2020年4月 4日 (土)

ひみかさんでカメリアーノさんと。

3日、津幡の日水花(ひみか)さんに行ってきた。カメリアーノさんに会いたくて。ちょうどNOPPOKUNNパパが見えてたので、証拠写真を撮りました。私が手にしてるのはもう何年も前に卯吉堂さんで購入した、虹色てっきん。
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ひみかさんの一つの棟がカメリアーノさんギャラリーになっていて、琵琶湖畔(カメさんは卯吉湖、って呼んでる)に移り住んでからの絵がたくさん。カメさんのお住まいからは琵琶湖にかかる虹がほんとに何度も何度も見えるのだという。卯吉湖畔に住んでからは朝日の絵を描くことが多くなったんだって。Img_1984 Img_1985
 
ひみかさんの開け放たれた空間で、ゆったりした風と、ひみかさんはじめ、ひみかさんつながりの方達と、ゆったりした語らいを楽しむ。はじめてお会いした紅茶大好きなかたが入れてくれた、ネパールの月の茶園(ジュン・チャバリ)でとれた紅茶がとってもおいしかった。
 
その紅茶を飲みながら、今年のピースウォークがどうして今年の形ですることになったのか、実行委員会での対話の重なりようをひみかさんたちにお話したよ。その話し合いの過程そのものが、ピースへのウォークだと思ったんだよ、というあたりを。
ちなみに、ひみかさんもピース割引にご協力くださったお店の一つ。
 
カメリアーノさんの絵画展も、旅人とつむぐうさと展の一貫。うさとさんのお洋服も展示即売されています。明日5日まで。

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2020年3月31日 (火)

はしもっちゃんのこと

その悲しい知らせをうけとったのは2月の末でした。ご病気療養中だったはしもっちゃんこと、「みんなで決める会 新潟原発県民投票を成功させよう」共同代表の橋本桂子さんが亡くなられた知らせ。

私は、はしもっちゃんに会ったのは二度だけ。それでも、包容力があって、明るくて、いっぱい考えてて、つやつやのすてきな笑顔のはしもっちゃんをとってもよく覚えているよ。

2015年の秋に、新潟県関川村のコンさんに呼んでいただいた時、新幹線の上越妙高駅まで私を迎えにきてくれて、そこから3時間車を走らせての関川村まで、はしもっちゃんと私は自己紹介しあいながら初対面の時間を共有した。翌日のけんぽうお話の出前もきいてくれて、また、村から上越妙高駅まで私を送り届けてくれた。

「おらっての電気をつくろ」と、おらって新潟市民エネルギー協議会にかかわり、柏崎刈羽原発の稼働についての県民投票条例を求めて動いてきたことなど、ぽつぽつと、私が聞くことに答えてくれたけど、自分からあれもこれもとしゃべるひとでなかったから、はしもっちゃんのしてきた大切なしごとのことは、ほとんど知らずじまいだったと思う。

私が関川村に行った2ヶ月後、コンさんとはしもっちゃんは二人して、細川律子さんの宮沢賢治の紅茶の時間にきてくれた。律子さんの読む賢治、コンさんの語る村に伝わる昔話と紙芝居。岩手と新潟、二人の語り手の出逢いに感動した日、はしもっちゃんもほんとに楽しそうに笑っていたね。

コンさんが送ってくれた、「みんなで決める会」の報告書は、2013年発行。68000人の県民の署名をあつめて、原発の新潟県民投票条例を制定してください、と直接請求した記録。県議会で述べた、はしもっちゃんはじめ、県民の意見陳述も載っている。Img_1979
泉田知事(当時)もこの請求をとても重く受け止めて意見書も出してくれたのだけど、議会では44:7で否決されてしまう。それでもこの会のすごいところは、審議後、県議全員に面談して個別に聞き取りをしてその報告も載せているところ。(電話での聞き取りもあれば、結論がでたことにたいしてお話することはない、と言われた議員の話もふくめて載せている)

あらためて、はしもっちゃんの存在の大きさやていねいな仕事ぶりを知って、彼女に出逢わせてもらったことに心から感謝した。2011年の福島原発事故後、原発を抱える県に住む人はそれぞれに、原発を再稼働させていいのかって自問自答したと思う。その問いの答えの一つを見せてもらった気がする。

はしもっちゃんのしてきたようなことは、市民活動っていうより、主権者運動って呼びたい。自分たちのことを自分たちで決める、国や行政任せにしない。この報告書から、私は主権者です、と凛として陳述しているはしもっちゃんの姿が想像できたよ。

今、コロナ感染の不安が蔓延してて、大きな力でこれをくいとめてほしい、いっそ外出を禁止にしてほしい、と国が緊急事態宣言を出すことを望むような声が大きくなってきてる。
主権者はどこにいった? 自分がどう行動するか、決める主役は、ほんとは、あなただよ、わたしだよ。だよね、はしもっちゃん。手のひらのハグで合掌。

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2020年1月25日 (土)

花子さん笹子さんライブ@もっきりやさん

大島花子さん+笹子重治さんのデュオ@もっきりやさん。
花子さんの自然体な語りで、キヨシローさん詞の「イマジン」からはじまったライブ。笹子さんの弾く、ラテンヨーロッパ系のギターの音色が、なんとも花子さんのあたたかな声とあっていて。

笹子さんの曲に花子さんの詞で、「日時計」やケーキづくりのうた、(これがめっちゃ楽しい、リズミカルでおいしそうで)、手話をおしえてもらってみんなでうたった「夕焼け小焼け」(最後のリフレインは、サイレンスで手話だけで)。

お父さんの九ちゃんは、目にみえないもの、きもち、を伝えるのがとても上手だったという、その意味でも、手話がすきだったと。そんな九ちゃんに影響されて永さんが手話のことばでつくったという歌「そして思い出」も、なんていいうた、なんていい歌詞。

花子さんはとてもていねいな日本語で歌うので、歌のこころがつたわる。九ちゃんがお父さんのことを歌った「親父」も、「一本の鉛筆」も、「北の宿から」も(意外!)、「ヨイトマケ」の歌も。
全員で歌った「上を向いて歩こう」。永さんはこの歌を、少年が涙をこらえて、顔をゆがめて、空をみあげてる、その顔をおもいうかべながら書いたとのこと。

花子さんはライブのなかでピースウォーク金沢のことも紹介してくださいました。「金沢にはこういうすばらしい活動がもう20年もつづいているんですね、うらやましいな」と。35年前の飛行機事故で突然お父さんを亡くした花子さん。当たり前の日常が突然断ち切られる。いのちがどんなに大事か、ってこと、そういう悲しみは、平和でないと起きることでもあること。

ピースウォークのこと話してくださった次の歌は「歩いても歩いても」。お父さんに、大事なことを教えて、と尋ねたら、急がば回れだよ、と言われたことから花子さんが書いた歌。とおまわりでも、歩いても歩いても同じ景色のようでほんとは違う、ちょっとづつでも、歩いていかないと、前には進めない、進まない。

九ちゃんのお兄さんが最近亡くなられたそうで、残された詩から「さるすべりの木の下で」という歌を。悲しみは悲しみであっていいんだ。乗り越えなくてもいい。悲しみをひきづってるってことは、それだけ大好きってこと、しあわせってこと、それだけ恋しく想うってこと、そうやって35年やってきました、と花子さん。

アンコールは、マイクなしの花子さんのなま声と笹子さんの静かなギターで、「見上げてごらん夜の星を」。とてもとてもこころにしみました。

おわってから、のっぽくん・アルさんのデリをかこんで交流会。
当日になっていくことをきめたある人は、笹子さんのギターの音色に前から惹かれてて、その音をたどっていった先のFBで花子さんとのライブがあることを知ったという。その人、なんと、ずっと前の紅茶にきていたお母さんで、25年ぶりの再会でした!

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花子さん、笹子さん、もっきりやさん、幸せな時間をありがとうございました。

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2020年1月 5日 (日)

アーサーさんのおはなしその3

アーサーさんの「そもそも日本とは」のお話から。しつこく、その3
@珠洲のさか本 2020/1/2

質問にこたえるアーサーさん
・好きな日本語は?
佃煮にするくらいある。たとえば「てんやわんや」!
・なぜ日本語に興味持ったの?
英文科→イタリア語→タミール語(これでアルファベットから解放された)→日本語(同じサウンドで3種類もあるって!しかも漢字は一万字もあるって!)
日本語を知ったおかげで、エリック・カールやセンダックと組んで絵本をつくれるようになった。思いもしなかったこと。


文化は言語から醸し出されてる。デンとかハクの打ち出す言葉は腐っている。言葉を嗅ぎ分けないと。一億総活躍時代は、一億総カツアゲ時代だ。
言葉で大事なのは覚えることだけでなく、言葉の作り手になるということ。造語し続けること。タネは先人がいっぱい作ってくれたが、それを育てないと。
(小3から英語が必須になろうとしているが)英語より日本語の方が劣っていると、どこかで思わされていないか。言葉は経済活動のためにあるのではない。

今使っている言葉は、みんなと話すための言葉であると同時に、死んだ人たちと話す、もう会えない人との接点のため。その人とつながっていると感じることは強いことだ。今だけのことで考えない。自分でつくっていないと、次々くるコピーライター語で満杯になっちゃうよ。

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日本語を知ったおかげでボブ・ディランとも「組めた」アーサーさん。彼の「Forever young」が、アーサーさん訳で絵本に。この言葉は、いつまでも若く、って意味じゃないんだ。ディランは2歳のわが子に対して歌っている。アーサーさんの訳は、「毎日が、君の始まりの日」と。

アーサーさんが生まれた年にできた歌、ルイ・アームストロングが歌った「What a wondeful world」。ベトナム戦争時代のこの反戦の歌を、以前は甘いと思っていたけど、いまは違う。世界は誰のものなの?と問うている。「すばらしいみんな」と訳されて絵本になったのを、アーサーさんの語りと歌で聞かせてもらえたのが、この日のギフトのように思えたよ。絵本は、岩崎書店より。あ、ちなみに産声をオギャーという日本語に対する英語はないそうです。アーサーさんはいつか、それにあたる英語をつくりだしたいらしいよ。

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まるまる4時間(その間におしるこ付きの休憩あり)のアーサーさんトーク、会場のひとたちとのQ&Aも織り込みながら。二十歳のなのちゃん、司会役おつかれさま。新年の、とってもいい時間を、ありがとうございました。

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アーサーさんのおはなしその2

アーサーさんの「そもそも日本とは」のお話から。その2
@珠洲のさか本 2020/1/2

会場からの質問に答えながら
・不断の努力とはどうすること?
憲法、使ってないよね、みんな。それが危機的。僕は使ってるよ。出版、言論、集会の自由。21条あるから僕はこういうことができてる。21条が変わったら僕は国に帰らないと。
3.11のあと、8年かけてじりじり内部被爆で、みんなやられている。ほんとは危機感いっぱいであせりまくってないとならないのに。市民運動も再稼働反対も、憲法があるからできること。

・日本は独立国なの?属国?
アメリカでいらなくなった飛び道具を買わされてる、でもそれ、属国だから、じゃない。沖縄の辺野古にしても、やってるのは日本政府でしょ。属国だから、という思考回路は日本の有権者のいいわけだよ。
アメリカのせいにするな。トランプのせいにするな。自分たちがすることしないで誰かのせいにするな。属国だからしかたない、アメリカがやらせてることだ、と思うと本質がみえなくなってしまう。
トランプを思考回路からはずして、アベはみなさんの責任。決定権はみなさんにある。引きずり下ろせばいいこと。
バークレーはアメリカ国防省に辺野古埋め立てやめろ、と反対決議出してる。日本の自治体では1つもだしてない。

・改憲のこと、国民投票のこと
今年やる、ってアベは言ってる。国民投票にむけては、僕らが想像できないくらいの資金力でなだれのようにだまされてく。
先進国で戦後に憲法をかえた回数がグラフでポスターになってるのを見た。アメリカ6回、韓国9回、インド103回、フランス、ドイツ、などの例がでていて、日本はゼロ。これ見たら日本も変えたほうがいいという気になる。
僕の国の合衆国憲法は1787年にできて、いまだ現役で変えられていない。じゃ6回、っていうのは?これは微調整、憲法改正じゃなくて、修正条項のこと。これによって、奴隷禁止とか女性参政権が書き加えられた。ほかの国々も修正条項。日本の改正は、憲法をどぶに捨てるような変え方だから意味がちがう。

そもそもこのポスターには大きな嘘がある。戦後、日本は一回かわっている。今の憲法の最初の言葉は何?「朕は」からはじまって、帝国憲法からこの憲法に変えるよ、と天皇が言っている。それは戦後のこと。だからこのポスターにゼロ、って書くのは、意図的サギ。「朕」の顔に泥塗ってるよ、昔なら不敬罪だ。

緊急事態条項は、すべてをつぶす流れ。基本的人権のない状態つくるってこと。3,11以後、今も原発事故による緊急事態ははずされていないけど、それをずーっと続けられるようにすることもできるし、いま福島で年間20ミリシーベルトと定められてる基準だって他県までかえることだってできてしまうってこと。
                      (続く)Img_1631

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アーサーさんのおはなしその1。

アーサーさんの「そもそも日本とは」のお話から。その1
@珠洲のさか本 2020/1/2

この国の、細かい線引き。1日越えると全部が新しくなる、気分も新しくなることになってる。初夢、初荷、書き初めなど。
線引きは、政治的にも利用される。去年の一番大きな線引きは、レイワ。人々を惑わす時に使われる。それでいて、ラグビーW杯は「2019」を使い、オリンピックも「2020」で、「レイワ」は捨ててる。箱根駅伝もそう。何でもオリンピックとくっつけたいから。


1940年は東京オリンピック、だったはずが、ぽしゃった。5年前、次の東京オリンピックもぼしゃる、と予想して、はずれたら坊主にすると宣言した。詩人は予想屋も兼ねてる。オバマ、EU離脱、トランプ、どれもはずれたら坊主を約束したが、全て当たった。でも実質、東京オリンピックはもう半分ぽしゃってるよね。マラソンないなんて、オリンピックじゃないもの。

8年前、僕はこの部屋にいた。その時は「さがしています」という絵本をつくっている最中だった。広島で会えておはなし聴ける人は例外的に、ヒロシマを生きた人。原爆を本当に間近に体験した人はもう語れない。だから平和祈念館にある2万点のモノに語ってもらおうと思ったんだ。僕なら通訳できるかも、と思って。でもそのためには広島に住まなくちゃ、と住むところを探していた時に、3.11が起きた。

30年前に日本に来た時、池袋の図書館ではじめて紙芝居というものを見た。これはすばらしい日本発のメディアだ。人力で動くし、電気コードも要らず、どこへでも持っていける。
7年がかりで去年つくった紙芝居「ちっちゃいこえ」は、脚本が先にあるふつうの紙芝居作りと逆で、絵が先にあった。丸木位里さんと俊さんが描いた「原爆の図」だ。15作品の中から、絵の素材を選んで、後からストーリーを書いた。登場する「ねえさん」も「ネコ」も、第5福竜丸の焼津の絵からとっている。
核被害の本質は、原爆でも原発でも、細胞がじりじりじりとやられていくこと。誰の中にもある細胞のこえを、ずんずん るんるん ずずずんずん るんるんるん とあらわしたけど、それはみんなに伝わっているかな。

紙芝居作りの途中で、一番ていねいに一対一で長時間つきあってくれたのは高畑勲さん。彼は、加害を作品としてつくれていない、と常に語っていた。庶民はもちろん被害をおおいにうけたけど、ある種の積極性をもって、みんな戦争に乗っかっていたんだ、と。

福島復興オリンピックなんて、サギだよ。よこしまオリンピックだ。止めた例は各国にある。シカゴも誘致ぽしゃった。本気でとめる気になれば止められるのに、止めると自分が損すると思うから止めようとしない。オリンピック原発再稼働も。みんな調教されてる、自分が損しないように。

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写真は、お話会の始まる前、ちょこんと待ってるいたずら少年のようなアーサーさん。Img_1624 椿の名は、侘助。菜の花ちゃんの弟さんの名前。Img_1622      (続く)

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2020年1月 2日 (木)

アーサーさんおはなし会


新年2日。「アーサーさんと一緒に【そもそも日本とは】を考える会」が、珠洲の湯宿さか本(菜の花ちゃんのお父さんがしているお宿)にて。日帰りで行ってきました。栃木からとか大阪からとか、遠ーくからのお客さんもみえてた。

東京新聞の中山洋子さんも急遽、来れることになった!と駆けつけて。

毎度のことながら、アーサーさんの感性アンテナにひっかかった言葉はするどい、本質ついてる、聞いててはっとする。今回はいくつ大事な言葉をひろえただろ、明日またノートを読みなおしてみよう。母語の日本語を、踏んづけられたままで腐らせてはいけない、って思うので。

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この日受付をしてたのは、沖縄の珊瑚舎スコーレで菜のちゃんの一年後輩で、いまは京都の大学にいってるというSちゃん。名前を告げるなり、「けんぽうぶっく、読みました!さいこー!」って言葉がかえってきて、こいつぁ春からめっちゃ縁起がよい。菜のちゃんが何冊も注文してくれて、沖縄のともだちに送ってくれていたうちの一冊がSちゃんとこにとんでいったんだね。
アーサーさんの詩で絵本になったボブディランの「forever young」、ルイアームストロングの歌で聞いてた「what a wonderful world」がこれまたアーサーさんの詩で絵本になってた。さいごに読んでもらえてそのひとときもすてきだったなあ。
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可愛い黒い車はさか本家のお仕事カーかな。荷台の背中には山本太郎のでっかいポスターが貼られてた。お庭にはきのう降った雪の、名残雪だるまの一部が。 Img_1623

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2019年12月13日 (金)

べんさんの記事、読めます!

たかはしべんさんマネージャーで、川越紅茶仲間のなみちゃんが、教えてくれました。読んでみてね!うちには、週刊誌本体がありますけれども。

べんさん歌手生活40周年。その締めのコンサートは来年4月26日に、ホームグラウンドの川越で。ゲストは、ウクライナ出身のナターシャ・グジーさん。なんと34年目のチェルノブイリの日に当たる日に、べんさんとグジーさんがコラボするって!!

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『週刊女性』12月17日号
人間ドキュメント
たかはしべん掲載
7ページ分 記事全文を
読むことができます‼️

https://www.jprime.jp/articles/amp/16674?display=b

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2019年12月10日 (火)

哲さんと、松浦さんと

黄色い封筒に入ったクッキングハウスの通信が届いて、やっと最後まで読めて、代表の松浦幸子さんに感想ふくめてのお便りを書いていて思ったことの一部を、ここに。
 
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今年は12月の声を聞くより一足早く、黄色い封筒が目印の通信が届きました。いつにもまして、中身が充実していて、深い内容。これだけのものを、2ヶ月に一度出し続けることの、たゆまぬ努力にあたまが下がります。
マインドフルネスをもっともっと自分のものにしたい、とおもっているところだったので、今号は特にうれしかったです。
ティクナットハンの「仏の教え」の本も今、手元にあります(ずっと前に別のご本をくださいましたよね)。
10月の金沢でのSSTの報告も、通信の中にいれてくださって、ありがとうございます。
 
中村哲さんを失ったこと、大きなショックで、きもちを立て直すのにまだまだ時間がかかりそうです。
私にとってはガンジーさんとならんで、武器ではなく非暴力で9条を体現しておられる方、として、心の支えにしていた方でした。
困った人がいたら、どうしたの?と声をかけるのは当たり前でしょう、とおっしゃり、何が必要なのか、自分にできることは何かを常に考えてらした。
相手との信頼を築くこと、相手を信じること、裏切られても裏切らないこと、誠意を示すこと。
まさに、前文にある「人間相互の関係を支配する崇高な理想」(私はこれが13条を実践することだと思っています。とっても難しい困難さを伴うことだからこその、崇高な理想)を日々、生きて来られた方なのだなあ、と思っています。
 
ああ、でもこうやって書いてきて、松浦さんの生き方もそうだな、と感じます。目の前に困っている人がいたら、自分にできることを、とずっとして来られたのは松浦さんもまったく同じです。
 
私自身、哲さんをなくしたことで絶望の中に沈み込んでいてはいけない。私もまた揺るぎなく、武器によらない方法で、平和にむかって、ひととひとがあるべき関係を、崇高な理想を、対話で、態度で、ともに築いていきたいと強く強く願っています。松浦さん、また、ちからを貸してくださいね。
 
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福岡での中村哲さんの告別式は、今日10日。
明日11日の草かふぇは、先日NHKで再放送された「武器ではなく、命の水を」のドキュメンタリーをそこに居合わせた方たちと見ようと思います。3時から。

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2019年12月 7日 (土)

べんさん 「週刊女性」の人間ドキュメントに!

とってもいい記事!今週の「週刊女性」(12月3日号)

べんさんのこと、よくぞ書いてくださったなあ、こんな風にそのままのべんさんを、ライターさん、表現してくださったなあ。
町の本屋さんで昨日買えました!

べんさんを、全国のおやこ、こども劇場の方達が何度もリピートで読んでくれたこともまた、うれしく!
この間私がうかがった枚方の劇場でも何度もお呼びしてたって。

 

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表紙は雅子さんです。Img_1565

 

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