは、本当はまだ若い、アメリカのすてきな女優さん。シャーリーマックレーンの娘で、子どものころは日本で育ち、サチ、の名は、漢字の「幸」からきているのだという。

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2008年7月14日 (月)

マガにもシャワー

Photo ← さすがに小さくなったマガ。紅茶の一番だいじなおざぶとんの真ん中で。

夏は外で寝ることの多いマーガリン、そんな夜は私も朝までぐっすり眠れる。きのうはひさしぶりに家の中にいて、夜中の2時に私を起こしに来た。

にゃ~~にゃ~~、

ドスのきいただみ声でひとしきり催促したあと、それでも動かない私に、こんどは前足の肉球で私の首すじを押す。

ねーってば、ねー、♪ごはん~~、ごはん~、

こうなるとこっちも根くらべだ。狸ねいりしてたら、次は私の耳たぶを甘噛み。

うひょ!こらかなわん、わかったわかった、ごはんあげるよ。

かくして、マガは夜中のごはんにありつけました。マガの勝ち。

    ****

Photo_2

← マガ、ご機嫌 Photo_3

← マガ、ぶっちょうづら

夏でもあり、それ以上に高齢でもあり、甲状腺の薬が効いてることもあるのか、マガの食欲は去年のように、食べても食べても空腹、ということはなくなった。その分、たべる量がまちまちだ。好みのシニア用キャットフードをお皿にのせても、ふん、とよこを向いてまったく口をつけない時もある。そんな時、

ほら、おいしいよ、いつもの好きなのだよ、食べてみ、おいしいから。

と声かけしながら横で見てると、いったん、ふん、とした時でも、もう一度鼻を近づけ、そんなに言うなら食べてみっか、という顔でたべだすことが何度かあった。

あ、えらいね~、よく食べるね~、おいしいもんねえ。

途中から、むぐむぐ、本格的にたべてお皿を空にすることもしばしば。どうも、お皿に盛って、私がその場をはなれてしまうと、食べないことが多いみたいだ。

マガの薬をとりにいったとき、そのこと、ナースさんに話してみる。

そうそう、猫ちゃんには多いみたいですよ、入院中の子でも、食べるのを応援してあげてるとけっこう食べますよ。

へえ~~!やっぱりそうなんかぁ。

確かに、翔の場合も、てのひらに乗せてごはんをあげると、食欲なさそうなときでもどうにか食べてくれたものだ。声かけすることで食べたかどうかは記憶にないが。

食べることを応援する、って、老猫にとっては、生きることを励ます、ってことだ。

ほめ言葉のシャワーのちからは、人間にだけではないらしい。

うん、マガにもシャワー、だ。

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2008年7月 9日 (水)

はくちょうろ

Photo 義父の17回忌の夜の宿は、兼六園に近い白鳥路ホテル。

← どこか古風な、ホテルの鍵。

26年前からの10年間、私たち家族はすぐ近くのマンションに住んでいた。娘は小学3年生までここで育った。幼稚園のころは、毎朝、白鳥路を歩いて兼六園下にでて、そこのバス停から路線バスで通園してた。

マンションの近くに車をとめていたが、あるときから、その駐車場がつかえなくなった。土地が売られて、そこにホテルが建ったのだ。それが、このホテル。

泊まった翌朝、娘と二人で白鳥路を、朝の散歩。

一番びっくりしたのは、すっきりと空が見えること。昔は、この路は大きな樹々でおおわれ鬱蒼としていて、空が見える隙間はほとんどなかった。入口にある白鳥の像と藤の木からはじまる白鳥路には、大きな胡桃の木が何本もあって、よく緑の実が落ちていた。右手は、当時はこの地にあった金沢大学。左手は金沢地方裁判所。

昼でも暗く、夏は天然の冷房がきいてここを抜ける間は夏の暑さを忘れられたけど、その分、危険な面もあって、観光客向けにも、と樹々を相当伐って明るくしたのだろう。

Photo_2 朝の通園のとき、親子でいつも歌いながら白鳥路を歩いた。あのころはまってたのは、クボタトシノブの「流星のサドル」だったよね、と娘。

路を抜けると、急に明るくなって、そこは大きなバス通りで、石川門を右斜めに見あげる池があって、その浅瀬で遊んでた娘がこけて、びしょぬれになったこともあった。よその人には観光地でも、私たちにはお隣の金大キャンパスもふくめて、大きな遊び場だったんだ。

白鳥路から大手堀に向かう途中、大手門にあがる道の脇に、かつては、古い大きな藤棚があった。住んでいたマンションの5階からもその藤の花が見えた。そこであの年の5月、たった一輪の、遅咲きの藤の花と出逢ったのだ。あなたは、あなたなりの花におなり、と教えてくれた、私にとって大切な記念の場所。

大手堀も夕方、よく散歩したものだ。

Photo_3 堀の水面につきそうなほどに低くたれてる枝は昔のままだ。枝でブランコしてる鳩たちもまた。

Photo_4

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2008年7月 8日 (火)

clan の おさ

義父の17回忌があった。集まった親族は、89歳から3歳まで、総勢16名。

クリスマスや感謝祭に親戚が集まることを、family reunionと呼ぶのだったと思うけど、今回のそれは、ファミリー、というより、clan(一族) reunion、という感じだった。

これまでも感じてたけど、こういう場面では、夫はまさに一族の長(おさ)になる。父親になったばかりの甥っ子たちにとっても、彼らの父親モデルは叔父である彼だ。彼らが幼かったとき、長い里帰りの間、よくよく面倒をみた彼なので慕われるのも当然かもしれない。彼らが大きくなってからも、父親とは話せないことを彼には話していた。それ以上に、すべての姉妹の家族SOSの場面で呼び出されては、即、駆けつけて対処、ということをしてきたので、いつのまに、彼はおさになるべくしてなってしまったのだ。

それでも、私たち家族だけでいるときはみごとに、ふだんの彼になり、一人の父親になる。そのすばやい変化を、娘が今回もするどく見つけてた。

だけどーー ちいさな単位の、静かな家族で育ってきた私は、いまだに、濃い血的関係の輪、というのが苦手だ。みんな同じ○○の血が流れてるんだ、すごいことよねえ!などといわれると、その場でどういう顔をしていいかわからなくなる。

私自身はどうも、血、の意識がひとより少ないみたいだ。水野の家は血の縁の薄い家、と昔から言われてきて、それがからだにしみこんでるからかもしれない。亡くなった姉と、血に依らない家族をつくってきた歴史があるからかもしれない。

なので、あまりに血を賛美されると、つい優性思想を連想してしまうんだ。

娘と私は間違いなく血でつながってるのだけど、こんなにおもしろいひとがどうして私の娘なんだろう、といつも思ってる。親子枠や、血、だけでは理解し得ないふしぎさに満ちた、ひとりの人間としての存在。

もともとは赤の他人だったひとと、結婚して家族をつくり、34年。夫もまた、いまだにふしぎに満ちた、私にとって一番近しい、ひとりの男だ。

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2008年6月27日 (金)

rescued cloth

rescued paper という言葉があるのを、mai worksの「ほめ言葉のシャワー」ではじめて知った。

直訳すれば、救出された紙。ゴミ箱にいく前に助け出されて、他の用途に使われる、という意味合いだろうか。

裏紙を束ねて和とじにするのは、かつては当たり前におこなわれてたし、ヨーロッパにもそういう紙だけでつくられた本だかノートだかがあるという。

それと同じ意味合いで、古い布で何かつくるとき、rescued cloth と呼ぶのも悪くないな。紅茶じるしの手縫い製品のほとんどが、そういう類の布たち。

Photo_2

← たとえばこんなの。パッチワークキルト風のこの生地は、娘が小学生のときに来ていたお気に入りのジャケットの。この布が私も大好きで、いつか何かに生まれ変われるかも、とずっとずっととってあった。裏地も15.6年前のもの。

これは、珈琲のペーパーフィルターいれ。    

   Photo_3  

  ← こうやって台所で、「握手するなべつかみ」と並んでかかっている。なべつかみの裏地は20年以上前の、そのころ香林坊にあった「クロワッサン」のお店で買った厚手のキュロットスカート。 今の私にはどう逆立ちしても似合わないので、裏地になって生き延びることになった。ただしこの布でつくったものは、どれも非売品。

rescued cloth には、救出された紙以上に、一つ一つ、ものがたりがあるなあ、と思う。家族の歴史を縫いこんだ「私のピース旗」のときも感じたことだけど、布って本来、身にまとうものだからね。それをまとっていた時の、触れてたときの、想い出もくるまれてるんだ、きっと。

もともと針仕事は苦手、縫い目など小学生の家庭科なみの私だけど、つくることは楽しい。それもお店に売ってないようなヘンなもの、でも私にとってはあったらいいな、をつくるのが好き。 

                              

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2008年6月19日 (木)

いまどきのマガ

春になったら夜遊びにでかけるようになったマガ。ときどき縁側にマガをさそいに来る猫もいる。

マガはことし16歳だけど、いくつになっても茶のみともだちくらいはほしいらしい。

でもそのともだちの中に過激なのもいたんだろう、ひっかかれたかで目の上に傷して、それをさらに自分でひっかいて、膿んで、腫れて、ありゃりゃ、ってことになった。

Photo  ← だけどちゃんと回復し、今はすっかり傷はきれいになった。いまだ、剃った毛がはえそろわないマーガリン。

 Photo_2

← カシャカシャと音がするものが好き。紙袋のなかのものを引っ張り出しては遊ぶマガ。 なぜか草履をはいている(私の夏用スリッパの)。

甲状腺の薬を飲みながらだけど、よく食べ、よく出し、よく眠る。

毎朝4時におなかがすいておこしにくるので、私は慢性寝不足気味。でも元気でいてくれるって、ありがたい。

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2008年5月15日 (木)

本づくりパートナー

Photo 2,3日留守しただけで、明らかに、窓の向こうの緑の濃さが違う。クヌギの木とウワミズザクラの木の葉っぱ同士が、もうしっかりと握手している。やあ、一年ぶりですね、と。

今日はこんなに肌寒いのに、木たちはもう初夏のスタンバイだ。

               *****

西宮で、ぎゅっと凝縮された時間を過ごしてきた。

今年の紅茶shoppeに出す品のひとつは、たくさんのひとの言葉と娘と私の、文字通りのコラボレーション。

こんな本をつくってほしいな、と、4月にあるひとからリクエストを受けて、以来それぞれ別々に進めてきた作業が、いよいよ顔と頭とひざ、突きあわせての共同作業の段階にはいったため、西宮へ。

それにしても、よくまあ、こうも違う母娘。カンカク派の母とリロン派の娘がタッグを組むと、彼女の言葉で言うところの、おもしろい化学反応が生まれるらしい。

確かにそんな感じ。おっ、そう来たか。むむ、今度はこう来るか!なっるほど~~、そっちのほうがいいね、私の案、引っ込めよう。

発想の意外性に驚いたり、うなったり、脱帽したり。今回の小さな本つくり、まだ途中だけど、私だけでは決してこうはならないし、また娘の手だけでも、こうはならない。

ページ割り作業をする娘を、横から見てた。まったくのゼロから出発して、自己流でこんな編集の技、いつの間に。

さあ、これで材料がすべてでそろい、ここから先は彼女の手仕事の領域。どんな本になるのかは、私にもまったくの、さぷらいずです。

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2008年5月10日 (土)

28回目のいのちの日

びっくりするような寒い一日。28年前のこの日とは大違い。なぜはっきりそういえるかというと、今日が父の命日だからだ。

この4月に東京に帰ったとき、家の引き出しから古い写真を見つけた。

Photo おそらく何かのお祝いの席だろう、にこやかに笑いながらいい顔して飲んでいる父。70いくつのころかな。見つけたとき懐かしくて、思わず、ひさしぶりだね、と声をかけてしまったよ。で、その写真を写真にまで撮ってしまったよ。

           ***

あなたの大きな愛のことを、以前にこのブログの中で書きました。それが仲間たちの間でちょっとした話題になった。私を干渉せず、私に口出しせず、かといってただの一度もその愛を私が疑ったことのない、そんな愛し方。

たしかに誰にでも簡単に出来ることじゃないな、あんなあぶなっかしげな、夢食べて生きてるみたいな娘のこと、信じられた父は、すごい!ほんとは内心、とてもはらはらしたろうに、もどかしかったろうに。

でもそのおかげで、私の芽は伸び、枝葉をひろげることが出来ました。若いころあんなに自己中だった私が、今は、ひとといっしょに生きることがうれしい私に変わったのがとても不思議です。いつのまにか、あなたの生きかたを見習いたいと思ってきたのかもしれません。

あなたの口ぐせ、「のち、悟らん」。後から気づくたびに、ほんとだね、今、やっと気づいたよ、このことだったってわかったよ、と、あなたと会話する。きっとこれからも。

                  *******

せっかくのあなたのいのちの日なので、あなたの大好きなひとにも登場してもらおうね。あなたと出逢ったころですか、私はまだ生まれていませんか。Photo_3

      

Photo_2 今年の父の花は、カサブランカとブルースター。駅西の花やさんのセレソさんで。

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2008年5月 9日 (金)

連休ふりかえり

今年の連休くらい濃かった年もめずらしい。

9条のシール投票で街に立って、日帰りでアール・ブリュット展@近江八幡、9条の集いに参加して、クノキファミリーのとくべつ紅茶があって、ラ・フォル・ジュルネ金沢のコンサートに出かけて、花嫁のれん展@七尾一本杉まで行けて。

しかもすべて夫と一緒。実はこれってすごいことかも。昔はもっともっと別行動が多かったものね。

確かに、彼は変わったな、そして私も変わったよ。

数え切れないくらい多くの出来事を経て、影響しあって、とりわけこの6年間は、ともに同じ紅茶の場にいて、みんな悩んだり苦しんだり、それでも懸命に生きている、ってことをシンクロの場で感じて、それを話して、聴いて、また話して、いまだに発見しあえるお互いがいるって、考えたらすごいことだ。

こんなふうに一緒に生きてくれてること、とってもありがとう、です。

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2008年5月 2日 (金)

おうみはちまん

ひとって本来、表現せずにはいられない生き物なんだろな、文字よりずっと前に、言葉よりはるか以前に。

「アール・ブリュット」の作品をみるのは2度目だけど、やっぱりそのことをまず感じる。

生の芸術、とよばれるアール・ブリュット。いわゆる美術教育をうけたことのないひとたちの作品群。世間からの評価とは無縁の次元で、創らずにはおれず、描かずにおれなかった、それぞれ固有のオリジナルな世界。

3年前にたまたま銀座の資生堂ギャラリーで見て衝撃を受けた。今回は近江八幡の二つの古民家での展示。http://no-ma.jp/
ほとばしるエネルギーに押されて多少疲れたけど、見にいけてよかった。
前から、アール・ブリュットやアウトサイダーアートに関心を持っていた娘は西宮から電車で、私たちは石川から車で、駅でおちあい、親子3人日帰りの旅。
行こう!と思ったのは、地図までいれて、ひょいと背中をおしてくれたきりりんさんのおかげです、ありがとう。
                   *****
初めて行った近江八幡。静かで古い町並みが、歩いていて落ち着く。
Photo_3 ← かわいい郵便受け。なつかしい赤い丸いポストも町のあちこちに。
Photo_2
近江商人が金沢にきて住みついたところが、近江町市場のある近江町。
Photo_4
宣教のため来日し、近江八幡に住んで、数多くの学校や教会を設計したヴォーリズ。町には彼の記念館もある。娘が通った学校の校舎のいくつかは、彼による設計。
思えば近江八幡とはいろんな共通点があったのだった。

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2008年4月10日 (木)

翔に

Photo_3

昨日の紅茶に一年ぶりできてくれたひと。いのみら読んだの、翔ちゃんにお花あげさせてね、お墓参りもさせてね、と、小学生になったばかりの娘さんと一緒に、翔のお墓に手をあわせてくれた。

今はもう中学2年生だというこの子のお姉ちゃんが小さかったころ、彼女にとって紅茶に行くことは翔に逢うことだった。翔に逢いたくて逢いたくて夢にまでみて、「しょう、しょう、、」って寝言で何度も言ってたそうだ。

お花を買う時、お花屋さんで翔の話をしたら、そのお花屋さんは紅茶のことも翔のことも知っていて、「スウさんちにも桜が咲いてるでしょうけど、この色じゃないと思うから、持って行って紅茶のお部屋でみなさんとお花見してね」と、白い桜をくださったとのこと。

                     Photo_4

白い桜の花は、夜のあかりのなかではいっそう美しい。亡くなる一週間ほど前に映した翔の遺影の横で、咲いている桜。

ふらつく足を一生懸命ふんばって、必死に立っている姿は、いつ見ても、翔の尊厳を感じる。

それにしてもうちに来たことがないのに、セレソさん、なんでうちに桜の木があること、知ってたのかなあ。

              *****

いのみらをずっとお送りしている、私の尊敬する珠洲のかたから、それはやさしいお便りをいただいた。この方は、翔が珠洲生まれ、ということ以上のとくべつな想いを翔に抱いていてくださったそうだ。この方のとても大変な時期、「私と一緒にたたかってくれた大切な犬のような気がするのです」と書かれていて、ええっ、そうだったのですか、と私のほうが驚かされた。

もうずいぶん前のことだけれど、一度、うちを訪ねてくださったことがある。「そのときに見た翔のとても幸せそうな姿が、今もしっかりと目に焼きついております」。こういう言葉って、遺されたものにはほんとうにうれしい。胸があったかくなって、つぶやく。翔、やっぱりあなたはとくべつな子だったよ。私の知らないところで、あのかたをそんなふうに支えていたのだね。

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2008年1月28日 (月)

47本のスイトピー

朝、一面の銀世界。昨日の夜は、この冬はじめての本降りの雪だったんだ。夜中、屋根からすべりおちる雪の音を何度も聞いた。

母のいのちの日に贈るスイトピーが、ことしは47本になった。母が逝ってから、それだけの年月がたったということ。

Photo_2 雪を背にしたスイトピーは、花やさんのスイトピーとは別人みたいだ。

それにしても、雪は白いはずなのに、どうして蒼くみえるんだろうね。

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2008年1月20日 (日)

for being you

私の誕生日にあわせて娘が帰ってきた。翔のお葬式以来だ。

その日を一緒に過ごすのは7年ぶり。だからその時間こそがプレゼント、と思っていたら、もうひとつ、びっくり箱!みたいな贈りものがあった。

Photo_3 thank you for being you」

 ← と書かれたタグのついた小箱を開けると、

Photo_2

 ← 中からあらわれたのは、小箱の包み紙がそのまま表紙になった、ちいさな手つくり本。娘が、私には内緒で、ともだちと一緒にこしらえたバースデーブック。

1ページ1ページ、きもちが、やさしいかたちになってデザインされてた。綴じ込み付録の家族の想い出写真館には、私たち親子と、翔とマガと、紅茶の仲間と、亡き姉と、母のメモリアルとが一緒に並んでた。

さらにページをめくると、この一年、近くで遠くで、私の心模様を見守ってくれてたひとたちが、次々登場した、笑顔の写真にメッセージをそえて。

???!!!

わけがわからず、あんまりびっくりして目が点になって、さっきから潤んでた目がもっと潤んで、その先が読めなくなった。聞けば、夫を含む13人のひとに、娘が秘密の依頼計画書を送って、私へのメッセージをお願いしたのだという。

翔が天国の犬になって、だけどいつも一緒にいることを感じていられるように、翔と紅茶のはがきづくりを娘に頼み、でも実はその作業と同時進行で、こんな本づくりが水面下で進んでいたんだ!

そう思ったらあっつい感謝がこみあげてきて、胸がいっぱいになった。

       *****

その夜遅く、一人でもう一度、世界に14冊きりのバースデーブックを読み返して、去年の日々も想い出して、その間、みんながどんな想いをしながら、わたしのことを辛抱強く待っててくれたかを痛いくらいに感じた。
本当になんて有り難い。言葉がみつからないよ、ただただ感謝。

後日ゆっくり、幸せの秘密計画・楽屋裏話をきいて、またまた泣いたり笑ったり。しあわせなきもちと、ありがとうが、ぐるぐるぐるぐる、まだ私の中でまわっている。この本つくりにかかわったひとたちの間でも、同じぐるぐるがまわってるそうだ。

幸せ作家を名乗る娘の、しあわせのりさいくるって、ひとつにはこういうことかもしれない。

            *****

タグに書かれた言葉、

thank you for being youは、

「あなたがあなたでいることに、ありがとう」。

なんて幸せな母親だろうね、私。

この言葉、抱きしめるように大事にして、毎日をていねいに生きよう。

本当にありがとう、

「あなた」が「あなたでいること」に、私からも、ありがとう。

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2008年1月 8日 (火)

マガのすやすや

Photo ← マガのすやすや。

甲状腺の薬は毎日欠かせないけど、元気に過ごしてくれてることが、ありがたい。長年いっしょだった相棒の翔がいないことを、マガはどのように感じているだろう。しょっちゅうひざに乗ってくるようになったこと、ますます甘えん坊になったこと。つまりは、そういう感じ方をしてるってこと。

私の今年の課題のひとつは、そういうマガの声(願いや訴え)を、こころを澄ましてよく聴くこと、だ。

     

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2007年12月28日 (金)

天使っぽいgod dog

Oさんちのジェスちゃんが、翔と同じ11月に、天国の犬になった。

16歳5ヶ月というから、翔のちょうど一つ年上。
あの小さなからだで、本当に長い間、ずいぶんがんばってきた。
         ****
若くして亡くなった娘さんの犬でもあったので、
その肩代わりもしてくれていたという。
そのこともジェスはきっと十分わかってて、
ジェスのはたらきをせいいっぱいしてくれていた、
Oさんが一番つらいときそばにいて。
ずっと、ありがとう、ばかり言ってるの、というOさんのきもち、
ああ、おんなじ、おんなじ、って思う。
お母さんを励まし続けたジェスに
わたしからも、ありがとう、です。
          *****
私の携帯には、去年の出前紅茶のときにうつした、
うしろ足で立ってるジェスが今もいる。
ジェスと翔とは、娘さんを偲ぶ上毛高原でのつどいのときに出逢った。
彼女が出逢わせてくれた2匹は今ころ、
やあ、ジェス、やあ、翔、って再会をよろこんでるな。
もちろんその横には、ジェスの本当のご主人である娘さんが
笑顔でいて、ジェスが、これまでの家族の話を
いっぱいきかせてあげてるに違いない。

                  ******

津幡図書館で毎月一緒に詩をよむきりりんさんが、
てづくりのミニミニ本 ーーー きりりんさん選、
犬をうたった詩だけを集めた一冊きりのアンソロジーをくださった。
まどみちおさんの、東くんぺいさんの、工藤直子さんの。
とりわけくんぺいさんのは、
「紅茶の時間」という詩集のなかの、「紅茶の時間」という詩。
知らなかったよ、そこに一匹の犬が登場してたなんて。
       *****
Photo_2 表紙の翔の字には、ほんとに羽がはえている。
ウラ表紙には DOG とちぎり絵文字でかいてあり、
逆から読むと、GODですね、ってきりりんさんが教えてくれた!
ジェスも翔も、天国に行って、
GOD(きっと天使っぽいGOD DOGね)になった。Photo_3
犬とは思えない犬、そのたしかな存在。
Oさんちにとっての、ジェス。
私たち家族にとっての、翔。

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2007年12月22日 (土)

翔の紅茶はがき

翔が逝って数日間は、カミナリが光れば瞬間的に翔を想い(いつもすごく怖がったので)、落ち葉が縁側でカサコソ舞えば翔が歩いてる気がし、夢のなかで翔と逢って、目が覚めてから本物の翔はまだおとなしく寝てるか、とねぼけまなこで階段を降りていってしまったり、、してた。

ちょうど一週間たったとき、夕ご飯をたべてる途中で、ふいにわいてきた、翔を語り継ぎたい!っていう想い。

語り継ぐ、なんて、人間じゃないのにおおげさな、って言われるかも知れない。だけど、翔というとくべつな存在の家族のこと、時がたくさん流れても、私たちだけでなく、翔を知るひとたちの記憶のなかにもとどめたい。なんか、なんとか、かたちにして、翔を知ってるひとたちのなかで翔が生きつづけてほしい、って願った。そしてできれば、翔を知らないひとたちのなかでも。

なんか、なんか、、、って考えて、あ、と思いついた、ポストカード。

でもそれ以上のアイディアは思い浮かばないまま、娘に電話。翔と紅茶からのメッセージが伝わってくるような、そんなはがき、つくってもらえる?

翔が元気だったころの写真や、写メールで撮った今年の翔や、猫のマーガリン。それに娘からの注文で、紅茶のポットやカップ、コースター、紅茶の看板などを、写メールで撮って西宮へ。

    **** **** *****

Photo そんなふうにして、翔と娘とのコラボレーション、オリジナル紅茶ポストカードが生まれた。5枚のどのはがきにも、翔や紅茶からの、ほんのひとことのコトノハつき。

たくさん送った写メール、はがきには活かせなかったけど、どれも好きだったからプチカードにしたよ、 と娘からちいさな一筆箋も送られてきた。16種類あって、それを一枚づつ、はがきセットのおまけにいれてほしいとのこと。

おまけに入れた以外のプチカードは、それぞれ8枚組みの、翔とマーガリンが中心の「肉球セット」、原始林窯の紅茶カップが中心の「紅茶セット」、にもなっている。 

        Photo_2

紅茶が25年目にはいった今、翔からの贈りもののように紅茶初のカードが生まれたということ、考えたらすごく意味深いことなのかもしれない。

はがきもカードも書きやすくて、これで便りを出すのがうれしくて、翔はこれからいろんなひとのところへおおいに旅してゆけそうだ。

              

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2007年11月12日 (月)

ラブレター

ブリ起し、とも呼ばれる冬かみなりが激しく鳴って、光って、大粒の霰がバシバシバシっと屋根や縁側をたたく。

翔がいたらどんなにこわがったろうねえ、と異口同音に夫と話す。かみなりが怖くて怖くて、それで真夜中、必死に真っ暗な階段をのぼって2階にきて、ふとんの中の私に鼻息かけて起した夜のことを、もう7、8年も前のかみなりの夜を、想い出す。あれ以来、2階に登るってことを憶えたんだね。

翔が最期の10日間、寝ていたお風呂用マットは、今は台所の足元マットになった。翔がこの半年間使っていた安定感のあるお皿は、娘の赤ちゃん時代のもの。そのお皿はふたたびブーメランみたいに巡って、今度は私たちのお皿になった。

今は何を見たって、翔に結びつく。想い出す。

だけども、翔が若い元気いっぱいのときに突然逝ったのだったら、今みたいな、悲しいけれどもおだやかな気持ちではきっといられなかったろうな。

想い出すのが全部、尻尾ちぎれんばかりに振ってる元気げんきの翔だったら、悲しくて、かわいそうで、無念で、どんなに私たちがつらかろう。
どの翔のイメージも決して、かわいそう、ではない。
そうなんだ、かわいそう、ってきもちにならないことが、私をとっても救ってくれている。

11月はじめから無我夢中で泣きながら書いた「きもち」は、まさしく翔へのラブレターだ。これが私の悲しみ方なんだ。

書くことはもっと悲しくなることだったけど、そうしないではいられなかった。きもちを言葉にせずにいられなかった。翔が、書かせてくれたんだ、本当にそう思う。

そして書いたから、気づいた。なんであの夜にかぎって翔に添い寝したのか、なんであの朝にかぎって一時間もずっと抱っこしていたのか。後になって、私のことをしあわせなきもちにさせてくれるために、そうと知らずに、私はそうしていたんだ、、、ね。

    *****

思いのほかたくさんの方がたが、この間の「きもち」を読んでくださってた。そして、メールやお手紙や声できもちを届けてくださった。ありがとうございます。翔に代わって、お礼申し上げます。

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2007年11月 9日 (金)

知っていたの?

津幡に越してきた夏に出逢ったから、この家の歴史と翔は同い年だ。

毎週の紅茶で出逢ったひとの数は、のべで万を越すだろう。でもそのなかで翔がほえたのをきいたひとはたぶん数えるほど。そのくらい寡黙だったけど、翔の、きもちを伝える表現力の、なんて豊かだったこと。くりんくりんの目は、にんげんに対する信頼感でまん丸で、うけくちのお顔でいつも笑いながら話しかけてくれてるみたいだった。

10月の私の宿題は、かならずいのみらを書くこと!だった。

8月ころ、もうそろそろ書かなきゃな、と思い、でも一体どうやって書いたらいいかわからなくて途方にくれてたとき、翔のうけくちスマイル見てると妙にこころが落ち着いてきた。しなきゃって思ううちはまだまだ書かないことだよ。書きたいってきもちがしぜんにたまるまで待ってたらいいんだよ、って言われてる気がした。

書きたいきもちはたまったものの、言葉にするのは今回ものすごくむずかしかった。書き終わるまでにすごく時間がかかった。翔のこと、マーガリンのこと、書いてる途中に書きたくなって書いた。発送にもいつもの3倍くらい時間がかかった。

そのいのみらが届いて、みなさんが私の心の旅や近況を知り、翔とマガのことも知り気にかけて、メールやお手紙をくださった。

そして紅茶に、逢いにきてくれたひとたちがいる。それって、それがそのいのちの日だったって ーーー 翔はぜんぶわかっていたのかい? 知ってたのかい?

           ******

犬と猫でも、同じ年にうまれて家族になって、姉妹みたいに暮らしてきた翔とマーガリン。このところすごく甘えるようになったマガは、いっそう甘えん坊になるだろう。あたりまえだよね、うんと抱きしめてあげる。そうすることで私もまた、なぐさめられるよ。

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2007年11月 8日 (木)

お気に入りの場所で

この10日あまりほとんど毎朝、しゃーしゃーという、何か大きな本のページでもめくるような音ではっと目が覚めてた。後ろ足の力のなくなった翔が足をひきずって歩いてる足音。抱っこして庭におろすまで、たいていおしっこもがまんしてた。

昨日からはそれがもう聞こえない。でも今朝はまだ、ピンクのガウンかけてそこに眠ってるような翔がいた。

昨日も今日も、晴れてあったかい日でよかった。夫が、約一時間かけて、桜と白樺の木のあいだにお墓を掘る。フェンスの近くのこの場所が翔のお気に入りで、若いころはよくここに寝そべりながら、車をとめて紅茶にやってくるひとと同じ高さの目線で、ようこそ、をしていた場所だ。

ピンクのガウンにくるまれた翔を、土の上にそっと。その身の、あまりの軽さよ。よくこの軽さで立っていたねえ、歩こうとしてたねえ。

埋葬に立ち会うのは、私たち夫婦と、夕べ遅くに駆けつけた娘と、翔を家族みたいに想ってくれてたTさん。お庭からシュウメイ菊を根っこごと何株かもってきてくれたのを、お墓の上に植える。来年、翔のいのちの日のころに、きっとここで花が咲くからね、という。

こんもり土をもったお墓に、夫が栴檀の黄色い落ち葉をしき重ね、その上におおきな貝を乗せた。スペインの巡礼地までの道しるべに、これとおなじような二枚貝が道々に埋めこまれているのだそうだ。

4人で手を合わせてお祈りした。翔はこれから先はもうどこへでも走って行けるんだなあ、と思う。いろんな場面場面で翔を想い出すたびに、そこに居てくれるんだなあ、と思う。

                  

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2007年11月 7日 (水)

いのちの日

紅茶の時間がまだはじまらないお昼少し前、翔が私の腕のなかでほんとうにおだやかに、やすらかな眠りについた。

だんだんかすかになってゆく心臓の鼓動、生きてるしるしのその音を、私はさいごのさいごまでてのひらで必死にたぐりつづけてた。翔を抱っこしたまま、いっぱいいっぱいありがとうを言い続けてた。

ごはんを口にしなくなってから9日目、おそらくお迎えはそう遠くないとわかっていたよ。でもその日が今日だと知らなかったよ。っていうか、まだ思いたくなかったんだ、ぜいたくな願いだけど。

でも逝くときに苦しまなかった。お祈りは届いたんだ。神さまありがとう。

           *****

今日が紅茶の日だったのは、なんてさいわいなことだったろう。

翔を自分ちの犬みたいに想っててくれた家族や、いのみら読んで翔のお見舞いにきてくれたひとや、半年ぶり、1年ぶり、4年ぶり!のなつかしいひとも、まだあったかい翔にじかに逢えた。くちぐちに、翔が呼んだんだね、って言いあった。今日があしたでも、きのうでも、翔にあえなかったろうから。

誰かが、翔はほんとにしあわせだったね、と言う。誰かが、翔はみんなをしあわせにしてくれたね、と言う。そうなんだ、私も、翔はしあわせだったと確信してるけど、それ以上に、翔は出逢うひとにしあわせを贈ってくれる存在だった。

紅茶に来る誰もが、翔に話しかけた。翔が前足でガラス窓をノックすると、近くのだれかれが、あ、翔、おうちに入りたいんだ、あ、外に出たいんだ、と窓を開け閉めしてくれた。

もう年だったけど、紅茶の看板娘だった。犬嫌いさんや犬恐怖症のひとを治す名人だった。すばらしいカウンセラーでもあった。

        ******

今は夜。翔はピンク色のガウンをかけて、眠ってるみたいだ。娘がちいさいころのお寝巻きガウンがとてもよく似合う。

夫が心ばかりの祭壇をこしらえた。一番お気に入りの写真の横に、シベリアという名の白い百合をかざり、ろうそくを灯し、お香をたき、レクイエムをずっと流し続けてる。それは私が死んだときにかけてね、とたのんであるCDの曲。

そのCDのもとの持ち主は、6年前の11月10日に逝った姉。姉のいのちの日が近いので、白い百合を花やさんに買いにいってね、とたのんでた矢先、はからずも二人分の百合がかざられることになった。

今夜はずっとこのレクイエムを聴いていよう。家族で見送る夜。明日になったら、翔が庭でだいすきな居場所にしてた白樺と桜の木のあいだの土を掘ってお墓をつくり、そこにそっと翔の身をよこたえよう。

翔は、15歳と5ヶ月のいのちを翔らしく生ききった。今までもこれからも、翔を大好きなことはほんのちょっとも変わらないよ。翔とすごした歳月の重みは、これからもずうっと続く、わたしたち家族のたからものだ。

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添い寝

翔が寝たら、私も2階にいって寝よう、そう思って横にいたのだが、いつまでたっても翔は寝ないのだ、目を開けてるのだ。そしてときどきちいさなくしゃみをする。黄色みがかったあおっぱながぷくんと鼻の先につく。ほっとくと鼻がつまりそうだからティッシュでふきとる。

結局そうして朝まで添い寝してしまった。翔といっしょにうつらうつらしながら、鼻水ちん、をしながら。

私の目がさめたとき、まず、うすっぺたくなった翔の腰のあたりに目をやる。そこが静かに上下してるのを確かめる。だいじょうぶだいじょうぶ。

5日前まではよろよろしながらも自分の足で歩いていたけど、今はひとりで立つことが難しくなった。腰をささえても、ぺたんとすわってしまう。
でもその姿勢のほうが鼻がつまらなくて本人には楽そうだ。

抱っこすると一番安心するみたいで、やがて寝息がきこえてくる。
今夜も翔の横で寝ることにしよう。

               ******

この前の点滴のとき、ドクターが話してくださったこと。
いろんなワンちゃんのお迎えをみてきたけれど、
日本犬のほうが、だいぶ弱ってからでも、細く細くいのちをながらえて、
静かにお迎えが来る傾向がおおいようだと。

ロンゲの翔だけど、どうやら柴犬まじりの日本犬の血を持ってるそうだ。
いのちの灯をかすかに灯しつつ、そういう日本犬の伝統が翔にもあてはまりますように。

5日ほど前の朝、起きるなり翔は一時間半近くも、縁側と家の中を歩きまわった。疲れるからもう寝ようよ、といってもまた起き上がってくる。どうしてそんなに無理するのか不思議で、そのこともドクターに聞いてみた。

犬は本来、歩きたいもの。寝ながら足をばたばたさせるのも、夢の中で歩いているから。動物にとって、歩かないということは、死を連想させるのじゃないでしょうかね、と、ドクター。

そうか、翔がそんなにも歩きたいのは、翔の「生きたい」なんだ。それが、翔の生きるちからなんだ。

              *****

今日は紅茶。たまたま来たひとは、どうぞ静かに翔に逢っていってください。話しかけてやってください。きっと翔はわかると思うので。

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2007年11月 6日 (火)

翔のちから

うっとりと音楽に耳を澄ます。

縁側で、きもちよさそうに風に吹かれながら哲学する。

紅茶にくるひとたちを横目で眺めながら、静かにみんなの話を聴く。

黙ってそこに居るだけで、その場の空気をおだやかにやさしくする。

翔ほどたくさんのひとに出逢ってる犬も少ないだろうなあ。愛されてる犬も少ないだろうなあ。翔の持ってる不思議なちからにどれだけ私たち家族も、紅茶も、助けられてきただろう。

よくぞ、15年前に珠洲のキャンプ場にいたね、そしてうちの子になってくれたね。運命だったんだね、きっと。

            *****

先週から、翔の吐き気を抑えるために点滴をしている。早く落とすと余計吐いてしまうので、私が抱っこしながら、ゆっくりゆっくり時間をかける。

5月ころから貧血もしてる翔の、手足の先っぽの体温は低いけど、抱っこしながら心臓に手をまわすと、そのあったかさに涙がでそうになる。

翔の顔に頬を近づけると、まるで香ばしい麦のような、干草のようないい匂いがする。もちろんそれは犬そのものの匂いなのだけど、ずっと食事してない翔のからだは、きっともう透きとおるように清らかなのだ。

吐くことの少なくなった翔は、横になりながら前よりいっそうつぶらなひとみで家族を見つめる。今のところ苦しそうでないのが救われる。

娘も翔に逢いにきて、たくさんのありがとうと愛を伝えていった。

以来、毎日、翔の様子をメールで知らせている。昨日から鼻水がよくでるんだよ、そのたんび、ちっちゃい子に、ちん!するみたいにふいてるよ、と伝えると、娘からメールが届く。

「翔は鼻水グズグズなのかぁ。
でも、おしっこが出たと言ってよろこび、
水を飲んだと言ってよろこび・・・・
小さく細く、でも確かに灯っている灯りの、
かすかな風よけとして、私達家族の存在が在れたら、と思います。
もしも、翔が今まで辛く寂しい犬生を送ってきたのだとしたら、
翔はこんなにも一生懸命、生き永らえなかっただろう、と思うから。
わたしもここから、翔に想いを飛ばしているけど、
ふたりの温もりに、わたしの分も乗せてくださいな。」

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2007年11月 4日 (日)

ぐるぐる

10月はじめ、縁側におく翔のあたらしい家を夫がつくった。

断熱材をはり、なかにバスマットを敷き、さあ、今夜からここで寝ればあったかいよ。そうはいっても、翔はなかなか新築の家にはいろうとしない。老いてから、あたらしいことを学習するって、そりゃあむずかしいことなんだ。

何日目かに、あ、と思い出して言ってみた。翔、ここ!ここ!夜はここで寝るんだよ。何度もそう言って聞かせた。

翌朝、翔はあたらしい自分の家で寝ていた。えらいぞ、翔!憶えてたんだね。ここ!の意味。

翔が若かったころ、家のなかにいるときは窓際のマットの上だけ、という決まりがあった。ここ!ここ!と憶えさせて、何年間かはその約束を翔はみごとに守った。

7,8歳になったころから、そのしばりをほどいて、家のなかを自由に歩きまわってた翔。ときには2階にまで登ってきてた。4年ぐらい前からは、足をふみはずして骨折したらおおごとと、階段のぼりはご法度になってたけど。

5月に、翔が、庭からのあたらしい階段のぼりを学習した時も、私たちはおおいに感激した。

庭と縁側の登り降りが翔の足でだんだんおぼつかなくなり、一度はジャンプに失敗してケガまでした。段差のひくい階段を夫が工夫したけど、そこから登るようになるまでに、そうとうな日数がかかった。翔が自分ではじめてその階段を登り終えたとき、私たちは思わず拍手した。ちょうど、赤ちゃんがはじめてはいはいしたときのように、はじめて立ったときのように。

だんだん、その階段を登るのもむずかしくなってきた。庭でおしっこするときは、抱っこしておろした。翔のできることが、すこしづつ減ってゆく。それが老いるということ。

でも不思議なんだ。できることが少なくなればなるほど、翔へのいとしさはましてゆく。翔がこれまで私たち家族にくれた贈りものの日々が、心のなかをぐるぐると巡り巡る。

一週間前から、翔はごはんが食べられなくなった。ふらつきながらも何とか自分の足で歩こうとする翔の腰を支えながら、またいとしさがこみあげてくる。どんどん小さくなる翔だけど、いまはただ、そばにいて、ずっとずっと大好きだよ、と伝え続けてる。そして、それは確かに伝わっているんだ。

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2007年9月 4日 (火)

夢で、走る

夜の動物園のライオンを、テレビで見たことがある。寝ながら、足を激しく動かしてた、まるで草原を翔ってるように。

そのとき、ライオンは夢の中で走っているんだって。

そういえば、翔もよくする。あれはやっぱり、夢の中で走ってたんだ。

若いとき、翔は近くの森でよく全力疾走した。ふだんのおとなしい顔が別人のようにきりりとしまって、キツネ顔になって、すごくかっこよかった。

心臓が弱くなって、薬ものむようになったこの数年間は、もう森で放せない。たちまちキツネになって、疾走するもの。

でもきっと、森を翔ける憧れはずっと翔のなかにあって、夢でそれをしてるんだ。ときにはシャカシャカシャカと、足で床を蹴ることまでして。

            ******

今年に入ってからは、翔の寝てる時間が多くなった。ときどき薄目をあけたまま寝ている。寝てるのかな、って思って近づくと、ただ横になって考えごとをしてるときもある。きっと哲学してるのだ。

きのうも、目をあけたまま横になってた。そして走ってた。これは夢か、本物か、確かめたくて近づいたら、しっかり寝ていて、夢で走ってた。

翔、翔、って呼んでも、目をあけたまま、目をさまさず、走り続ける。ふいに、翔がどこか遠くに行ってしまった気がして、こわくなって、翔、翔、って名前を呼んだ。

夢見ているの?翔、お願い、起きて。翔。

そのとき急に、翔の瞳に光がやどって、一瞬で夢から醒めた。

え?なに、今、わたし、何してた?

まるで突然、催眠術からさめたみたいに、きょとんとしている。いつものくりくりのまんまるい目で、わたしを見ている。

ああ、、、よかった。

翔が夢からさめて。翔が遠くに行かないで。

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2007年9月 1日 (土)

15歳の誕生日

Photo← 三つ指ついてるわが家のマーガリン。

私たちがこの家に移った夏のある時期から、半分だけうち猫になったブルーベリーの、4匹産んだ仔猫のうちの1匹。

でも、もう残ってるのは、マガ、おまえだけだよ。

翔とおないどし。だから今回の誕生日で15歳になった。

一時はずいぶんグラマーで、おなかの脂肪がぷよんぷよん、右に左に揺れていた。けど、去年の秋ごろからほっそりしてきて。

そしてこの夏、急激にやせて、誕生日に体重をはかったら、2400g。

ああ、娘が生まれたときと同じ重さだ。そうか、こんなに軽かったのか。たよりなかったのか。そう思えばなおさら、このいのちの重さは、いとおしい重みだ。

マガは、年老いた猫がよくそうなように、甲状腺がすこしはれてきた。そのせいでか、食べても食べてもおなかがすく。それが身につかない。心臓にも、働け、もっと働け、と命令がですぎるらしい。

いんふぉーむど・こんせんと、なんて動物にはないもんなあ。人間が守ってやるしかないもんなあ。

でも2人とも、毎日なんだかんだ、文句言い言い、どうにかごはんを食べてくれる。それにほっとする。

そうして翔もマガも、この暑い夏をのりきった。えらい!

マガ、お誕生日、ほんとにおめでとうね。

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2007年3月25日 (日)

ご心配ありがとう!

みなさま、今朝の地震、とってもとてもご心配かけました。相当揺れてこわかったけど、わがやは大丈夫。うちではごはん茶碗が3つほど、犠牲になってくれただけですみました。
私はその瞬間は家にいなくて、ぐらぐらっときてから、早くもぐれ~~~!とまあさんに言われ、大きなテーブルの下に、ともだちとふたりでするりっとあたまからもぐって、息をひそめて揺れがおさまるのを待ちました。こわかった!
石川に来て、ここまで強い揺れははじめてです。
津幡は、軽くてすみましたが、七尾や輪島の方が大変なことになってるみたいです。お友だちの家の外壁がこわれたとか、地面が割れてるとか、けがされた人の数もだんだんふえて。
とにかく、志賀原発の1号も2号も止まってるときで、よかった。1号機は8年前の臨界事故のことでつい先週、激震が走ったばかりでしたし。
あちこちからたくさんのご心配のメールやお電話、faxお見舞い、本当にありがとうございました。元気でいます、と伝えたくて、ひさしぶりに書き込みました。

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2007年1月 1日 (月)

2007年のごあいさつ

2007年が明けました!今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨日は、11月に結婚式をあげたばかりの翼くんと正子さんが家にきて、大晦日の夕ご飯と年越しそばを一緒に。おそばはもちろん、宇ノ気のかめやさんの。そばちょこは、もちろん那須の原始林窯・げんさんとこりんちゃんの。紅茶ギャラリーで原始林窯展をしたときのブログの写真をみて、翼たちのおうちでも原始林のそばちょこを頼んでつくってもらうことになったそうな。つながりは不思議。どこからどうつながってゆくか、ひろがってゆくか、おもしろいね。

娘は今年はこっちに帰りません。暮れからお正月、と自分の仕事に打ち込んでいます。そんな予感がしてたのと、こっちも「ボ」で忙しくしてるので、お互いさま、って思ってましたが、うちのおせちだけは食べたいよう、、、とのことで、大晦日に届くよう、我が家のおせち、黒豆やおなますや煮物を宅急便で。珍しく私もおふくろさんみたいなこと、しちゃったよ。12月には、誕生日の近い翼くんといっしょに、彼らのお家で合同バースデイをしたとか。このつながりもまた、おもしろい。

娘に触発されて、私も去年からずっと持ち越している自分の仕事を、時間がないことをいいわけにしないで仕上げなければね。

今日の元旦にいただいたお賀状のなかに、点訳のボランティアをしている友だちから、「きもちは、言葉をさがしている」の点訳が9月に完成しました、という一枚がありました。どれだけ大変な作業だったろう、これまでにも、私の本たちが彼女の手で、点訳本になっているのです。彼女の仕事にはいつも頭がさがります。ほんとに、それぞれの仕事、そのひとにしかできない仕事や役割が、あるんだなあ。

さあ、今年はどんなつながりがはじまり、ひろがり、育ってゆくのか。生きてることはその連続のものがたりだ。

*****

新年のご報告。ボートピアはいらない、という町内の署名の数は、大晦日までに10,500人を超えました。町外からの署名も届いています。げん+こりんちゃん、なみちゃん+べんさん+ゆりさん、みなさん、ご協力ありがとうございます。これからも応援をよろしく!

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2006年8月 8日 (火)

presentの意味

Photo_2 8月に入ったら一気に暑くなりましたね。翔は、ひとの来ない日の昼間はほとんど、ひんやりした板の間にでれ~~、ゆる~~、とねころんですごしています。床やさんしたばかりの翔のクローズアップをどうぞ。

ほんの3日前、まあさんの誕生日でした。その日のカードにこんな意味のことを書きました。

presentは、贈りもの、という意味であると同時に、

「現在の」とか、「在る」、という意味も持ってる言葉。

今、このときを、ともに在ることー一緒に居ることーbeー存在してる、ってこと、

そのものが、まさしくpresent  人生の贈りもの、です。

この日、娘が帰ってきました。ちょうど友だちの結婚式がぴったし同じ日だったので、それにあわせて。パーティに行く前の、ちょこっとだけの時間を一緒にすごしたのですが、まあさんにだけヒミツだったので、えええ!!!!とびっくりくり。その日を一緒に、って、これもほんとの、「いる」、というpresentでした。

娘はまた風のように帰ってゆきましたが、居る間にいくつかパソコンの使い方をおそわりました。で、翔のブログデビューです。私の携帯は、ごく単純な機能しかついてなくて、写真もきれい~にはでないのですが、まっ、いいか、ということで。

        

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2006年5月31日 (水)

マーガリン、初登場

昨日の北陸中日で、この「紅茶なきもち」のブログが写真いりで紹介されたこともあって、朝からなつかしいひとのメールがいっぱいとびこんできました。見つけてくださってありがとう、です。そして、翔は今までも取材のときに何度かいっしょに映ってましたが、マーガリンはこれが新聞紙上デビューなり。カメラ目線でとられてるあたり、えらいです。

初めて会う女性記者さんでしたが、前から紅茶とか、私の名前とかは聞いていて、一度行きたいってずっと思っててくれたそうです。取材、というよりは曜日の違う二人紅茶をしてるような感じだったけど、あらためてブログのことを問われて、うん、私はここに日記を書いてるわけではないんだなあ、やっぱり読み手とコミュニケーションしてる気持ちでかいてるんだなあ、と認識したのでした。

と同時に、ここは私発信の、自前メディアでもあり。もちろん、自分だけじゃ集められない情報を、友人や仲間のブログでひろって、紹介することもふくめて。

そして、超スローないのみら通信もまたもうひとつの、手描きメディア。こっちは今日もまだ書いてる最中です。

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2006年5月20日 (土)

母の日の 9teaはんこ

9tea_1 この「紅茶なきもち」をあけてみて、おなじみの背景の「紅茶カップ」が、いつの間に「女の子」に変身しててびっくりしましたか。前々からいちど模様替えしてみたいなあ、と思っていたけど、私のやりかたではいつも変身の途中までしか行けなくて、このブログ作りのときのように、今回もまた娘の手を借りた、というわけ。

そう、日曜日の母の日めがけて、娘が帰ってきてたのです。その夜、渡されたプレゼントは、カードと、石に彫った手づくりはんこ、そのデザインが、なんと 9tea!はんこつくりを習いにいって、まず自分のシンボルマークのはんこをつくり、その途中で、そうだ!と私への贈りものを思いついたのですって。うっれしかったなあ!!

かなりぐわんばって働いて、時間をやりくりして、世間より一足遅い連休の日々を石川でのびのび過ごした娘。母子デートの日には、金沢にこんなすてきなお店があったんだ!といっぱい教えてもらったよ。お店のはしごをして、珠洲の二三味さんの珈琲を一日に二杯もあじわうという贅沢をしました。

     ****

この春から娘は、とてもオリジナルな、たぶんもっとも彼女らしい生き方を選択して、社会という大海原に、手漕ぎの小さな船で(文字通りの、my/マイ boatで)、おそれることなくはや、こぎだしました。もちろんそう選べるまでに、二転三転どころか、7,8?転、おまけにバック転まであり、の一年間がありましたが。でもそのおかげで、ほんとうに自分のしたいと思っていたことが、すっきりクリアーに見えてきたのですって。彼女いわく、「幸せ作家」(なんじゃろ?それって)を目指すそうです。

その娘が、卒論に「場の持つ力」というテーマで、「紅茶の時間」を社会学的に研究しました(それを知った時はびっくり)。5月末には、それが小さな冊子になります。彼女が、腱鞘炎おこしそうになりながら、100部手刷りでつくった分がそろそろなくなるので。

場、とか、セルフヘルプグループ、というキーワードが気になるかたや、自分でも場を開きたいと思っているようなかたには、ぜひお読みいただきたいなあ、と思える中味です。とはいえ、エッセイと違って論文なので、多少むずかしそうに見えるところはあるでしょうが。

読み進めていくと、はあ~、なるほどぉ、へえ~、そうなの、そうだったん!という発見があって、何より私自身が、紅茶という場をひらき続けてゆく上で、とっても大事な鍵を、いくつも手渡された、と感じました。

定価300円なり、ただいま、予約受付中!

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2006年4月25日 (火)

翔’s adventure の続き

翔の冒険のこと、ブログに書いたし、とこの間の電話のおり、娘に言ったのです。そしたら、読む間がなく寝ちゃったけど、でも、その晩、翔の冒険の夢を見たよ!と。

翔がヘルメットをかぶり、ゴーグルをつけ、まあさんの運転するバイクに乗っている。耳も、長い毛も、風にびゅんびゅんなびき、翔はそんなに長くない手で、必死にまあさんの腰にしがみついているーーーという夢!めっちゃ笑えた!!   あたたかな春になって、やっとバイクで街を走れる季節になったので、娘もときどき風になっているのでしょう。社会に出て、初めての春です。

    ***

鉢植えのチューリップのつぼみがどんどんふくらんで、部屋にいけたらまたみるみる赤く色づいて。今年の春は温度差がはげしくて、まだストーブをたくことも多いけど(こたつはまだ出てるよ、もちろん!)、でも確実に春です。あけびの花が満開、白いスミレの花、忘れな草の水色。くろもじの木に咲いてるきいろいかわいい花(くろもじ、は枝がとてもいい匂い。楊枝につかわれます)。桜は、家のまわりの山桜の木が今、花吹雪です。

この季節、花もだけど、木々の新芽が花以上に美しい。14年前越した時には、ただ一本の木もなかった庭に、近くの雑木林から小さいシャベルでとってきた苗木が、どれも見事に大きくなって、もうじき若葉のシンフォニーです。

明日は4月26日。チェルノブイリから満20年。巡り巡る四季のなかで、ニンゲンの傲慢さを忘れないでいたいよ。

     ***

今週も出ることが多い週になりました。でもフルタイムで会社に勤めることを思えば、すきな”しごと”ばかりです。だから、続いてるんだと思う、きもちもからだも。

 結とも、紅茶、ともとも、と続き、金曜日はふたたび珠洲の飯田高校。去年は生徒さんたちのところへの出前でしたが、今回はスクールカウンセラーの先生からのご注文で、親ごさんたちに。

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2006年4月17日 (月)

翔の冒険

朝、庭にしいたけを干しに出たまあさんの目が・(点)!になった。な、なんで翔がフェンスの外側にでてるんだぁ!!??

翔は、縁側の△地点から身をのりだして、3メートルぐらい下の道を見おろしたり、向かいの雑木林を眺めて哲学するのが好き。紅茶の日などは、車で来た人が帰るのを、その△ポイントからよく見送っています。きっと今日もいつもみたいに身をはみだしていたんでしょう、そこから何を思ったかひょいと、60センチぐらい下のフェンスの外側におりたったらしい。そしてトコトコ、狭い道幅を、あけびのつるや、ススキの葉や、蔦の葉や、あじさいの枝などを踏み越えて、駐車場の方にむかって歩いている途中に、まあさんと目があったのだった!高所恐怖症のまあさんは、あわててフェンスの外に出て、翔を抱き上げ、庭のなかにもどしたのだ。冷や汗が、どっ、です。

ほんとに早くに見つけてよかった。私たちが留守中のことだったら、もどるにもどれず、とっても困ったことになってたんだぞ、翔。せっかくのお気に入りの場所だけど、あまりにあぶないので、三角ポイントは植木鉢でもうブロックしたよ。

****

その翔の缶バッヂをつくってくれたmackyさんが、今度は9teaのバッヂをつくってくれたそうです!いのみらにかいた筆ペンの9teaの文字をそのままデザインに生かして。そのバッヂ、mackyさんの、ココロガカエルBLOGで見れますよ。またまたありがと!ね。

http://kokorogakaeru.blog.ocn.ne.jp/

翔はすでに9tea仲間なんですが、mackyさんも9teaの新仲間になりました。わーい!ちなみに、9tea、というのが正式?の名称です。シンプルで、覚えやすくて、いいっしょ。

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2006年4月15日 (土)

健康優良児

数日前、不思議なレストランの松浦さんを金沢駅にお送りして帰ってきた日だったか、家にもどると、ぎゃー!!ぶきみな茶色い物体が居間にちらばってる!翔かマガがげぼしたらしいけど、それにしてもこの色は、な、な、なんだ?!と、おそるおそる近づいてよーく見ると、、、、そのげぼ中に、ちいさな魚のすがたをいっぱい確認。

あっちゃ!いかなごの佃煮じゃ、うかつにもラップだけでおいておいたのを、マガがひっぱりだしてきて、いっきに食べたのだ。むしゃむしゃくらいついて、それから、あ、辛!いかん!とあわてて出したのだ。やれやれ、完全に私のミス。

その後はけろっとしてましたが、でもやっぱりちょっと心配で、きのう、かかりつけのドクターのところへ。去年夏の膀胱炎&尿道結石以来で、定期健診・血液検査もしてもらいました。その結果が、今日のタイトル。今年で14歳になるとは思えない、肝臓も腎臓も心臓も、元気だそうです。佃煮も、その場で全部だしたらしいので、心配いらなさそう。ほっ。

翔とマガとはおないどし。翔は多少、耳が遠くなりました。まあさんがおっきなくしゃみ(アレルギーで)をするたび、しかられてると思うらしいので、それを知った彼、努力して、ちいさなくしゃみをしてます。翔は、雪の上や、きもちがうれしいときはたったか軽い足で歩きますが、座っていて立ち上がる時、寝ていて起き上がるとき、人間の足がしびれるのと同じで、よっこらしょ、よた、なんて時もあります。ほんと、いたわりあって生きていかなきゃね、人間ともども。

       *****

庭の桜が、七部咲きから満開へとちかづきつつあります。今日はサタデーナイト紅茶、5:30から開くので、暗くなるまでは夜桜が見れるかもしれません。金色がまぶしいリュウキンカの花もつぎつぎ咲き出しました。アケビの新芽も日ごとにのびます。濃いワイン色の花も、もうたくさん咲いています。

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2006年4月13日 (木)

翔バッジ

8日の紅茶の日に、mackyさんが手渡してくれたもの、3つの手作り缶バッジ。そのひとつがなんと翔の顔写真でした!きゃ~、かわゆいっゆい!後の二つは、「紅茶の時間」のネームとティーカップのデザインのと、「Yes 9」のデザインのと。うれしくって、即、3つとも胸に!

いったいどうやってつくったんだろ、でも8日は聞く間もなくて、今日になって彼女のブログhttp://kokorogakaeru.blog.ocn.ne.jp/を見てみました。そうかぁ、バッジをつくる道具があるんだね。そして、その記念すべき第一号がこれだったんだ。macky、どうも、すっごくサンキュ!です。

今日は、翔の定期健診をかねて、狂犬病の予防注射でいつものドクターのところへ。心臓の持病のある翔だけど、それでときどき咳き込む翔だけど、お薬をずっとまじめにのんでいます。

翔は、夜はほとんど家の中で眠りますが、ちかごろ昼の紅茶でひとが多いといつのまにかそっと出て行って(自分でガラス窓をノックして、出たいよ、と意思表示する)ベランダのかごの中で丸くなって寝てます。ひとが少なくなるとまた外側からノックして、入れて、って。

いつも、翔の深い、やさしい目をのぞきこんでは、元気でいてね、って切に願う母です。犬も猫も、年を重ねると哲学するみたいで、なんちゅうか、その存在にとっても奥深いものを感じる。翔もマーガリンも、心からいとしい家族です。

    ******

13日(木)は、図書館で「詩を楽しむ」時間。ナナオサカキさんの詩集、持ってゆきます。1:30~

14日(金)は、ちゆゆ。今後は第5週でも教室があるようになりました。1:30~

15日(土)は、4月のサタデー・ナイト紅茶、もちより一品夕ご飯、5:30~

昨日12日の、ランチ紅茶からはじまったふつう紅茶にも、一期一会の出逢いのドラマがありました。あわずから初めてやってきた若いひと二人。ひとりの女の子は来週、埼玉に引っ越すという。まさかね、と思いながら、埼玉のどこ?ってきいたら、そのまさかの川越でした!川越紅茶に、はや、きもちの糸がつながってゆく。

自分の場所から、出かけていって逢う、だから出逢う、出逢える、ってほんとだね。そしてたとえその場に出かけていっても、心のドアをちょっとも開けようとしなかったら、決してあの話にはならなかった、あの展開にはならなかった、あの言葉は聴けなかった、あの笑顔も見れんかった。そういう場面が、今日も何度もありました。

というわけで、鳥肌がたっちゃった!という手話と、不思議なご縁、という手話、この日もまた、大活躍。

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2006年3月20日 (月)

旅立ちの日に

早い、本当に早いものです。18日は、娘の卒業式でした。

一人暮らしの5年間、たくさんのひとから、花びらをもらいつつ、支えてもらって、今日の日があるなあ、ってしみじみ思いました。離れている親のできることはちっぽけです。困りごとにもたいていはひとりで立ち向かうしかない。後から聞いて、そんなに一人でがんばらんでも、って思うこと、いっぱいあった。でも、一人で重すぎたときには、友だちにも助けを求めていたようだし、そういう友だちとは、時には娘が助け、また助けられ、という迷惑をかけあえる、そういう関係をつくれていけたから、なおよかったのかもしれません。

卒業式の日には、そういう大切な友だちや仲間たち、津幡の家にもお泊りにきてくれた子たちにたくさん逢えて、私たちからもおめでとうやありがとうがいえました。

この日、娘ははかまではなく、赤い振袖をきました。4年前になくなった姉が、私の母の花嫁衣裳をずっと手入れしてきて、娘の成人式に新しく仕立て直して用意してくれたもの。その姉は、娘にとっては”ねやまばあちゃん”だったので、ふたりのおばあちゃんからのプレゼントを着たことになります。そう、「きもち」の本のなかに書いた、あの60年前の花嫁衣裳です。帯は、ねやまばあちゃんのお古の、銀色の帯を今回はじめてしめました。

その姿みたら、胸がきゅうっとした。いのちがつながって脈々と流れているって感じてね、もうもう、いろんなひとに感謝のきもちでいっぱいになったよ。

旅立ちの日、これからおおきな海原にこぎだすみたいな、どきどきと、不安と、だけどもわくわくのきもちのほうがずっと大きい。この一年間、娘にほんとうにいろんなことがあったけど、それを社会にでる前に経験できたこと、ひとつひとつが次の出来事につながる伏線だととらえて、小さいけど新しい一歩を踏み出せたこと、ほんとによかった、って思う。困ったことをうけとめて、それをべつの意味あることに、ときにはすばらしい物語にかきかえる力を、娘は持っているなあって親ながら感心することがたびたびありました。

「きもち」の本を書いたとき、読んだあるひとが「わたしには、できないわ」っていったのです。それはきっと、私の育った家族の話をあそこまで、自分だったらひとに見せられない、っていうニュアンスだったと思うし、そう思うのは当然だし、もちろん、そのひとにはできないこと。でも、私の中にはそれを書く必然があった、書かねばならないことでした。だから書けた、というか、書いた。能力の、できる、できないではなくてね。

そのとき、あ、大切な言葉をもらったなあ、って思ったのです。「私にはできない」ということが、あるひとにとっては、したいことだったり、しなくちゃならないこと(義務ではなく、ね、必然)だったり。ほんとに周りをみれば、それぞれの人の生き方は、「わたしにはできない」ことばかりだよ。でも「あなた」はそれをしている。「あなた」にはできる。仕事の大きい、小さいではなく。目に見えない”しごと”の意味も含めて。それって、「あなたにしかできない」、という生き方なんだ、と気づいたら、ひとりひとりをもっと尊重できる、って思った。おととし、不思議なレストランに紅茶のお話の出前に行ったときにも、この話をしたと思うけど、ほんとにあの言葉は、わたしに気づきのきっかけをくれたひとことでした。

誰にも公平な、一度っきりの人生。どうぞ「私にはできない。あなたにはできる」、そんなふうに自分を生きていってください、と娘にはなむけの言葉を贈ります。そして、どんな時も、娘の生き方を応援できる私でありたいと思っています。

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