2019年4月18日 (木)

石川記者を送る会その2

4月17日、毎日新聞の石川まさき記者を送る/出会う会@紅茶。
その2。

石川さんが新聞記者になって5年。最初の赴任地が広島。平和の取材を、と思ってる時に、広島で大規模な土砂災害。ほんの数日前に取材で訪ねた場所、会った人たちが、その災害にまきこまれる。災害報道の経験から、熊本地震の時も応援で取材にはいる。益城町に張り番として夜中立って見張っていた時に、あの本震が起きた。昨年の西日本豪雨災害にも、また応援で入る。防災に関しては、備えあれば憂いなし、じゃない。憂いがないと備えられないし、備えあってなお憂えよ、だと思う、と。

金沢に異動した2年前は、憲法ができて70年の年。防災の記憶の継承と同じように、戦争の記憶も継承されなければ。そういう思いもあって、だけど学者からでなく、まず市民から話を聞きたいと思ったという石川さん。
それですぐに話を聞きにきてくれたんですね。そして5月3日には紅茶に取材にきてくれた。(その時、安倍首相が2020年を新しい憲法施行の年にすると言ったことに対して、どう思いますか、って聞かれたんだった!もちろんその時が初耳だった)
その10日後くらいにみゆきちゃんたちと初のコッカイオンドク!がはじまり、四高記念公園でのオンドク!アクションのこと知らせようと、みゆきちゃんが毎日新聞に電話したら、たまたまその電話をとったのが石川さんだった、というすごい巡り合わせ。

石川さんがみゆきさんの電話をとったことも、石川さんが紅茶に度々来てくれたことも、きっと単なる偶然じゃないのだろうね。
さかのぼれば、小2であの事件がおきたこと、少年犯罪について考え、非行少年といわれる子どもたちと学生時代にかかわっていたこと、事件関連や哲学の本を読みまくったこと、新聞記者になったこと、災害に遭遇し、被災現場に何度も何度もいったこと、遺された人たちの言葉を聞き取ってきたこと、きっとみんなみんな、意味があるんだ。
父がいつも口癖でいっていた、「のち悟らん」なんだろうとも思う。
それにね、石川さんが愛知県生まれで刈谷高校出身、ってのも、私にしたらとってもうれしい。刈谷生まれの父と刈谷高校とは、深〜いご縁があるので。

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紅茶は、ひととひとが出逢う場所、そこから一人一人が学ぶ場所、と思ってるけど、きのうは、まさにそういう時間になりました。
学ぶことは、自分のなかの何かが変わること。そうやって生きてこられた若き記者さんと、きのうは確かに出逢えたと思う。自分のことこんなふうに人前で話すってはじめて、とのことだけど、それならなお聞かせてもらえてありがたかったなあ。

石川さん、心ひらいて話してくださってほんとにありがとうございました!!大阪にいってもまた、あなたらしい記事で、人間を、いのちを、平和を、書いていってくださいね。

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石川記者さんを送る会 その1

4月17日。毎日新聞の石川将来さんを送る/出会う会@紅茶。
その1。

記者さんにむかって逆取材。名前の由来や、とれたのはどこ?どんな子どもだった?どうして新聞記者になろうと?などなど。
みゆきちゃんと二人で、石川さんを送る会を紅茶でしよう、と企画したのだったけど、ふたをあければまったく予想してなかった深い話を聞かせてもらうことになり、心がふるえました。

石川さんの書く記事にいつも感じていた、この若さで(平成元年生まれの29歳)どうしてこのような記事をかけるのだろう、という疑問のわけを少し垣間見た気がしたんです。
俯瞰の目、そしてディテール、細部を見る目。語り手の言葉をすくいとって記事にする感度のよさ、文章のセンス。子どものころから記録魔だったんです、っていってたけど、単にそれだけでは、取材された人の空気感まで伝わるような、あんな記事はかけないと思う。

石川さんが小2の時に起きた神戸連続殺人事件に、8歳の彼は強い衝撃をうける。大学で哲学を学んでいた石川さんは、被害者の女の子のお母さんの手記、「彩香へ」を読んだ時も強く感じるものがあった。
その子の生きた時間の長さにかかわらず、娘が伝えようとしたことは何だったのか、犯人の少年と娘が出逢った意味はいったい何だったのか。
いのちといのちが出逢ったことの意味までを問う、彩香ちゃんのお母さんがそんな視点を持つようになったのは、一人のフリーライターの存在だったと知って、大学院生の石川さんはその人に逢いにいく。
「人間の理性や良心は、自分自身を制御するのに十全であるのか、信頼に足りうるのか」答えの出ない、古くて新しい問いを、石川さんは今もそのライターさんと共有しているという。

石川さんは、一つ一つの事件に対してもそうだけど、戦争にたいしても、同じその問いをつきつける。そういう目で取材している記者さんだったのだと、この日、はじめて知ることができました。(続く)194_12

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2019年4月 8日 (月)

鴨川お花見ピクニック

194_7 京都は桜満開!「不思議なクニの憲法」上映会の前に、正子さんと想良ちゃんと、鴨川でお花見ピクニックランチ。
 
翼パパとソラちゃんには去年、2回もあえたけど、正子ママにあうのは何年ぶりか。正子さんが、こんなすてきなピクニックを計画してくれました。仕事で来れない翼パパの、あたらしい仕事の話もゆっくりきけてよかった。
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束の間でも、こんなgatheringの時間は、春の贈りもののよう、と、想良のgodmotherの私は感謝するのでありました。

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2018年12月29日 (土)

かざぐるまキルトからシーサーまで

12月2日夜。やんばるにおま住いの水野さんご夫婦が、やんばるほっとかふぇにいる私に会いにきてくださった。ミスター水野さんは、前日のゆかるひさんに話をききにこられて、その時に、お連れ合いが私を知っているという謎の言葉を残した方。そのわけがどうしてもしりたくて、お二人にきていただいたのだ。

謎がとけました!
ことの発端は、1988年のいのみら通信の付録につけたかざぐるまフレンドシップキルトの型紙→当時、札幌にいて通信の読者だった樋口みな子さんが、その型紙を稚内にいる友人の児童文学者さんに送った→その方のお連れ合いさんはキルトが得意→彼女は、やはり針仕事の得意な友だちである水野備子さんを誘い→稚内でもかざぐるまのフレンドシップキルトが縫われた由。そのキルトは、脱原発デモの時にも、地域の高校の文化祭などでも、大活躍したのだという。

7年前に亡くなった安宅路子さんが、脱原発の願いをこめて30年前に考案した一枚の型紙が、こうして北海道に渡り、実際にその型紙をつかって、稚内でかざぐるまキルトを縫った人が、今、沖縄のやんばるに暮らしていて、私と出逢うって!なんてすごい物語だろう。

水野備子さんの手は、今、陶芸でシーサーもいっぱいつくっているという。翌日、今帰仁城址のグスクショップにおよりして、安宅さんへのおみやげのシーサーを選びました。備子さんの手づくりシーサーは大きさも、表情も、背中の模様も、一つ一つ違う。背中が星のもようのこれに、きめました。

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安宅さんちには今も月一回かよっている。私のからだのメンテナンスを安宅治療院さんにお願いしているのです。つい先日、予約した治療の日にやっとこの物語を語れて、水野さんのシーサーを直接お渡しすることができました。

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2018年11月 5日 (月)

ちぃば、こと、ちいさん

11月3日、羽咋の夢生民(むうみん)さんへ。この日は、らっきい、ランチも食べられるむうみん、3つのグループホーム、るるるんち、などを生み出した「つながり」の10周年記念の日。
その記念イベントの一つ、がらくた座のちいおばさんこと、木島知草さんの人形劇を見にいきました、っていうより、ちいさんに会いたくて会いたくて、出かけました。

去年4月、ちいさんが安曇野のけんぽうかふぇにきてくれたから一年半ぶりの再会だけど、ちいさんの人形劇見るのはもう何年振りだろう!
1時間半、ノンストップで、ちいさなからだをフルに使って、手袋人形のあかちゃん、きいろちゃんの人形劇。歌あり、手話のダンスあり、見てる子どもたちと最初から最後まできもちのキャッチボールしながら演じきる!
お腹がいたくなるくらい楽しい人形劇の中に、いのちの話・生と性の話も、HIV/AIDSの話も、しっかり織り込まれてる。

赤ちゃんと黄色ちゃんの会話は、こんなふう。

私たち、手袋から生まれたいのち。
よ〜くわかってほしいから、よ〜く見て。いやなとこはさわらないで。肩のとこそっとさわるのはいいよ。

目の見えない人、聞こえない人、みんないろんな特徴を持っている。
男と女、ってふうに二つだけに分けられない、男に生まれて女になりたい人も、男の人を愛する男の人もいるよね。

いのちは比べられない。でも誰もが、しあわせになるためにこの世に生まれてきた。

どうして女の子が力持ちじゃいけないの?男の子だって弱くていいんだよ。弱いと思ってる人が、強いものを助けてくれることもあるんだよ。

ここにいる人たちみ〜〜んな、砂の粒くらいちっちゃかったんだ。
地球みたいな子宮。海のような羊水。太陽みたいな胎盤。
みんな、お父さんとお母さんのいのちの設計図を受け継いで、いのちがけで生まれてきたんだよ。

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ちいさん手描きのちらしには、「ちぃばぁの命のお話」と書いてあったけど、ちいさんはとってもとても若々しくて、大きいお孫さんはいるけど、「ばぁ」じゃないなあ、と思ってた。
そしたらちいさん、「ちぃばぁ」の呼び名が好きなんだって。「ばぁ」には安心感があるでしょ、幼い子たちに、安心して話を聞いてもらえる感じ。ちぃばぁ、は、地球のばぁでもあると思う、っていってた。
そうかぁ、ちぃーば、にはそんな意味もあったのか。ちぃーば、はちいさんの新しい呼び名にふさわしいかも。

でも私からはやっぱり、ちいさんと呼んじゃうな。その全身で愛を、いのちを、平和を、憲法のたいせつさを、ずっとずっと伝え続けている人。心から私の尊敬する人。そのちいさんが、けんぽうぶっくを何度も注文してくれては、人形劇の旅の途中で売ってくれている、時には出逢う人にプレゼントもしてくれている。

それぞれの表現方法は違うけど、ちいさんは人形劇で、私は言葉で、憲法を、平和を、伝えて行くんだね。ちいさんとのハグはあったかくて、うれしくて、涙がでたよ。おたがいにできることせいいっぱいいしてこうね、と言葉にしないで伝えあった。

写真は、トイレにはってあるちいさんカレンダーの12月のページ。ちいさんが読んでいるのは、なんと、けんぽうぶっく。

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2018年10月30日 (火)

ほっとらいんさんとつながったよ!

滋賀県と岡山県の出前のあと、石川に戻った翌日は、毎年、美川のルーツ交流館(石川県の県庁が最初にあったのが、この美川だったことから)が会場の、ほっとらいんさんのよし笛コンサートに。

よしぶえは、葦の茎と竹でできたちいさな、見た目も頼りなさそうな、縦笛です。吹き口だけ竹で、あとは葦でできている。全部が竹のとはちがう、素朴な息の音色。

そのよしぶえを吹くのは、ほっとらいんのみきさん。ギターを弾くのはタクさん。タクさんは、私の13条の歌でギターを弾いて、あの歌をCDにしてくださった方。
なんどもきいてるけど、ご夫婦のコラボがほんとにすてき、よしぶえの音色は私の心に深呼吸させてくれる音楽です。


この日は1時間半のあいだに、ミッキーマウスマーチからはじまって、25曲!演奏もあり、ビートルズもあり、童謡も唱歌も歌謡曲もクラシックも最近の歌もあり。コンサートにきてる人たちと一緒に歌う歌もいっぱいありました。お母さんときていた坊やは、トトロといっしょに散歩してました!おおよろこびで踊り出すほどに。

ほっとらいんさんは滋賀県近江八幡にお住まい。そして、私を滋賀県によんでくださった林さんとほっとらいんさん、滋賀県民さん同士が、このFBでたった今、つながりました。FBの魔法のようです。

1710 うれしいうれしい。
いつかきっと、ほっとらいんさんと私とのコラボ、滋賀県で実現できたらいいですねえ。

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2018年10月15日 (月)

お誕生日に、名前のラブレター

今回のVFPジャパンツアーの仕掛け人、VFPジャパンの共同代表で、あすわか弁護士の武井ゆきこさん。
なんと、昨日がお誕生日だったのです。
会のあと、実行委で一緒にお食事。

内緒のバースデーカードにみんなの寄せ書きを。実行委員のだけでなく、マイクおじさんやネイサンさんや井筒さんの言葉も。

私はこんな名前のラブレターを。

たのしく
けんぽうカフェ
いろんなところに
ゆうきのたねをまく
きもの大好き
こうどうするあすわか。

頭文字を縦に読むと、たけいゆきこ。わ〜〜い。

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2018年9月 6日 (木)

ウキコさん、、、、。

ウキコさんが天に、って、きのう、岡山のともだちがしらせてくれました。

絵本と石鹸のお店、宇吉堂のウキコさん。
ウキコさん、カメさん、石川を離れるちょっとまえのアルさんで、おあいしたねえ、今思うとあそこ出会えたこともとくべつな意味があったのかもしれません。おかやま、おおつ、金沢、和歌山、、、といく先々でウキコタネをまいてくれたね。和歌山のカフェムロさんに行けたのも、ウキコさんのおかげ。
するどくてあったかい、本物の言葉がドクン、とこっちの胸にまっすぐはいってきました。
きていたお洋服が、これまたいつもいつもウキコファッションで。お洋服も小物も、よく手作りしていたねえ。
67歳のお誕生日だったのですねえ。ウキコさんが誰にもいわなかったのって、それもまたウキコさんだったの、、、?
ウキコなみだは、しょっぱくて、あったかい。カメさん、たおれないでね、ウキコさん、カメさんを守ってね、手のひらのハグで、合掌します。
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後藤宇企子が9月5日の午後1時20分に自宅=宇吉堂でなくなりました
9月8日(土)午後2時に出棺予定
絵本・石けんの店 宇吉堂にてお別れします
普段着でさんさんごごウキチの顔を見に来てください
1951年9月8日生まれ
67歳の誕生日です
お香典とかなしで絵本でも買って行ってください
ほとんど誰にも言わず10年も乳腺腫瘍を育てていました
たくさんの友達に囲まれて幸せそうに深い眠りにつきました
みなさんありがとう
滋賀県大津市真野5丁目14−43
琵琶湖真野浜水泳場北側

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2018年8月10日 (金)

合掌。翁長さん。


https://ryukyushimpo.jp/news/entry-778441.html

その前日から意識混濁、、、の病状だった翁長さんが、8日、亡くなられた、とのこと。

6月23日の沖縄慰霊の日には、病をおして参加されて、ご挨拶されていたけど、、、。

身を賭して、沖縄に基地をつくらせない、と戦ってこられた翁長さん。

国に殺された、、ような気もするけど、沖縄に関心を寄せない本土の人間たちも、翁長さんの死に関係あると思ってる。私をふくめて、です。

心より心より、ご冥福をお祈りします。

政府はこの8月、美しい辺野古の海に土砂を投入する、という。
8月11日の沖縄での県民大会に想いを寄せて、明日は青い服を着て、その写真をアップしようと思います。

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ぬちどうたから。宝の島を殺さない。連帯のきもちをあらわしたいです。

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2018年5月21日 (月)

前川喜平さんの講演会

前川喜平さんの講演会@射水市小杉にいってきました。

全国の親しい人たちから前川さんの講演会の模様をきいていたけど、私がなま喜平さんのお話きくのははじめて。
ほんとのことを自然体で、平らにおはなしされる。ユーモアそこかしこ。聞いてるこっちの心が喜ぶ。喜平さん、ってお名前のとおりだ!

お話のなかに何度も何度も、個人の尊厳が何よりも大事、個人の尊厳が最高の価値、これ以上大事なものはない、といわれるので、私のハートの中の13条も、そのたびにうれしくってふるえる。

憲法と教育基本法は車の両輪。憲法の理想を実現するには、人は学ばなきゃならない。教育を通じて、人間らしい人間になっていく、そのことが書かれてる教育の憲法と言われる基本法。2006年に改悪された。あれは改憲の地ならし。「国の未来を切り拓く」人だけのための教育なんて。

教育基本法の読み解きしていただいて、憲法と基本法の関係性もよりリアルに迫ってくる。全国に夜間中学!誰もが学ぶ、学び直しの機会こそ。

前川さんのお話、石川では8月5日に野々市フォルテにて。2:00〜。カレンダーにきへいじるしを。

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