2019年6月24日 (月)

ひみかさんでジャズライブ

映画「主戦場」であたまパンパンになった足で津幡に取って返して、倶利伽羅駅近くのひみかさんに行く。
午後からこの眺めのいいお部屋で、ジャズライブ。

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頭ん中まできもちいい風が吹き抜けるように、即興演奏のジャズに身をゆだねたよ。すてきなひとときでした。

キーボードのすどうけいこさんは、5月はじめの紅茶に菊地くんときてくれたひと。中能登で、パートナーと半農半X。Xの中身は、音楽と鳥居醤油店さんでのおしょうゆつくり、かな。

県外からみえたトランペット奏者さんも半農的な暮らしのひとらしい。この日の参加者さんにはマルシェに自分の畑のものを出す人もたくさんいて。半農半Xの暮らしを選択して能登に移住して来た人、近ごろ多いなあって気がするよ。

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今号のマガジン「きもちは、言葉をさがしている」は、菊地くんのこと。

今年で10年になったウェブ上のマガジン「対人援助学マガジン」に、「きもちは、言葉をさがしている〜紅茶の時間とその周辺」と題して書き続けています。

今号は、菊地くんの物語を書かせてもらいました。十勝生まれの彼がどこに越しても必ず持っていった生徒憲章のこと。紅茶やピース仲間との出会い、そして彼がダンスというチャンネルを通じてこれからしようとしていること。

この文章の中ではまだ未来形だった、菊地くんの山形での暮らし。引っ越した当日が震度6弱の地震に見舞われたあの日でした。幸い、彼も彼のお仲間たちも無事、とはいえ、後片付けとかまだまだ落ち着かない日々の真っ最中と思います。でもそういうタイミングだからこそ、彼の物語を今、お届けできるというのも、なにか意味があるのかも。(長いので、落ち着いて読もうという方はプリントした方が読みやすいです)

 

 

*******物語は、こんなふうにはじまるよ。
 
1冊の生徒手帳
 
2019 年の 1 月、ある日の紅茶のしまい際、スウ さんに見せたいものがあるんです、と言って、30 代はじめの若者が、手のひらにすっぽり収まるほど ミニサイズの、黒い表紙の手帳をとりだしました。
それはどうやら、彼が卒業した中学校の生徒手帳。 開いて見せてくれたページには「生徒憲章」が書か れているらしく。らしく、というのは、そこにちっ ちゃな文字が点々と並んでいたけれど、そのままの 大きさだと私の目ではとても読み取れなかったから。 だけどきっとここに何か大事なことが書いてあるに 違いない、ってことだけ直感した私は、同じ町内に 住む彼を家まで送ることにして、途中のコンビニで 手帳の 2 ページを拡大コピーさせてもらいました。
そうしてやっと読めたページには、わお! こん なすごいことが書いてある。 (この続きは本文にてどうぞ)

https://www.humanservices.jp/wp/wp-content/uploads/magazine/vol37/16.pdf?fbclid=IwAR226LvsOTCCpGR6HExFl9Y066kxRpewhK0Do6IFwXB87A0kcOFAKBUC_8s

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2019年5月27日 (月)

お二人の先生方と

明治大学のあとは、東京駅からすぐの法律事務所へ。父と一緒の事務所で長いこと一緒に仕事してらした辻先生に会いに。司法修習生の時に父の事務所に一年おられた増本先生も待っててくださいました。

お二人とも明大法科卒で弁護士さんに。今も明治出身の弁護士仲間さんたちと年に一度はお会いになるそうで、みなさん、父を知ってる方々ばかり。私がけんぽうぶっくでPCJFを受賞したことが話題になり、これは会として何かお祝いを差し上げよう、ということになったらしいのです。
でも今の私は、しなものとしてほしいものって何一つないので、その代わり、辻先生、増本先生と一緒にお食事したいです、娘も一緒に、とお願いして、それが実現した証拠写真が、これ。

私が小学生、中学生だったころから知ってくださってるお二人の先生。父のことを大大大好きで、ずっと尊敬してくださってるお二人。戦後すぐの、誰もが食うや食わずの時代に、新弁護士法をつくるためにGHQに通っていた父の当時の様子など、辻先生がありありと聞かせてくださいました。

増本先生が司法修習生として事務所に入られた時は、ちょうど私の母と兄が亡くなった年。父にとっても大変な年でした。父としたら明治の法科特別研究室をでたこの方を1年間もっともっと面倒をみて、いろいろ育ててあげたい気持ちだったらしい。でも現実には、それがなかなかかなわなかった。増本先生の修習が終わった時、父が「あなたには何もしてあげられなくて、教えてあげられなくて、本当に申し訳なかった」と謝ったという話をきかせてくださいました。とんでもない、手取り足取りおしえてもらわなくても、東太郎先生がそこにいるだけで、たくさんのことを学んだのに、そうやって先生が謝られたこと、今も忘れられないのよ、と。

とうたろう先生、って呼ぶ人が多かったね、ちっともえばるとこがなくてね。とうたろう先生のまわりにはいつもひとが集まった。和解の神様ってあだながあったくらいだ。依頼人と相手と裁判所の立場も考えて和解案だすもんだからみんな納得しちゃうんだよ、などなど。

東太郎さんの孫娘にしたら、はじめて聞くおじいちゃんの話。こんなに濃くおじいちゃんの話をいっぱい聞いたのって生まれてはじめてです!って娘が感激してた。私たち親子にとって、ものすごーく幸せで、貴重な時間でした。

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辻先生、90歳超えられてもなんてダンディ、増本先生は私の姉と近い年齢でしょうか、お二人ともお元気でいてくださって、それがとってもうれしいことでした。お祝いお食事会、ほんとにありがとうございました。

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2019年5月13日 (月)

ユンファさんと

日曜日、玉鉾の教会にでかけて、ユンファさんの歌をまた聴くことができました。この日にだけ駆けつけてこれた早苗ちゃんは、最初から号泣。ユナさんの歌の言葉には、ほんとうに表情や感情がふかくふかく、はいっている。涙目のさなえちゃんも、いいねえ!

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この日のコンサートのアンコールに、「平和のひとかけら a piece of peace」を歌ってくれたユナさん。ユナさんのレパートリーのひとつにくわえてもらえて、うれしいうれしい。

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16年前の証拠写真

16年前の10月18日、紅茶20周年のおいわいにひらいたべんさんコンサート@津幡の森林公園。その翌日が、細川律子さんたちが中心になってひらいた高松の産業文化センターでの、こどもたち向けのべんさんコンサートでした。きのうは、その同じ会場でのべんさんコンサート。

 

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そして、16年後のおととい。

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16年の歳月がながれても、こうしてコンサートで歌ってもらえること、コンサートをひらけること、しあわせなことです、ほんとうに。

16年前の写真には、べんさんと一緒に、翔もいますよ。コンサートのあとのうちあげを家でしたときのものです。たくさんのコスモスは会場にかざったものをそのまま、家にもちこんで。

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2019年5月12日 (日)

べんさんコンサート@かほく高松

5月11日。べんさんコンサート。こどもがいっぱい、おとなもいっぱい。
歌手生活40年のべんさんの歌、当時からから歌ってるという「ゴキブリの歌」も「はえをのみこんだおばあさん」も「息子に」も、ちっともふるびなくて、逆にとっても今日的。
 
笑い転げたいほどおかしく、じわんときて、うんうん、とうなづきたくなるべんさんの歌。コンサートでこどもたちと会話しながら、一つの歌がまた進化していく。「かりてきた猫」を次に聞く時は、にやぁ〜〜ん、って、ねこの声があらたにはいってるかもしれないね。
 
おさない子、おとなたち、シニアたち、3世代で歌える歌、楽しめる歌。心のそこから笑える歌。そういう世界をずっと耕し続けてきたんだな、べんさんは。
 
「しあわせの種」
♫ ぼくらは誰かを笑うために 生まれて来たんじゃない
 みんなと一緒に 笑い合うために生まれて来たんだ
 
 僕らは誰かを嫌うために 生まれて来たんじゃない
 あなたを あなたを 好きになるために 生まれて来たんだ
 
なんで40年歌手やってきたかっていうと、子供たちの笑顔みたいから。「にっ、にっ、にっと笑って、平和!」って歌もきっとそこから生まれた。
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アンコールの「ラ・バンバ」ではたちあがって踊りだすひと続出。むうみん(羽咋の夢生民さん)仲間も、ちいさなひとも、盛り上がりまくり。
むうみん仲間の一人は、「ゴキブリの歌」がおかしすぎて悶絶してました。
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帰りにまあさんと千里浜まで足をのばして、夕陽の沈むまで寄り道しました。
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べんさんの新刊「しあわせの種」とCD、紅茶本屋にあります。
まだだーいぶ先だけど、11月13日の紅茶には、べんさんが来て、「たっぷりおしゃべり+ちょぴっと歌」をしてくれます。

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2019年5月10日 (金)

ユンファさんとランチタイム@アルさん

今日は小矢部からすっとんではしって、イ・ユンファさん(ユナさん)とのランチタイム@野々市アル、に間に合いました。
 
アルさんランチをいただきながら、あらためておとといのお礼。「平和のひとかけら」のユナさんアレンジがとてもよかったこと。いったいどうやって練習したのか不思議に思ってたら、日本でのマネージャー役をしてくださってる斎藤雅子さん(ユナさんの隣にいる方)が、日本語で歌って、その歌を聴きながら覚えたそうです。
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今日はアルでのお仕事はお休み日の、みゆきちゃん、わかちゃん。わかちゃんは韓国語を独学してるんですって。ユナさんと韓国語でお話ししてました!わかちゃん、ミニ通訳デビューの日!
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ユナさんが歌う「平和のひとかけら」、やっぱりすごくいいなあ。ユナさんは、「ふるさと」のオリジナル歌詞よりもこっちに感動したっていってくださって、なんともなんともうれしいです。
彼の歌う「いのちの歌」は、何度きいてもこころにしみます。
 
ユナさんの歌、まだここでも聞けますよ。
11日(土)14時~ 金沢キリスト福音教会(金沢市畝田中)
12日(日)11:00~ 金沢聖書協会(金沢市玉鉾町)
12日(日)14:00~ インマヌエル金沢キリスト教会(金沢市弥生)

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2019年5月 4日 (土)

もっとつのお兄ちゃんから電話

88歳になるいとこが電話をくれました。昨日の朝日新聞見たよ!びっくりしたよ!って興奮した声で、とってもうれしそうに。

彼が青年の時に、水野の家に暮らしてた時代もあったので、わたしは兄と同じ名前のこのいとこを、もっとつの(もうひとつの)おにいちゃん、って呼んでた。たしかおんぶしてもらって、おしっこもらしたこともあったような、、、。いったい幾つだったんだ、わたし!

私の、今は、もうただ一人のいとこは、深谷で牧師をしていて、10年くらい前、その教会でおはなしさせてもらったこともある。心から平和を愛している彼、憲法記念日に憲法のことで私が「ひと」欄に載ったことを、父のようによろこんでくれてた。

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おじさん(父のこと)の話し方は、やわらかくて、ちっとも強制的じゃなくて、えばらないで、やさしくて、不思議な説得力があって、そこはとても〇〇ちゃん(私のちいさいころの呼び名)に似ているね、おじさんゆずりなんだね、って言われて、涙でそうにうれしかった。
私も、録音テープにのこされた、父の独特の話し方をよく覚えているから。そうか、そうか、私は父に似ているのか、それは父からの贈り物か。

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朝日の一人の記者さんが、ねばって、がんばって、憲法の記念の日に私を載せてくれたことの余韻は、あったかく、ひたひたと、広がっています。

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2019年4月18日 (木)

石川記者を送る会その2

4月17日、毎日新聞の石川まさき記者を送る/出会う会@紅茶。
その2。

石川さんが新聞記者になって5年。最初の赴任地が広島。平和の取材を、と思ってる時に、広島で大規模な土砂災害。ほんの数日前に取材で訪ねた場所、会った人たちが、その災害にまきこまれる。災害報道の経験から、熊本地震の時も応援で取材にはいる。益城町に張り番として夜中立って見張っていた時に、あの本震が起きた。昨年の西日本豪雨災害にも、また応援で入る。防災に関しては、備えあれば憂いなし、じゃない。憂いがないと備えられないし、備えあってなお憂えよ、だと思う、と。

金沢に異動した2年前は、憲法ができて70年の年。防災の記憶の継承と同じように、戦争の記憶も継承されなければ。そういう思いもあって、だけど学者からでなく、まず市民から話を聞きたいと思ったという石川さん。
それですぐに話を聞きにきてくれたんですね。そして5月3日には紅茶に取材にきてくれた。(その時、安倍首相が2020年を新しい憲法施行の年にすると言ったことに対して、どう思いますか、って聞かれたんだった!もちろんその時が初耳だった)
その10日後くらいにみゆきちゃんたちと初のコッカイオンドク!がはじまり、四高記念公園でのオンドク!アクションのこと知らせようと、みゆきちゃんが毎日新聞に電話したら、たまたまその電話をとったのが石川さんだった、というすごい巡り合わせ。

石川さんがみゆきさんの電話をとったことも、石川さんが紅茶に度々来てくれたことも、きっと単なる偶然じゃないのだろうね。
さかのぼれば、小2であの事件がおきたこと、少年犯罪について考え、非行少年といわれる子どもたちと学生時代にかかわっていたこと、事件関連や哲学の本を読みまくったこと、新聞記者になったこと、災害に遭遇し、被災現場に何度も何度もいったこと、遺された人たちの言葉を聞き取ってきたこと、きっとみんなみんな、意味があるんだ。
父がいつも口癖でいっていた、「のち悟らん」なんだろうとも思う。
それにね、石川さんが愛知県生まれで刈谷高校出身、ってのも、私にしたらとってもうれしい。刈谷生まれの父と刈谷高校とは、深〜いご縁があるので。

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紅茶は、ひととひとが出逢う場所、そこから一人一人が学ぶ場所、と思ってるけど、きのうは、まさにそういう時間になりました。
学ぶことは、自分のなかの何かが変わること。そうやって生きてこられた若き記者さんと、きのうは確かに出逢えたと思う。自分のことこんなふうに人前で話すってはじめて、とのことだけど、それならなお聞かせてもらえてありがたかったなあ。

石川さん、心ひらいて話してくださってほんとにありがとうございました!!大阪にいってもまた、あなたらしい記事で、人間を、いのちを、平和を、書いていってくださいね。

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石川記者さんを送る会 その1

4月17日。毎日新聞の石川将来さんを送る/出会う会@紅茶。
その1。

記者さんにむかって逆取材。名前の由来や、とれたのはどこ?どんな子どもだった?どうして新聞記者になろうと?などなど。
みゆきちゃんと二人で、石川さんを送る会を紅茶でしよう、と企画したのだったけど、ふたをあければまったく予想してなかった深い話を聞かせてもらうことになり、心がふるえました。

石川さんの書く記事にいつも感じていた、この若さで(平成元年生まれの29歳)どうしてこのような記事をかけるのだろう、という疑問のわけを少し垣間見た気がしたんです。
俯瞰の目、そしてディテール、細部を見る目。語り手の言葉をすくいとって記事にする感度のよさ、文章のセンス。子どものころから記録魔だったんです、っていってたけど、単にそれだけでは、取材された人の空気感まで伝わるような、あんな記事はかけないと思う。

石川さんが小2の時に起きた神戸連続殺人事件に、8歳の彼は強い衝撃をうける。大学で哲学を学んでいた石川さんは、被害者の女の子のお母さんの手記、「彩香へ」を読んだ時も強く感じるものがあった。
その子の生きた時間の長さにかかわらず、娘が伝えようとしたことは何だったのか、犯人の少年と娘が出逢った意味はいったい何だったのか。
いのちといのちが出逢ったことの意味までを問う、彩香ちゃんのお母さんがそんな視点を持つようになったのは、一人のフリーライターの存在だったと知って、大学院生の石川さんはその人に逢いにいく。
「人間の理性や良心は、自分自身を制御するのに十全であるのか、信頼に足りうるのか」答えの出ない、古くて新しい問いを、石川さんは今もそのライターさんと共有しているという。

石川さんは、一つ一つの事件に対してもそうだけど、戦争にたいしても、同じその問いをつきつける。そういう目で取材している記者さんだったのだと、この日、はじめて知ることができました。(続く)194_12

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