2020年8月14日 (金)

あざみ先生

14日、北陸朝日放送の夕方ニュースで「医師の戦争責任を問う」の特集。先月、93歳で亡くなられた医師、莇(あざみ)昭三先生の追悼もこめた番組。
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南京攻略の中心部隊は、金沢の第9師団だった。莇先生のお兄さんはその師団にいて戦死。
「母親が泣き崩れているのに、周囲は、名誉の戦死だと言って、手を叩いて、異様な雰囲気だった。戦争ってそういうもの」

莇先生は金沢の第四高等学校から、旧金沢医科大学を経て、医師に。2000年に「15年戦争と日本の医学研究会」を設立。先生が直接かかわったのではないが、同時代の人間として731部隊の犯罪を研究、後輩に伝えていく義務があると、生涯かけて研究を続けられた。

731部隊は中国東北部のハルピンに本部を置き、中国人やロシア人捕虜に人体実験を行った。マルタと呼ぶ捕虜にペスト菌を感染させる実験。「正確な数字はわからないが、約3,000人の捕虜を実験と称して殺した。ペストノミが最も有効に細菌兵器として使えるというところに到達した」
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取材は2年前、先生が91歳の時。城北病院の名誉院長さんで、患者さんにも慕われていたという。金沢の9条の会で憲法記念日に、莇先生のお話をお聞きしたことがあります。ちっとも偉ぶらない方でした。小柄なおからだにいっぱい情熱秘めてる方、って思いました。ご冥福をおいのりいたします。

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2020年8月 3日 (月)

菜の花さんおはなし会 その3

7/31 菜の花さんおはなし会 その③感想&質問タイム
●なのちゃんが小5の時、取材であってるみずほさん。これから和歌山で生きていくって言ってた、あの時、すごく強いもの感じました、と。
●なのちゃんが中3の時、オスプレイに反対してる高江に一緒に行った朱美ちゃん。その時あった高江の人たちのことを、本の最初に、おじいたちなんでこんなに明るいの?と書いて、3年後に、明るくないと生きていけないほどの暗いもの持ってるからだ、って書いてる。多くの人に遭遇して想い深くしていったんだな。
沖縄はあらゆる問題に通じてる。私たちのまわりには「小さな沖縄」がいっぱい。私たちがどう生きたらいいのか、他人事でなく考えてほしいって突きつけてる。すごく成長したなあと感動しました。
●珠洲に帰ったら農業したいと言ってたけど、とさよ子さん。
ーー小農したいな、宿の仕事して休みの日には畑。畑は自分の足を地につけてくれるところ。自分のいる場所で日常生活大事にして動きたい。浮いた言葉じゃ響かないと思うから。仕事ある日はどんなお話もことわるようになった。
石垣島で自衛隊配備に反対して「はるさーず」(はるさー、は畑の人、農家、という意味)の若い3人も、畑仕事ある日はイベントことわっている。
●紅茶によく来てる若いママ、ゆうさん。なのちゃんの本を読んで、おはなし会に参加。
自分も今年から、手で開墾して田んぼ始めた。ずっと地に足ついてなかったけど、今、社会問題にも目が向くように。まず田んぼを軸にして余力あったらできることしたい。ガンジーさんの言葉のように、自分がかえられないために。
●最後に、映画のラストに出てくる「コシシケレリ」を歌って、と私からの無茶リクエスト。
アフリカに祝福を、という意味の「コシシケレリ アフリカ」は、黒人の人種差別に対して歌われてきた。珊瑚舎の卒業祝う会でいつも歌われるのだそう。
これだけ沖縄の状況がかわらないのは、沖縄にも差別があるからだと思う、となのちゃん。突然のリクエストだったけど、歌詞を思い出し思い出し、すてきな声で口ずさんでくれた。
最後の最後は、このフレーズ「♫コシシケレリ オキナワ〜」を、参加してるみなさんと一緒に。
●なのちゃん、「こんなに肩の力抜いてしゃべれて。自分の考えてることって、しゃべってはじめて、こんなこと考えてたんだって知ることができる。いい時間でした!」と。
こっちこそこっちこそ。全部合わせて1時間15分の、とっても濃い〜、気づきがいっぱいの時間でした。誠実に言葉を選んで、きもちに正直に語ろうとするなのちゃんは、21歳になったばかり。
貴重なお休みの日に来てくれて、いいお話を本当にありがとう。おはなし会企画してくれたみゆきちゃん、場所をつかわせてくださったもっきりやさん、ご参加のみなさま、ありがとうございました。
「ちむぐりさ」は8/8~21、金沢シネモンドにて上映。

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菜の花さんおはなし会 その1。

7/31の、坂本菜の花さんおはなし会〜「ちむぐりさ」を観る前に@もっきりや。その①映像ならぬトーク予告編になったらいいな、と思いながらなのちゃんのお話の、聞き役をさせてもらいました。
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ご両親のしてる珠洲のお宿を手伝っているなのちゃん、この日も、朝お仕事してから金沢に。なのちゃんが着ているのは、バイトしていた沖縄料理店のおかみさんがしめていた、首里織の帯をワンピースにしたもの、とてもお似合い。
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●映画のタイトルになっている「ちむぐりさ」って。
ーー沖縄にしかない言葉で、かわいそうとも、悲しいとも、違う。世界一危険な普天間基地を1日も早くなくしたいけど、だからって辺野古の人にこの基地を渡すのかっていったら、それはちむぐりさんさぁねえ、と、普天間のお母さんがいうのだそう。誰かの悲しみが私の悲しみでもある、というような言葉。

●15歳で親元を離れたの?
ーー小学5年の時です。中3まで、和歌山のフリースクールに。こどもたちが主体の学校で、宿題もテストもない、自分たちから言いださないと修学旅行もないくらいの。
父からは中学出たら働け、って言われてたけど、もう少し学びたくて。修学旅行で行った沖縄に、いい学校ないだろうかと思った時、今日もみえてる五十嵐さんと朱美ちゃんのお二人に珊瑚舎スコーレを教えてもらった。入学式も親が出れないので朱美ちゃんが親代わりで出てくれた。北陸中日の連載がはじまったのも、朱美ちゃんが中山記者さんに、こんな子いるよ、って伝えてくれたことから。
(朱美ちゃんは、石川テレビの元ディレクター。珠洲原発のすばらしいドキュメンタリーをつくった方で、なのちゃんのお父さんとはその頃から親しい)

●映画の予告編見てたら、なのちゃんが涙ぽろぽろ。あの涙は。
ーーうーん、、今でもうまく言葉にできない。辺野古の海のゲートでたまたまあったおじさんと話していて。それまでの私は基地反対の人ばかり会ってきて、賛成の人に会ったのは初めて。でも思ってたより壁はなくて、あれ、このおじさんと私、すごく重なるところある、って思った。戦争に負けて植民地になって、と話すおじさんに、ずっとうなづいていた。だけど最後、やっぱりずっと反対してても何ももらえない、だったら条件のいいうちに受け入れた方がこどもたちのためだろ、って言われて。きもち一緒なのに、最後は違う。
おじさんも、海の埋め立てをはじめはよく思ってなかったかもしれないけど、長ーい時間たって、反対してもかわらない。ずっと地元にいて見てきた人の言葉に対して、簡単に反論なんかできなくて、だから泣いてた、みたいな、、、。
(この話、「菜の花の沖縄日記」の本にもでてくるけど、文字で読むのと映像で見るのとはすっごく違うインパクト。なのちゃんの表情が、言葉以上に語っていた)

●新聞、テレビ、本、そして映画と(まるで出世魚みたい、って笑うなのちゃん。でも、出世って言葉はなのちゃんに似合わないね)その一作ごとに進化、深化してると思うけど、それはどんなふうにはじまったの?
ーー中3の時、朱美ちゃんから電話で、4月からの沖縄のこと中日に書いてみない?って言われて、一回くらいかな、って思って引き受けたけど、そのあと何回書いても何も言われず書き続けて。
でも夏ごろ、もう書くの無理!って中山(記者)さんに泣きながら電話した(笑)。なぜか最後は中山さんになぐさめられて、連載つづけることに。担当が鈴木記者さんに変わった後も、原稿に関しては何も言われず、学校も何も言わず、それで3年間書きつづけた、という不思議な連載でした。

●連載の途中から沖縄テレビの取材が入り、カメラと一緒にいろんな人のところに会いにいったなのちゃん。出来事もひとも、まっすぐ見る聴く、なのちゃんの目と耳。表現するすなおな言葉。本を読んで、沖縄のこと知ってたけどこういう見方をしてこなかった、と多くの人が思ったはず。「沖縄問題」っていいがちだけど、なのちゃんはそう言わないね。
ーーうん、その言葉はちょっと違う。「沖縄の問題」でなくて、沖縄で現れてることで、その原因は沖縄にない、そのことに3年間で気づいたってことだと思う。

●沖縄の学校のこと話して。
ーー和歌山の学校と似てるけど、違う。もっと小さい。小中高あわせて2台の車で移動できちゃうくらい。大事にしてるのは、異質な他者とどう向きあい、どういい時間をすごせるかってことと、自分の言葉で喋る、話す、ってこと。
何もかも自分たちでする。修学旅行もだけど、入学式から新入生の自分も手伝って、卒業を祝う会だって卒業生も一緒に準備。自準備、自作自演、自かたづけ、っていうくらい(笑)。
少人数だからぶつかることも多いし、さけられない。意見の違う相手も受け入れないと平和つくれないですよね、ってそれまでの自分はきれいごと言ってたな、って。トランプさんのことで友達とぶつかって、1週間口きかない!って大げんかしたこともある。実際には3日間だったけど、それは自分の矛盾に気づけた時間。そんなことがいっぱいあった。考えて、悩んで、時々泣いて。

おはなし会その②に続く。
「ちむぐりさ」上映は8/8~21金沢シネモンドにて。

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2020年7月31日 (金)

菜の花さんおはなし会、まずは写真で。

ちむぐりさ」を観る前に。坂本菜の花おはなし会@もっきりやさん。
とりいそぎ写真だけでも今夜のうちに。Img_2629 Img_2630 Img_2634

自分の言葉を探し探し、今の気持ちに正直におはなししてくれたなのちゃん。濃い〜〜1時間半でした。最後は参加された方達との気持ちキャッチボールタイムも持てて。

なのちゃん、みゆきちゃん、ありがとう!ご参加のみなさまも。

新聞、テレビの取材のあとは、なのちゃんをシネモンドさん→アルさん→石引パブリックさん→金沢駅へと。

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珠洲のお家に着くのは11時すぎるかなあ。


「ちむぐりさ」は、8月8日から21日までシネモンドさんにて。


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2020年7月23日 (木)

のんびるさんにて

パルシステム生協の機関紙「のんびる」、今月号にはなんと、かまちゃんこと鎌仲ひとみ監督の大きな笑顔の写真が載っています!
東京にあった事務所を長野県上伊那郡にうつして、そこでお仕事もする、暮らす、そのうえ田んぼもするってお聞きしてたけど、まさかのんびる誌上でそれを再確認するとはねぇ、びっくり。Img_2596

今号にはそのうえ、のんびるさんが取材した「コトノネ」(社会をたのしくする障害者メディア、というサブタイトルがついているすてきな雑誌です)のこぼればなしも。ちょうどそのページに写真がのっている藤沢の「さんわーくかぐや」さんは、今は山形でダンスを教えてる菊地くんが、去年春から3ヶ月修行に通った場所です!
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誌上でこんなふうに一人ならず、二人に再会できるって、うれしいなあ。

「のんびる」さんには去年から連載をかかせていただいていて、この春には読者さんたちとの交流会、のはずがコロナ下で中止に。なので、実際に読んでくださってる方たちのお顔は、ほぼ私にはわかりません。
でもね、先日、ある読者さんがメールくださった。15年くらい前、浦和のドウコープで憲法のおはなし会があった時、聞きにいきましたよ、って。パルシステムさん、その前身は、ドウコープさんだったんですって。
15年前と最近とでは、けんぽうの語り方も相当違ってると思うけど、そのおはなし会で会った方が、いま読んでくださってるお一人なんだ、って知ったことは、よっしゃ!みたいなうれしいきもち。

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2020年7月19日 (日)

ひびこうぞうさんが、月光荘のことを

7月6日の日本経済新聞。今年で創業103年になる画材店月光荘のこと、3代目店主の日比こうぞうさんが書いています。とてもいい文章、記事のコピーを、2代目店主だった日比ななせさんが送ってくださいました。
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月光荘おじちゃんには、私が15歳の時からすっごくかわいがっていただいた。銀座のお店にいた白髪のおじちゃんが、父と同い年と知ったのはそれから少しあとのこと。
富山県上市町を18 歳で出て上京したおじちゃん。父は、ふるさと刈谷でしばらく郵便局ではたらいたあと、そこをやめて、20歳で家出して上京。あの時代の、田舎から見る東京って、今とは比べものにならないほど違う。明治の2人の男が、東京でそれぞれの険しい道を切り開いていった遠い日のことを、今も熱く想像します。
 
こうぞうさんの文章の中に、「色感は人生の宝物」と、生前のおじちゃんが言っていた、と。職人のような人だった、と。
日本で初めての国産絵の具、コバルトブルーを完成させるまでのおじちゃんの情熱と執念が、この文章の中にもでてきます。
 
若かった頃のおじちゃんに、「君には色に対しての憧れがあるし、いい感覚と感性があるから、ひとつ色彩に関係する仕事をしてみてはどうだろう」と言ってくれた人たちがいた。ご近所に住んでいた与謝野鉄幹、晶子夫妻のもとに集まっていた人たちとの出逢いによって、おじちゃんの目と心が芸術の世界にひらかれていく。
 
出逢う、って、本気で求める、って、ほんとにすごい力を持ってるなあ、と思う。おじちゃんの本気を、今も受け継いで、いつまでも変わらない同じ色をつくりつづけようとする、3代目の強い使命感と意志を感じました。
 
おじちゃんの生き方と月光荘画材のことがくわしくわかる本「人生で大切なことは月光荘おじさんから学んだ」は、紅茶の時間でもおいています。すてきな本なので、紅茶でぜひ手に取って読んでみてくださいね。
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2020年7月11日 (土)

北海道の新聞に、「ちむぐりさ」の映画と菜の花ちゃんのこと

なのちゃんにはじめてあったのは17歳の時。クッキングハウスの松浦さんをおむかえして、珠洲にある、なのちゃんのお父さんのお宿を会場にコミュニケーションワークショップをしていただいた。
その時高校生だったなのちゃんは沖縄の学校が夏休みで、まめまめしくお宿のお手伝いをしてた。

次にあったのは19歳の時。去年1月、とくべつ紅茶の時間でゲストとして語ってもらった。菜の花の沖縄日記のこと、沖縄のこと、これからしたいと思ってることなどなど。

本の出版記念会は去年9月。そして今年の5月、樹々の若葉の緑が美しい珠洲のお宿にまあさんとお泊りにいって、夜おそ〜〜くまでなのちゃんとお父さんお母さんと一緒に語り合った、なのちゃんが20歳の時。
そして今、なのちゃんは21歳になった。彼女に北陸中日の連載を依頼した中山洋子記者がこの記事を書いている。朱美さんの名前も登場して、なのちゃんの沖縄行きに深く関わったことが書いてある。
なんてすてきな記事だろう、人と人がつながっていく、信頼で。

金沢での上映は8月8日から香林坊のシネモンドさんで。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/438532?pu&fbclid=IwAR2lijIiYARjb5awGZcxqXBtirj1m2hylxC_Lp9QBz8i-_dsDVHuR6wiIqs

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「こころの時代」で清水眞砂子さん「己の影を抱きしめて」

3月に放送されたEテレ「こころの時代」、清水眞砂子さんの「己の影を抱きしめて」。清水さんの身体性を感じる言葉、大切な言葉に惹かれて書きとめてみた。
 
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昭和21年、4歳で朝鮮から家族といのちがけで引き揚げてきた。38度線の川を必死に渡る時、誰か知らない大人の手がうしろからふっと抱き上げてくれて川を越えさせてくれた、あれは宝物のような経験。
 
父の故郷、静岡での暮らし。外地とか内地とか、周囲にとけこめない自分。お店で売られていたブローチがほしくてほしくて、万引きするかも知れない自分が恐かった。小学生の時、「レミゼラブル」を読んで、ジャン・バルジャンを許してくれた司祭の存在に、ぎりぎりのところで人間には救済が用意されているんだ、と知った。人間を信じてもいいのだと。それが文学との出会い。
 
長年教えてきた短大でいつも最初に読むのが「はなをくんくん」。毎回すごく緊張する、この1回目でアウトなら、ぽーんと、学生たち、児童文学をばかにしてしまう。
絵本を読んであげると、心がおだやかになる、やさしくなる、っていうけど、それって半分じゃないだろうか。自分の中にも、殺意がある、意地悪がある。本を読むってことは、心を耕して、自分の中に魑魅魍魎があると気づいて、心が豊かになることだと、自分は思う。
 
いつも自分の影にばかり目が行っていた、自分が嫌い、いやだった、自殺も考えた。ふつうのおしゃべりに入っていけない。自分の中にものすごく恐ろしいものを持っている、それでも生きてることを許してほしいとずっと思ってた。
大学時代、渡辺一夫さんのフランス文学の講義で魔女狩りのことを聞いた。火あぶりの刑をみる群衆の中に、足を止める人はいなかったのか、その中に自分がいたらどうするだろう。自分は足を止める側に、あわよくば、逆方向に歩き出す人間になりたいと、その時大きな願いを持った。
 
高校の英語教師になって9年目、原書で読んだ「ゲド戦記」にすっかり夢中になった。こんな文学があったんだ!これを訳さないで死んだら絶対後悔する、と思った。
ル=グウィンの書いた「ゲド戦記」は架空のお話。機械のない、道具の時代のおはなし、言葉の身体性をどう訳すか、文化人類学も調べて、1冊目の本を3年がかりで翻訳した。英語のWizardを単に、「魔法使い」と訳したくなかった。魔法使い、にはもう日本語のイメージができあがってるから。語源をたどって、羊飼いがsheep+herdでshepperdであるように、「wise(賢い)+ard(ひと)」と訳した。
 
自分の影を引き出し、それに追われるゲド。自分が生きてきたのと同じだ、これってある!と思えた。それまでこういう作品に出会ったことはなかった。悪をやっつける話はたくさんあるけど、これは違った。自分の中の悪を抱きしめていく、それは自分の救済だと感じた。自分の影を抱きしめる場面はうれしくて泣きそうになるくらい。排除するのでなく、自分の中にある闇を抱きしめて生きていこうとする、作品のそこに惚れたのだと思う。物語の3作までは魔法の力を持ったゲドの話、後半はその力を失うゲド。彼ははじめは名声を勝ちとろうとしたのに、後半では、無名を勝ちとっていく。普通になっていく。
 
オーストラリアでの環太平洋児童文学の集いに出た時、過去の戦争を今の人たちにどう伝えたらいいかという話ばかり。町のトイレには、no futureとか、核戦争に怯える言葉の落書きがあふれているのに。それを見て、平和を生きのびる、というスピーチに書き換えた。survive peaceーー平和という状況を生きのびるのでなくて、平和そのものを生きようとすること、と。
ヒントは、第5巻の「アースシーの風」の中の言葉が与えてくれた。「世界に希望が残されているとしたら、それは名もなき人々の中に見出される」って。グウィンに会った時、この言葉が一番好きといったら、彼女もこれが一番言いたかったことだ、と。
 
授業で学生たちに、1人でいる時間をたっぷり持ちなさい、というと、先生、本当に1人でいてもいいんですか、と聞いてくる。いつも友だちといなきゃいけない、友だちがいなくて1人でいるのは恥ずべきこと、そう思い込まされてる人たちのなんと多いことか。
授業では、町に暮らすふつうの人たちによくきてもらって話してもらった。そういう人たちに対する敬意を持ち続けること。学生全員ではないけど、それを受け取ってくれる子たちもいる。自分にとって学生たちとつきあうことは、祈りのようなもの。こちらの期待通りになんていかない、全員が変わるとしたら逆におかしいこと。ちょっとでもいいから、とせめて祈りのきもちで。
 
ある夜、オリオンを見た時、これは2000年も前の人たちが見つけて、名づけて、物語をつくっておいてくれたから、今、夜空を見た時に私たちがわかるんだと。物語を紡いでくれた人たちに、時間空間越えて、思わずありがとう、って。
昔話ってよく、めでたしめでたしで終わる。なんであんなにハッピーエンドばかり。語った人たちが幸せだったかしら、と思った時に、ああ、これって祈りなんだと気づいた。それまでは甘いとか、みんな幸せになれるはずないじゃないか、と。でもそんなことは、とうの昔にみなわかってたこと。にもかかわらず、祈りを手放さなかった人たちがいるってことがすてき。うわぁ〜ってうれしくなった。深いところで何かを信じている。ひれ伏したいくらいの思いに駆られたの。
 
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「こころの時代」で清水さんの話を聞いて、若い時に読みかけて挫折した「ゲド戦記」に再びトライ。で、はまって夢中になって読みきった。3部作から年月をへて21世紀になって書かれた4巻5巻では、魔法の力をなくした老いたゲドがなんともいとおしかったよ。そして今は、80代のグウィンさんのエッセイ「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて」を読んでいる。(2020年刊。グウィンさんは2018年没)

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2020年7月 9日 (木)

HISAさん展「青い世界」

福井のふくい工芸社さんでひらかれている、ヒラタヒサさん展にいってきました。ヒサさんのいる日じゃないけど、福井に行けそうなのは今だ!ってでかけたところ、なんと、ヒサさんがいたんです!
10日からアップされるヒサさん展の動画撮影の日だとかで、そこにヒサさんも立ち会っていたのね。うれしいうれしい。
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ヒサさんの青い世界。
青と金。金箔をすかしてみるとそこに青色の世界がひろがるなんてこと、きのうはじめて知りました。

2枚で一つの虹がかかる青い絵は、お月さまとお日さまでした。
お月さまも好き、お日さまもっと好き。

2人とも約束したわけでないのに、青い服でした!
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ヒサさんの「青い世界」は、7月19日まで,10:00~19:00。
福井駅からちかい、西武新館のすぐそばの、エコライフプラザ2階にて。18,19日はヒサさんもこの青い空間にいて、ライブペインティングもする由。
ふくい工芸社さんの電話番号は0776-30-0054

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ほんの数分のyoutube動画です。

ヒサさん母娘の動画。
抱きしめたくなるような、めっちゃめちゃいとおしい映像、ことば、文字、そして声!!

https://www.youtube.com/watch?v=or_TDkWB9WM&feature=youtu.be&fbclid=IwAR2IYCRAwqoU5UOqiNTr1bZ11iI072Sl9NZcTYQs108Maf0FR2crCUcU5e4

HlSA展の動画の前に。。
ヒサの映像作品を、YouTubeに公開しました。
よかったら、ご覧ください。(7分ほど)

世界中の子どもたちの声を聴かせてもらっているような気持ちで
綴った「ねぇおかあさん」です。

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HISAの本「ねぇ おかあさん」
作者 HISA
映像 田村 薫
絵・言葉 小さい頃のsoro
語り soroの妹・mimichi
出演 HISAとmimichi

福井のHISA展会場で、QRコードを使って観ていただけるようにしている映像作品です♪これは、映像作家の田村さんにお願いして、越前にいる時からロケをしていたものです。言葉は、そら。方言は、福井県の小浜弁です。読むのは、武生で育ったみっちゃん。今から4年ほど前に撮影、録音した作品です。

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2020年7月 2日 (木)

嬉しい一日

図書館に本を返しにいったら、なんとグッドタイミング!
だいすきな人に会えました。はまなす文庫の律子さん。
3月末の紅茶の時間、きりりんさんの栞づくりワークショップで会って以来なので、ゆうに3ヶ月ぶりの再会です。

7月から再開した津幡図書館の読書会、今日は宮沢賢治を読む会の日だったんですね、その会が終わったあとしばらく図書館にのこって、絵本の探しものをしていた律子さんを、私が運良く見つけたというわけ。

懐かしくってうれしくって、エアハグしました。
今日はね、「ゲド戦記」を返してその続きを借りにきたの、っていうと、あら!それならちょうどいい本があるわ、と律子さんが教えてくれました。
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「ゲド戦記」の著者、ル・グウィンのエッセイ「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて」が出たばかり。新刊コーナーにならんでました。なんてラッキーな一日。

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